子どもは図書の煩い(1)
小豆エリモとは小学生から顔見知り程度の関係。……いや、正確に言うと私が一方通行に知っていただけ。
小学校の頃は一度も同窓ではなかったけど、エリモは最も目立つグループの中心だった。当時学校で知らない子はいなかっただろう。
ポニテはその頃から彼女の象徴。平和的に微笑むような少し垂れ目がかった目元で守りたくなる女の子を醸しながら、明朗快活な行動力と成績優秀の上での世渡り上手。
例えエリモに敵対した子が現れても、彼女の圧倒的魅力から懐柔、いつの間にかエリモ・ヒエラルキーに組み入られてようだった。
私が純粋だったその時分はエリモのグループに入ることに憧憬の念を抱いてたとは思う。昔のそういう感覚はホント忘れたけど。
今のように私がエリモに苦手意識をもってしまったのは中学の頃。話すほどでもない些細な行き違い。向こうは忘れてるのは間違い無かった。
エリモは中学校に入ったころから人間が変わったように落ち着いて、自分から目立つことを控えるようになった。まるで修道士か賢者にジョブチェンをしたように。
部活までの放課後の人少ない教室の窓際の席で、何かの単行本を開いてる姿は印象強かった。知人の話だと、やはり毎日のように何かを読んでいたよう。
落ち着いたようになっても、学業、テニスとかは良い成績だったり、友人もやはり多かったりで、何をやっても様になる人種はいるものだと凡人は痛感した。
そんなエリモが郷土研究部に在籍したのは迷妄か。
高校生には廃頽的意味での「地味〜」を現出させたような郷土研究部への参加。あり得ないとしか言いようがない。
私がエリモと同席してることについてはもっと落ち着いてから考えてみようと思う。部活選択で神経を擦り減らしてから、どうも正常な判断が出来なくなってるのではないかと、自分を疑うようになったから。
部活が本格的に始まって、私は放課後は必ず部室に来るようにした。
部室への一番乗りはだいたいムギ。そして私が入って、かなり遅れてエリモが入ってくる。幽霊部員の従兄弟の三年生は多分、二度とここには来ないと言っていた。そして、ここの部活の兼務の顧問は隣の数学室で黒板を埋める作業をしている時間なので、部室は三人の為の空間になる。
部室は資料準備室も兼ねた身狭な空間ではあったけど、4人分の席はかろうじて用意されていた。……って部活登録の最低人数分も無いのはおかしいのだけど。
私の定位置は最もドア側の席。斜め向かいにムギが座り、私の隣にエリモが座った。ムギはパソコンを弄りたい為、二人分の席を陣とって行ったりきたりした。
隣の席は心理的に最も親しい間柄とか聞いたこともあるけど、私がエリモの隣になったのは、対面しないだけでも好都合というもの。
私とエリモの境には、見えない冷たい氷壁があるようにも感じてるのは先に言っておく。お互いプライベートラインは侵害しないようにしたいもの。
……実は放課後だけではなく、昼も弁当を食べにここに来て、ここに座っていたのだけど、その話は今は関係ない。部活に入る条件で私が独占的に使うことを容認させただけ。
「部長は誰にする?」
とムギ。
「ムギがやれば? 三年生からの引き継ぎもあまり意味を成さないし」
と単行本を開いているエリモが言った。
「……誰だって構わないよ、その辺りは」
と私は興味無さげに、長テーブルで頬杖をついて言った。
私は、高校生は皆、責任のある「長」なんてつく役職は極力避けるものだと思っている。
内申や就職する時のアピールの一つにはなるけど、それは全く同じ能力があった場合の評価指針。能力をまず向上させないといけない時期なのに、下手に責任を押し付けられた方がデメリットの方が大きい。『長』付きだったことをシグナリングに利用しようなんて人間は、優秀であってこそだ。
私のそんな胸中は知るわけもない、アルファー症候群っぽいムギは、ご満悦の表情を私達に見せた。
「じゃ、部長は私ってことで。で、キョウケンのこの一年間のメインテーマは……」
「はい!キョウケンって何?」
ムギが部長宣言した流れのまま、部活方針を言い切る前に、エリモは質問をスライディングさせた。その手際から、これまでもそんな掛け合いがあったんだろう。
「郷土研究部の略に決まってるよ」
決まってない。エリモと私は苦い顔をした。『狂犬』や『強権』では語呂が悪いとか、そういう問題以前のトラブルネームだ。
ムギに独善進行させてしまうと不穏な性向があることは私も察知した。だから不本意ながらエリモに続くことにした。
「……部活の方針決めるより、今は過去の先輩の歩みを検証するべきよ」
「えー、誰かがツバつけたこと調べたって意味無いよ」
「安易な発想で適当にやっても、結局過去のテーマと被ってしまうだけだから」
「そんなことないよ。誰も絶対やってないテーマ、提案するから」
ムギは何を部活のテーマに持って来ようって言うのか?
心労の芽は早いウチに摘み取りたい。部長が権限持ってると思うなよ。協調性と言うのは、部活にとって最大のテーマなんだから。
「郷土研究の資料って言うと……この部室には無くて、あるのは図書室よね……」
と、途端に顔を輝かせはじめたエリモ。
そんなに本が好きなら、何故文芸部へ行かない?と私は疑問なのだけど、自分の趣向さえ二の次に回すほど、ムギは危険人物なのだろうか?
私は、この時はまだ自分の危機に直結するフリになるとは思わなかった。
「アズキちゃん、まだ決まったわけじゃないからね」
「ムギは、新しいことやりたくて、マイちゃんは旧きを訪ねようというスタンス…… なら、学校図書じゃなく、まず、公立の図書館に行って郷土資料を調べるべきね」
ムギの暴走を押さえ込んでいた筈のエリモの方が血色がよくなり始めた。どうやらエリモには『図書』という単語にツボがあるよう。
対称的にムギの脱力感は表情に如実にあらわれていた。
「えー」
エリモも注意しなければ不味かった。
中学の頃から本の虫になっているエリモ。『本』本意に動くのは想像に難くない。図書という単語は本好きにはどう魅惑に聴こえるのか?
まず郷土史や政治、活動などを図書館で調べましょうというエリモの熱い説得は理路整然過ぎて、ムギも消極的をするしか無かった。
私もずっと黙っていたけど、かなり消極的立場は表明したい。
部活をやるのに際し、ある程度覚悟はしてたけど、受験終わって早くも図書館などに行くことになるとは。
私が学校の図書室や文芸部に入らない理由はあるのだけど、エリモにはわからないよね。
図書館には、今から、そして丁度土曜休日の明日の午前中に行くことになった。
エリモに逆らえる雰囲気無く、そうなったようだ。
私としては、あまり好ましくない野外活動なのだけど、今は思うことがあって、黙ってなり行きに従った。
顧問に図書館への外出申請、そのまま現地解散の許可を取り、向かう。図書館は学校からバス停にして僅か三区間の所にあったため、面倒なことに歩くことにした。私は丁度そっちの方角で、バスの定期を持ってるんだけど。
エリモは意気揚々に先導して歩き出す。
不満がまだあるムギは私の方に並んで話しかけてきた。エリモの方へ行きなよと言いたいのは我慢。
「こんなの超ぉ文系の作業だよね」
『郷土研究部って超文系の部活じゃないのか?』と突っ込みたいのだけど、理数志望の私がこの部に在籍してる以上は、ムギに何か言える道理もないので黙っていた。
「ムギは理数の方が得意なの?」
「……そんなことも無いけどォ……」
コンピュータが得意と言っていたような……
どちらにしても、うちの学校、来年にはどちらか選ばないといけないんだけどね。
「あの、ごめんね。マイちゃん」
「何が?」
「部室で私とアズキちゃん、うるさいよね? 苦手なんでしょ?」
「あぁ、自覚してくれるんだ?」
「私、とりあえず沢山意見出しておきたい方なの。だって、その方が部活とか盛り上がりそうじゃない?」
「活性化の為にやってんの、アレが」
「ヒドーい」
「……まぁ、正確に言えば、私の苦手なのは誰か認識出来ないような声よ。声主を特定してるものは全く問題ないの」
「じゃあ、もっとマイちゃんに話しかけて良いんだね。結構セーブしてた」
「……それ、ただ煩わしいだけだからやめてよね」
「えー」
本当に煩わしいとは思う。
けど、この子は意外に気を使ってくれてるのがわかったのは、サプライズかな。
今だけは隣にいることを許そうと思った。




