43 16日目
「嘘だろ⋯⋯」
アルフォードがその魔物を見て呆然と呟いた。
「なんで紅龍なんかがここにいるんだよ」
お目当てのリザードマンはいた。想定外だったのは、全長30メート程の紅色の龍──紅龍に蹂躙されていることだった。
龍は竜の上位種。竜種がB~Aランクなのに比べ、龍種はどんな弱いものでもSランク以上の強さを誇る。Sランク冒険者が世界に数えるほどしかいないことを考えれば、その脅威はわかりやすいだろう。
「とりあえず、見つかる前にここから離れるぞ」
4人は踵を返そうとした。だが、それよりも早く紅龍は4人を見つけてしまった。
「逃げるぞ!」
急接近してきた紅龍の突進を、左右に分かれてやり過ごすと、4人は迷わず逃げ出した。
逃がさないとばかりに放たれたブレスを、地に伏せることでなんとか避けることができた。だがそこに、紅龍が迫っていた。
「きゃっ!」
「きゃあっ!」
「うおっ!」
「うわあっ!」
咄嗟に横に転がることで、踏みつけてきた前足を避ける。
「くそっ! 『水よ、濁流となりて敵を飲み込め! 《ウォーターフォール》』」
放たれた水は紅龍の顔に当たり、その動きを止めさせた。
「マリア、今のうちに!」
「うん! 『光よ、我らを守る盾となれ、《光の盾》!』」
「私も!『光よ、我らを守る盾となれ、《光の盾》』」
その間に、マリアが自分たちの周りに身を守る障壁を創り出した。エリザベートもその上に重ね掛けする。
「持って2回だと思う! 1回目で壊れると思っておいて」
「わかった」
紅龍は頭を軽く振ることで攻撃を振り払うと、再度ブレスを放った。
全力で地を蹴り、射線から外れることでギリギリで回避できたが、それだけではなかった。
「来るぞ! 固まっていたら狙われる。散らばれ!」
ブレスが通じないことがわかると、尾で勢いよく薙ぎ払った。
「きゃっ!」
「うわっ!」
アルフォードとエリザベートは回避が間に合ったが、マリアとアーティスは間に合わず、弾き飛ばされ、地面をバウンドし、何度か地を転がってようやく止まった。
《光の盾》のお陰で大きな怪我はないが、細かい擦り傷が至るところにできた。
「マリア! アーティス!」
エリザベートが慌てて駆け寄ろうとした。
「大丈夫! っ⁉ 後ろ!」
マリアにそう叫ばれ、エリザベートは半分反射的に右に跳んだ。
次の瞬間、先ほどまでエリザベートがいた位置を熱線が通り過ぎていった。
「エリザ!」
「大丈夫よ!」
結果的に全員が紅龍から距離を取る形となった。
「逃がして、はくれないわよね、やっぱ」
休む間を与えないように振り下ろされた一撃を避けながらそう呟いた。
「アルフォード! 動きを止めれば行ける?」
「5秒は欲しい! できれば10秒!」
今の4人の腕では攻撃を避けるのがやっとで、近づいて攻撃など、とてもできない。遠距離からの魔術攻撃も、準備に時間がかかりすぎて、実戦ではとても使い物にならないものか、威力不足で殆どダメージが与えられないものしかない。せめてもの救いは、防御系統ならそれなりに役に立つものも多いことぐらいだが、それも慰めにしかならない。
だがそれでも、僅かな希望に縋って、4人は動き出した。少しでも生き残れる可能性に。
「『拘束せよ! 《拘束》』」
エリザベートが紅龍の動きを止めようとするが、少し動く速度を遅くするだけで、殆ど効果がなかった。
「だったら! 『光よ、彼の者を捕らえよ!《光の手》』」
それを見たマリアがすかさず、光でできた巨大な手の平を作り出し、それで捕まえようとした。これは本来ならば、攻撃を弾くなどして身を守るためのものであって、断じてそのような用途で使うものではない。
だが、手が紅龍を捕らえた一瞬はその動きを止められたのだが、すぐに振りほどかれてしまった。
「ダメか⋯⋯」
「いや、着眼点は良いと思うよ。『風よ、彼の者を拘束せよ!《ウィンドストーム》』」
アーティスは励ましながら紅龍の動きを少しでも止めようとした。
「そうか、重ね掛けすれば⋯⋯エリザ、アーティス!」
「わかったわ!」
「わかった!」
2人の返事を聞いてから、マリアは詠唱を開始した。
「『光よ、彼の者を捕らえよ! 《光の手》、『風よ、彼の者を拘束せよ! 《ウィンドストーム》、闇よ、彼の者を縫付けよ! 《ダークアロー》』」
「『拘束せよ! 《拘束》、光よ、彼の者を捕らえよ! 《光の手》』」
「『風よ、彼の者を拘束せよ! 《ウィンドストーム》』」
3人がかりで思いつく端から順に、次々と発動させていく。
紅龍は動きが遅くなったところを光の手で捕まり、風で拘束され、動けなくなったところを漆黒の矢で四肢を地面に縫い付けた。
「あれ? 僕要らなかったような⋯⋯」
完全に動けなくなった紅龍の首筋に剣を振り下ろしながら、アルフォードはそう呟いた。
業物の剣だけあって、本来硬いはずの鱗を容易く切り裂き、紅龍は地面に倒れた。
地に倒れ、首筋の中ほどまで切られていたが、紅龍はまだ生きていた。
「確か龍種の素材って高く売れたよね?鱗1枚が白金貨1枚からが相場だっけ?」
「確かそれぐらいだったと思うわ」
「もしかしたら目標の500枚、今日中に貯まるかもしれないね」
「もしかしたらじゃなくて、ほぼ確実にそうなると思うよ」
アルフォードを除いた3人は、楽し気に会話しながら紅龍に近づいていった。ただしその間も警戒を解かない。
「あっ、まだ生きてるのか~。ねぇ、私が止め刺しちゃって良い?」
マリアは期待に目を輝かせてアルフォードを見上げた。
「ああ、別に良いぞ」
「やった~!」
アルフォードから許可出て、マリアは飛び上がって喜んだ。
じゃあ早速と、マリアは今回はまったく使わなかった短剣をアイテムポーチにしまうと、代わりに槍を取り出した。そして振り下ろそうとすると──。
《待って!》
突如4人の頭の中に、幼い声が響いた。
「えっ?」
慌てて周囲を見渡したが、自分たちの他には誰もいなかった。
《お願い、殺さないで! もう弱いもの虐めなんてしないから、契約でも何でもするから!》
するとまた頭の中に声が響いた。その声は必死さに溢れていた。
「えっと、あなたなの?」
マリアは半信半疑で紅龍に尋ねた。
《そうだよ!》
「そう言えば龍種は、魔物か幻獣か議論が分かれている生物だったな。確か今のところは意思の疎通ができるものが幻獣という括りだった筈だ」
「そうなんだ~」
マリアが感心したように呟いた。
《ちょっ、無視しないでよ!》
「ねぇ、私には瀕死の重傷に見えるけど、随分と元気だね? これだったらこの槍の使い心地を試してみても死なないよね?」
マリアは爽やかな笑顔で訊いた。
「なんだろう、マリアの笑顔が黒く見えるわ」
「なんか怖い」
「自分には向けられたくないな」
3人はその顔に表情が引きつっていた。
《し、死んじゃうから! すいません、調子乗っていました。お願い許して! 小さな女の子なら簡単に助けてくれるって下心で一杯でした!》
紅龍は必死だった。
「⋯⋯見ていて哀れね」
「なんかこっちが悪者のような気がしてきたよ」
「止めるか?」
「どうやって? マリア、ノリノリだよ」
「⋯⋯暫く放っておくか」
「そうしましょうか」
紅龍はそれを聞いて顔色を変えた。
《お願いです! 助けてください!》
「誰に助けを求めているのかなぁ?」
《お願い、許して!》
平原に紅龍の心の叫びが響き渡った。
なお、紅龍は息も絶え絶えになった頃、エリザベートに傷を治してもらった。そしてマリアを絶対に怒らせてはいけないと心に刻んだのだった。




