傷を持つ龍
呈州に来てから六日ほどが経った。
超水は、まだ町民全員に受け入れられてはいない。
それでも、いくらかは気の合う人間も見つけられた。龍角は相変わらずよくしてくれるし、星蓮もなにかと気を遣ってくれる。悪くない生活だ、と思った。
超水は早朝に起きて、槍の鍛練に励んでいる。
父、超雪の腕を超えたいという思いはいまだにあり、手を抜いて腕が落ちることだけは避けたかった。
†
「超水」
朝の鍛練を終えて龍角の私邸に戻ると、ちょうど龍角が玄関先に現れたところだった。
年の終わりが迫っているということもあり、呈州も連日冷え込んでいる。
「おはようございます、先生。早いですね」
あれから超水は、龍角のことを先生と呼ぶようにしている。龍角が勉学を教えている子供たちが、彼のことをそう呼んでいるからだ。
「ああ。今日は子供たちに武芸を教えてやろうと思ってな。よければお前も来ないか。槍の稽古をつけてほしいという子供もいる」
今は龍角の方が立場が上である。そのため、超水に対する口調も変わった。超水がむりやり変えさせた。
「俺なんかでよければ」
「そう謙遜することはない。お前が今まで教わってきたことを、そのまま伝えればいい。特に煉州の人間だからな、きっと尊敬されるぞ」
「いや、尊敬を集めたいわけでは……」
「いいではないか。ほれ、来い」
「うわっ」
腕を引っ張られ、半ば引きずられるような形で、超水は龍角について行くことになった。
連れて行かれた先は、町外れの空き地だった。すでに十数人の子供たちが集まって、楽しそうに会話をしている。
皆、木刀を手にしていた。中には長い木の棒を持っている子供もいる。
「よーし、それでは稽古を始めよう。剣を持っている奴は私が教えてやるぞ。棒を持ってきた奴は――」
龍角は超水を指し示し、
「あっちの超水に教えてもらうんだ。超水はな、あの煉州生まれの武人なんだぞ」
と得意げに言った。
おおー、と子供たちの間からどよめきが起きる。煉州と聞いて、だいたいのところは理解できてしまうらしい。
「じゃあ始めよう」
龍角が手を叩き、開始を告げた。木刀を持った少年達は、龍角を中心にして円を作り、素振りを始めた。
棒を持って超水のところにやってきたのは二人だけだった。大勢で来られても困るので、このくらいがちょうどいいかもしれない。
「何から教えればいいかな」
超水は右手をこめかみに当てて考える。
「超水さん」
黙考していると、子供の一人が声をかけてきた。髪の短い、活発そうな子供だ。
「超水さんって、あの王珪を倒しちゃったんだよね」
「ああ、そうだな。まあ相手の背中に槍を投げただけだが」
それほど誇る話でもない。
だが、少年二人にとってはすごい話だったらしい。二人で顔を見つめ合って、「かっこいいなあ」と言っている。また髪の短い方が超水に向き直って言った。
「俺も槍を覚えたい! なんでも言うこと聞くから教えてよ」
「おう、分かった。じゃ、とりあえずは名前を教えてくれ」
うん、と頷き、髪の短い方が名乗る。
「俺は遼雲って言うんだ。頑張るぜ」
続いて名乗ったのは、どこからどう見ても平凡な外見の少年だ。背丈は高すぎず低すぎず、顔立ちにもこれといって特徴のない、人混みに入ればたちまち見失ってしまいそうな容姿だ。
「僕は朝統。お願いします」
「よし、じゃあまずは槍を構える姿勢からだな」
超水は自分の槍を軽々と操って体の前に持ってくると、膝を曲げ、状態をやや前屈みにして構えを作った。
「どんな武器もそうだが、棒立ちのままじゃとっさの動きができない。まずはこうやって構えてみるんだ。かかとは少し浮かせてみろ」
遼雲と朝統はそれぞれ頷いて、棒を握りしめ、膝を曲げて構えた。が、遼雲の方は、かかとを浮かせすぎてぐらついている。
対して、朝統は安定している。超水が思わず注意しようと思うくらいかかとを上げているのだが、それでも全くよろめくことなくその体勢を保っている。
「朝統」
「はい」
「お前、体術を鍛えればいい間者になれると思うぞ」
朝統は複雑そうな顔をした。
「さて、まずは突きの鍛練からしてみるか」
二人が頷く。
超水自身が槍を構え、突きを放とうとした時のことだった。
「先生! 龍角先生!」
走ってきたのは、長い前髪が印象的な痩せた青年。渠郭翔だった。彼は龍角に師事し、学問を習っている。
「おう、渠郭翔。どうかしたのか?」
鍛練を途中で止め、龍角が聞いた。渠郭翔は立ち止まり、両手を膝に当ててぜいぜいと呼吸を乱している。
「じ、実は、ですね……、太守の兵が、食料の徴集をすると言ってきまして」
「なに? そんな話は聞いていないぞ」
「なんでも、情勢が不安定だから、戦に備える必要があるとかで……」
龍角の表情がたちまち強張った。
「そんな口実が通用するか! くそっ、渠郭翔ついてこい! なんとか説得してみよう!」
龍角は剣を鞘に収め、風を巻いて走り出した。だが、ついてこいと言われた渠郭翔は動かず、汗を流しながら龍角の背中を見つめるだけだ。
「渠郭翔、行かないのか?」
「僕が行くよりも、超水さんが行った方がお役に立てると思います」
「俺が?」
「ええ、呈州太守がどんな無茶苦茶をやっているのか、見ておく必要があると思います」
「……分かった。じゃあこいつらを頼むぞ」
「ええ、急いでください」
渠郭翔にせかされ、超水は走り出した。もともと体力には自信のある超水だ。少し走ってみれば、すぐに町中に出ることができた。ただ、龍角は違う道を行ったらしく、姿は見えない。
木造の民家の間をすり抜け、農具を避けながら、超水は町で一番大きな通りに出る。両側に民家や店の建ち並ぶ通りだ。
そこでは、鎧を着込んだ数人の兵士が、民家に押し入っているところだった。
鎧、と言っても胴体を覆っているだけだ。鎧は青色をしている。そういえば煉州の鎧は紺色だったな、ということを思い出す。
右手の民家から一人の兵士が出てくる。穀物が入っていると思われる袋を担ぎ出しているところだった。
「お、お許しください! それを持って行かれてしまうと、我が家には食べるものが……」
兵士にすがるようにして、ボロ切れを纏った男が家を出てきた。だが兵士は、いかにも気だるげな態度で男を蹴り飛ばした。
「貴様、前回の徴集では見逃してやっただろう! そもそも、貴様の家はいつも少ししか物を出さないではないか! 太守を甘く見ているのか!」
「そ、そのようなことは……」
ほとんど泣いているような声で、男はその場にうずくまった。
「お待ちください!」
別の――左手の民家の中から、龍角の声がした。
直後、「黙れ!」という怒声がして、龍角が民家から転がり出てきた。超水は慌てて駆け寄る。
「先生、大丈夫ですか!?」
「ああ、心配ない」
すぐに龍角は立ち上がる。白い衣服が泥で汚れてしまっていた。
「それ以上邪魔をするなら、太守に報告するぞ」
民家の中から、木箱を抱えた兵士が出てきた。野菜かなにかが入っているのだろう。
「お待ちください、太守に逆らうつもりなど、毛頭ございません。しかしながら、我々町民にも生活というものがございます。食べることができなければ、農作物を育てることもできず、またそうなることで、太守様に収める税金も出すことができなくなります。お考え直しください」
「黙れ」
兵士が声を荒らげた。
「お前達は、そもそも税金をまともに払ってはいないだろう。いつもいつも出し渋っている。こうなるのは当然のことだと思え!」
「し、しかし――」
「どこまで反論するつもりだ。やはり謀反人の息子は、どこまでも太守様に楯突くつもりなのだな」
龍角が硬直した。
「わ、私の父は、決して謀反など起こすつもりはございませんでした」
「ほう? 父親の字で書かれた、謀反の計画書が出てきたという話を聞いたが?」
「それは何者かが仕組んだもの! 我が父は、常に呈州のことを考えて尽くしてきたはずです!」
それを聞いて、兵士はにやりと笑った。
「仕組まれた。……なるほど。では、証拠を見せてみろ」
「そ、それは……」
「ないのならば、勝手な口を利くな。屑め」
超水は、体の底から、熱が沸き上がってくる感覚を覚えた。気づけば、両手を強く握りしめていた。
――屑。
龍角に好意を持っていた超水にとって、これ以上ない、最悪の侮辱だった。とてもではないが、許せるわけがない。
もしも剣を持っていたのなら、この場で斬り殺してやりたいほどだった。
「おい」
超水は、低く、半ば脅すような声で兵士に迫っていた。
「なんだ貴様」
「……先生を侮辱した罪は重いぞ」
「ほう、先生か。ずいぶんと尊敬されているようだな、龍角。今度は住民達をそそのかし、呈州城下に攻め込んでくるつもりか?」
相手の言葉と目は、どこまでも冷たかった。温度がない。道端に座り込む浮浪者を見るような、蔑んだ目だった。
「ふざけるな……」
もう限界だった。
握りしめた右手を振り上げ、兵士の顔面に打ちつけようとした。
「よせ、超水!」
拳を振り上げた瞬間、龍角が背後から飛びついてきた。羽交い締めにされ、超水は思うように動けなくなる。
「先生、放してください! もう我慢ならない!」
「やめろと言っているんだ!」
「なぜですか! 先生はここまで言われて悔しくないんですかっ!」
「そういう問題ではないのだ! 落ち着け!」
暴れる超水を見て、兵士は鼻で笑った。そして、怒声を放つ超水を無視して、木箱を荷車に運んでいった。
「おいっ、てめぇ! 先生を馬鹿にするな! 先生の父上を馬鹿にするな! 帰るなら謝ってからにしろ!」
兵士は振り返り、口元にいやらしい笑みを浮かべて見せた。
「龍角、忘れるな。謀反人の息子である貴様がこうして町長としていられるのは、太守様のご厚意によるものだということを」
それだけ言って、相手は馬に飛び乗った。最後に高笑いを残して、超水の視界から消えていった。
それを見届けたからか、超水を押さえていた龍角の力が緩んだ。
すかさず超水は振り返り、龍角に対して怒鳴った。
「先生は温厚すぎる! 怒っていいことだってあるはずだ!」
それが、超水の正直な気持ちだった。
だから、この怒声に対しても沈黙が返ってくるだろう。超水はそう思っていた。
くぐもった音が響く。続いて、超水の頬に鈍い痛みが走る。後方によろめき、驚いて龍角に視線を戻した。
頬を殴られたのだ。
「先生……」
「超水、お前は何も分かっていない」
龍角は、超水を殴った右手を見ながら、つぶやくように言った。
「以前も言ったはずだ。私はな、太守を倒すための機会を待っている。それまでは、太守に目をつけられたくないのだ」
超水はハッとした。
龍角が計画しているのは、太守に対する反逆だ。それまで、なるべく太守に注意を払わせないよう、静かにしているのは当然のことだった。
……間違っていたのは、俺のほうか。
うつむくしかなかった。感情で動いてしまったことを超水は恥じた。龍角は、侮辱されようと自らの感情を押し殺していたというのに。
それを理解した時、超水は地面に膝をついて、龍角に頭を下げていた。
「先生、俺が間違っていました。先生のことを知った気になって、調子に乗ったことを……」
煉州を出てから初めて出会った、気を許せる相手。野心に乗っかってみたいと思った相手。その相手の顔を見るのが怖かった。
そんな超水に対し、龍角は、
「俺の方こそ、悪かった。つい手が出てしまった。……そうだな、こういうことになったからこそ聞こう。超水、お前は、ここがこういう場所だと分かっていても、用心棒を続けてくれるか?」
静かに問う。
超水は頭を下げたまま、小さく首を振った。
「……はい」




