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無題  作者: 雨地草太郎
14/41

苦い決起計画

 ようやく太陽が昇ったところだ。


 超水は、今日も鍛練をしようと家を出た。いつも通り槍を担いで大通りを抜けようとした時、馬蹄の響きを聞いた。


 通りの向こうから、一騎の騎馬が駆けてくるのが見える。


 超水は目を細めた。騎兵をよく見ると、背中に青い旗を背負っているのが分かった。早馬だ。おそらく、どこかの砦で非常事態でもあったに違いない。


 騎兵は超水の目の前まで駆けてくると、馬を止めた。


「すまぬ、水を一杯くれぬか」


「あ、はあ」


 突然話しかけられ、気の抜けた返事が出てしまった。


 超水は、出てきた龍角邸に戻り、樽に溜めてあった水を小さな瓶に移して持って行く。


「どうぞ」


「おお、悪いな」


 騎兵は、馬上でがぶがぶと水を飲み干した。すぐに瓶が返ってくる。

 

「助かった。では」


「お待ちください。何かあったのでしょうか?」


「貫州軍が州境に押し寄せてきたのだ」


「えっ!」


 超水は心の底から驚いた声を出した。


「とにかく、私は急いでいる。さらばだ」


 そのまま、騎兵は走り去っていった。


 残された超水は、しばしその場で立ち尽くしていた。


 ――貫州軍が州境に押し寄せてきたのだ。


 騎兵の言葉を反芻する。


 龍角の言っていたことが現実に起きた。確かに、貫州軍は呈州に向かって攻め寄せてきた。そこにいかなる意図が隠されているのかはともかく、これは間違いなく好機だ。


 呈州城の混乱に紛れて龍角が起つに、これほどいい機会はない。


 初めて味わう、熱い興奮が沸き上がってきた。


「先生!」


 超水はまた龍角邸に飛び込み、叫んだ。


 呼ばれた龍角は、少ししてから入り口に現れた。まだ寝間着のままだ。


「どうした超水、騒がしいな」


「貫州軍が動きました! 州境まで攻め寄せてきたそうです!」


「なんだと!」


 寝ぼけ眼だった龍角は、一気に覚醒したように声を荒らげた。

 

「いま早馬がやってきて聞いたんです。間違いなくそこまで来ています」


「そ、そうか。いよいよ時が来たか」


 龍角の唇が震えている。興奮を抑えきれないという様子だ。


「ならば、おそらく援軍が州境に送られるはずだ。そうなれば呈州城は手薄。我々はその隙を突いて呈州城に向かう。避難してきた町民と見せかけて城内に侵入し、厳立を強襲するのだ。――どうだ? お前に言われてから少し考えてみたのだが」


 おお、と超水は感嘆の声を漏らした。


 龍角は感情だけで動いていると思っていたが、やはり内心ではしっかり考えを持っていたようだ。超水は安堵した。


「よし、今から招集をかけよう。超水、またお前の力を借りるぞ」


「お任せください」


 広来の町の、主だった人間が即座に集められる。


 あの壊れかけの集会場に二十人ほどが集結した。老人から若者がいる他、星蓮も集会場の外から様子を窺っている。


 一緒についてきたようで、先日槍を教えた遼雲と朝統の姿も見える。超水は入り口近くに座っていた。


「皆さん、朝早くからお疲れ様でございます」


 全員の前に立ち、まずは龍角が頭を下げる。


「今日皆さんに集まってもらったのは他でもない、決起についてのことです」


 集会場に緊張が走った。


 この町の全ての人間が、太守に対して叛意を抱えていたことは知っている。龍角に、積極的に協力を申し出る人間もいた。


 しかし、いざこうしてその時が来ると、やはり体が固まってしまうようだ。


「実は、先程早馬がやってきました。貫州太守、香京の軍勢が州境の砦に押し寄せてきたということです」


「香京が?」


「兵力はどのくらいなのです」


「呈州城から援軍は?」


 次々に質問が投げかけられる。龍角は右手を挙げて皆を制し、話を続けた。


「貫州軍の兵力は分かりません。ですが、一州を攻略しに来たのですから、間違いなく五万以上はいるでしょう。そうなれば、間違いなく呈州城から援軍が送られるはずです。我々がつけ込む隙はここにある」


 いつしか、全員が龍角の話にのめり込んでいた。

 

「州境で戦が起きているのですから、その近くに住んでいる民衆が、不安を感じて避難するのは自然なことです。我々は避難してきた民衆として呈州城に入れてもらい、機会を見て城内で反乱を起こすのです」


 龍角が言い切ると、歓声が上がった。


 超水も深く頷く。この策は単純だが、通用しそうな気がする。呈州太守の厳立がどこまで頭の回る人物かは知らないが、民衆にそこまで警戒はしないだろう。ましてや、今は貫州軍に気を取られているはずだ。


「皆さん、出発の準備を整えてください。なるべく、隠しやすい武器を携帯するのも忘れずに」


 こうして集会は終わった。


 ついにやってきた決起の時。町民達は興奮を隠しきれない様子で散っていく。


「さて、私は近隣の村々を回らなくてはな」


 集会場の戸口で龍角が言う。超水は振り返って聞いた。


「どうしてこんな時に?」


「忘れたのか。厳立に叛意を抱いているのはこの町だけではないのだ。彼らにも移動を促し、共に呈州城に向かう」

 

「ですが、わざわざ先生が回ることはないのでは?」


「いや、こういう時は町長自ら行ったほうがいいだろう。軽い気持ちで挑める問題ではないからな」


「分かりました。では俺もついて行きます」


「そうしてもらいたいところだが、それでは皆をまとめる人間がいなくなる。超水は私の代理として、町にいてくれ」


「はい、先生がそう言うなら」


 龍角は超水の肩を軽く叩き、歩いて行こうとする。が、途中で立ち止まって戻ってきた。超水の近くにいた星蓮のもとまで行くと、彼女を静かに抱きしめる。


「星蓮も、準備を整えておいてほしい。いよいよ時が来たのだ。頼んだぞ」


「……はい、龍角様」


 いいなあ、とうらやましさを覚える超水だった。


     †


 町民達の荷造りは順調に進んでいた。働ける若者達が率先して動き、てきぱきと仕事をこなしていく。


 戦いの際は、やはり若い男達が主力となる。彼らに期待を抱かずにはいられない。


 龍角が馬で町を出て行ってからしばらく時間が経つ。三つ四つの村を回ると言っていたから、かなり時間がかかるだろう。

 

「星蓮さん」


 龍角邸で、超水は星蓮に声をかけた。白い衣服で作業に勤しむ星蓮は、しゃがみ込んだままで顔だけを超水に向けた。


「なんでしょう」


「俺にも手伝えることはありますか? 重いものを運ぶ時は遠慮なく言ってください」


「ええ、ありがとうございます」


 星蓮は小さく微笑んだ。


 その時、超水はまたしても燐夕のことを思い出していた。


 星蓮と燐夕の違いを、今ならはっきりと答えることができる。星蓮は慎ましやかだが、燐夕は活発で男勝りだ。燐夕が「ありがとう」と言ったところを、超水は一度も聞いたことがない。


 ……どうして二人が似ているって思ったんだろうな。


 よく分からず、超水は一人首をかしげる。


 と、そこに足音が聞こえた。


「先生!」


 渠郭翔の声だった。超水は玄関に出た。


「先生は今いない。近隣の村に決起を促しに行っている」


「あれ、そうなんですか」


 右目を覆い隠す前髪。相変わらず妙な髪型をしている。


「どうかしたのか?」


「来ましたよ、その援軍が」


 渠郭翔は落ち着いた口調で言う。

 

 ……来たか。


 超水は外に飛び出した。少し走って町の外に出てみる。


 馬防柵を抜けて、遠くに目をやった。


 なるほど、平原の向こうから青色の集団が向かってくるのが見える。大半が騎兵だ。


 やはり厳立も慌てたのか、騎兵達は凄まじい速度で駆けていく。この町には見向きもせず、街道を一直線に進んでいる。


 騎兵からやや遅れて、歩兵達も走って行く。だが、呈州城から走ってきたためか、その足の動きは鈍い。


 ……あれじゃまともに戦えないだろう。


 眺めながら、超水は少しだけ呆れるのだった。


「ん?」


 黙って見ていたら、騎兵の一部が進路を変えたことに気づいた。


 この町に向かって、およそ二十騎ほどがやって来る。まさかまた物資でも持って行かれるんじゃないだろうな――と超水は舌打ちする。


「町長はいるか!」


 騎兵の先頭を走ってきた男が怒鳴った。おそらく隊長だろう。槍を持っている。


「いえ、町長はただいま出かけておりまして」


「なに? 非常事態だということは分かっているはずだ」


「はい、ですから、今後の相談にと近くの村に出かけております」


 ふん、と隊長は忌々しそうに鼻を鳴らした。

 

「あの、町長になにかご用でしょうか」


「ああ、太守から命令を受けていてな」


「と、おっしゃいますと」


「この町の戦える連中も、皆引っ張って戦場に向かえとの命令だ。貫州軍は大軍。少しでも戦力がほしいからな」


「え……」


 それは、反乱軍の主戦力を奪われることに他ならない。


 厳立は、龍角の計画を予期していたのか。超水は全身から力が抜けそうになった。


 この町で戦闘への参加を申し出ているのは何百人だったか。慌てて計算しようとして、考えを止めた。


「あ、あの」


「なんだ」


「もしや、他の町村からも戦える者を引き連れていくのでしょうか?」


「当然であろう」


「…………」


 超水は呆然とその場に立ち尽くした。


「お前達、行って使えそうな奴を集めてこい」


「はっ!」


 隊長の指示で、部下の騎兵達が下馬し、町に入っていく。超水はそれを見送ることしかできなかった。

 

「何をしている。当然貴様も参加するのだぞ。早く準備してこい」


 隊長に強く言われ、超水は我に返る。そして、素早く思考を巡らせた。


 このまま連れて行かれては、龍角と女子供、そして老人だけが取り残されることになる。それでは本当になにもできない。せめて自分はこの場に残って、龍角に少しでも協力するべきではないのか。


「自分は、町長の代理としてここにいます。従って、簡単に動くわけには参りません」


「ほう、では龍角が帰ってくればついてくるわけか?」


「……ええ、まあ」


 駄目だ。うまく言い逃れることができない。


 超水が右往左往していると、背後から誰かが駆けてくる音がした。振り返ると、渠郭翔の姿が見えた。馬防柵の間にできた狭い通路を抜け、こちらまでやって来る。


「徴兵をすると聞きました」


 やって来た渠郭翔は、最初に言った。


「そうだ。我が州は貫州よりも規模が小さい故、兵力でも劣っているのだ」


「徴兵はこの町の住人を対象にしている、ということでよろしいですか?」


「そうだ」


「でしたら」


 渠郭翔は超水の肩を叩いた。


「彼は対象には含まれません。そこだけはお許しいただければと思います」

 

「どういうことだ?」


 馬上から二人を見下ろす隊長は、訝しげな表情を見せる。


「彼はこの町を訪れた旅人なのです。一時的にこの町に逗留しているだけですので」


「なるほどな。道理で髪の色も少しおかしいと思ったのだ」


 超水の、わずかに赤みがかった黒髪のことを言っているらしい。


「だができない相談だ。戦える者は、いかなる理由があろうと連れて向かえと言われている」


「……そう、ですか」


 渠郭翔は気落ちした声で返した。


 それを見て、隊長は満足した顔を見せ、超水を指差した。


「特に貴様は非常によい体格をしているからな。戦力になりそうだ」


 微塵も譲ってくれる気はないらしい。下手に抵抗するわけにもいかず、敗北を認めるしかなかった。


 数十分後、町の外には、徴兵によって集められた男達が並んでいた。


「いいか! 貫州軍に州境を突破されるわけにはいかん。なにがなんでも退ける。貴様らには期待しているぞ」


 男達を見下して、隊長が怒鳴った。

 

「では出発する! 遅れるでないぞ」


 もう一度怒鳴ってから、隊長を先頭に騎兵が駆け出す。町民達は走って追いかけてこい、ということらしい。


 逆らうわけにいかず、男達はゆっくりと動き出した。


 彼らの背後、馬防柵の向こう側に立つ女達に対し、口々に謝ってから走り出した。


 超水も振り返る。

 馬防柵に両手を当てている星蓮の姿が見えた。彼女は涙ぐんだ目をしていた。


 超水は素早く馬防柵に駆け寄る。


「……申し訳ありません」


「いえ……私は大丈夫です。それより、超水様こそお体に気をつけてくださいませ。私も龍角様を励ましますから」


「本当に、なんと言えばいいのか」


 謝罪を重ねようとした時、近くにいた騎兵が叫ぶ。


「おい貴様! たらたらするでない! 早くついてこい!」


 振り返って、超水は騎兵に返事をした。それから星蓮にもう一度頭を下げて、馬防柵から離れた。


 こうして、龍角の呈州城攻略作戦は、始まる前に止まってしまったのだった。

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