次なる出立の前に
広来の町に続く街道。
そこを、貫州軍の一軍が進軍している。
超水は隊列の後方を歩いていた。
すぐ目の前を、貫州軍の歩兵達が歩いている。そのさらに前に騎兵がいて、中程に機英がいた。
龍角は、自ら進んで案内役を買って出た。そのため彼は、機英の馬を引いて歩いている。いざという時、素早く機英に報告するためだ。
「おい、周方とか言ったよな」
歩きながら、超水は言う。
すぐ右手を、山賊の周方が歩いている。獣の皮を身につけた周方。その背中には長大な青竜刀が背負われている。
そんなものを背負っていながら平然と歩けるあたり、この男の実力はやはりあなどれない。
「言った言った。そういうお前は?」
先程よりも軽い口調で返事をよこしてくる。
「俺は――面倒だから超水と呼んでくれ」
「面倒もなにも、それが本名だろうがよ」
「煉州じゃ、姓と名は分けて名乗るもんなんだ。だけど面倒になった」
「言ってくれるじゃねぇか。俺ごときにゃ正式な名乗り方をする価値もないってか?」
きしし、と周方は白い歯を見せて笑う。
「そういうわけじゃない。……それよりお前こそ、機英将軍の時とはずいぶんとしゃべり方が違うな」
「まぁな。さっきの話、聞いてたか? 俺も元は呈州軍の正規兵だったのよ。だから言葉遣いはかなり叩き込まれた。だが、素はこんな雑な人間だ」
「自虐趣味でもあるのか?」
「んなもんねぇよ。どうして急にそうなるんだ」
「自分を客観的に見つめる山賊なんて初めて見たからだな」
一本取られた、とでも言うように、周方はまた笑みを浮かべてみせる。
「言っただろ? 一時的に山賊に身をやつしてただけだって」
「そもそもどうして山賊になる必要があった?」
周方は笑顔を引っ込める。
まもなく夜明けだ。表情も掴みやすくなっている。
「簡単に言えば、俺は一隊の長だったわけよ。それが上官に逆らった罪で官位剥奪。そんで、もうあんな軍は嫌になって逃げた。そしたら部下も追いかけてきて……っていう具合だな」
「上官に逆らった、か。なにをやらかした?」
「調練中に足を痛めた兵が出たんだよ。で、そいつを休ませるかそのまま続けさせるかで上官と口論になった。もちろん俺は休ませてやりたかった。それでつい手が出ちまった」
「は?」
と超水は抜けた声を出した。
「それだけで隊長の任を解かれたのか?」
「ああ。兵長――五部隊をまとめる役職のことだぞ――そいつがめちゃくちゃに怒ってなぁ、その場で追い出された」
なんということだろうか。
超水はあきれかえっていた。
部下を思う隊長が、どうして役職を解かれなければならないのか。たかだか拳を一つもらった程度で逆上するとは、なんという気の短さか。
「呈州軍はもったいないことをしたな」
思わずつぶやかずにはいられなかった。
この周方という男、ただ者ではない。戦場に出れば、勇猛な兵士として前線でも活躍できただろう。そんな男を手放してしまったのだ。
「そういうお前はどういう事情があるわけよ? さっき煉州がなんたらって言ってたみたいだが」
「ああ、俺もかなり単純な話でな……」
超水は、煉州であった出来事をかいつまんで説明した。
官軍との戦闘に出たこと。
峡英をはじめとする武臣達の残虐な振る舞い。
父の支配からの解放。
そういったことを、なるべく簡単に。
超水の話を聞き終えた周方は、「へええ」と感情の読みづらい声を出した。
「煉州ってのはおっかねえ場所だな。俺は官軍じゃなくて良かったかもしれない」
「俺も捕らえた兵に対してそんなことをするとは思わなかったからな。さすがに驚いた」
「驚いたで済む話じゃねえよ。煮えたぎった鍋に人間を放り込むんだろ? 狂ってるな」
「お前もそう思うか」
「当たり前だ」
超水は笑顔を浮かべた。
「よかった。もしかしたら俺の感覚がおかしいのかもしれないと不安に思っていたところだったんだ。捕らえた兵士にはそのくらいやるのが常識だと言われたらどうしようかと思った」
「馬鹿言え。そんなのは絶対におかしい。殺し合うのは戦の最中だけだ。終わった後はもう必要ない」
好漢と知り合うことができて、超水は嬉しかった。
周方には常識があるし、戦にも強い。万の兵が守る砦に飛び込んでいける男だ。きっと精神も屈強のはず。
いい戦友になれそうだな、と超水は思った。
†
貫州軍の一団が広来の町に到着したのは、陽もずいぶんと高くなった頃のことだった。
「呈州の者よ、集まれ!」
町に入る前に、機英からの招集があった。
大勢の男達が、騎乗した機英を囲み、彼の話に耳を傾ける。
超水と周方は、機英の正面に立っていた。
「我々はここでひとまず休憩してから、昼過ぎには発つ。そこでじゃ、我が軍の一員として戦いたいという者はこの場に残れ。だが、戦はごめんだという者は、このまま家に戻るがよい」
民衆がざわめいた。
……帰ってもいいのか。
誰もが驚いたようだった。
「無理に仲間に加われとは言わぬ。お主らの好きなようにするがよいぞ」
その言葉を聞いて、どうやら機英が本気だと分かったのか、何人かの民衆が集団の輪から離れ始めた。
それをきっかけに、男達がどんどん輪を離れていく。広来の町の男達も、一人また一人と町に戻っていった。
やはり皆、家族や家が心配なのだろう。
結局、残ったのは数十人ほどであった。
龍角はその場にとどまっており、渠郭翔、周方も同じように残っていた。
「龍角よ、確かお主はこの町の町長だったのう」
残った男達を見回してから、機英が龍角に話しかけた。
機英の馬のすぐ近くで話を聞いていた龍角は、両手を胸の前で合わせる。右手を握り、その上に左手をかぶせるというのが、この国全体に伝わっている礼儀作法だ。
「は。しかし、町の重鎮達がこの先を取り仕切ってくださるでしょう」
「では、我々の道案内をするという気持ちに変わりはないわけじゃな」
「はっ」
それを聞くと、機英は満足そうに首を縦に振った。
「よかろう。では家族に一言伝えてくるがよい。わしらもしばらくこの場所で休憩する故」
龍角は深く頭を下げた。
「ありがとうございまする」
言ってから、龍角は超水のもとにやってきた。
「超水、話は聞いた通りだ。私は星蓮と話をしてくるが、超水も来るか?」
超水は少し考えた。あまり龍角と星蓮の時間を邪魔するのもよくない。
……軽く挨拶をして去るか。そうしよう。
「では、少しだけ」
超水は控えめに答えた。
馬防柵を抜けて町に入ると、当たり前のことだが、町は出た時のままでそこにあった。
龍角と肩を並べて歩いていると、正面から、桃色の着物を纏った星蓮がぱたぱたと駆けてくるのが見えた。
「龍角様!」
一声叫んで、星蓮は龍角の胸に飛び込んだ。
……ああ、やはり俺は呼ばれないか。
少しだけ残念に思いつつ、超水は二人から離れることにした。
大通りに出た超水は、東に向かって歩いた。出陣する前に寄っておきたい場所があった。
途中で脇道に入って歩いていくと、目的の人物を見つけることができた。
「あ、超水さん!」
道端に遼雲の姿があった。
「よう、遼雲。元気そうでなによりだ」
「帰ってこられたんだ。あー、よかった! 俺、もっと超水さんに槍術を教えてほしかったからさ。――そういえば、超水さんが帰ってきたってことは、俺の父さんも帰ってきてるよね」
「その話なんだけどな……」
言いにくいが、言うしかない。
「遼雲、お前の父さんは……」
超水はためらうように途中で口を閉ざした。それでなにかを察したのかもしれない。
明るかった遼雲の表情に影が差した。
「もしかして、やられたの?」
ギリ、と喉の奥で音がした。超水は、強く歯を噛み締めていた。
「ねえ、超水さん! はっきり言ってくれよ!」
超水の沈黙に耐えきれなかったのか、彼は怒鳴った。
遼雲はまだ十歳。元気だった父親を失うには早すぎた。
城兵の凶刃に倒れた遼雲の父親。すでに倒れていた兵士の死体に折り重なって……。
「超水さん!」
超水の足にしがみつく遼雲。これ以上黙っているわけにはいかなかった。超水は大きく天を仰いでから、涙目になりかけている遼雲の目を見つめた。
「そうだ」
ついにその言葉を放った。
「お前の父さんは、死んでしまった」
遼雲は大声を上げて泣くかと思った。
だが、彼はそうはしなかった。うつむいて、両手を握りしめ、必死で嗚咽をこらえていた。耐えようとしていた。
「泣いちゃ、いけないんだよ……」
つぶやくように、遼雲は言った。
「泣いたら、死んだ人が悲しむからって、父さん言ってたんだ……」
悲痛なうめきだった。
「遼雲」
超水はしゃがんで、遼雲と同じ目線になった。
「俺はこれから、貫州軍の一員として呈州軍を倒しに行ってくる。お前の父さんは厳立に殺されたも同然だ。仇は、俺が絶対に討つ」
超水が今言えることはそれだけだった。
「じゃあ、超水さんも行っちゃうのかよ」
声を震わせながら、遼雲は言った。
「俺は絶対に死なない。生きて帰ってくる。そうしたら、また槍を教えてやるからな」
「うん……」
超水は遼雲の頭を撫でてやった。
かくいう超水もまだ十八。元服が十五とはいえ、遼雲とは八つしか違わなかったりもする。
「絶対に、また教えてくれよ……」
涙を必死でこらえるように、遼雲はそれだけを言った。
「大丈夫だ。それまで鍛練は欠かすなよ」
「う、うん」
遼雲の肩を叩くと、超水はその場を離れることにした。
結局、遼雲が泣き声を上げることはなかった。
……あいつは絶対、強い男になれる。
まだたいして人生を経験していない超水だったが、それだけは確信を持って言えるような気がした。
超水は歩を進める。
次は朝統に会いに行くことにした。
しかし、あちこち回ってみたものの、朝統の姿はどこにも見当たらなかった。
いつもの広場、大通り、小さな酒屋……(そういえば朝統の家の場所を知らなかった)。
そうして捜し回っているうちに時間が来てしまったようだ。
「超水! どこだ!」
龍角が大通りを歩いてきて、超水の名を呼んだ。
超水は脇道から大通りに飛び出して手を振った。龍角が小走りでやって来る。
「おお、いたか。そろそろ行こう。あまり機英殿を待たせるのもよくない」
「分かりました……」
超水は気落ちした様子で答える。結局、朝統には会えないままだ。
遼雲と朝統。
わずかな期間だが、一緒に槍の鍛練に励んだ。二人とも筋がよく、教えたことを次々に体得していった。
「どうした、まだ誰かに会えていないのか」
「……いえ、行きましょう」
「そうか? 超水がいいと言うならばそれでいいが」
龍角は少しばかり釈然としない顔をしたが、すぐに表情を引き締め、歩き始めた。超水も続いた。
†
「おい、超水さん、本当に行っちまったぞ」
超水と龍角が大通りを歩いていくところを見ながら、遼雲はぼそりとつぶやいた。
大通りの脇にある細道で、高屋根の民家に挟まれた場所だ。
遼雲は民家の影に隠れた人影を見ていた。
木材やら農具やらが乱雑に置かれている場所にいたのは朝統だった。ぼさぼさになった髪。前髪が力なく垂れている。
「一言くらいかければよかったのに」
残念そうな顔をする遼雲。
だが、朝統は静かに首を横に振った。
「いいんだ。だって僕、こんな時になにを話せばいいのか分からなかったし」
「だらしないな。超水さんだってお前と話してから行きたかったと思うぜ」
「そんなことないよ」
「ある。お前は引っ込みすぎだと思う」
遼雲が強く言うと、朝統はしゅんとしてしまった。遼雲は言いすぎてしまったことを少し悔やみ、慌ててつけ足した。
「でももうしょうがないし、先生や超水さんが無事で帰ってくることを祈ろうぜ」
朝統は顔を上げて、
「そう、だね」
と小さな声で言った。




