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風薫る妖精憑き(4)

 「見えた」というのが何かと言われれば、私が思い当たるのは『囁き』で、「見える人」と言われれば、其れは私が当て嵌まる。……そんなことは言える筈もなく。

 何が見えるか? 「妖精事件」なんだから「妖精」が見えるのかもしれないということに落ち着き、誰が見えるか? は今はっきりしてるのは教務主任ということになった。


 よりによって、ムギのトラウマから情報を聞き出そうというのに、付いてくると言ったのは当人。自己責任でお願いしたい。


 職員室で挨拶し、教務主任を呼んでもらった。

 教務主任は厳しい顔して歩き、私達の前まで来て、腕を組んで立った。

 エリモが聞き出し役となる。


「先生、私共の部長がご迷惑おかけしました。妖精事件について再度の調査願いをしに参りました」

「……やはり其れか。先日の一件は稗田先生にも呆れられたぞ」

「稗田先生は妖精自体はまるで信じて無いようですね。だから逆の立場から私達に真相を調べさせようとしてるんだと思います」


 教務主任も行き過ぎに省みるところはあったんだろう、トーンがいつもより低い。それに稗田と話をする必要があったとはいえ『妖精』なんて単語は出したくないのも伝わってきた。

 実は私は、この教務主任の方の肩を持ちたい気分だった。

 喫茶『忍び音』で妖精に関わることの煩わしさは充分理解出来た。

 けれど、私が稗田に意図的に吹き込んだってのがもう一方の真相と知ったら、どんな顔をするのか。


「其れで部活動として、どうして欲しいんだ?」

「妖精という単語は思春期の心理的トラブルの隠語だと私達は考えました。ただ、ネットの噂で『見えた人』がいるということで、それが何か知りーー」

「言いたいことははっきり言え……」

「失礼しました。先生が『見える』モノを知りたいんです」


 エリモは丁寧さと大胆さでこの強面の教師に交渉した。

 こういうアプローチは教師にも一定の評価を持ってるエリモにしか出来ないだろうとは思う。

 教務主任は一度黙って考えたあと私達を睨む。


「……当時『見た』だ。妖精じゃない。」


 妖精じゃない……此れは私にとっては意外な答えだった。じゃあ何故、その単語で取り乱しムギを追い詰めようとしたのか。


「では何を見られたんですか?」

「空気だっと言ってもお前たちは理解出来ないだろ。」

「あ」


 空気という単語に忍び音を思い浮かべた私は、思わず声を漏らす。

 振り向いたエリモと教務主任の視線が痛い。


「すみません。どうぞ続けて」

「……生活指導を受けた生徒から何らかの雰囲気をだしていて、人によって見える物が違うのでしょうか?」

「そういうことだ。思春期の生徒というのは、時にそんな力を持つものだと言ったら信じられるか?」

「……心理学でもそんな話をされる学者もいるみたいです」

「心理学ってより超心理学的な何かなんだろう」


 教師が使う言葉ではないんだろうけど、私達が求めてしまってる以上、そう答えるしかないようだ。

 流石のエリモも少し言葉が止まってしまった。要領を得ないのはあたりまえだろう。

 何となくでも状況は理解出来る私の方が異常なのだ。


「先生も見たんですよね?」

「……単純な熱血教師は生徒にシンパシーがあるものだ」

「先生が昔、教育熱心だったとは聞いてます」


 エリモは微笑む。

 私は二人の会話に一言割って入ることにした。


「先生、原因となる生徒は其の指導で、改善されたんでしょうか?」

「そうだな。その時は先生もやり過ぎた所は認める。が、まるで憑き物が落ちたように静かな生徒、今の学校から言わせれば優秀な生徒になったんだろう」

「憑いていた?」

「生徒の口から言わせれば其れが妖精ということだ」

「妖精は生徒本人が言ったんですね」

 

 エリモは取り合えずの納得を示した。

 エリモは私とムギの方は振り向く。


「先生に聞けるのは、多分ここまでかな? どうする?」

「他でも調べよ? 当人さんに話を聞ければ、妖精ってなんだかわかるかもしれないし」


 ムギが言った。


 ……あれ? 違和感があるのは何でだろう

 私はお開きになりそうな雰囲気を潰すかのように、強面教師に言う。

 

「先生、生徒指導室見せて欲しいのですが」


 教務主任は最初意味がわからない顔をしていたが、静かに首肯し、職員室へ鍵を取りにいった。


「なんでワザワザ? 空気というのに何か思い当たることあった?」


 エリモが珍しく困惑寸前の顔を私に向けて言った。


「妖精事件のあと静かで優秀になった生徒ってのが気になったのよ」

「生徒指導で改心したのは別に問題ないんじゃない?」

「エリモらしくない。じゃ、何故今は生徒指導室が負のイメージになってるの?」

「生徒指導室が負のイメージって当然だと思うけど?」


 私が聞いてた噂では、連れてかれた者は一生棒に振るほどのことだったのだから、一般的なイメージよりは相当強いモノだろう。


「私も生徒指導室の中は見てみたい」

「……ムギは危うく連れてかれそうになったよね?」

「だからだよ」


 ムギは意外に真顔で言ったのに対して、エリモは困った顔をした。




 生徒指導室は名前の通り、生徒指導の一環として存在しているのだけど、学校の環境や生徒の実態によって、其の性格は様々なよう。

 荒れてる学校程、生徒指導室は伏魔殿の扱いなのだと思うのだけど、たなつ高校みたいな進学校でも進路指導用途にもならず不穏な場所として扱われることもある。

 不穏過ぎて教師でも滅多に使わないというから、不穏スパイラルというところかな。


 たなつ高校の生徒指導室は、職員室の丁度真上、二階に位置し、部室の資料準備室よりよほどロケーションは良い筈だったけど忌み嫌われれば、あまり誰も近づかない

 

 私達は教務主任の背中を追って階段を上った。


「先生、生徒指導室に連れていかれた生徒は、その後まともな将来が送れないみたいな噂がありますけど知ってますか?」

「下らない。脱線した生徒もいるだろうが、更生した生徒もいる」


 振り返りもせずそう答えた。


 生徒指導室の扉は外から見えないようになってはいるけど造りは同じ。資料準備室と同じ間取りで、不穏だからと言って何ら見るべきモノもないだろう。

 結局は私も確認作業の為だけに来ただけだった。


「ほら、開けるぞ」


 教務主任は不穏な噂を意に介さないようで、ドアノブにかかった鍵を乱暴にガチャガチャと開けた。

 扉は大きく開かれた。


 !! …………。


 私はその中を確認した途端、絶句した。

 何度も言うけど、間違いなく、今、教務主任が鍵を使って開けたばかりだ。


「……ねぇ、何も無いよね……」

「うん、何もないみたいね、マイちゃん中に入らないの?」


 具現化した『囁き』に遭遇したときの常套句を試してみた。

 ムギは惚けてる様子はない。

 ムギは何方かというと入り口の前で立ち竦む私を不思議がっていた。


 ……私以外見えないモノが其処には居た。


 ソレは人間じゃないようだけど、私には一人の女生徒に見える。

 其の女生徒が後ろに向いて立っていた。


 「……入っちゃ駄目だよ……」


 今まで沈黙していた此処に来て、いつもの『囁き』が聞こえた。

 其れと同時に私の直ぐ背後に気配がする。


 ムギは痺れを切らせて中へ入ろうとしたけど、私は手を拡げて其れを制止。


「入らないで!」


 丁度、私の声を合図にしたかのように、締め切ってる筈の室内から空気が流れ出てくる。何だろう、小風の中に甘い香り。

 喫茶『忍び音』と似てるようでまた違う匂い。


 指導室に居る風の発信源だろうソレはゆっくりと此方に振り向いた。

 顔はニコニコしているけど生気がまるでない。

 其の顔に覚えはないけど、多分、昔の生徒を模してるモノなんだろう。

 この前の『迷いの林』にいた記憶の残滓……ではないと思う。


 ……見える。


 見えたのは、ソレではなく、ソレの周りにあった不穏な空気。

 ソレの周りから何かジワジワと風景が変化しているのが見えてきた。

 生徒指導室の中は普通の教室と同じ造りだ。向こう側の窓はカーテンがあって、棚とテーブル、椅子以外は何ら特徴が無い空間。

 其れがみるみる歪み、何処かの森林のような風景が見えたような気がした。

 教務主任が見えたモノだろうか?


 其の空気と呼ばれたモノは加速度的に拡がってる気がした。


 あ、ヤバい……


 囁かれたワケではないけど、私の予感は緊急的な危険レベルを告げてるような気がした。


 急に何かが近づいてくる気配。頬に風を感じる。


 私は指導室にクルっと背を向けながら、ムギの肩を掴みムギを抱き寄せながら守った。

 ムギは理解が追いつかない顔をして、私の成すがままになって私の腕に包まれていた。


「先生、閉めーー」


 私が言い終える間もなく生徒指導室の扉は勢いよく閉められた。

 閉められたタイミングで頬に当たる風は止み、危険なシグナルは無くなったように感じた。


 扉を閉めたのは美しい細い手だった。

 教務主任よりも早く反応しドアを締めたエリモは、いつものように微笑んでいた。


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