空音、忍び音、それでネ……(4)
喫茶店の床には庭が見える大窓の陽射しが映り込んでいる。床に映った木漏れ陽も小さな風に揺れていて喫茶店の爽やかさを演出してるよう。
私としてみれば、この淀んだ濃い空気さえなければとも思うけど、そのジレンマは私以外に感じる人は居ないんだろう。
今、バタバタと床の木漏れ陽の中で飛んでいく物があったけど、それが本物の鳥なのか、フェアリーというものなのか、私には判別出来ない。
私は改めてクオンさんの顔を見た。
クオンさんは忙しかった先程とは打って変わって、落ち着いた表情で微笑む。
「ブログ見て此方に来ました。お一人でお忙しいんですね」
「日曜、午前中は常連さんばかりだから本来はゆっくりなんですよ」
「お話しても大丈夫ですか?」
クオンさんは、カウンター内にある折りたたみ椅子をもってきて、私の対面に座った。
そして屈託無い顔を私に見せた。これも多分営業スマイル。
「わあ、何でしょう。他のお客さんに迷惑にならないなら」
「ありがとうございます」
私も笑顔を返すけど、まだ営業スマイルが出来る域ではないのでぎこちない。
私はカップ分のアールグレイを飲み干す。これで少しは好印象になるだろう。
さあ話始めようとした時、クオンさんの視線が私の隣に向けられているのがわかった。
つられて私も隣に座ってるムギを見た。
「リラックス、リラックス!」
ムギは力強く固く目を瞑って、リラックス呪文を唱えていた。肩も多少怒って拳は可愛く握られていた。どうやら、先程のクオンさんの情報を真に受けたようだ。
クオンさんはそれを見て顔が緩んだ。営業スマイルでもないところでも笑っている。
「それだと瞼が潰れてしまうので、もっと心からリラックスして下さいね。そうすれば、紅茶の効果も出てきますよ」
ムギはそれを聞いて、肩だけストンと落としたけど、瞼と拳は相変わらず力が入っている。ムギは其処までして、紅茶効果というものを実感したいらしい。
まぁ、会話の相手もリラックスしてくれるのは良いことだ。私は不器用な子は放っておくことにして向き直した。
「妖精事件をブログで触れてましたよね?」
「妖精事件……」
クオンさんは人差し指を自分の顎の辺りに当て、考え込むように左上に目を泳がせた。
妖精の話を思い出してたんじゃなく、何処まで私に話そうかということを模索していたのだろうか。
続けてエリモの偽テーマを少し拝借。ちょっと違うかもしれないけど、だいたいこんなニュアンス。
「私達は郷土研究部で、郷土の伝承と、近代の都市伝説の比較というテーマで色々聞いて調べてます。今まで、たなつまちの西信仰や、迷いの林なんてものを調べたりしてるんですよ」
「郷土研究部……たなつ高生?」
「そうです。私は、たまたまクオンさんのブログにて妖精事件を知り、其れを今回の研究テーマにどうかなと思いました。偶然にも、どうやら私達の学校でのことだったようで」
「郷土研究部なんて今でもあるんですネ」
「え? ……まあ」
此れは失礼な物言いのような気もするけど、私も郷土研究部にそれ程愛着があるわけでもないので聞き流す。其れよりもクオンさんの反応が気になった。
「それで、妖精事件ってどんな事件なんですか? 事件と言われると穏やかじゃない気もするんですけど」
「ある生徒が生徒指導室に行くまでの道程、顛末。事件と言っても実は反社会的な事件性なんて無いです。部活のテーマにしたら弱いかもしれませんね」
「いえ其処までは別に……。クオンさんはその時代を羨望されるような書き込みをされてましたよね?」
クオンさんはまた、同じように思い出す仕草を見せた。
私はそんなクオンさんの仕草、表情を一つ一つ丁寧に観察した。
「あ、うん、そうよね。……活気、あの頃は活気があったんですよ」
「活気?」
「そう、あの頃は街も学校も商売も活気があって世の中は前向きな気運。それこそ、生徒が生徒指導をされても意に介さないくらい」
お店の客入りのことを掛けて言ったのかな?
私は店内をチラリと見た。外から見た時は誰も来てない感じはしてたけど、取り敢えず他に二人はお客さんいるよね。500円紅茶で何処まで利益が出るかは解らないけど。
昔はもっと流行ってたってことかな。そんな古い建物でもない気もしてたけど。
もしかして、気運が無いから、ここの空気は淀んでいるのかとも考えてしまう。
「その生徒って、何故生徒指導を受けるようなことがあったんでしょうか?」
「詳しくは知らないけど、思秋期にあるような騒動をおこしたとか」
「騒動ですか……」
クオンさんは目が泳いでいるようにも取れたけど、ワザとはぐらかして遊んでるようにも見えた。
事件と言われてる以上は騒動があったに違いない。価値が薄い情報だ。
けれど、その騒動も含めてクオンさんは活気と評価しているのだから、『詳しく知らない』という台詞は違和感を覚えた。
「じゃ、妖精事件の妖精って何なんですか?」
「きっと何かの比喩とかですね。例えば、生徒なんかの精神状態とか逸脱した行為とかの」
「生徒の行為が、まるで妖精の術みたいなものだったとか?」
「妖精について聞かれましても、よくわかりません。もしかすると、教師は何かの暗喩として使ってたのかもしれませんネ」
私は相手の仕草の一つ一つを反芻するために、ティポットのアールグレイをカップに注ぎ、一口飲むついでに目を閉じた。
クオンさんはあまり教えてくれる気はないのは理解した。こんな空気を発してる空間でごく一般論な答えしか返って来ないのは逆に怪しいのに。
そう言えば、この空気の甘さは、ちょっと今飲んだアールグレイにも似た甘さがあるような気がした。アールグレイはストレートティーでは無く、柑橘系のフレーバーをつけてるとかはファストフード店の紹介広告で読んだことはあった。
……まさか、この紅茶に何か仕込んでないだろうな。
「……そろそろ紅茶の効果が出て来る時間ですね」
クオンさんはムギの方を見てそう言った。
私もムギを見ると、先程の強張った偽リラックススタイルはやめていた。今度はカウンターに肘をついて、リラックスしていた。いや、リラックス過ぎて眠っていた。
もう、と、ムギの顔を眺めていたら、その異変に気付いた。……ではなく、気付くまでもなく、はっきり浮かんできた。
……え?
何だろう。
ムギの体に重なって、朧げな光が被ってるように見えた。其の幽光が少しずつ体からブレて揺らいでいる感じがする。
私は咄嗟にムギに手を出したけど、瞬間、その被った幽光は急に強い発光をした。隣にいるはずのムギの全身が私から見えない程眩しい。
私が目を手で覆う。指の間越しにムギの様子を見る。
発光が収まると同時にの赤、青、緑、黄色、紫の光線に分かれた。……今度は加速度的に四方に飛び散り、上空で弧を描いた。
また収縮、再度逆方向に自由に伸びたり……さながら光のラインアート。
「それでネ……」
眠っていたムギは寝言を言ったようだ。
其れを合図にしたのか二つのラインは、ムギの背方に集まりだし、巻き、塊となり、何か形を作ってく。
そして耳鳴り? 違う……
「……生徒指導室に来いと言ってるんだ!」
その塊は人の形を成して、顔型の辺りかで極小の音を発していた。それは何処かで聞いた声。
「……今、担任を呼んで行かせてる。お前は関係ない立場にいたいなら、黙っとれ」
人の形の塊は今度は私に向かって喋ってるようだった。音量こそ小さいが、あの教務主任だ。
此れは何だ? 『囁き』の具現化みたいなモノか? けれど、発信元はムギに間違いない。今までも色んな形の体験があったけど、これも異色過ぎて、頭が追いつかない。
私は思わず光景を見つめ続けてしまった。
「……やっぱり貴方は紅茶の効果まで見えるんですね」
クオンさんの声を聞いて、私はゾクッと毛が逆立ち、カウンターの方を見る。
目の前に居るクオンが喋ってるのは間違いないのに、何故か、其の声は私の後ろから耳元で囁いてるように聞こえた。
クオンは人差し指を縦に唇にあて、静かにするように促した。
「私の声に違和感あると思いますが、この喫茶店の立地と紅茶のリラックス効果で生まれる、忍び音です」
「……この子はどうなったの? ……?」
普通に声を出したつもりでもまるで音量が絞られたように声が出た感じがしない。私は喉を摘んで咳払いをしたけど、其れも同じように萎んで聞こえる。
「どうもしません。其方のお客さんはリラックスし過ぎて寝ていらっしゃるだけ。カフェインで寝られるのかは別にして、変だとしたらそれは私と貴方です」
「……じゃ、今見えてるこれは何だって言うの?」
「其の方のストレスの発散力ですね。発散自体は何処でも誰でもあるんですが、見えてるのはこの場所で、貴方の力があるから」
其のやり取りの間に私の眼前も少しモヤった。私自身からも何かが出ているのに気付いた。
ムギの光やラインとは違い、其れは煙状で私の頭上や床の方に流れる。
キャン!
ああ…… 仔犬のような煙塊が私の脚を使って隠れ、妖精のような煙塊が飛び回ってる。此れは今の私には相当堪える。
「此れもストレス……」
「はい」
クオンさんはさもストレスは見えて当然くらいに返答した。
私はクオンさんを静かに睨む。いくら客にリラックスの場を提供する目的とは言え、プライバシーがあったものではない。
『囁き』の類なら無視等の方法で消す事も可能なのだけど、其れはただ、私が見えなくなるだけというのも最近解ってきたので。
「……此れは妖精と関わりあることではないんですか?」
「あのブログに辿り着ける人、そんな人なら、私が答える必要も無いと思いますよ」
「結局、妖精については何も教えてくれないってことですね?」
「クオンってどんな漢字を使うかわかりますか。当て字で空の音と書きます」
この人は何を言ってるのか。不意に大黒少年のマイペースさも思い起こされた。
「そらおと? 其れが?」
私の険のある言葉に、クオンさんは営業スマイル以上の意味深いような微笑みを浮かべた。
「いえ、本来、そらねと読みます。意味は是非調べて下さいネ。其れが妖精の本質ですから」




