進むべき道を提示せよ
超水が龍角について歩いていくと、龍角の私邸の前で、星蓮が待っていた。
「星蓮、それでは我々は行ってくる。何かと面倒をかけるが、留守を頼む」
「……はい、龍角様。家のことは心配なさらず、目的を果たしてきてくださいませ」
星蓮は深々と頭を下げた。
「それから……くれぐれも、お気をつけて」
「ああ」
もう、話すことは全て話した後なのだろう。二人のやり取りは短かった。
「では行こう、超水」
一声かけると、龍角は町の外に向かって歩き出した。「あ、はい」と返事をして、超水も後を追いかけようとする。
その時、幅広の服の袖をつかまれた。振り返ると、星蓮が心細げな顔をして、超水を見つめていた。
「あの、超水様……お願いがあります」
「はあ、なんでしょう」
星蓮は真剣な眼差しを超水に向けて言った。
「どうか、龍角様をお守りください。今は、超水様しか頼れる方がいないのです」
渠郭翔は完全に忘れられているようだな、と超水は内心で苦笑してしまった。
だが、星蓮が超水を頼るのは当然のことだった。
これから超水達が向かうのは戦場である。
体の弱い渠郭翔に龍角を守ってくれと頼むのは酷というものだ。一方、超水には群を抜く槍の実力がある。戦場で龍角を守れるのは、超水だけだった。
「分かりました。絶対に先生を守り通して見せます」
「本当に、よろしくお願いいたします」
またも深く頭を下げ、星蓮は何度も「お願いいたします」と繰り返した。龍角を失うことが、よほど恐ろしいのだろう。
ふと、超水は聞いてみたくなった。
「星蓮さんは、先生とはどこで出会ったんです?」
超水の問いかけが意外だったのか、頭を上げた星蓮は目を丸くした。
「そう、ですね……。龍角様のお父上――龍博様が呈州城下で暮らしていた頃、私はその私邸で侍女を務めていたのです」
つまり、龍角とのつきあいは相当に長いことになる。
「私は何かと要領が悪く、よく侍女長に怒られていました。そんな私を、龍角様はいつもかばってくださったのです」
……それで恋に落ちた、ということか。
超水は納得した。
「龍博様が処刑された後、龍角様はこの町の町長に任命されました。見ての通り、それほど大きな町ではありませんし、問題もほとんど起きませんでした。そんな場所でしたから、仕事などありません。龍家は城下から追い出されてしまったのです」
「家の規模も縮小させられた、ということですか」
星蓮は頷いた。
「雇っていた小間使いや侍女は、ほかの役人の家へと移動していきました。龍角様と私、そして龍角様のお母上様だけが残りました」
ここにいないということは、龍角の母親はすでに亡くなっているのだろう。
「やって来てすぐに、お母上様がご病気で亡くなられました。それ以来、私達は二人で暮らしてきたのです」
星蓮は一息ついてから、再び口を開く。
「家の平和を奪った厳立のことを、龍角様はどうしても許せないのです。今回、ようやく復讐の機会が訪れましたから、龍角様は気がせいておられるかもしれません。超水様、重ね重ね、龍角様をよろしくお願いいたします」
「そういうことだったのですか。……分かりました。俺に任せてください」
超水はどんと胸を叩いた。
星蓮はようやく安心したのか、うっすらとした微笑みを浮かべた。
「超水様は不思議な方ですね」
「そうですか?」
「故郷でもない土地、最近知り合ったばかりの人のために、これほど真剣になってくださるなんて」
あらためて言われると、少し恥ずかしいものがあった。超水は右手で額をかく。
「もう、俺には帰る家もないですから。今はこの町が俺の家です。出てきてよかったと思っています」
「え? 超水様は、確か勘当されたと……」
「あ――そ、そうでした。勘違いです。追い出された先がここでよかったなあと」
たははは、とわざとらしく笑う超水だった。
「おい、超水! 何をやっているのだ!」
二人で笑っていたら、背後から龍角に呼びかけられた。
すぐに「今行きます!」と返事をして、超水は表情を引き締めた。
「では、星蓮さん。行ってまいります」
「はい。……ご武運を」
「ありがとうございます」
今度は超水が深く頭を下げる番だった。
頭を上げると、超水は早足でその場を離れた。
「星蓮と何を話していたのだ?」
龍角のもとまで駆けていくと、早速問われた。
「たいしたことではありませんよ。ただ、先生をしっかり守ってやってくれと」
「星蓮がそう言ったのか?」
「はい。でありますから、先生の後ろは俺がしっかり守り通します」
「そうか。……分かった」
龍角はつぶやくと、振り返って星蓮に大きく手を振ってみせた。それを見た星蓮も、小さくではあったが手を振り返してきた。
「何がなんでも厳立を倒さなければな。その後の身の振り方については、その時になったら考えることにしよう」
「そうですね」
†
貫州軍が休憩している場所まで戻ると、陣地の中央に組み立てられた机が置いてあるのが見えた。
「龍角よ、こちらにまいれ」
二人の影を見つけて、機英が声をかけてきた。小走りで机まで向かう。
机を囲むようにして、四人ほどの将らしき男達が集まっていた。
走って行った龍角は、すぐに右手を握り、左手をかぶせる。
「龍角、まいりました」
「うむ、ご苦労。――さて、我々は本日の午後より進軍を開始する。これは事前に調べておいた呈州の街道図だが、間違いはないか?」
機英は、卓上に広げられた地図を示す。
広来の町の北に向かって、一本の道が延びている。道は途中で二つに分かれるが、その先の町でまた一つに合流している。
「はい、間違いございません」
「よし。龍角よ、我々はどちらを進むべきか迷っておる。お主は、進軍しやすい街道は北東の道か、北西の道かどちらだと考える?」
「北東、でございましょうか」
龍角は即答した。
「ほう、理由を述べてみよ」
「北東の街道――広北湖街道と名づけられているのですが――この街道には、その名の通り広北湖がございます。この湖、非常に水が清く、人が飲む分にも問題がございません。途中で水を確保するため、こちらに進んだ方がよいと考えまする」
「なるほど、もっともな意見じゃ。では広北湖街道を進むことにしよう」
機英が宣言した直後、
「お待ちくだされ」
という声が割って入った。
超水は驚いて、声のした方向を見た。
機英の左に、筋骨隆々の男が立っている。濡れた黒髪を枝垂らせ、地図を黙って見ている。鎧はほかの将と同じような、胴体と膝までを覆うものになっている。
「馬徳、意見があるのか」
機英が男の名を呼んだ。
馬徳と呼ばれた男は、地図からゆっくりと顔を上げる。眉毛の太い、気の強そうな顔立ちをしていた。
「確かにこの龍角の意見は正しいかと思われます。しかし、果たして鵜呑みにしてもよいのでしょうか」
龍角が眉をひそめるのが分かった。
「どういう意味じゃ」
「この龍角が、我々を罠に嵌めようと企んでいる可能性も否定はできないということにございます」
「なんですと」
すぐさま龍角が声をあげた。
「私は呈州太守厳立が憎いのでございます。彼を倒したく思い、貫州軍に加えていただいたのでございますぞ」
「しかし、そう簡単に信じるわけにはいかん。例えば、広北湖で呈州軍が待ち伏せしている可能性とて否定できないであろう」
語気を強める馬徳に、龍角は押されていた。
「まあまあ、馬徳殿も龍角殿も落ち着くとよろしいですぞ」
そこに、また新たな声が割り込んできた。
赤い縁のついた冠をかぶった男だった。細身の体をしており、体格だけで見れば渠郭翔に近いと思われた。
白い法衣のような着物を着ており、裾や胸元には朱色の縁が入っている。
「沛黄殿、沛黄殿はいかがお考えか」
声を荒げる馬徳だったが、沛黄と呼ばれた男はとくに表情も変えない。
利発そうな顔立ちをしており、鼻梁も整った美男子だ。しかし、右頬についた丸い火傷の痕のようなものが目を引いた。
「この沛黄といたしましては、龍角殿の考えに賛成してもよいと思っておりまする」
「なんですと!? もしもこの龍角という男が呈州軍の罠だったとしたら、取り返しのつかないことになりまするぞ!」
「私はそのような存在ではございません!」
「黙れ! とにかく沛黄殿、貴殿の考えをお聞かせ願いたい」
「そうですな。まあ龍角殿のことは信用しても心配はいらぬと、沛黄は考えます」
馬徳が驚いた顔をした。
「まず、この龍角殿の離反によって州境の砦は落ちました。それは当然、呈州城にも伝わることでありましょう。龍角殿は町長で、守備隊の人間ともいくらか面識があったと聞き及んでおります。その話が伝われば、龍角殿は呈州軍から目の仇にされることは必定」
「ですが、その離反が呈州の策であったとしたならば……」
「いえいえ。聞くに、太守の厳立は自尊心が高い男だという話。そのような男は、砦を奪わせるような策を認めません。自分の領土を踏み荒らされることをなによりも嫌う人間でありますから、ここは断言してもよいでしょう」
「では、龍角が呈州の手の者ではないと、お考えなのですな」
「さようでございます」
馬徳はまだなにか言いたそうな顔をしていたが、やがて諦めたように、
「分かり申した。では龍角を信用することにいたします」
と言って一歩下がった。
沛黄はうんうんと頷き、地図を指し示した。広北湖だ。
「ですが、呈州軍も龍角殿と同じ考えにいたるやもしれません。その場合、結局は待ち伏せを受けることになります。我々は北西の街道を進むべきと進言させていただきますが」
超水は、黙って軍議に耳を傾けていた。
慎重でありながら感情的でもある馬徳と、のんびりしたような調子の沛黄。二人の対比が印象的だった。
「なるほど、沛黄の言うこと、もっともじゃ。だが水の補給も大切ではある。皆の意見を聞かせてもらおうかのう」
「私は広北湖街道を進んだ方がよいと思いまするが」
「某は沛黄殿の意見に賛成でございます」
「この沛黄はすでに述べた通りにございます」
「拙者は沛黄殿の考えを支持いたします」
馬徳、沛黄を含めた四人の将がそれぞれの意見を述べていく。
全員の意見を聞いた機英は、白い顎髭を撫でる。
「北西の街道を進軍するという意見のほうが多いようじゃな」
超水がちらりと隣の龍角を見ると、彼は意気消沈したような顔をしていた。自分の意見があっという間に一蹴されてしまったことが響いているのだろう。
「では北西の街道を進軍――」
機英が言いかけたところで、
「ああ、そうそう、もう一つ考えがございます」
と沛黄が言った。
「む、なんじゃ沛黄。申してみよ」
「先手を打って呈州軍に打撃を与えたいのでしたら、広北湖街道を進軍するのもよいかと思います」
その言葉で、機英も「ほう」と感心したような声を出した。
「沛黄が積極策を述べるとは、珍しいこともあるのう」
「具体的には?」
馬徳が訊く。
「広北湖街道を進めば、どこかで呈州軍の伏兵に襲われるやもしれませぬ。そこで、むしろその伏兵に猛反撃を仕掛けようという考えにございますな」
「確かに我が軍は野戦に自信がございますからな。それも良い案です」
馬徳の表情がいきいきとしたものになった。
「その、伏兵に対する戦法とは?」
今度は龍角が訊く。
「街道の地形に寄りますな。道中が兵を伏せるに向いているのか、それとも広北湖が襲撃に向いているか。龍角殿、土地を知る者として、いかがでございますかな」
龍角はすぐに口を開いた。
「広北湖までは平地が続きます。道中には起伏も少なく、兵を伏せるには向いていないように思われます。一方、広北湖には東側に小さな森がございます。兵を伏せるとしたら、そこかと」
「なるほどなるほど。つまり林道から矢を受ける、という心配はしなくてもよさそうですな。ではでは、広北湖にたどり着いた我々は、大規模な休息を取るふりをいたします。そこを襲撃された時、不意を打たれたように見せかけ、一度敗走を演じます。敵を引き寄せ、後方に待機させていた小隊に伏兵を強襲させる。敵が兵を伏せていなければそれでよし」
「誘い込む、ということでございましょうか」
「さようです龍角殿。単純ではありますが、そのぶん効果的でもあるのですぞ」
沛黄の策は非常に分かりやすかった。しかし、うまくいけば相手に大きな損害を与えることが可能だ。
策を聞いていた馬徳が、両の拳を胸の前で合わせた。
「その策、ぜひとも実行いたしましょうぞ。某が背後の小隊の指揮を引き受けまする」
「馬徳殿、この策でもっとも重要な役になるまするぞ。機を逃しては相手に勘づかれることもある」
「そのようなことは百も承知。しかし、某が行かずして誰が行きましょう」
馬徳も譲る様子はない。
「……なるほど。しかし、これはあくまでも広北湖街道を進軍する場合の話。機英様、あらためて票決をとってはいかがでしょうか」
「ふむ。では、先にわしの意見を言っておこう。わしは広北湖街道を進もうと考えておる。北西の街道を進みたいと思う者は手を挙げい」
誰も手を挙げなかった。
他の将も積極的に戦闘を仕掛けたいようだ。
超水としても、それは望むべきことだった。
相手に早いうちから打撃を与えられれば、精神的に上位に立てる。
「では、広北湖街道を進軍したい者」
超水はスッと挙手する。
馬徳や龍角を含む全員が手を挙げていた。
「よかろう。では、広北湖街道を進軍する。呈州軍が待ち伏せをしていた場合は、沛黄の策を実行する。何もおらなんだ場合は、水を補給してさらなる進軍を試みる。よいな」
全員が両手を合わせ、「承知!」と答えた。




