雑多雑考雑談(1)
不思議ちゃんは前進すると言っていた。
「但し魔女になるには」と付けられると、前進という単語がポジティブな意味なのかは不明瞭だけれど、昨日の生徒指導室の一件は私の精神衛生にも効果があったようだ。
いつもより遅めのバス。
たなつ高校の制服から時おり、話し声が聞こえる。其れは「囁き」とは感じない。不快じゃない。
窓から見えるバスの影は木漏れ陽の中にすいこまれる。
件の街路樹の影から仔犬の姿は見えないけど、雀が砂浴びをしているのが見えた。
……あぁ気分が良い。
バスはたなつ高校前で止まる。生徒が一斉に降りていく。
まさか、あの空間……空気の影響ってことは無いとは思うけど、一応私は宙に向かって深呼吸。
まぁ、毎度の空気のように思う。
深呼吸などのオーバーアクションを、登校でのバスから降りた直後にやったので、人目を気にして数秒キョロキョロする。
特に私が目立ってないのを確認して校門に入る。
今日はもしかすると決戦の日になるかもしれないと言うのに、私の身体は前向きな予感に支配されていた。
人生は絶対好転する。
生徒昇降口に入り、私の下駄箱を開ける。
…………
下駄箱の中が紙やら箱やらで詰まって、靴が入ることさえ拒んでいた。
好転する筈の私の人生に何の嫌がらせ?
私の精神衛生は病の昨日に戻ってしまったようだ。健やかなる精神さようなら。
下駄箱の一つの紙とバランス栄養食らしい箱を手に取る。
『此れ食べて下さい。1のCの太郎です。』
「何処の太郎だ、知るか!」
私はすかさず箱と紙を床に叩きつけた。
他の箱や袋も食品だった。手紙はそれぞれ「食べて下さい」と名前が書いてあり、ことごとく床に放り投げ、私の靴を下駄箱に入れる。
ムカつく超絶ムカつく。
下駄箱の脇の影で隠れて見ていた男子生徒がいたんで、睨みつける。
「此れどういうこと? 片付けといてよ」
私にそう言われると男子生徒の背筋は伸びていた。
関係者か何だか知らないけど、其の男子生徒はすぐに食料と手紙を片付けはじめた。
「其れ、手紙の奴らに返しといて」
教室に入ると、直ぐにムギが近付いてきた。
私はムギにも親の敵のような顔を見せた。
「マイちゃん、オハヨー、やっぱり今日もイラっち?」
「今日もってどういうこと? 私が常時情緒不安定みたいなこと言わないでよ。今朝……いや、いいから」
「昨日別れたときも同じだったよ?」
……そうか、そんな設定になってたんだっけね。
私は席にバッグを置きながら椅子に座る。
ムギはポケットから飴を取り出し私に渡そうとする。
いや、いらないからと私は首を横にふる。
「ムギはさ、昨日、誰か見なかった?」
「いつ?」
「だから、私と別れた時よ」
「え? え? 三人しか……」
「ならいいけど」
ムギの期待の目は更に輝きを増し、私の顔の方に寄ってくる。
「やっぱりぃ? 何かいたよねえ?」
「何……あ」
「ねえねえ、あの時、マイちゃん、何か見てたよね?」
「……忘れて」
しまった。この子にこんな話するんじゃなかった。私の想定よりも感づいていたようだ。
「変だと思ってたんだ。私、あの後部室で待ってたんだよ? アズキちゃんも付き合ってくれて」
私は昨日、生徒指導室から出てきたあと職員室に寄って帰っただけだったんだけど、部室に居たならニアピンもあったかもしれない。
……そして、エリモとも。
「何も無かったんだけど」
「嘘だよ。よくよく思い出したんだけど、あの大岩から様子がおかしかったもん。やっぱり願いごとに関する何か不思議があったんだね!」
「だから、あのときは白い影が……」
……あのとき私、思い出したとか何とか誤魔化さなかったっけ?
「白いおじさん!」
ムギは我が意を得たりと叫ぶ。
白いおじさんに繋がったか? ミラクルコネクト……と言うか、市長のことは忘れてるのに、私の夢の市長像は覚えてるのか、アンタは。
「はいはいはい、そんなような気がしただけ。そろそろ先生来るよ、戻ってよ」
「ねえねえ、今日もアソコ行ってみよ?絶対何かあるから」
「しつこい。嫌だからね、昨日みたいな仕事量」
私はムギの背中を押した。
今日の昼や放課後はムギの強襲を何とかするという課題も増えてしまったのは問題か。
私は、授業中も眉間に皺を寄せていたようで、数学で稗田に睨まないように戯けて言われてしまう。
クラスメートはそんな私の話題には笑いもせず、気まずそうに聞いてないふりをした。
私はどんな風に思われてるやら。
二時限目の休み時間は何とかムギから逃げてきて、隣のクラスに顔を出した。
教室内を覗くと相変わらずの人だかりが見える。中心にエリモが居るのは確実だろう。
私はまた、近くの男子生徒に声をかける。
「ねぇ、エリモ呼んでくれる?」
「あ」
男子生徒は直ぐに人だかりのところには行かず、自分の机の中を弄った。
そしてバランス栄養食の箱を私のところへ来て差し出す。
「こ、これ……」
なるほど、アンタもか。
私の顔はみるみる紅潮したことだろう。
男子生徒の顔がみるみる青くなっていったのでわかった。
「いいから、エリモ!」
「ごめんなさいごめんなさい」
男子生徒がエリモを呼びに行くよりも早くに、人だかりは私の声に気付いて驚いて私の顔を見ていた。
人だかりの男子生徒の殆どが何かしら菓子類を食べている。
中心に顔を下に向けて肩を揺らしているエリモ。
完全に笑いを堪えている素振りだ。
エリモは何とか笑うのを押さえた顔をして、私のところに近付いてきた。
「残念美人さん、何か用?」
「……とーても沢山聞きたいことがあるけど……その前に……」
睨む私に対して、エリモは今でも笑いを堪えるのに必死な様子。
「その前に、変な噂について知ってることがあればってことでしょ?」
ああ、やっぱりだ。もう早くもゲロってる。
私はエリモを見る眼をジト目に変えて、どうしてくれようかと思案していた。
「先に予防線を張っとくけど、約束だからね此れは」
ああ? …………ああ、私がエリモの情報を使った時に、何かやると言ってたアレか……そうか……手を出せないってワケね……想像以上に最悪なクズだ。
「単純な噂が流れただけよ。残念美人さんは、食べると落ち着くから、攻略するには食べ物を用意すればいいという」
エリモは後ろに見える取り巻きを見た。
心無しか私達を見つめる男子生徒達の頬が赤い。
攻略?
其れを聞くとまた色々考えることはある。
けれど、今すぐの個人的教訓としては、エリモに勧められてもお昼を一緒に取らないことだけ。
弱みを見せるのはこういう結果になるのはわかっていた筈。
此れで昼休みのアポイントは無しの方向になった。
「……アンタが噂の拡散源になるのはよくわかった。まぁ、噂の話も後でいいから、放課後ちょっと二人だけの時間をくれない?」
動揺というか、隠しきれない青い顔というか、それでも居丈高風なポーズでエリモに言った。
エリモは笑うのをやめ、いつもの微笑みを私に向けた。
「いいよ。私の方も懸念される問題が無くなって、身が軽くなってたところだから」
「……何処がいい?」
「部室だとムギの邪魔は入るね。部活の後の時間くらいでまたそっちの教室に落ち合いましょ」
エリモはそう言うと、自分の席の方に戻っていく。
「ムギは?」
「ムギは私に任せて、今ならそんなに怖いところもないから」
背中越しにエリモの言葉が聞こえた。
このシチュエーションは私にはトラウマがある。
聞かずにはいられなかったのは許して欲しい。
「……今のエリモの言葉……だよね?」
普通に考えれば、とてもおかしいことを言ってるのだけど、エリモは一度振り返って意味有りげな顔して応えてくれた。
「い、つ、も、私の言葉だよ」
エリモは優しく微笑む。
この子の仕草もイチイチ絵になる。
不思議ちゃんの仕草が何故か被ってくる。
……何が嘘で何が真実か、其れ自体は混線してなかなか解ききれない。
けれど、私はこの瞬間、最も強い確信を持った。
ラスボスとの決戦は本日放課後、奇しくも逢魔時になったようだ。




