空音、忍び音、それでネ……(1)
二時限が終わった直ぐ、私は隣のクラスに趣いた。
理由としては、クラスに居るリスクを回避する為と、会いたくない相手と会う約束の取り付けの為に。
そのクラスの入り口まで来ると、相変わらずの人だかりが出来ていて、其の中心やや下に視線を向ける。多分、其処にエリモは座ってるだろうから。
「ねえ、エリモ呼んでくれる?」
入り口近くで教科書を開いてる生徒に声をかけた。高飛車なつもりでもない私の態度にその子は何を怯んだのか、わざわざ人だかりの方をかき分けて、エリモに伝言してくれた。何か勘違いされてる気もするけど、まぁ、深くは考えない。
エリモは席から立ち上がり、私に声かけながら近づいて来た。
私はエリモに対しては、腕を組み、こちらは意識して居丈高な態勢。
「何か用?」
「エリモ、呼ぶのって面倒なのよね、人だかりが邪魔で」
「今日はたまたま。二時限の教師のミス部分を確認してただけだよ。私が気付いたから。其れで何なの?」
「昼休み空いてる? 話があるから部室に来てくれると助かるけど?」
エリモは苦笑いと微笑みの中庸な笑みを浮かべた。
「助かるという態度ではないけどね。マイちゃんって、ウチのクラスでは怖がられてるよ」
「全智なる実力者のエリモ様に対して不遜だった?」
「私は面白いからイイけど、マイちゃんって昔から、残念美人って言われてたの知ってた?」
「え? な……」
顔が赤くなったけどそれが、怒りなのか恥ずかしいのか。
今まで残念も美人も私の評価として耳にしたことが無い。
「じゃあ、イイよ、お昼ね。ムギは多分来ないけど」
「……知ってるよ、もう……。逆に何故、エリモがもう知ってるかがわからないけど」
エリモはまた人だかりの方に向く。私は、また変な囁きをされないよう直ぐにを踵を返した。
資料準備室。
其処は昔から郷土研究部の部室として充てがわれていたらしいけど、本格的に活動するには些か不便だった。元郷土研究部員と言うか、現在形で名簿上の部員である従兄弟に尋ねてみると、やはり大きな作業となると他の教室を間借りしていたようで、そもそも此処で何かを検証とか編集とか、土台、無理と言うもの。
椅子四脚、活動人数が三人とは言え、パーソナルスペースを抜いた共用スペースという遊びはあって然るべき。
私が何を言いたいかと言うと、この目の前のパソコン周辺機器の類 がそろそろウザい、目障りということだ。
特に今日のようにエリモと二人だけになる場合、更に居た堪れなくなる。何とかしてくれないと発狂しそう。
そんなことを考えながら遅れるエリモを待っていた。お弁当はエリモの前で食べたくなかったので、まだ手付かずに机に置いてある。
「ごめん、遅れた。弁解必要?」
ドアを開けて、急いでる風のエリモが入ってきた。急いでるように言っても、実際は慌てて見えないのがエリモという人間。
「どうせ、教師絡みの用事でしょ? 不必要。イラついてるワケではないから……」
エリモは外面だけと言っても、社会性をパーフェクトに演じきる。
だから簡単に約束を反故しないし、先の約束があったら、他の約束を取り付けるようないい加減なことはしない。私の約束に遅れるということは、それ以上の用事が出来たことは想像に難くなかった。
「私については当たりだけど、マイちゃん自身のことは誤りかな。いつものようにイラってる顔してるよ」
「……丁度、パソコンが邪魔くさいと考えてたところ」
「其れは因果逆転の八ツ当りのような気もするけど、まぁ、それは脇に置いて、お昼食べながら話を進めましょ」
エリモはまるで私がお腹を空かせて苛立っているかのように言った。私は眉間に皺を寄せる。
「……いいよ、私は後で食べるから」
「時間的に無理ね。今私と食べることを我慢するか、午後の授業中にお腹を鳴らすか二択しかない」
そう言われて状況を想像してしまった私は、エリモの誘導のまま渋々、お弁当に手をかけた。
エリモはオニギリを包んだラップを持って食べている。
何か、エリモのイメージと違う。お前はサンドイッチでも食べとけと思わず言いそうになる。
「それで、話は何?」
オニギリを一つ食べ終え、カップに注いだお茶を飲みながら、エリモは本題を迫った。
「……一時限の数学の授業中、ムギが呆けてて、教師に注意されたんだけどさ」
「数学って言うと、郷土研の顧問の稗田先生ね。よりによって」
「稗田が部長のムギを忘れてるのは別の話で、授業中の注意で使った言葉が問題になった。問題と言ってもムギ限定だけどさ。ムギに聞いた?」
「今日はムギに会ってないよ」
「其れなら何故、お昼に此処にムギが来ないのを知っていた?」
「ネタバレすれば簡単な話で、お昼にムギが部室に来る時はいつも事前に私を呼びに来るからネ。今日は呼ばれてないってだけよ」
はあ?申し合わせて二人で私のプライベートタイムを侵犯していたって?
ムギはエリモを呼んで私との距離にバランスを取ってたワケね。
ムギは私に懐いてるところはあるみたいだけど、やっぱり怖がってたか。
「断っておくけど、怖がってるのは、ムギだけじゃないから」
エリモは私の顔色を見て微笑んだ。だから、私の考えを読むなよ。私はお前が一番怖いの。
「……エリモと会話すると脱線傾向あるよね?」
「今、脱線したのはマイちゃんだけどね。今の会話、復唱しようか?」
「そういうの良いから……だから、稗田が授業に集中してないムギに言ったのは、『妖精に誑かされたかい?』だって」
「……ふーん」
私はエリモが一寸考えた素ぶりをしたのを見逃さなかった。『妖精』という単語に思い当たるモノがあるのか。私は鋭い視線をエリモに送り、仕草を意識した。
「……で、ムギがその妖精って単語に反応しちゃってね、『妖精っていう例えは変だ。きっとそういう話が学校にはある。そうだ、それを部活のテーマにしよう』って私にラッシュをかけてきたのが一時限目の休み」
「其れで二時限目の休みは私のところに相談兼ねて逃げてきたと」
「逃げてきたのは否定しない。其れで私が何をエリモに相談したいかわかる?」
「いちいち質問形にしないで。さっきから、マイちゃんが私を刺すかのように見つめてくれるけど、私の知ってる妖精って単語の知識はね、昔、この学校で起こったらしい妖精事件だけだよ」
エリモは微笑む。私はやはりエリモに見破られてしまった。ため息をつくしかない。
はいはい、エリモ様には敵いません。
「わかってるなら、その続きで私が何を言いたかったのか、予想してみなよ」
「マイちゃんは私が何か知ってると思ってるみたいだけど詳しくないよ。その妖精事件は学校では禁忌らしく、少し噂は昔聞いたことあるくらい。資料らしい資料は無いみたいよ。其れ以上は調べようとも思ったことないけど」
「其れで?」
「……本来、『其れで?』は私の台詞だけど……、ムギはそのタブーに触れるようなことしてるのかな? 例えば職員室に乗り込んで、先生方に妖精のことを今、聞きに行ってる……とか?」
「そのようね、郷土研究部部長としてね」
「何故止めなかったの?」
私は脳裏にムギの制服を濡らしたシーンを思い出していた。
時間を戻すことが出来るなら、あそこを無かったことにしたい。
「……ちょっとムギに借りを作っちゃってて、ほんの少し文句を言えない立場」
「ああ、其れで、ムギ、ギャップ萌えとか言ったのかな」
「……何ソレ? 気持ち悪いんだけど」
「詳しくは教えてくれないけど、ムギが更にマイちゃんのこと気に入ったみたい」
エリモの悪い微笑みに悪寒しかしない。
「で、私にどうしろと?」
「ここまで来たら全て察して。ムギのお守役じゃないの?」
「……ムギ抑止の為、妖精事件についてコネ使って調べろってこと? ……どうも気持ちよくやれないな」
「何でよ?」
エリモはまた微笑む。これは何か釈然としてない微笑み。
エリモと駆け引きやってると、自然に相手の細かい表情を読み取る癖がついた。
「マイちゃんの本音が抜けてるからね。私に喋らせてボロが出ないように仕向けてるけど、今日のマイちゃんの喋りのテンポ違うんだよね」
「それで、何がわかるのよ?」
「マイちゃん、妖精事件ってネットで調べたでしょ? 何故調べたかはわからないけど、コティングリー妖精事件の方かな。それでたまたま、この学校の妖精事件を知った。要は、ムギにかこつけてるけど、マイちゃん自身が興味あるんじゃないの?」
「……最初、私がイラついてるって言ったじゃない。それで興味なんてあるって言うの?」
「イラついてたからご飯を食べて貰った。一次欲求解消による緊張緩和に心理的に負けちゃったね、マイちゃん」
結局、エリモのペースか。構わない。こうなることも想定内だから。
「その通りよ。あの大黒君? あの子が妖精事件の話をたまたましてくれて、今日、稗野がたまたま比喩として口にした。偶然が重なるとさ、私も気になる方が必然かな」
「あらら、それも建前っぽく聞こえるけど、大黒君に確かめさせるよう仕向けたことで決め手になっちゃうか」
「で、どうするの?」
「まぁ、学校の資料のことは、千亜さんに言えば何とかなるけど。ムギの為とは言っても面倒なツテなんだけどね。マイちゃんにもいつか埋め合わせしてもらわないと」
エリモの繋がりは、私みたいな小市民にはどうなってるかまったく意味不明で怖いとは思う。
けれど、ムギの肩で思いっきり泣いたことで、今は何か吹っ切れていた。




