風薫る妖精憑き(1)
……やはり匂う。
一昨日、喫茶店『忍び音』で紅茶を飲んでからか、どうも嗅覚が過敏になったよう。過敏と言うのが当て擦りなら敏感とも言い換えても良いけど、其れだけあの場所に好意を持てなかったということだ。
教室に入った途端、空気に漂う僅かな匂いが鼻腔中を刺激し、海馬の何処かに残されてる昔の記憶を緩慢に想起させた。プルースト効果と言うそうだけど知ったことではない。
私の飲んだアールグレイ自体には、嗅覚を敏感にさせる効果があるわけも無いので、あの店内の空気自体にあてられたのだろうと結論付けた。
この匂いがあの『忍び音』の空気が起因なら、『囁き』、いや妖精というモノにまた関わることになる筈。
先週からの私の覚悟からすれば、其れこそ本懐なのだけど、妖精アレルギーにならないかと心配になる。
今日は朝からムギが馴れ馴れしい。
私が早い時間から先に教室に居て、ムギが教室に入った途端、何時もの騒がしい挨拶と共に私の顔を手を振って笑う。露骨に親愛なる態度だな。
お前と何時そんな気安い関係になったんだと言いたい私もいるけど、直近で甘えてしまったのは私の方だと悪がりたい自分自身を諌めた。
「……おはよ」
と、半ば諦めに近い挨拶を返してため息。キャラじゃない。
傍から見ればツンデレにも見えるかもしれないと微妙に自己嫌悪を覚えてしまった。
私の正体はツンでも無い。単なる嫌な奴ってだけ。
自己嫌悪してても朝や休み時間に伏せているような姿は辞めていた。それも先週からの覚悟の所以。
そんな私の感情を知ってか知らずか、ムギは私の前の席に座って、私の机の上に肘を着けた。
「彼処の喫茶店雰囲気良かったネ。一層、キョウケン部御用達にしよっか?」
ムギは雰囲気を感じたと言うよりリラックスし過ぎて殆ど寝ていたと私の海馬の真皮辺りが言ってるんだけど? お前があの店の何を知ってると言いたくなる。
「……じゃ、次はエリモと二人で行ってくれば良いよ。エリモ好きなんでしょ、紅茶」
「ダメだよ、あのお店は私とマイちゃんの秘密にするんだもの」
何故かこの子は、皆から慕われてるエリモには冷たいんだよね。逆にエリモがそれでもこの子の為を考えてるのも不思議だけど。
「エリモが紅茶好きなら、もしかして知ってる店なんじゃないの……」
自分で言って、不意にエリモが既知だった大黒少年のことを思い出した。大黒少年もどうも私と同類なようだし、割りかし類友でクオンさんとも知り合いとか。
紅茶好きなら、相当珍しい部類の紅茶専門という喫茶店は網羅してない筈もなし。
「多分知らないよ。アズキちゃんはテニス部だったから、紅茶とかずっと禁止だったんだって」
「何故? お茶は身体に良いイメージしかないけど」
「お茶は筋肉を硬くしちゃうんだって。ヤワくするのは、グレープフルーツジュースとか炭酸とかなのよ」
如何にもエリモの受け売りの蘊蓄なのは良いとして、コネクション大王のエリモがクオンさんとは簡単には繋がらないか。結局、市長にだって繋がってなかったしね。
「現状、エリモが知らない店だとしても、バレちゃうのは時間の問題。先手打って、ムギが教えてあげれば主導権取れるんじゃないの?」
「えーー……。マイちゃんとだけの想い出がなんだか荒らされる気分」
寝てただけの奴との想い出に、後々語る要素など何処にも無いと思うけど。
放課後になり、私は稗田から頼まれた用事を済ませ、遅れながらも部室に向かった。ガララと開けて資料準備室に入る。
直ぐ、ツンとした空気を感じた。濃硫酸のビンを直接鼻で匂いを嗅いだ感じと言ったらイメージが湧くだろうか? そんなことしたら本当に危険な意味も含めて。
……まぁ、『囁き』が逃げろと言わないなら、此処は入って行く処。
珍しく、エリモが先に来ていた。ムギとエリモが私を待っていた格好。
見た目だけでも、ちょっとピリピリっと緊張感があるのがわかった。エリモが私の何時も座ってる方の席に横向きになって座り、腕を組み私を睨んでいたから。
微笑んでるか、本を読んでるかの二択のエリモが怒ってるのは想像に難くない。
怖いよマジで。私は入り口付近で佇む。
ムギは困った顔をして、私に意味不明なジェスチャーを送ってきた。
エリモはすーっと立ち上がる。椅子は丁寧にテーブルに入れる。
「何?」
「マイちゃんならさ、私が言いたいこと察せるよね?」
「……そう、意外に遅かったネ」
遅かったネが、今の私に出来た精一杯の嘯きだった。想定してたとは言え、エリモにこういう形で相対されてしまうと流石にこたえていた。動悸こそ高鳴らないけど、胸の辺りは締め付けられた。
私はテーブルの方まで歩いてきた。そして、ムギの隣に立つと、ムギに向かって深々と頭を下げた。深々とは私の尺度だから、実際どれだけ下がっていたかは分からないけど。
「先日も謝ったけど、また謝るネ……ごめんなさい。この件終わってからも本意で謝るつもりだけど」
私は言い終わると頭を上げた。
ムギはキョトンとしていた。それはそうだ。説明無ければ何かはわからないだろう。
そして徐にエリモの顔を見た。
「……ムギはマイちゃんの作為に巻き込まれたの。妖精の件で職員室で妖精を聞きまくったでしょ? 実はあれがマイちゃんの仕業だとしたら、怒るよね?」
ムギはそれでも意味不明だという顔をした。
「ん? よくわからないぞ? 確かに、妖精事件や妖精の話を教えてくれたのはマイちゃんだけどその後は私が稗田先生に授業中に注意されて、稗田先生が妖精のことを持ち出したから職員室で他の先生にも聞きまくった。で、廊下で先生と喧嘩した」
ムギは今度は私の方を見た。説明しろとの合図と捉え私は続ける。
「ごめんね。稗田に妖精のこと吹き込んだのは私なの。本当は部長と顧問として妖精事件を焚き付けるつもりだったんだけど。想定外に大事になった」
「でも止めなかった。マイちゃんのせいで既の所で、指導室送りにされるところだったのよムギは。教師の評価は兎も角、この学校での風評はわかってるよね?」
「……うん。浅はかだった」
エリモは睨んで私の話に突っ込んでくる。
ムギは自分の顔を両手で押さえた。泣くのかと思ったら、今度は自分の顔を横から挟んで、自分の顔を潰した。で、それを解くと駄々っ子の体勢。
「わかんないわかんないわかんない! ちゃんと説明して!」
「稗田はね、数学教師だけあって、そういう超心理的な話は馬鹿にするタイプなの。そんな顧問の稗田にムギをぶつければ、フラストレーション貯めたムギはまた暴走してくれると思った。だから両方に妖精事件のことを二人にふっかけたの」
「それで?」
「ムギは調べきれないと思ったけど、稗田の鼻を明かしてやる為には、エリモに話が振られると思った。エリモは私の頼みは聞かなくてもムギの頼みなら聞くだろうから」
「それって、私経由でアズキちゃんに頼んだ方が早くない?」
「それだと私の意思はバレバレだからエリモは動かない」
「要は、私を使いたい為にムギを暴走するよう誘導した。でも、ムギも稗田もマイちゃんの想定外の動きをして、ムギは危険に陥った。」
ムギは目を閉じて考えこむ。
「……うん。だいたい流れはわかった。マイちゃんは私をそそのかし、そして危険になっても計画をやめなかった……」
「そう、ムギは部長としても、仲間としても、マイちゃんの二つの悪意を正さないといけないね」
ムギは私の顔を見開いた目で睨んだ。私はじっとその目を離さなかった。計画した時から処断は受けるつもりでいたから。部活なんて小さいことは言わない。私は仲間も友だちも持ってはいけない人間なのは自覚してる。
「……すごい。流石、マイちゃん」
私の諸々の期待に反し、其れが目を輝かせてムギが放った言葉だった。
予告)風薫る妖精憑き(1)(2)の後、1話に他話挿入の為に一時中断します。




