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「そんなことを言われたのは初めてだよ」
フェジーは困ったように笑った。
「⋯⋯私は昔は王都に店を持っていた。貴族の常連だっていた。貴族といったって腹黒い貴族ではなく素晴らしい人格者ばかりだった」
当時のことを懐かしがっているのか優し気な眼差しで笑った。
「どこかから噂を聞いたのか、ある日王女様がやって来た。懐中時計を注文したいと言われた。わたしゃ自分の腕を認められた気がして嬉しかった。王女様は私が作った時計を気に入ってくださって、それからも度々注文してくださった。その頃が私にとって一番楽しかった頃だよ」
◇◆◇
あれは王女様が来店するようになってから1年が経った頃だったように思う。あの日も私は王女様───ローズマリー様の注文の各属性の魔石が付いた指輪を作っていた。
大した仕事ではないけど、私のデザインが好きだと言って笑ってくださったローズマリー様の期待に答えようと、いつもより遅くまで工房に籠もっていた。
深夜になってようやく帰路についた私は帰り道で何者かに襲われた。幸いと言っちゃなんだけど、人が通りかかったお陰で大事には至らなかった。犯人は未だにわかっていない。私は同業者じゃないかと思っている。
ローズマリー様が出入りするようになってから大口の注文は全てうちに来るようになっていた。弱小工房のうちを大きな工房の者の妬みを買って当然だった。
次の日、どこから聞いたのかわからないが私が襲われたと聞いてローズマリー様は早朝から飛んできた。
「フェジー⁉ 襲われたって聞いたけど大丈夫?」
「大丈夫です。ちょっと頭を打っただけですから」
ローズマリー様は今にも泣きそうだった。
「そう。良かった。あなたもいなくなってしまうのかと思ったわ」
ローズマリー様は父親を、先々代の国王を亡くしたばかりだった。肉親を亡くしたばかりで感情が不安定なっていたのかもしれない。
ローズマリー様は手をギュッと握って私に笑いかけた。無理に笑っているのがわかったけど、私は気づいていないふりをした。
「ねぇ、フェジー。あなた城で働く気はない?私、またあなたが襲われるんじゃないかって心配で⋯⋯。あなたにその気があるんだったらお兄様にお願いしてみるわ。あっ、嫌だったら別に良いのよ」
あの時私は何と答えたのかよく覚えていない。ただローズマリー様が帰る時に一度見学してから決めると言ったことは覚えている。
約束はその3日後だった。その日の朝ローズマリー様は馬車でわざわざ迎えに来てくださった。
「別に来てもらわなくっても大丈夫だったのに⋯⋯」
「気にしないで。私がしたかっただけだから」
ローズマリー様と一緒だったからか、城の中にはあっさり入れた。
城の中に入って驚いたこと、それは広さよりも何よりも獣人がいないことだった。歩いている人たちも私を物珍しそうに見ていた。その視線が少し怖かったことをよく覚えている。
「ここが錬金術師の部屋よ」
案内されたのは大きな工房だった。置かれている設備はどれも当時の私が欲しくても手に入れられないものばかりだった。
そこで働いていた人たちは皆優しかったこともあり、すぐにそこで働くことを決めた。
あの時の私は何も知らない小娘だった。後で思い返せば、なぜその時に気づかなかったのか不思議だ。
それからの1月は楽しかった。自分の店で働いていた時と比べ、ローズマリー様が工房を訪れる頻度も上がっていた。
「フェジーが作るマジックアイテムはどれも素晴らしいできね。あなたなら将来ここの長にもなれるんじゃない?」
その日も工房を訪れていたローズマリー様は茶色の瞳を細め、笑いながらそうおっしゃった。
「そんな、私なんてまだまだ未熟です⋯⋯」
それは謙遜でも何でもなく紛れもない事実だった。
だが、その会話を聞いていた先輩たちはそうは思わなかったようだ。ローズマリー様がお帰りになった後に皆で私の周りを囲んで言った。
「王女様に気に入られてるからって調子に乗ってるんじゃないわよ」
「そんな、私調子に乗ってなんか⋯⋯」
「どうせさっきも口では謙遜しておいて俺たちのことを見下していたんだろうが!?」
「ち、違っ!」
「王女様が連れてきたから我慢していたがな、お前、最初から気に食わないんだよ」
「そうそう、高々獣風情の分際で! 王女様がいつもお声をかけるのはあなただけ。それでもあなたと仲良く見せれば私にも目を止めて下さると思ったのに⋯⋯」
獣風情、その言葉は私が幼い頃から言われ続けていたことだ。今ではそのような差別はないが、当時は表面上は平等を歌っていても根深い獣人差別が残っていた。
「⋯⋯あなたたちは私をどうしたいのよ⁉」
我慢の限界だった。法律ではきちんと獣人も同格の1人の人間として扱わなければならないと明記してある。それを破った場合厳しく罰せられるとも。
「俺たちは優しいからなぁ~。特別に自分で辞めるかそれとも国庫の金を盗んだ犯人として突き出されるか選ばせてやる」
先輩は気持ち悪いニタニタ笑いを浮かべていた。
「⋯⋯そういうこと。自分たちの罪を擦り付ける先が欲しかっただけなのね」
私はその場で辞めることを選択した。何を言っても無駄だってことはわかっていた。
「だけど今やっている仕事は最後までやらせて。ローズマリー様には辞めることを伝えなくちゃいけないし丁度良いでしょ?」
「駄目だ。今すぐ出ていけ」
考える素振りさえも見せずに即答された。
「⋯⋯請けたばかりの、それも数日で終わるような仕事を放り出していったら不自然じゃない? ⋯⋯どう思われるかしらね」
「⋯⋯わかった。3日だ。それ以上は待てない」
少し脅してみれば3日という猶予を勝ち取ることができた。正直言って時間はギリギリだが仕方ない。精々先輩たちには素敵な置き土産を残していってあげようと、心に決めた。
それからの3日間、私はがむしゃらに働いた。昼間は工房でローズマリー様の最後の注文のブローチを作り、夜は先輩たちにバレないよう昔の常連さんたちと会った。
そして約束の3日目、何も知られていないローズマリー様はいつものように工房にいらっしゃった。
「相変わらずフェジーは凄いわね。私のイメージ通りだわ」
はしゃいでおられるローズマリー様の笑顔と、光を反射する薄紅色の髪を見ていると、心が軽くなったような気がした。
「⋯⋯ありがとうございます」
その言葉は素直に口に出てきた。
ローズマリー様はキョトンとした顔をされた後で優し気に微笑まれた。
「⋯⋯本日はお伝えしたいことが御座いまして⋯⋯」
「⋯⋯何かしら?」
部屋の空気が張りつめた。
「⋯⋯私、今日でここを辞めるんです」
「っ⁉ なんで⁉」
「⋯⋯昔の常連さんたち、時に高ランク冒険者の方たちから戻ってきて欲しいと言われまして⋯⋯。昔お世話になった方で断り辛いんですよ」
これは半分本当の話。⋯⋯断り辛いと言っても実際には断ってきたが⋯⋯。
「王女様には大変お世話になりました。よろしければまた店に来てくださいね」
きちんと笑えたかは自身がない。ただローズマリー様は何も言わなかった。
その翌日、私は王都を、生まれ育った街を発った。先輩たちが⋯⋯いや、元先輩たちが私に横領の罪を着せるような、そんな嫌な予感がしたからだった。
「⋯⋯ローズマリー様、ごめんなさい」
おそらくもう二度と会う機会など無いであろう王女様に、誰にも聞こえないほど小さな声で謝った。
優しい彼女は私のことを心から心配してくれるだろう。私の行方を調べるかもしれない。常連さんたちとも話すかもしれない。その時に高ランク冒険者の人に託してきた手紙を受け取るだろう。そこには全てのことの真相が書かれている。それをどうするのか、決めるのは彼女自身だ。




