たなつまち(4)
……市長?
何故こんな質問をする? ……答えた方が良いのか、はぐらかした方が良いのか?
意図が見えない、動けない。やだな、またエリモの掌の上か。
えーと、名前は喉まで出てる気がするんだけど、意外に出てこない。確か無精髭生やしてた割に、小綺麗な服装してたイメージがあるんだけど。
つい最近だと、入学式の挨拶で名前聞いてったけかな? ああいうのは市立だけだっけ? 少なくとも中学卒業の時には祝辞はあった筈。
ムギがネットで調べてくれれば、こんな金縛りは抜けられるんだけど、どうしてか、ムギまで律儀にクイズをやるつもりになってる。パソコン得意なんだから、卑怯とか言われながら調べてくんないかなァ。
「はい! 無精髭生やした小綺麗なオッサン! 名前は……ド忘れ!」
手を挙げて勢いよくムギが言った。
ナイス、ムギ。これで私は何もリアクションしないで済むわけね。私がムギと同程度の認識力という事実は忘れとく。
「その人相は佐藤一郎さん。元市長。前期ね」
「じゃあ、今は鈴木二郎!」
「……それは、前市長の名前に絡めてるだけだよね?」
あれ、無精髭は前任だっけ? 私の喉まで湧き上がってたモノも胃の方に押し戻した。
別の市長なら、不祥事とかでメディアでよく取り上げられて、考えなくても出てくるのに。不満が無いほど無関心になりやすいのは、世の皮肉。
顔は平静に繕っているけど間が持たない。こういう場合は否定的位置から逆質問含みで煽るに限る。
「……くだらない。そんな質問、今する意味あるの?」
「……それが、ある。……だって……」
エリモは、言いかけてそのまま考える素ぶりをした。何故かエリモの顔に冴えが無い。
「だって何?」
「だって、不思議と思い出せないから……」
エリモの困ったような表情を見て、私は鳥肌がたった。エリモが白旗宣言。
どうやら、質問者まで記憶を巡らせて思い出そうとしてたらしい。
エリモが答えられない問いを私が答える、なんて出来たらと野心が芽生える。
私は頭の隅々をフル回転してチェック。何処かにあるであろう市長情報の切れ端を探っていく。
「……白いおじさん……」
「え?」
あっ……しくじった。考え過ぎて思わず呟いてた。不思議がるムギとエリモの眼差しが痛い。
考え抜いてよぎったのは、今朝の夢。白いおじさんだけ。『囁き』の話なんてそもそも言えるワケないけど、夢の話なんてしようモノなら普通であっても精神的敗北。
「……私のイメージの話よ」
それを聞いて、ムギとエリモは目を閉じた。
「ホントだ。マイちゃん、何か、市長は白いおじさんのような気がしてきたよ」
「ああ、どうしよう? 白いおじさんしか浮かばなくなった」
この二人は絶対私のこと馬鹿にしてる。
ムギはそのまま調子に乗って白いおじさんを追いかけてるようだけれど、エリモはすぐに目を開けて、私を見た。
何か雰囲気がおかしい。エリモに自信の色が無い。
「さっき、『西』に関する資料を見てて思い出したの。確か前の選挙でたなつまち商店街が推す候補を必ず当選させるとか言ってたのを」
「それが今の市長ってこと?」
「その筈。だから、二人が帰ってくる前に調べてた。『西』地域から出てる首長。『西』信仰にも関連するんじゃないかと」
「ネットで調べてるんなら、もう答えは出てたでしょ? やっぱりくだらない。エリモの質問って他の意図があるとしか思えないんだけど」
「マイちゃんは郷土資料漁ってた時、市長の名前気付いた?」
「いちいち覚えないけど、歴代の市長挨拶は何度か見たし、現市長もあったけど?」
「じゃあ、ネットでもいいし、写真でもコピーでもいいから、市長名を探してよ」
アホらし。エリモが答えられないから嬉々として参加したのに。
私は言われた通り、自分のスマホを取り出し、削除してない郷土資料のいくつかを見直す。
郷土資料の現市長の挨拶はあった。けれど……名前が無い?
では、ネットということで役所のサイトを開く。市長のページはもちろん存在し、市長挨拶も確かにある。けれど、名義がどうしてもみつからない。
「アズキちゃん。メンドいから直接聞いた方が早くない?」
「実はもう、役所勤めの知り合い三人に電話で市長の名前を聞いてみた。そしたら一人ははぐらかし、一人はたらい回し、ひとりは明日まで持ち越し」
「たなつ市の公務員ってそんな奴ばっかなの?」
「たなつ市はスピード親切課っていう部署まで設けてるくらい窓口対応に力入れてるし、実際親切。私の知人もいつもは気さくなんだけどね。一人は偉い人だし」
偉い人とか、そういう話はお腹いっぱいだから。だいたい、仕事中に相手してくれる知り合いがおかしいと思うんだけど。
けれど、そんなことはどうでもいいか。何かが不気味。何かが不穏。私の予感は囁きも聞いて無いのにそう告げてる気がした。
確かにこれだけ調べても市長の名前が出てこないのはどういうこと?
「実は市長は居なくて、議会の合議制で市政の回してるんじゃないの?」
「地方自治法に市長制定はちゃんと明記してある。独任制と言って、逆に市長の執行権が良い例となってる。市長を置いてない市政なんてのは法律違反もいいとこ」
「法律違反でも、現に確認出来ないよね。これこそ郷土研究部テーマにするべき案件じゃないの。たなつ市行政の仕組みってね」
「社会的不思議というテーマとしても、高校生的な研究だものね……」
「やっと郷土研究部に所属する意義が見出せそうな気がしてきたけど?」
「……でも、それは多分無理じゃないかな……」
「何故?」
「だってこの話、集中してないと忘れてしまうんだもの」
「……はぁ?」
「さっきも、マイちゃんの言葉で、やっと、このメモを思い出した……」
エリモはテーブルの紙キレに書いてあるメモを見せた。それは古いせいか消えかかっているけど、マジックでこう書かれている。
『腕も消えていく』
そしてエリモは寂しい顔して左腕のスソをめくり、生腕を私達に見せた。
「キャァ」
ムギは思わず悲鳴を上げ口を押さえた。私も流石にギョっとした。
エリモの左前腕にはマジックで、
『市長の名前がわからない 市長 市長 忘れるな』
と、無数に書き込まれていた。擦れた為か消えかかるモノもあった。
エリモはさっき「待った」を言った時、自分の腕を確認していたのか。
「何故かな? 記憶力は割と自信があったのに、市長の名前の話だけは何度も忘れそうになる。書いても書いても忘れそうになるから、一層、腕にペン先で彫ろうかと思ったほど」
「……よくわからないけど、腕より先にテーブルにでも彫っとけば良かったんじゃないの?」
「多分それもやったみたい。一本、ボールペンのペン先が駄目になってるから。でも何処を彫ったのかも記憶が無いの」
テーブルの上のボールペンが滅茶苦茶になってるけど、原因となる傷つけられたものが見当たら無い。
……エリモは記憶と言っているが、私には、その記録したモノまで記憶とともに掻き消されてるんじゃないかと疑った。
私はエリモの話を聞いていて、さっきの「囁き」が何度も頭の中で聞こえていた。
「いる」「いる」
……これが市長のことなら、未確認の市長が存在してるのかもしれない。
図書館の子どものように気づかないだけではなく、その市長は自ら気付けさないようにしているのかもしれない。
正直、色々戸惑ってる。エリモやムギとは別次元でだけど。
最大要因は、多分「囁き」に類するモノが他の人に影響してること。或いは影響が無くなること。
図書館の子どものときもそう諭されたけど確信がなかった。
不思議の原因は私自身であることだと思っていたし思い込んでいた。
外部要因は考えなくもなかったけど、それだと大掛かり過ぎる気がしてた。
地動説より天動説が正しいと言われた気分。これはこれで厄介なことね。
面倒な世を呪った方が良いのか、やっと悩みの原因に近づいたと心穏やかにすればいいのか、
そのどちらさえも今は見当がつかない。
……。
部室がドヨーンとした空気になった。
仕方ないか、あのエリモが記憶出来ないことがあったんだから。
私は暗い顔したエリモの肩を叩いた。
「大丈夫よ忘れても、私が覚えていてあげるから」
いつものエリモみたいな笑顔を作って言ってやった。
私はこの時だけは面倒なことは忘れて、エリモに勝てる可能性を喜ぶことにした。
第4話「たなつまち」終わり。
ありがとうございます。




