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アルファポリスさんに掲載分までは急ぎ足で更新します。
俗に魔物と呼ばれる生物が跋扈する世界。ある国に後に最強の魔術師と呼ばれるようになる一人の少女がいた。名をマリアという。これはそんなマリアが人々から崇め奉られるまでの物語である。
~∞~
マリアは初春のまだ肌寒い橙に染まった夕暮れの王都の街をとぼとぼと歩いていた。肩までの僅かに青みを帯びた銀髪と服は所々土埃で薄汚れており、夏の澄みきった青空の様な深い蒼の瞳には力がない。
周囲に人影はまばらで、数少ない通行人たちも年端もいかない幼子が1人で道を歩いているにも拘わらず、気に止めた様子を見せる者はいない。
グゥ
お腹が鳴った。それもかなり大きな音を立てて。
マリアは慌てて周囲を見回し、聞いていた者がいないか確認する。その頬と耳は僅かに赤みを帯びている。
「⋯⋯大丈夫、か」
周囲に人がいないことを確認し、ホッと息を吐く。
いつもだったら夕飯を食べている時間だ。それなのに1人街を歩いているのは母親と喧嘩をして家を追い出されたからだった。
喧嘩のきっかけは他愛もないことだった。夕飯のおかずを何にするか、それだけの話だったにも関わらずいつの間にかヒートアップしていた。
(お腹が空いたなぁ)
今マリアの頭の中にあるのは食事のことだけだった。今晩寝る場所の心配はまったくしていない。いや、していないのではなく、今差し迫った問題が食事のことだからだ。それ以外のことに考えを巡らす余裕がないともいう。
「お嬢ちゃんどうしたんだ?」
腰に剣を帯び、体をレーザーアーマーで包んだ犬の獣人らしき中年男性が俯きながら歩いているマリアに話し掛けて来た。格好から冒険者であろうことが窺える。
「別にどうもしてないよ」
マリアは努めてぶっきらぼうにそう答えた。
「どうもしてないってこたぁないだろう。そんな辛気臭い顔をして」
短い言葉からも面倒見が良い性格であることがわかる。どうも正直に答えるまで解放して貰えそうにない。
「お母さんと喧嘩して家を追い出されただけ」
「おいおい、それはだけって言って済む問題じゃないだろ。今夜寝る場所もないんじゃないのか?」
男は呆れたように言った。その眼差しは心配そうにマリアに注がれている。
「⋯⋯はい」
マリアは正直に答えた。嘘をついたところでどうせすぐにバレるであろうことはすでに察していた。
「しょうがないな。⋯⋯今晩だけなら面倒は見てやれるがどうする?」
「お願いします! あっ、でもお金⋯⋯」
着の身着のままで追い出されたので硬貨の1枚も持っていなかった。何の見返りもなければ見捨てられるのではないかと、一度は弾んだ気分もすぐに落ち込む。
「そんなもんいらねえよ。嬢ちゃんから金が取れるなんて端から思ってねえ」
男はそう言ってマリアの頭を強い力で撫でた。薄汚れてはいても綺麗に梳かされていた髪が忽ちのうちにぐしゃぐしゃに変わる。
「やめて! 髪の毛がぼさぼさになるじゃない!」
男の手を振り解いたマリアの目には光が戻っていた。
「ははは、悪い悪い。だが子どもはそれぐらい元気じゃないとな」
そう言って悪びれた様子も見せず茶色の瞳を悪戯っぽく瞬かせた。
「もう! ちゃんと謝ってよ!」
そんなマリアの文句は笑って無視された。
男に連れて来られたのは街外れの1軒の安宿だった。木でできた壁には蔦が張っており、何とも言えない不気味さを醸し出している。
「どんなとこでも住めば都だ。こんなぼろっちいところで申し訳ないけどな」
男はそう言って笑った。
マリアは空笑いしか出てこなかった。
「何がぼろっちいだと。ウーノ、もう一度言ってみろ。そのぼろっちい宿に泊まっているのは誰だ。追い出すぞ」
宿の入口にあるカウンターで番をしていた店主らしき男が怒り出した。
「わ、悪かったって。言葉の綾じゃねぇか」
「ふん、わかればいいんだ」
この手のことは日常茶飯事のことのようでウーノが謝ってすぐに終わった。
「⋯⋯それでその子は誰だ? お前が若いのを連れてくるのはいつものことだが女の子たぁ珍しい」
「そこで拾ったんだよ。母親と喧嘩をして家を追い出されたらしい」
「そうか、お人好しなお前らしいな。⋯⋯嬢ちゃん名前は?」
「⋯⋯マリア」
マリアは少し警戒しながら答えた。
「そうか、マリアか。⋯⋯いいか、知らないおじさんに付いて行っちゃダメだぞ。ウーノだったからよかったものの悪い奴に奴隷商人に売られることもあるんだからな」
「う、うん」
店主の怖い顔に少し怯えながら、なんとかそれだけ答えた。
「わかったんだったら良いんだ。俺はルアン。そこのウーノとは古い付き合いだ」
そう言って手を差し出しながらルアンは微笑んだ。
だがマリアにはその笑顔がおそろしく、思わずウーノの後ろに隠れてしまった。
「なん⋯だと⋯⋯?」
愕然とした表情のルアンが現実復帰を果たすまで暫しの時間を要した。
ルアンが現実復帰するまでの間にウーノが教えてくれたことによるとウーノはよくこの宿に泊っており、ルアンとはもう10年以上の付き合いになるらしい。古い付き合いとはそういうことかとマリアは納得する。
「マリアの今後のことを考えないとなぁ。お母さんは明日には許してくれそうか?」
「わかんない」
ウーノの問いかけにマリアは首を横に振りながら答えた。
だがそうは答えたもののおそらく母親が快くマリアを家に迎え入れてくれることは二度とないだろうという予感がマリアにはあった。それは予感というよりは確信と言った方が正しいのかもしれない。
「そうか⋯⋯。どこか行くあてはあるのか?」
マリアは黙って首を横に振った。そもそも行くあてがあれば街を彷徨ってなどいない。
「お母さんが許してくれることを祈るしかないな」
「⋯⋯うん」
ウーノは曇った顔で心配そうにマリアを見た。
真摯な態度で接してくるウーノにおそらく無理だとは口にできなかった。
「部屋はどうするんだ? 二人部屋で良いのか?」
ルアンが重い空気を吹き飛ばすように明るい声で訊いた。
「ああ、それで頼む」
案内された部屋は2階の端、ベッドが二つあるだけの狭い部屋だった。
「夕食はどうする?」
「すぐに用意ができるか?」
「ああ」
「じゃあ頼む。マリアが限界みたいだ」
「わかった。気づかなくて悪かったな」
ルアンは下の食堂まで来るように言うと足早に部屋から出ていった。
「行くぞ」
「うん」
マリアは返事をすると一歩踏み出した。
「きゃっ!」
「おっと!」
マリアはバランスを崩して地面に倒れかかった。
ウーノが慌てて支える。
「フラフラじゃねぇか! 運んでやるからじっとしていろ」
ウーノはマリアを抱き上げると1階の食堂まで運んだ。
食堂に着くとすぐに30代後半ぐらいの女性が料理を運んで来た。
「熱いから気をつけて食べてね~」
女性は料理に目を輝かせたマリアに苦笑しながらそう言った。
お腹が空っぽのマリアにはただの黒パンと温かな野菜たっぷりのシチューがこの上ない御馳走に思えた。無意識のうちに頬を涙が伝う。
瞬く間に料理が皿から消えていくのを、どこに入るんだとウーノが唖然とした顔で見ていたことにマリアは最後まで気づかなかった。
夕食後マリアはルアンに話があると言われ、ルアンのところにウーノと共に行った。
「ウーノ、ローザという婆さんを知っているか?」
開口一番に言われたのはそんな質問。
「あの魔術師の?」
「ああ。魔術を教えている学園があることは知っているよな?」
「知っているがそれがローザとどう関係するんだ?」
魔術を教えている学園、王立魔術学園は子どもでも知っているぐらい有名だ。学園は全寮制で授業料が高いことでも知られている。そして生徒のほとんどが貴族の子息子女であることも。
「まぁ落ち着けって。学園の推薦枠って知っているか?」
「馬鹿みたいに高い授業料が無料になるってあれだろ? ただ確かあれはかなり優秀な魔術師の推薦が必要だった筈だが⋯⋯。っ⁉ まさか!」
「たぶんそのまさかだ。ローザが推薦権を持っているらしい。ダメもとでお願いしてみないか? 行くあてがないならそこに通うのも1つの手だと思ってな。魔術師なら卒業した後に職には困らないだろうしな」
「それはいいが、お前はどう思っているんだ、マリア」
大切なのは本人の意思だと、最終決定権をマリアに委ねる。
マリアは暫し悩んだ末に答えた。
「私の損になることがないんならそれでいい」
「そうか。⋯⋯実はな、そう言うと思ってもうアポは取ってあるんだ。これから行くぞ」
ルアンの行動の速さにマリアとウーノは驚愕を通り越して呆れしか出てこなかった。
ともあれマリアはルアンたちとローザという魔術師に会いに行くこととなった。ローザについて何の情報も持たぬまま。
「ローザさんってどんな人なの?」
ローザの家への道中、流石に何の情報もないまま行くのは恐ろしく、マリアはそう尋ねた。
「なんていうか、その~つかみどころがない人だよな」
「そうだな。いまいちよくわからない人だ。まぁ会ってみればわかると思うぞ」
ウーノとルアンは曖昧な言い方をした。
2人の答えによってよりマリアの中のローザ像が謎に包まれてしまった。
(えっ? 結局どんな人?)
その後はいくら訊いてもローザについては誤魔化されるだけで、仕方なく他愛もない話をしていた。
15分ほど歩いたところでルアンが1軒の家の前で不意に立ち止まった。
「ここだ」
ルアンはドアをノックすると中に声を掛けながらドアを開けた。
そこは生活感がまったくない空間だった。本当に人が住んでいるのか疑いたくなるほどだ。隅にすら塵1つ落ちていない代わりに、特にこれといって物がない。
ルアンが奥のドアを開けるとさっきまでとは対照的にこれでもかというほど散らかった部屋が姿を現した。
床には本棚からはみ出した本がうず高く積まれ、ちょっとした衝撃で崩れそうだ。その他にも何に使うのか不明なガラス器具、正体不明の鉱石や色とりどりの半透明な石が其処彼処に散乱し、足の踏み場がない。
その部屋の奥、本と本の山の隙間に小柄な老女の姿があった。3人に背を向けて何やら作業をしている。どうやらマリアたちが入ってきたことにも気づいていないようだ。
「おい、ローザ婆さん!」
痺れを切らしたウーノが呼び掛けるとマリアたちの方を振り向いた。
「何だい! 今いいところなんだよ! 邪魔をしないでおくれ!」
それだけ言うとまた机の方に顔を戻した。
「おい、ルアン。アポは取ってあるんじゃなかったのか?」
「あ、ああ⋯⋯」
ウーノの不機嫌そうな声に狼狽えた様子でルアンは答えた。
「じゃあ今のこの状況を説明しろ!」
「そんなもの俺にわかると思っているのか?」
「⋯⋯ローザ婆さんだしな。しょうがない、か」
「そういうことだ」
2人供何かを悟ったような表情を浮かべていた。
「しょうがない。終わるまで待つか」
言うが早いかウーノは適当にその辺に転がっていた物を退かすと床に座り込んだ。
「えっ? 勝手に移動させちゃっていいの?」
「大丈夫だ。本人ですら時々どこに何があるかわからなくなってんだ。壊さなければ文句なんて言われねぇよ」
そんなやり取りをしている間にルアンも慣れた様子で自分の座る場所を作ってしまっていた。
「ルアン、おじさんもいいの? 宿は? これから忙しくなるんじゃないの?」
マリアの矢継ぎ早な質問にルアンは苦笑いを浮かべた。
「大丈夫だ。どうせ常連しか来ねぇし、それぐらいだったらレリーナ1人でもどうとでもなる。寧ろこのまま2人をおいて帰った方が怒られそうだ」
ルアンはそう言って肩を竦ませる。
「相変わらず尻に敷かれてんなあ」
「ほっとけ」
そっぽを向くルアンを見ながらマリアは一瞬レリーナって誰だと首を傾げたが、すぐに宿の女性だろうとあたりをつけた。
そして2人が作ってくれた場所に黙って座った。
それから2時間も3人は待たされた。その間ずっと無言だ。話し出すとローザがこちらを睨むのだからしょうがない。
「それで何の用だい?」
それがようやく作業に一区切りをつけたローザの第一声だった。
「事前に言っていたと思うんだが、このマリアの学園への推薦をお願いしたいんだ」
「⋯⋯そういえばそんなことを言われたねぇ。すっかり忘れていたよ」
ローザはそう言うとマリアを見た。
マリアは何かを見透かすかのような目に思わず肩を震わせる。
「その話ならダメだ」
ローザはそう言い捨てた。
「な、何でだ!」
ローザは溜息を吐いた。
「勘違いしないでおくれよ。別に推薦したくないっていう訳じゃない。その子の口からその子の意志を聞いて推薦するかどうか決めるだけだ」
そう言うとマリアに向かって言った。
「おまえ自身はどう思っているんだい?学園はおまえが思っているほど甘いところではない。金持ち連中がごまんといる。⋯⋯貴族も、場合によっては王族すらも。平民というだけで見下されるかもしれない。いわれのない暴力を受けるかもしれない。おまえにそうなるかもしれない覚悟はあるのかい?」
「わ、私は──」
マリアは震える声で自らの答えを告げた。
ローザはその答えに満足そうに笑った。