風薫る妖精憑き(3)
翌日の部活の時間には、エリモが約束通り妖精事件の資料を用意した。
テーブルの上にある書類は幾冊かになり、其々に付箋紙が貼られている。
其れを見たムギが引きつりまくった顔をして固まっていた。
エリモはムギの様子に苦笑いしながら、資料の一つを手に取った。
「此れ、千亜さんからの資料を私なりに纏めた物だけどーー」
「其の前に確認しておきたい。その資料は合法?」
ノートに筆記の準備をしていた私は静かにエリモに聞いた。
「どんな類の情報でも欲しいんじゃない?」
「勿論。私は其のつもりだけど、もしもの場合、ムギは退室してもらった方が良いでしょ? エリモも私に押し付ける形が取れるなら、そういう宣言を先に欲しい」
「えー、私を追い出すつもり?」
「ムギはさっき嫌そうな顔してたけど?」
エリモはムギを見て微笑む。ムギはエリモにプイッと横を向く。
エリモは余裕そうな目で私の顔を見る。
「ムギやマイちゃんを巻き込むようなことを私がすると思ってた?」
心なしか今日のエリモの視線は昨日のように冷たく感じる。口元の微笑みは弱い気もする。
「……千亜さんって人、多分役所関係の人でしょ? 学校関係の資料ってプライバシーで閲覧制限ない?」
「意外に知られてないけど、学校の資料って開示要求って可能だよ。ただ場合によっては、学校や教育委員会に阻まれ難しいんだけどね」
先程の冷たい表情は気のせいかもしれない。今見ると、いつものエリモの微笑みがあった。
「当事者なんかの情報は問題じゃない?」
「資料には個人情報に類するものは何も無いから。マイちゃんは、私や千亜さんを非合法組織か何かと勘違いしてるよね。千亜さんはそういうデータを扱える仕事とポジションにいるってだけ。私はそういうコネクションがあるってだけ」
「ならいい……」
エリモは一冊目の資料を付箋紙をつけてある一つを捲り、私の前に指し示す。
「此処から読んでみてよ」
私は其の資料を受け取り、指示通りに読み始める。
「……どんな内容書いてあるの?」
「マイちゃん読み終わったら聞いてみて。マイちゃんがどれだけ理解したかもわかるし」
私は十分あまり読み進め、「ココマデ」と書いてある付箋紙を頼りに書類から目を離す。
「此れが妖精事件?」
納得なき疑問でエリモの顔を覗いた。
「補足は次の資料でやるから。実際の記録から類推的にどんどん掘り下げて説明する」
「で、何て書いてあったの? マイちゃん」
私は納得の行かない表情のまま、ムギに顔を向ける。
一寸、私はムギにこれからずっと読み聞かせをしなくてはならないのかとも、未来に一抹の不安を覚えた。
私の暴走の対価はもしかすると大きかったのかもしれないけど、少なくとも今はこの子に説明する責任はあるんだろう。
私はページを最初の付箋紙まで戻し見た。
「此れは、多分、学校が教育委員会に出した報告書かな。生徒指導会議へ提出する為の一事案……」
私はムギに要約した。
十年よりも前の頃。当時のたなつ高校は今よりは偏差値が高くない学校ではあったけど、それでも地区では一目も置かれている優良な学校だったみたい。
ただ、この頃の学校には問題もあったようで、何かは具体的には書いてないけど教師の間ではちゃんと認知されていたよう。
其れは伝統のように毎年、一部の生徒によって引き継がれてたみたいね。
問題ある生徒は、其の生徒自身の素行だけに影響に留まらず、周辺、特に所属するクラスに影響を与えた。
十一年前までは学習能力などへの悪材料にはならず、かえって向上まで見られていた。其の為、問題への対応は手付かずのままだったとか。
で、十年前の生徒。其れまでの生徒のモノと違い問題を拡大。
影響を受けた同クラスの生徒は自己主張が強くなり、教師の支持に従わない者、校外にも思想拡散する者等が出てきて、急遽、高校は原因となる生徒への対応に迫られた。
対象生徒への生徒指導。行き過ぎた教師も一部居たようで罰則。
「こんな流れ。……まぁ、此れだけ見たなら、フリーダムな生徒が暴れまわった的な解釈出来そうだけど」
喫茶店『忍び音』で聞いた印象には近い。クオンさんのブログでも自由闊達な時代を肯定する内容と被った。
「……まだ資料があるってことは、伏せられてる問題を解する物も当然あるってことだよね」
エリモは私の怪訝な顔で考え込む仕草を見てか、次の資料を提示した。
「いつものマイちゃんらしく、無遠慮に突っ掛かってきたかな。其れでは次ね」
エリモはまた別の書類を開き示す。
今度は妖精という単語に反応したムギも私の隣まで来て資料を見る。
「たなつ高校の伝統について……」
今度の資料は図書室の本の写しのようだ。誰でも借りられる本。コピーにはエリモが赤ペンでマークしてある箇所があり、
『この高校伝統の生徒自治によって、今年度の文化祭も激しい盛り上がりを見せた』
と、自由を謳歌してる生徒の文が書いてある。
付箋紙の貼ってある他のページも、陽気そうな生徒がサークル的な部活動の様子がわかる文面があった。
「此れは問題が起こる前の資料。現在のたなつ高校の空気とは少し違ってるのはわかるよね。今の生徒は良くも悪くも模範的に大人しいけど、昔は生徒自治なんて言葉通り、自己主張する生徒が多かったみたい」
「空気……」
私は空気という言葉から『忍び音』の空気を思い出していた。
エリモは別の資料を開いた。
「十年前の問題が妖精事件というモノなら、昔この学校にもあった自由の空気もその類の問題よね、其れで此れ」
エリモの示した先のタイトル。
『思春期におけるコミュニティの特殊集団心理』
書いてある内容は『思春期の一個人の感情は表情、仕草或いは脳からの電気信号により多数の思春期へと伝播する。其れが熱のある空気としてコミュニティの活動源として……」とか。
面倒だけど書いてあることは理解できないわけではない。
「此れは臨床心理学の先生が発表した論文だけど、異端扱いみたいね。其れで、此の先生、何処からそんな着想を得たかと言えば、たなつ高校。地区のスーパーバイザーって役職でだって」
「ねぇ、どゆこと?」
先程から懸命に話についていこうとしたムギが堪らず質問。
「……裏を返せば、一人の生徒の感情が空気となって、周りの生徒へも影響が出た。それを思春期特有のモノと推定?」
エリモの代わりに私が答えた。
「思春期ってところを妖精となぞらえれば、妖精事件は想像つくかな」
「……其れは飛躍してない?」
「で、次。此処に生徒の素行への対応が書いてある」
エリモの示した次の資料は、今度は帳票形式で書かれていて、元は表計算ソフトか何かだろうか。週の生徒指導の様子を書いてあるものだけど、生徒指導室の使用での個人指導がある一時期だけ記されていた。
「要請、指導……」
其の単語だけはやけに多く、私はその単語の箇所を指で確認。
「その単語がやけに多い。備考欄の文脈からすると、スクールカウンセラーに要請してるように捉えたんだけど、スクールカウンセラーって教師の指導には普通関わらないんだって。まして強圧的になる生徒指導室に入ることもないみたい」
「……まさか、隠語だって言うの?」
「私はそう考えたけど、マイちゃんは納得できそう? 『要請』は『妖精』だってことに」
下らない駄洒落……けれど、私は腑に落ちた。
毎年、たなつ高校は、伝統的のように一人或いは数人がその妖精的な雰囲気で自由な空気があった。しかし十年前、行き過ぎた生徒によって教師が生徒指導室を使っての対応。
其れが妖精事件ってことか。
「けれど、まるで隠ぺいが成功してるように妖精事件というワードが巷にあまり出てこないのは? 影響のあったクラスまで含めるなら結構な当事者もいたと思うんだけど?」
「此処までの資料だけでは断定出来ないとも思ったから、その当時の当事者も探して貰ったよ。結論言ってしまえば、妖精、妖精事件と言ってる人はそもそも極一部ってだけ」
「……アズキちゃん、極一部って、どんな人? 教員だけとか」
多分、ムギはトラウマってる教務主任のことを言いたいのだろう。
「教員も一部みたいね。『要請、指導』の報告書を書いた教員みたいに。聞いたのは『見えた人』だって」




