林と羽根の木漏れ陽(1)
皆が登校するより二つ早い時間が、私の最善の時間。
私は希望してバス通学している。
早目のバスはザワさも少なく、ディーゼル音はちょっとの囁きをかき消してくれるように唸ってくれる。実はそれも高校選びの大切な要素だった。
図書館前通りの長い街路樹アーチ。バスが街路樹のトンネルの影の入り口に差し掛かる。そして道に映るバスの影が木漏れ陽の中に入っていく。その光景は美しいと思っていた。バス通学の理由は囁きを避ける為であったけど、こういう風情もあるんだなと気分は良かった。
「よう」「せい」
何故だろう。こういう情緒は概ね長続きしない。
木漏れ陽のトンネルの中、今朝はそれが聞こえてきたので、図書館前で降りる羽目になった。
きっと、ラジオか無線の混線が聞こえてきたんだろう。
一寸害した気分を一新し、木漏れ陽のつづきを堪能しながら学校へ向かう。私の影が木漏れ陽と重なっていく。
木漏れ陽のトンネルを抜け、道程の半ばくらいの街路樹の一本に何かの気配がした。
私はまた囁き関連の何かを想定し緊張する。
黒い尻尾が小刻みに木の根元の向こう側で動いている。
木の逆側にこちらを伺っている小さい黒目。そしてちょび耳。
私が首を傾いでいると、更に少しだけ顔を出して来る。
緊張をとく。
私は登校の歩みをやめ街路樹の方に集中した。
自信の無いような顔を覗かせてるのは黒い柴犬の子どもだった。豆柴と言うのかな。
顔を引っ込めたり、出してみたり、誤魔化すように横を見たり。
仔犬は幾度かそんな動作を繰り返した後、斜めの角度で木の幹に頰と顎を乗せて、とりあえず顔のポジションを決めたようだ。
幹に押し付けている少し歪んだ顔が、若干斜め方を向く為、ほんの少し白目が見えるくらいな角度で私の顔を伺っている。
「何か用?」
私は仔犬に近づく。
仔犬はそこから逃げもしないけど、木の裏から出て来る様子もない。ただ、私の顔を見追っていて、近づいていく度に顔の角度を変えた。
「まーた、私にちょっかい出す変なものかと思っちゃった」
木の陰から出てこないところを見ると、怯えてるんだなと思った。私は荷物を置いてそこにしゃがむ。
威勢の良い雑草が一本、丁度視界に入った。私はそれを引き抜き、地面と水平に仔犬の前で振ってみた。
仔犬はキョトンとしているけど、目が穂先を追いかける。
私は振り方の趣向を凝らし、虫のような動きをやってみた。
………猫のような狩猟本能は無いのかな? っと思ったすぐ、仔犬は小さ太い前足をくり出した。
……可愛い。
やっとその時、私は仔犬への感情を自覚した。
一層草をふってみると、仔犬はよく反応し、動きがエスカレートしていく。木の裏からは完全に出てこないけど、胸のたてがみやらお尻から尻尾にかけて暴れ出し見えてきた。
可愛いけど、可愛いじゃ足りない気がする。こういうとき何って言うんだっけ?
――いわゆる不思議可愛い
よりによって、ネットのつぶやきを思い出した。
つぶやき主と同類と自覚した瞬間、今日の気分がまた台無しに。この仔犬のことではないと思うけど、お陰で手が止まった。
仔犬はまた顔だけ出して、私の顔を伺っていた。
「お前の主人はどうした?」
私は草を捨て仔犬を見ると、「もっと」という強請り顔になっていた。
いつまでも付き合ってやる義理も時間はないけれど…… こんな車通りがある大通りの脇だと、あまりにも危険。
私は立ち上がって、キョロキョロと周りを見回した。特に誰かは見当たらない。
「お前、首輪ついてる?」
私は仔犬に手を伸ばしてみたけど、やはり木の陰に隠れてしまう。
木の裏に回ってみても、丁度反対に走ってしまい、ヒョイっと後ろを見ると、今度は慌てて反転する。
木の幹を掴んで上半身だけ木の裏に回ってみると、いつの間にかわたしの背中の方で私の顔を伺ったり、私の視線の方向を一緒に見てる気になってる。
そして、最後には木の陰に隠れて、こちらを伺うを繰り返した。
「困ったな……」
「ウチの犬だよ」
気配がしなかったから囁かれたと思った。私は背後のその声の方を思わず向いてしまった。
綺麗な少年が立っていた。
スッキリ纏まった輪郭、眉は細いがハッキリとし、目元は細長でまつ毛も長い。美人な少年、或いは限りなくボーイッシュな少女でも良いんだけど。眉目秀麗というのはこんな感じなのか?
けれど、登校時間だろうに私服で、荷物も持ってないのはどうか。時間的にちょっと異様だと思った。
私は人間で無いモノと疑った。
「……アンタの犬?」
「そう」
少年はポケットから犬のリードを取り出し、リードの先の金具を見せた。
見かけはともかく、反応は普通の人間のよう。 けれど少年の唇が薄く笑うのを見て、何故か悪寒が走る。
私は少年を睨んだ。本物の人間なら無責任を正す意味で、本物でないなら立ち去るよう威嚇の意味で。
「……危ないな、こんな車通りあるところで仔犬を離すなんて」
「何処に行くか解らないからね」
「何処かへ行く前に離す方がおかしいでしょ?」
「離したわけでもないよ」
「ちょっと、それ見せて」
「これ?」
私はリードを少年から受け取る。そしてさりげなく指に触った。
リードも少年の指も、物理的感触はある。
やはり本物としか思えない。私はリードをチェックしたフリをして少年に返す。
「……いいから、さっさと捕まえてあげないと、危ないから」
私は一歩引いて少年を街路樹へ促して、腕を組んで見守ることにした。
何かあるなら、仔犬を助けなければならない。……何かとは私もわからないけど何か。根拠は結局、さっき悪寒がしたことだけ。
少年はリードを持ちながら仔犬に近づいていく。仔犬は顔を時折動かすものの、私の時と同じように少年をただ見ていただけだった。
私は仔犬の顔を見ていた。少年が飼い主なら、こんな表情を向けるだろうか?
そんなところへ、また別の声が遠くから聞こえる。今度は間の悪いことに知った声。
「マイちゃん、マイちゃーん」
私は無視しようかと思ったけど、これ以上名前を大声で呼ばれたら恥ずかしい。嫌々振り返える。
ムギは私の方に手を大きく振って近づいてきた。
「オハヨ、早いんだね」
「お早う…… 朝から私の名前を叫ばないで欲しんだけど?」
「何やってんの?」
「ムギには関係ないから」
「へぇ、で、何?」
ムギは私の苛立ちに構わず、私をかわして街路樹の方に近づく。
こらこら。もし少年の姿が見えなかったりしたら、本意で、何やってんの状態なんだから。
私はムギの腕を掴み引き戻そうとした瞬間、少年の方から声があがった。
「ああ、逃げられた」
バタバタバタ……
声のすぐあとに何故か街路樹の木の上から羽ばたき音がする。
私はその音に反応してしまって街路樹の上の方を見てしまった。
鳥の影が飛んで行った。
「何が逃げた? 今の鳥?」
ムギは私ではなく明らかに少年に問いかけた。
少年は答えないかわりに振り向いてムギにニコッと笑う。
二人の反応を見ていて、少年の存在だけは確信持てた。
けれど、一つの杞憂は取り払われたかわりに、別の不安が頭をもたげた。
私は背伸びしたりで、少年の後ろを覗いて、仔犬の気配を感じ取ろうとした。
少年はリードの先端を小さく振り回していた。
私は急いで街路樹の方へ近づいて、子犬の顔を出してた位置を見、木の幹の裏にも回って見る。仔犬の姿を探しても何処にもいない。
「何処いったの?」
「さぁ、また追いかけなきゃね」
「どうするの? 危ないでしょ」
「大丈夫。危ないとか、そういうの無いから」
「何処行ったのもわからないのに?」
「そういうもの」
私はどうもこの少年が好意的には捉えられなかった。とりあえず人間のようだけども、飼い主として軽すぎる。
なんだか胸が黒いモノで満たされるように動悸が気持ち悪い。仔犬のことが非常に心配になる。
「少年、美形君だね。マイちゃんの知り合い?」
「今日の一期一会だね」
事情の知らない、ムギは能天気なことを聞いてきた。
私のかわりに少年は涼しげに答えた。
私はムギは無視をして、少年に詰め寄った。
「アンタは、飼い主として責任あるんでしょ、さっさと探しなよ」
「わかってる。今日一日中探すつもりだったから」
「はぁ? そうじゃなくて、すぐにみつけて、すぐに捕まえて」
「善処」
少年は薄く微笑み背を向け歩きだした。何か落ち着いてゆっくりで私の方がイライラしてくる。
少年はそんな私の心情を感じ取ったのか、クルッと私の方を見た。
「妖精に囁かれてるね、お姉さん。イライラしない」
その句を告げ、少年は走り出した。




