林と羽根の木漏れ陽(3)
『迷いの林』……
林の語源は『生やし』で、主に人工的に植えられた整然とした木々の群、植樹林のことらしい。『盛り』が語源の森と比べ、スケールの小ささもあるよう。
迷うと冠するなら、それなりの規模、例えば樹海レベルの深さが必要だと思うけど、何故か『たなつまちの噂』では、『迷いの林』ということになっていた。
不本意なのは、その単語をムギに示された時点で突っ込めなかったこと。頭の中が諸問題でグジャって、刹那的に発言する相手への余裕はなかったから。
私は鬱積した気持ちを秘めたまま、ムギの誘導の下、学校から北に三キロ先まで歩かされていた。言われるまま連れ引かれていた私だったけど、なかなか目的地に辿りつく様子が無いことで右脚先から疼痛が走る。
「……何処まで行くの?」
「もう、そこ」
スマホの地図アプリを弄っていたムギが示したのは、住宅の奥に樹冠だけ少し見える一角だった。
単行本片手に何一つ顔色を変えないエリモは兎も角、身体の小さいムギがこんなにスタミナがあったのは侮ってた。と言うか、私がこんなにも年齢不相応の体力だったのかと反省するべき。
住宅街の中の小さい児童公園の脇から小道を入っていき、林の入り口らしい場所にやっと到着する。
誰がつけたのか『迷いの林』という林は、想像以上に規模は小さかった。林の向こう側には住宅が見えるので、開発に取り残された間地という印象。公園にでもしようとしたのか、一応小道から林の中に続く道があり、それなりに整備もされている。
「……どうやったら迷うのよ?」
「ねぇ」
思わず声に出してしまったら、ムギが他人事のように返事した。
「本当に迷ったら困るからね」
「アズキちゃんみたいに、否定から入るのは良くない」
ムギが不意に入り口の縦置きの置き石に目をやる。
「あ、迷林公園って書いてあるよ」
ムギはスマホで置き石を写真に収める。エリモと私はそう言われて置き石を見る。
「正式名称かな?」
「この名前から噂がでっちあげられたって話だね、きっと」
「公称なら、由来を調べた方が良いかもね、図書館で」
「そんなのイイから、入ってみよーよ」
ムギに急かされ、三人で林の暗がりに入ろうとした。
その時、後ろからガサガサという音とともに声をかけられた。
「小さい林道公園とはいえ、女子だけで暗がりに入るのは無用心だと思うんだけど」
三人ともにその声に振り返る。
丁度、脇の道から外れた草むらから、二人の男の子が出てきたところだ。
……会える予感はあった。けれどそれは奇縁。
一人はなんと今朝の少年。もう一人はその少年と背格好が同じ友人のような少年。
二人の少年は今朝の私服のまま。平日の日中、学校も行かないで遊び歩いてた姿にも見える。
普通ならあまり関わりたくない風貌だけれど……
けれど、私の不安を解消させてくれる可能性があるのは一方の少年だ。イキナリの再開に声が出ないけど願ったり叶ったりだ。
そんな私の状況はお構い無しのムギが声をあげ、其れにエリモが続く。
「あ、今朝の美少年!」
「大黒君、また学校サボってた?」
「あれ? エリモ先輩だ。学校にはちゃんと大事と伝えてあるよ」
そして、大黒と呼ばれた少年はエリモから私に目を移す。
少年は私を見て微笑む。
「そういうことだったの、お姉さん?」
どういうこと? 一人で納得するな。私はアンタに色々聞きたいことがある。
色々……あったけど、やはり開口一番、私はこれを訪ねた。
「……ねぇ、仔犬はどうなったの? 捕まえられた?」
「お姉さんとは今日はもう会うことない筈だったから、その答えは用意してなかったんだけど」
「……どういうこと?」
「今は何も言えないよ。片付いてないもの」
会うことない? 答えを用意してない?
仔犬を放っておいて、遊んでいたってこと?
……わかったことは、この少年は私の不安解消のキーにはならないってことだけだった。
流石に、エリモもムギも不思議そうな顔を向けていた。
少し沈黙が続いたけど、焦れたムギから提案がされた。
「じゃあ、林の中に入りたいから、男手も続いてね」
少年の二人は言われるまま私達の所に近づいてくる。ムギは合流も待たずもう林の中に入り出した。
私はとりあえずムギについてく、エリモはその後に続き、少年二人は後に続いた。
林の中の道は踏みならした土で、向こうまで行くのに蛇行したり小橋がかけられたり、中を隅々歩かせるようになっている。
木は雑木林で、葉の高さも様々になり、光も多く取り入られていた。木漏れ陽は、薄い箇所と濃い箇所でコントラストが美しい。
いつもの私なら、この林の公園も美しいと思うのかもしれない。けれど今日はそのような感性にはなれなかった。
「……何か知らないけど、こっちのお姉さんの知りたいことにはちゃんと答えてあげて」
「イライラしてた? でも、それ僕のせいでもないから」
後ろでエリナと少年の声がした。私はチラッと後ろを振り返って見る。
エリモと少年が並んで歩いていた。私は聞くつもりでも無いけど二人の会話は耳に入ってきた。
「私達、郷土研究部でこの林に来たんだけど、大黒君って、もしかしてここ知ってた?」
「ここは通称、迷いの林だね」
「名前の謂れは知ってる?」
「知らないことも無いけど、何というか説明しにくい」
「中学生だから?」
「気付けるかの問題だから」
少年との会話は知り合いであるエリモでさえ成立してない気がした。
何故かその齟齬は私に嫌な予感があった。私は少年への理解をワザと避けてる気さえしていた。
「えー、もうゴール? 短いな」
ムギの言葉に我に返った。もう開けて明るくなった目の前にさえ私は気付いていなかったよう。
ムギは何にも迷わない、出会さないことで拍子抜けた顏をした。エリモはそれに微笑む。
「何も迷わなかったよ? クレーム入れなきゃ」
「誰に入れるの?」
「この林の管理人か名付け親」
ムギはキョロキョロする。エリモはスマホを取り出して、地図アプリを弄る。
「どうする?」
「収穫なければ帰るしかないかな。名前の由来はあとで調べるとして」
「じゃ、もう一度来た道戻ろ? どうせそっちの方が早いから」
「今日はここで解散ね。帰るにしてもバス停も向こうか」
私達は振り返り、少年二人を見た。大黒少年の方は林の出口の少し前の切り株のところで座っていた。
友だち風な少年はその場に立って、上の方を見ていた。
大黒少年はもう一方の少年を見て微笑んでいる。
「あれー、さっきと違う」
その声でムギの方に眼を向ける。
林の変化に最初に気づいたのはムギだった。ムギは地面をまず見て上の葉を見た。
そう言われても私はすぐに何のことか理解出来ないでいた。
「ムギ何?」
「木漏れ陽」
「木漏れ陽?」
エリモもムギが何が言いたいのかわからないようで、キョロキョロする。
「えーとね、木漏れ陽の形が大分違う。ほら、上のあの部分、葉っぱの密集が無くなて穴あいてるよ」
ムギは先に地面の木漏れ陽を指し、光の筋を辿って、それを作る葉と葉の間を指した。
私にはさっぱりわからないけど、木漏れ陽の形が違うらしい。言われてみれば少し明るくなった印象もあるにはある。
「へえ、流石、エリモさんの友達は面白い」
その声に私は再び少年達の方へ目を向ける。
……え?
大黒少年はムギに促されてか、上の葉の密集具合を探索してるようだけど……
……もう一人、静かだった少年の方が薄く半透明に見える。今にも消えそうだ。
私は大黒少年の方へ近づき囁くように言う。
「その子…人じゃなかったの?」
大黒少年は私に顏を向けるとニッコリして涼やかな声で言う。
「存在自体に気づかないことは多いけど、人との違いに気付いてなかったのはお姉さんが初めて」
姿が薄くなった少年は、そのままスーと消えてしまった。
彼は、最初からムギやエリモには見えてない存在だったようで、一人足りなくなったことに騒ぎが大きくなることもなかった。
「……そう。人でないモノをアンタは相手してたのか……」
私は、少年から顔を背け、また木漏れ陽の林道を歩き戻る。
少年が何者で、この出会いが何を意味してるのかなんて、今の私にはどうでも良かった。
胸中にあった不安。これが多分的中するだろうことが問題で、それを確認したい衝動で今は焦れていた。




