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無題  作者: 雨地草太郎
29/41

若木はまだ青いが…

 開城された呈央城。


 貫州軍総大将、機英が、部下を伴って入城した。


 民衆達は大通りに集まって機英らを出迎えた。誰の顔にも、怯えはなかった。いくらかの疲労と、安堵が浮かんでいた。


 そんな民衆達を眺めながら、機英は馬を歩かせていた。横には参謀の沛黄も並んでいる。


「沛黄よ、入ってきている情報は?」


「はい、どうやら城将の慈沖(じちゅう)聘左(へいざ)は逃走した模様にございます。討ち取った兵士の数は、目付に数えさせております」


「確か、敵将を一人捕らえたという話だったのう」


紀流(きりゅう)という将を捕らえました。彼の処遇はいかがいたしましょう」


 機英は大通りの民家に視線をやってから、


「この戦が終わるまでは、この城に閉じ込めておけ」


 と指令した。


 沛黄が小さく頭を下げた。


 気の荒い馬徳だったら、即座に打ち首と言い出すところだろう。


「そしてその紀流を捕らえた者でございますが、どうやら例の超水という男だそうで」


「超水?」


 機英は少し考えて、それが呈州で新たに加わった男であると思い出した。


「そうか。では超水には五人衆の長を任せるか」


「承知いたしました。あとで軍功軍議を開き、通達いたしましょう」


「うむ」


 それで話は終わったと思った。


 しかし、沛黄が「機英様」とまた声をかけてきたので、機英は横を見た。


「まだ何かあるのか」


「はい。実は龍角が独断行動をいたしました」


「…………」


 機英は沈黙した。


 これはなかなかに複雑な沈黙だった。


 あの男ならやりそうだ、と最初に思った。


 だが、軍律に背いた以上、処罰せねばならない、ともすぐに思った。


 その次に、龍角を処罰することにためらいを覚えていた。


「……龍角は確か、馬徳軍の盾隊に配置されておったはずじゃな」


「はい。しかし彼は、盾を放り出して城壁突破に加わりました。もちろん、誰の許可も得ておりません」


 沛黄は淡々と述べる。


「軍律として、兵士は持ち場を離れてはならない、というものがございます。龍角の行動はこれに背いているのではないかという指摘を、隊長よりもらい受けました」


「ふむ、つまり百叩きというわけじゃな」


「ですが、龍角には城壁一番乗りという戦功がございます」


「何?」


 機英は沛黄を見た。


「龍角がいち早く城壁に到達し、名乗りを上げたという報告が寄せられております」


「そうかそうか。それを早く言わんか」


 機英はホッとした。

 大きな戦功を立てた者の、多少の軍律違反には目をつむる。これはどこの軍でも同じように暗黙の了解とされていた。


「差し引きはちょうど零じゃ。しかし、龍角には強く警告しておくようにせよ」


「承知いたしました」


 沛黄が頭を下げるのを、機英は横目で見ながら続ける。


「龍角には見どころがある。しっかりと育ててやりたいところじゃ」


 沛黄も頷いた。


「彼には大胆な決断力と行動力が備わってございますな。人の上に立ち、部下の命を預かるに重要な素質を持っております。……つまり機英様は、国境砦で彼が山賊を引き連れて乗り込んできたところから、龍角に目をつけていた、と?」


「それもある。あるし、周囲からもよく慕われておるところもな。将来が楽しみな男よ」


 機英は、かっかっか、と老いた笑声を上げながら、呈央城に入った。


     †


 呈央城の中央広間。


 印象的なのは、まぶしい白い床と、壁に掛かった山嶺の風景画。


 それ以外にはどうということのない、簡素な部屋だった。


 そこには貫州軍の主立った将が集められていた。将だけでなく、仕長や兵長といった役職の人間の姿も見受けられる。


 列を作っているわけでもなく、思い思いの場所に立って話し込んでいた。


 そんな中にあって、超水は内心で首をかしげていた。


 なぜ、自分がこの場所に呼ばれたのか。それがよく分からなかったのだ。隣には龍角もいるが、彼はいつも通り、平静を保っている。


 ざわざわとしていた広間。


 その空間を引き裂くようにして、


「静まれ!」


 という馬徳の声が響き渡った。


「ただ今より、軍功軍議を開幕する」


 よく通る声で言う。


 すると、後方から広間の中央を通り、機英と沛黄が一段高くなった壇上に上がった。


 沛黄は右手に巻物のようなものを手にしている。


 彼はそれを、慣れた手つきでほどいていく。


「今回の戦いにて功績を挙げた者を、順々に呼んで参ります」


 沛黄はのんびりした声で言った。


 最初に、超水が聞いたことのない名前が呼ばれた。


 呼ばれた男は壇上に向かい、そこで沛黄から、木でできた札のようなものを受け取った。あそこに新たな地位が記されているようだ。


「先生、先生」


 声を小さくして、超水は呼びかけた。


「黙って聞いているのだ」


 龍角は素っ気なく返してくるが、超水は食い下がる。


「さっき、馬徳様は軍功軍議と言っていましたね? ということは、俺達にも何か恩賞が与えられるということでしょうか」


「そうかもしれん」


 そう言われて、超水は初めてわくわくした。


 生まれ育った煉州では、まだ実戦で功績を挙げていない。……挙げたのかもしれなかったが、少なくとも、それを讃えられてはいない。


 つまりこの場所は超水にとって、初めて他人に認めてもらえる場所である、ということになるのだった。


 わくわくしつつも緊張していると、


「超水!」


 と馬徳に呼ばれた。


「はっ!」


 威勢よく返事をして、超水は前に進む。


 壇を上がり、沛黄の正面に立つ。


「お見事でございました」


 それだけ言って、沛黄は札を渡してくれた。


『五人衆の長に任命』


 と書かれていた。


「ありがたき幸せ」


 超水は頭を深く下げ、壇を下りた。


 超水がもといた場所に戻った時、今度は龍角の名前が呼ばれた。


 龍角も返事をして、壇上に歩いていった。


 沛黄と正対する龍角。しかし、沛黄はなかなか札を渡そうとしない。


「龍角殿」


「は、はっ」


「城壁一番乗り、お見事でありました。聞けば、横暴を働こうとした兵士を制止させ、町民を助けたとか。ますますもって素晴らしいお方にございますな。兵士の鑑、といってもよいでしょう」


「あ、ありがたきお言葉!」


 いきなり自分の行動を讃えられて、龍角も照れた様子だ。それが離れた超水の位置からでも分かる。


「しかしながら」


「え」


「貴殿には謝罪すべき者達がおりますな」


「謝罪?」


 超水としても意外な言葉だった。沛黄の表情は真剣そのものだ。場を和ませるための冗談には聞こえない。


「龍角殿、我が軍の軍律については、以前お話ししたと思います」


「あ……」


 そこまで言われて、龍角も気づいたようだった。


「お気づきとは思いまするが、兵士は持ち場を離れてはならない、というものがございます。各人がてんでんばらばらに動いていたのでは、戦になどとうてい勝てませぬ。大軍というものは、まとまってこそ力を発揮いたします。兵士があれだけ大勢いるのだから、自分くらいなら勝手に動いてもよいであろう。そう思ったのですかな?」


「…………」


 龍角は答えなかった。後悔の念が彼の顔を塗りつぶしているのが、手に取るように分かる。


「今回は警告のみといたしますが、貴殿が配置についていた隊の長には、しっかりと謝っておくように」


 いつになく厳しい調子で言われたためか、龍角はうつむいて、


「申し訳、ございません……」


 と言って壇を下りた。


 その後、軍議が終わるまで、龍角はうつむいていた。


     †


 あれほど晴れていた空が、いつの間にか曇ってきていた。


 薄曇りの空の下、呈央城の大通りを、超水と龍角は歩いていた。なんとなく、話しかけづらい。超水は話しかける機会を伺っていた。


「まだまだ幼かったな……」


 龍角がつぶやいた。


「先生、あの」


「慰めはいい。私としたことが、戦の中に身を置いてはしゃいでしまった。情けないことだ」


 龍角の声は落ち込んでいた。沛黄にきつく言われたことが、よほどこたえたらしい。


「先生、元気を出してください。ちゃんと手柄を挙げたんですから、差し引き零ってことで」


 口下手な超水には、それしか言えなかった。


「……そうだな」


 龍角は小さく笑った。


 その顔を見て、超水はふと、言いたくなった。


「でも、よかったじゃないですか」


「よかった? 何がだ」


「軽率な行動は避けるべきだと、きつく教えてもらえたので」


「それはそうだが……」


「先生はこれから、人の上に立つんです。だから、部下に同じことを命令する時は、強く言えますね」


 龍角は意外そうな顔をした。


 超水にそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。


「俺も先生も、五人衆の長になります。お互い呈州解放に向けて頑張りましょう」


 いい機会だったので、超水はあらためて言うことにした。


 この時点で、超水はもう、龍角にずっとついていくことを決めていた。


 彼が身を挺してまで守った町民。


 龍角の志に嘘偽りがないことを、目の前でしっかりと見ることができたのだ。


 父――超雪と比べ、龍角は武術に優れているわけでもない。父ほどの統率力を持っているわけでもない。


 だが龍角には、超雪を遙かに上回る志の高さを持っている。


 この人物に仕えたい。


 超水は心からそう思った。


 だからこそ、今後の戦いは重要だ。


 なにがなんでも龍角の地位を押し上げてみせる。


 心に誓って、超水はこれからの戦いに向けて決意を新たにするのだった。



「おーい、遅かったなぁ!」


「急に呼ばれて、どうしたんですか」


 不意に聞こえた声で、超水は我に返る。


 周方と渠郭翔が待っていた。


 超水は笑顔を浮かべ、手を軽く挙げた。

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