旗は振られた
家に戻ると、龍角は門の前に立っていた。横には旅人らしき男の姿。真剣に話し込んでいるようだ。
超水は立ち止まり、旅人が離れるのを待つ。すぐに旅人は去っていった。
「先生」
槍をかついだままで話しかける。
「お、超水か。早いな」
「今のは?」
「旅人が興味深い情報を持ってきたんだ」
「どのような?」
「隣州の太守香京が大規模な軍事演習を開始したらしい」
香京。
呈州の東に位置する貫州の太守だ。寡黙な人物として知られているが、民衆からの人気は高い。さらには兵法家としても経験豊富という噂だ。
その人物が軍事演習を開始した。
「各地の反乱に乗じて、慶から離反するつもりなのだろう」
龍角が確信を持った口調で言う。超水は塀に背中を預けた。
「都に攻めかかるつもりでしょうか……」
「どうかな。もしかしたら標的はここかもしれん」
「え、何故です?」
「うちの太守は、宦官どもに金をばらまき続けて今の地位についたからな」
つまり貫州には、呈州が慶王朝側についている、と見られている可能性がある。
「慶に賄賂を送り続ける太守を、攻め滅ぼしたくてうずうずしているかもしれないぞ」
「それは恐ろしいですね」
超水は小さく笑った。
「笑い事ではないぞ」
龍角が語気を強めた。
「北、東が呈州にかまっている余裕を失った。いよいよ私が立ち上がる時が訪れた」
それは決起宣言だった。
超水は表情を強張らせる。本当に実行するつもりのようだ。
「中に入ろう」
龍角は超水を促し、私邸の中へと消えていった。慌ててそれについていく。庭園に面した部屋で椅子に座り、龍角と向かい合う。
星蓮が運んできたお茶を手にした龍角が、
「超水、聞いておきたいことがある」
と切り出した。
「なんでしょうか」
「私が呈州太守、厳立に反旗を翻した時、お前はついてきてくれるか?」
「もちろんです。しかし、先生……」
「無茶だと言いたいのだろう。しかし厳立に不満を持っている者はたくさんいる。彼らはきっと協力してくれる」
……甘い。
超水は内心で歯ぎしりした。龍角は現状を楽観的に見ている。周りが協力してくれると決めつけている。
それでは駄目なのだ。もし、誰も協力してくれなかったらどうする。犬死にではないか。
「先生、今すぐに行動を起こすというのなら、俺は反対です」
「なに……」
めずらしく龍角が驚いた。少し離れた場所で聞いていた星蓮も目を丸くしている。
「相手の戦力もちゃんと把握できていないうちに行動するなど、無謀です。下調べは入念に行うべきです」
「下調べならしている。敵の兵力は八万――」
「その中で、危険視しなければならない将は誰です? 相手が得意としている戦法は?」
「…………」
龍角は黙りこんだ。
少しきつい物言いになってしまったが、これくらいしなければならなかった。龍角がやろうとしているのは、命を賭けた戦いだ。
「味方は千五百と聞きました」
「……ああ」
「先生はそれだけの命を預かる立場にあるのですから、もっと慎重になるべきです」
言うだけ言って、超水は大きく息を吐いた。
龍角はしばらく何も言わず、うつむいていた。
やがて顔をあげ、
「そうだな」
と小さな声で言った。
「超水、すまん。私は軽く考えていたのかもしれん」
「いえ、こちらこそきつい言い方をしてしまい、申し訳ありません」
「おかげで目が覚めた。もっと真剣に考えよう」
龍角は座り直し、お茶を飲み干した。
「北の村々の長も、以前から私の計画に乗ってくれている。集まる戦力だが、正確には千三百強というところだ」
「それで、呈州城下の民衆――特に戦える者たちが呼応するとすれば」
「四万にはなる、計算だったのだが」
「なるほど。では、まずはこの周辺の町村すべてを味方につけることを優先するべきと考えます」
龍角もうなずいた。
「まいったな。実行者である私よりも超水のほうが冷静だ」
悔しそうに頭をかく龍角。
しかし超水も冷静とは言えなかった。龍角を無駄死にさせてはならぬと必死だったのだ。
初めて会った時から感じていた、龍角という人物に対する好感。ここで死なせるにはあまりにも惜しいと思った。それがなぜかはわからない。
それでも、不思議と力を貸してやりたくなる魅力を、この男は持っている。
だからこそ、
「俺は先生に生きてほしいんですよ」
断言できた。
「超水……」
「これは俺の勘ですが。先生はもっと大物になりそうな気がするんです。だから、こんな場所で無駄死には勘弁ですよ」
面と向かって言われたためか、龍角は照れ臭そうに頭をかいた。そしてお茶の椀をとって、中身が空だと気付いた。
それを見て、星蓮が微笑んでいた。
†
この時、呈州太守厳立は城下の民衆に対して過剰な税の取り立てを行っていた。
辺境になればなるほど取り立ても弱まるため、城下から流れ出て来る民も多い。龍角は、それらの民を温かく迎えていた。
そうして集まった民衆達が、龍角率いる反乱軍の主戦力であった。
†
二月も終わりに差し掛かった頃のこと。
呈州と貫州の国境に位置する平野。呈州側は砦を築き、そこを拠点として五キロに渡って防柵を設置していた。
貫州太守香京が軍事演習を開始したということもあって、守備隊一万が配置されている。
その日の明け方は雪が舞っていた。積もるほどではない。それでも気温が下がり、篝火が焚かれている。そこに五人ほどの兵士が集まっていた。
まだ周囲は薄暗く、太陽もこれから顔を出そうかというところだ。
「おい、香京はこっちに攻めてくるのか?」
兵の一人が言う。
「わからん。都に攻め上るつもりかもしれん。だが用心しておくに越したことはないとな」
「なんで俺達がこんな思いをしなきゃならんのだ……」
愚痴をこぼす監視兵達。座り込んでいる者や、あくびをしている者も見受けられる。
呈州は他の州に比べて領土が狭いため、軍の規模も小さい。その戦力不足を補おうと、仕官にやって来る人間をろくに検分もせずに取り込んでいる。そのため中には盗賊上がりや元盗人という者もいる。
「ん?」
不意に、一人の男が小さくこぼした。
「どうした」
「いや、向こうに何か見えたような気がしたのだが」
篝火に集まっていた五人が一斉にそちらを見た。
あいにく視界がよくない。そこにあるのは、渇いた大地だけだ。
「何も見えんぞ」
「おかしいな、見間違いか」
はは、と男が笑った。
「いや……」
低い声が聞こえたのは、その直後であった。
五人の中で一番背の低い男が平野の彼方を示していた。
「見間違いなんかじゃねえ」
「なんだって――あっ」
全員が息を呑んだ。
雪で染まった視界の向こうから、鮮やかな赤色の波がゆっくりと進んでくる。
それは、貫州の州旗の色。
紛れもない、貫州軍の大軍であった。




