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旧い憧憬の気息(2)

 まだ本格的な夏ではないけれど、日の入りが遅くなれば放課後であっても野外活動は辛くなる。ただ、日ごろ今まで郷土研究部に振り回されていた為か、気持ちに反して脚だけは悲鳴をあげなくなったことは自分でも驚いていた。


 私達は学校の直ぐ西方に流れる一級河川、たなつ川の東岸の遊歩道を南へ五百メートル程度歩いていた。

 私とムギが先導し、後方にエリモが本を読みながらついてくる様は最早、郷土研究部の様式美と言ってもいいだろう。

 遊歩道は比較的整備がされていた為、エリモの『ながら歩き』でも特に転んだりもしないのは、私にとってツマラナイことだ。

 

「此の川にも不思議な話があってね、流れに逆らって皿出しで泳ぐ河童を見たって人が何人もいたんだって」

「……うん」


 相変わらず取り留めもない話題を振ってくるムギに私は以前よりは素っ気なくはなくなった筈だけれど、今はエリモの素振りの方が気になっていて、結果的には「マイちゃん聞いてる?」と意思疎通の確認があった。


 件の画像の石碑には校舎を出てから二十分程で着いた。今までの不思議スポットからすれば極めて近所。余裕。

 二メートル程の板状の安山岩っぽい石を加工したような青黒く光沢がある物で、この路を使う人なら誰でも気付きそうな存在感があった。


「ねえ、アズキちゃん。こんな目立つ物なの?」とムギは少々不満がある物言い。

「そもそも、この遊歩道を通学してる子からの情報だから」とエリモ。


 三者三様のポーズで石碑を見上げてみる。

 石碑には崩してある字体で詩が書いてある。崩した字で、一字づつなら何文字かは理解出来る程度。

 私はスマホを取り出し、此の石碑の情報を検索。

 此処まで目立つ物なら容易に碑文の意味は探せるだろう。


「彫ってあるのは土地に縁のある歌人の詩。やっぱりメジャースポット過ぎてネットに詳しく載ってるじゃない」

「西塚の塚って、お墓のことじゃなかったの?」

「詩が載ってる石碑は歌塚って別名があるけど、顕彰碑のことでお墓じゃないみたいよ」


 現地来る前に調べてないとか段取りの不手際といつもの私なら反省するところだけど、今の私としてはエリモの方が気がかりで、この調査はどうでもよかったからと言っておく。

 それとは別に、提示してきたエリモ自身が其れについて情報の準備をしてない筈はないだろうと、新しい疑問若しくは疑惑が膨らんでくるけど。


「西塚の西は何だろうね? 詩の中にもそんな単語も彫ってないよ、きっと」


 目を凝らしたようなパフォーマンスをするムギの要求に手がかりをスマホで調べてみるけど、確かに詩の中には「西」という単語は無く、歌人名にも無かった。

 私はエリモの顔を見る。


「西が不思議のテーマで、其れを調べに来たんだから必然かな」


 事もなしにエリモは微笑む。

 ムギはエリモの視線をジッと見て何かを悟ったようで、石碑の裏に回った。

 

 石碑の両脇は侵入を邪魔するかのように桜の木が植わっていて、藪のように伸びきった雑草も行く手を邪魔をしていた。

 私なら絶対確認をしないところだけど、ムギは構わず押しのけ入っていった。


「あ、あったよ、西、西!」


 石碑の裏から声が聞こえた。と思ったらもう出てくる。

 ムギはスマホを手で弄りながら、私のところへ駆け寄ってきた。

 そして、スマホの画面を私に見せつける。


「見て、隠れメッセージ写してきた。陰で暗ぼったっくて見にくいからコントラスト比変えーの」


 一瞬で? 好きなコトは相変わらず器用な奴。


 差し出されたスマホを見ると明度を上げたような薄灰色の靄がかった画像があり、文字が浮き出ている。


『西壱千米ススメ 希望叶ウ』


「凄い発見だよね? 願いが叶う言い伝えだよ」

「……発見も何も、だから、エリモが他から仕入れてきた話じゃないの」

 

 私はまたエリモに説明を求めるように視線を送った。


「多分、此れがたなつまちの西信仰の意味の一つではないかなとは思う」

「壱千米って、早い話、千メートルってことでしょ? メートル法ってやけに近代じゃない?」

「メートルが米という表記は明治くらいだからね。此の石碑も古いと言ってもそんな程度でしょ」


 たなつまちが其処まで古い街でもないから、明治以降と言われればそんなものかもしれないけど、信仰になるほどに成熟する期間としてはどうなんだろうね。

 納得出来ないところもあるのは、エリモの提出した話題だったからか。


「ねえ、検証しよ? 1キロ歩くだけで願いが叶うってことだよね?」

「単なる願かけ遊びでしょ? 白線踏むなとか、影踏むなとか。そもそもさ、西へってどうするつもり?」


 此処はたなつ川の東岸。当然西には流れの早い一級河川のたなつ川が広がっている。

 深いところでは二メートル以上はあるそうな。泳ぎ負けて、西にまっすぐは無理。


「マイちゃん。あっちの橋を通って迂回路を使うべきことだよ。馬鹿真面目だな」


 ムギはすぐ南にかかってる橋を指さした。

 いや、そういうことじゃなくて、こういうのって、まっすぐいけないからこそ、まっすぐ行ければ願いが叶うとかの意地の悪い願掛けだよね。

 一キロ西に行くために何キロ歩かせてくたびれるだけとか、どっちが馬鹿の真面目か。


「ね、行こ」


 ムギはスマホを片手に先導して動き出し、エリモも単行本を片手に其れに連なった。

 まぁ、ムギに付き合うってより、今日はエリモが気になるところもあり自然と私も二人を追いかけていた。



 

 スマホを持ったムギは石碑から西千メートルを気にして地図アプリを睨んでいるようだ。

 ムギがそんな調子なので、エリモの方は『ながら歩き』を諦め、子供のようなムギの挙動に注意を払ってる。


 結局、橋だけが迂回路ではなく、土手や小路が盛大な迂回路。

 歩く歩く……という程はまだ歩いてないのだけど、どれだけ歩けば目的位置になるのか不明名場合、疲労感は何割か増すのが常。

 近代になってアスファルトで舗装されたとは言え、道というのは昔の街道を流用している筈。

 あの石碑が建った頃は計算された意地の悪さなのだろう。


 私は小さな覚悟を持ってエリモの隣に並ぶ。


「エリモはさぁ」

「ん?」


 エリモはムギから目を離さずに、愛想もない返事。


「生徒指導室に連れて行かれると将来不利になる噂は知ってたよね?」

「んー……あぁ、其れ? 何となくは」

「ムギが連れて行かれることを真面目に怒ったアンタだもの、根拠が無ければ怒る理由もないから」


 エリモの横顔は微笑む。

 私は私の中に少しづつ膨れてきた違和感の意味を確かめようとエリモの口角の角度までチェックする。


「そんな怒ってた? 其ればかりではないけど、そんな噂もマイちゃん正した一要因ね」

「けどさ、先生は不利になる生徒の存在を否定してたよね?」

「まぁ噂は、噂だからね。あ、ムギ、危ないよ」


 エリモはふらふらするムギを見て、一瞬駆け出しそうになったけど、ムギが気付いて『ベー』をすると安心したように困った笑い顔して私を一度見た。

 私は更に質問を進める。


「私の聞いた其の噂も誰かが創作したってことはない?」

「ん? 何の為に?」

「例えば、別の理由で指導室を使わせない為にとか」

「んー、別の理由? 思いつかないかな?」


 私は噂を創作し拡散する可能性がある当人に聞いてるつもりではあった。

 けれど、彼女は私の知る限り『嘘』を隠すのが最も得意な人間。容易に私に悟らせることをしない。


「……エリモはもしかして生徒指導室で何か感じた?」

「ん? 何で? 空気悪いのはあったかも」

「いつの間にか扉を閉めてた」

「マイちゃんが閉めろって言ってなかった?」

「私は先生に言った。アンタは私の言う前に閉めてるようにも見えたんだけど」

「ああ……だってねえ……」


 エリモはムギを見て笑っている。

 そして、私の方へ振り返り……


「だって、マイちゃんがあんなところでムギを襲って部屋へ連れ込もうとしてたからね」


 エリモは明らかに悪い冗談を言ってるように笑った。此れは空気を察しろという意味なのかもしれない。

 此のとき、少なくとも私はそう受け取って黙ることにした。 

  

「其処の道へ入れば西へ一キロだよ」

 

 南から北へ伸びる車道の西へ向かう小路を曲がったところが目的地らしく、ムギが叫んだ。

 曲がってみると袋小路になって、三メートル程の大きな目の前に縦方向に細く立つ岩が祀られていた。


「ふーん。此れが西信仰の象徴かな?」


 エリモは岩の頭頂部を確認するかのように近づき見あげた。

 ムギは岩を一回見たら、スマホを両手ではさみ、まるで拝むような体制で目を瞑って何か呪文か念仏みたいなことを唱えていた。


「……何ブツブツ言ってるの? 気持ち悪い」

「だって、一キロ来たんだから、願いごと言っとかないと」


 エリモは優しく笑い、ムギからスマホを取り上げる。


「其れでは、まるでスマホを供物にして願掛けしてるみたいよ?」

「何でそうなるかなあ」

「そしてそして、残念ながら、多分願いは叶わないんじゃないかな……」


 エリモはムギのスマホを弄りながら言った。


「ほら、やっぱり」


 エリモはスマホの画面の地図アプリを見せた。

 其処には今まで通ってきた順路らしい道順と三キロという距離が示されていた。


「体感で三キロくらいかなとは思ってた。其れに道程で一度も東の方には向かなかったからね」


 ああ、そうか。そういう仕組みか。くだらない。


「……どういうこと?」

「北方向にも南方向にも西方向にも一キロづつ歩かされたってことだね。純粋に西だけに千メートル進まなかったから願いは無しよんってことかと」

「ええええええ、ダマされた!」


 馬鹿の真面目。


「もしかして、この岩の頭がゴールだとしたら、数歩分くらいは西に進んだことになって願いが叶うとも思ったけども、私でもちょっと登るのは無理かな」


 そうエリモが言うのにつられ、私はふと岩の頭を見あげてしまった。


「あ……」

「何? マイちゃん」


 私は直ぐに目を離し、何事も無かったようにふるまうことにする。


「……何でもない。帰ってやることを思い出しただけ」


 私たちは大岩を背にし、いつものように報われない不思議という野外活動を終える。

 大岩の上に立つ、白い人の形になろうとしてたモノのことはけして私は言及したりはしないから。

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