苦い決起計画
ようやく太陽が昇ったところだ。
超水は、今日も鍛練をしようと家を出た。いつも通り槍を担いで大通りを抜けようとした時、馬蹄の響きを聞いた。
通りの向こうから、一騎の騎馬が駆けてくるのが見える。
超水は目を細めた。騎兵をよく見ると、背中に青い旗を背負っているのが分かった。早馬だ。おそらく、どこかの砦で非常事態でもあったに違いない。
騎兵は超水の目の前まで駆けてくると、馬を止めた。
「すまぬ、水を一杯くれぬか」
「あ、はあ」
突然話しかけられ、気の抜けた返事が出てしまった。
超水は、出てきた龍角邸に戻り、樽に溜めてあった水を小さな瓶に移して持って行く。
「どうぞ」
「おお、悪いな」
騎兵は、馬上でがぶがぶと水を飲み干した。すぐに瓶が返ってくる。
「助かった。では」
「お待ちください。何かあったのでしょうか?」
「貫州軍が州境に押し寄せてきたのだ」
「えっ!」
超水は心の底から驚いた声を出した。
「とにかく、私は急いでいる。さらばだ」
そのまま、騎兵は走り去っていった。
残された超水は、しばしその場で立ち尽くしていた。
――貫州軍が州境に押し寄せてきたのだ。
騎兵の言葉を反芻する。
龍角の言っていたことが現実に起きた。確かに、貫州軍は呈州に向かって攻め寄せてきた。そこにいかなる意図が隠されているのかはともかく、これは間違いなく好機だ。
呈州城の混乱に紛れて龍角が起つに、これほどいい機会はない。
初めて味わう、熱い興奮が沸き上がってきた。
「先生!」
超水はまた龍角邸に飛び込み、叫んだ。
呼ばれた龍角は、少ししてから入り口に現れた。まだ寝間着のままだ。
「どうした超水、騒がしいな」
「貫州軍が動きました! 州境まで攻め寄せてきたそうです!」
「なんだと!」
寝ぼけ眼だった龍角は、一気に覚醒したように声を荒らげた。
「いま早馬がやってきて聞いたんです。間違いなくそこまで来ています」
「そ、そうか。いよいよ時が来たか」
龍角の唇が震えている。興奮を抑えきれないという様子だ。
「ならば、おそらく援軍が州境に送られるはずだ。そうなれば呈州城は手薄。我々はその隙を突いて呈州城に向かう。避難してきた町民と見せかけて城内に侵入し、厳立を強襲するのだ。――どうだ? お前に言われてから少し考えてみたのだが」
おお、と超水は感嘆の声を漏らした。
龍角は感情だけで動いていると思っていたが、やはり内心ではしっかり考えを持っていたようだ。超水は安堵した。
「よし、今から招集をかけよう。超水、またお前の力を借りるぞ」
「お任せください」
広来の町の、主だった人間が即座に集められる。
あの壊れかけの集会場に二十人ほどが集結した。老人から若者がいる他、星蓮も集会場の外から様子を窺っている。
一緒についてきたようで、先日槍を教えた遼雲と朝統の姿も見える。超水は入り口近くに座っていた。
「皆さん、朝早くからお疲れ様でございます」
全員の前に立ち、まずは龍角が頭を下げる。
「今日皆さんに集まってもらったのは他でもない、決起についてのことです」
集会場に緊張が走った。
この町の全ての人間が、太守に対して叛意を抱えていたことは知っている。龍角に、積極的に協力を申し出る人間もいた。
しかし、いざこうしてその時が来ると、やはり体が固まってしまうようだ。
「実は、先程早馬がやってきました。貫州太守、香京の軍勢が州境の砦に押し寄せてきたということです」
「香京が?」
「兵力はどのくらいなのです」
「呈州城から援軍は?」
次々に質問が投げかけられる。龍角は右手を挙げて皆を制し、話を続けた。
「貫州軍の兵力は分かりません。ですが、一州を攻略しに来たのですから、間違いなく五万以上はいるでしょう。そうなれば、間違いなく呈州城から援軍が送られるはずです。我々がつけ込む隙はここにある」
いつしか、全員が龍角の話にのめり込んでいた。
「州境で戦が起きているのですから、その近くに住んでいる民衆が、不安を感じて避難するのは自然なことです。我々は避難してきた民衆として呈州城に入れてもらい、機会を見て城内で反乱を起こすのです」
龍角が言い切ると、歓声が上がった。
超水も深く頷く。この策は単純だが、通用しそうな気がする。呈州太守の厳立がどこまで頭の回る人物かは知らないが、民衆にそこまで警戒はしないだろう。ましてや、今は貫州軍に気を取られているはずだ。
「皆さん、出発の準備を整えてください。なるべく、隠しやすい武器を携帯するのも忘れずに」
こうして集会は終わった。
ついにやってきた決起の時。町民達は興奮を隠しきれない様子で散っていく。
「さて、私は近隣の村々を回らなくてはな」
集会場の戸口で龍角が言う。超水は振り返って聞いた。
「どうしてこんな時に?」
「忘れたのか。厳立に叛意を抱いているのはこの町だけではないのだ。彼らにも移動を促し、共に呈州城に向かう」
「ですが、わざわざ先生が回ることはないのでは?」
「いや、こういう時は町長自ら行ったほうがいいだろう。軽い気持ちで挑める問題ではないからな」
「分かりました。では俺もついて行きます」
「そうしてもらいたいところだが、それでは皆をまとめる人間がいなくなる。超水は私の代理として、町にいてくれ」
「はい、先生がそう言うなら」
龍角は超水の肩を軽く叩き、歩いて行こうとする。が、途中で立ち止まって戻ってきた。超水の近くにいた星蓮のもとまで行くと、彼女を静かに抱きしめる。
「星蓮も、準備を整えておいてほしい。いよいよ時が来たのだ。頼んだぞ」
「……はい、龍角様」
いいなあ、とうらやましさを覚える超水だった。
†
町民達の荷造りは順調に進んでいた。働ける若者達が率先して動き、てきぱきと仕事をこなしていく。
戦いの際は、やはり若い男達が主力となる。彼らに期待を抱かずにはいられない。
龍角が馬で町を出て行ってからしばらく時間が経つ。三つ四つの村を回ると言っていたから、かなり時間がかかるだろう。
「星蓮さん」
龍角邸で、超水は星蓮に声をかけた。白い衣服で作業に勤しむ星蓮は、しゃがみ込んだままで顔だけを超水に向けた。
「なんでしょう」
「俺にも手伝えることはありますか? 重いものを運ぶ時は遠慮なく言ってください」
「ええ、ありがとうございます」
星蓮は小さく微笑んだ。
その時、超水はまたしても燐夕のことを思い出していた。
星蓮と燐夕の違いを、今ならはっきりと答えることができる。星蓮は慎ましやかだが、燐夕は活発で男勝りだ。燐夕が「ありがとう」と言ったところを、超水は一度も聞いたことがない。
……どうして二人が似ているって思ったんだろうな。
よく分からず、超水は一人首をかしげる。
と、そこに足音が聞こえた。
「先生!」
渠郭翔の声だった。超水は玄関に出た。
「先生は今いない。近隣の村に決起を促しに行っている」
「あれ、そうなんですか」
右目を覆い隠す前髪。相変わらず妙な髪型をしている。
「どうかしたのか?」
「来ましたよ、その援軍が」
渠郭翔は落ち着いた口調で言う。
……来たか。
超水は外に飛び出した。少し走って町の外に出てみる。
馬防柵を抜けて、遠くに目をやった。
なるほど、平原の向こうから青色の集団が向かってくるのが見える。大半が騎兵だ。
やはり厳立も慌てたのか、騎兵達は凄まじい速度で駆けていく。この町には見向きもせず、街道を一直線に進んでいる。
騎兵からやや遅れて、歩兵達も走って行く。だが、呈州城から走ってきたためか、その足の動きは鈍い。
……あれじゃまともに戦えないだろう。
眺めながら、超水は少しだけ呆れるのだった。
「ん?」
黙って見ていたら、騎兵の一部が進路を変えたことに気づいた。
この町に向かって、およそ二十騎ほどがやって来る。まさかまた物資でも持って行かれるんじゃないだろうな――と超水は舌打ちする。
「町長はいるか!」
騎兵の先頭を走ってきた男が怒鳴った。おそらく隊長だろう。槍を持っている。
「いえ、町長はただいま出かけておりまして」
「なに? 非常事態だということは分かっているはずだ」
「はい、ですから、今後の相談にと近くの村に出かけております」
ふん、と隊長は忌々しそうに鼻を鳴らした。
「あの、町長になにかご用でしょうか」
「ああ、太守から命令を受けていてな」
「と、おっしゃいますと」
「この町の戦える連中も、皆引っ張って戦場に向かえとの命令だ。貫州軍は大軍。少しでも戦力がほしいからな」
「え……」
それは、反乱軍の主戦力を奪われることに他ならない。
厳立は、龍角の計画を予期していたのか。超水は全身から力が抜けそうになった。
この町で戦闘への参加を申し出ているのは何百人だったか。慌てて計算しようとして、考えを止めた。
「あ、あの」
「なんだ」
「もしや、他の町村からも戦える者を引き連れていくのでしょうか?」
「当然であろう」
「…………」
超水は呆然とその場に立ち尽くした。
「お前達、行って使えそうな奴を集めてこい」
「はっ!」
隊長の指示で、部下の騎兵達が下馬し、町に入っていく。超水はそれを見送ることしかできなかった。
「何をしている。当然貴様も参加するのだぞ。早く準備してこい」
隊長に強く言われ、超水は我に返る。そして、素早く思考を巡らせた。
このまま連れて行かれては、龍角と女子供、そして老人だけが取り残されることになる。それでは本当になにもできない。せめて自分はこの場に残って、龍角に少しでも協力するべきではないのか。
「自分は、町長の代理としてここにいます。従って、簡単に動くわけには参りません」
「ほう、では龍角が帰ってくればついてくるわけか?」
「……ええ、まあ」
駄目だ。うまく言い逃れることができない。
超水が右往左往していると、背後から誰かが駆けてくる音がした。振り返ると、渠郭翔の姿が見えた。馬防柵の間にできた狭い通路を抜け、こちらまでやって来る。
「徴兵をすると聞きました」
やって来た渠郭翔は、最初に言った。
「そうだ。我が州は貫州よりも規模が小さい故、兵力でも劣っているのだ」
「徴兵はこの町の住人を対象にしている、ということでよろしいですか?」
「そうだ」
「でしたら」
渠郭翔は超水の肩を叩いた。
「彼は対象には含まれません。そこだけはお許しいただければと思います」
「どういうことだ?」
馬上から二人を見下ろす隊長は、訝しげな表情を見せる。
「彼はこの町を訪れた旅人なのです。一時的にこの町に逗留しているだけですので」
「なるほどな。道理で髪の色も少しおかしいと思ったのだ」
超水の、わずかに赤みがかった黒髪のことを言っているらしい。
「だができない相談だ。戦える者は、いかなる理由があろうと連れて向かえと言われている」
「……そう、ですか」
渠郭翔は気落ちした声で返した。
それを見て、隊長は満足した顔を見せ、超水を指差した。
「特に貴様は非常によい体格をしているからな。戦力になりそうだ」
微塵も譲ってくれる気はないらしい。下手に抵抗するわけにもいかず、敗北を認めるしかなかった。
数十分後、町の外には、徴兵によって集められた男達が並んでいた。
「いいか! 貫州軍に州境を突破されるわけにはいかん。なにがなんでも退ける。貴様らには期待しているぞ」
男達を見下して、隊長が怒鳴った。
「では出発する! 遅れるでないぞ」
もう一度怒鳴ってから、隊長を先頭に騎兵が駆け出す。町民達は走って追いかけてこい、ということらしい。
逆らうわけにいかず、男達はゆっくりと動き出した。
彼らの背後、馬防柵の向こう側に立つ女達に対し、口々に謝ってから走り出した。
超水も振り返る。
馬防柵に両手を当てている星蓮の姿が見えた。彼女は涙ぐんだ目をしていた。
超水は素早く馬防柵に駆け寄る。
「……申し訳ありません」
「いえ……私は大丈夫です。それより、超水様こそお体に気をつけてくださいませ。私も龍角様を励ましますから」
「本当に、なんと言えばいいのか」
謝罪を重ねようとした時、近くにいた騎兵が叫ぶ。
「おい貴様! たらたらするでない! 早くついてこい!」
振り返って、超水は騎兵に返事をした。それから星蓮にもう一度頭を下げて、馬防柵から離れた。
こうして、龍角の呈州城攻略作戦は、始まる前に止まってしまったのだった。




