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「⋯⋯今のは?」
ベルを抱え上げながらマリアがそう尋ねると、エーアリアスは顔を青ざめさせた。
「あっ、あれは⋯⋯」
「あれは?」
「ひ、人に教えては駄目なやつなの。それどころか、人前で使ったことがバレたら怒られるの」
だから内緒にしておいてと、エーアリアスは涙目で頼む。
「えっ⋯⋯」
泣くほどのことかと、マリアは困惑する。
「お父様は怒るととっても怖いの。お、お父様のお説教だけは絶対に嫌なの」
なおも震え声で言葉を続けるエーアリアスに、マリアは安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だよ、言わないから。それに⋯⋯何も知らない人間が、国王様に訊かれるようなことじゃないでしょう?」
その言葉にエーアリアスはハッとしたように顔を上げた。
「誰だって人には言えない秘密の1つや2つはあるんだよ? ⋯⋯まあ私の場合はそれが5つも6つもあるんだけど⋯⋯」
「6つって⋯⋯多すぎなの」
「これでも昔は秘密なんてなかったんだけどね⋯⋯」
いつからこんなに増えたんだろうと、マリアは苦笑いした。
「今さら秘密の1つや2つ、増えたところで何も変わらないよ」
だから気にするなと言外に告げた。
「⋯⋯ありがとうなの」
エーアリアスにはそれが自分に気を使わせないための嘘なのか、それとも事実なのか判断がつかなかった。それでもマリアの気遣いが嬉しく、思わず笑みを溢した。
「良かった。やっと笑った」
「えっ?」
「さっきから全然笑っていなかったから⋯⋯私と話すのは楽しくないのかなって、ちょっと心配だったんだ」
「そ、そんなことないの。暗い話題が多かったせいなの」
エーアリアスは必死に言葉を続ける。
「それに、歳の近い子となんの気兼ねもなく話すのは久しぶりだったからどう反応していいのかよくわからなかったの。お忍びで街に来ても誰も話しかけてはくれなかったから」
何が悪かったのかと、悲し気に呟いた。
「リアは⋯⋯師匠ととてもよく似てる」
「師匠?」
「うん。私に自分1人でも生きられる力を与えてくれた師匠に、ローザさんに。ローザさんはリアみたいに、人に自分の気持ちを見せるのが苦手な人なんだよ。人にキツい言葉をついつい言っちゃうの」
でもとても優しい人なのだとマリアは笑った。
「リアも、もう少し自分に素直になってみたら? それだけでもだいぶ違うと思うよ。⋯⋯急に変えようと思っても、そう簡単に変えられるようなものじゃないとは思うけど」
エーアリアスは俯いた後、絞りだすように言った。
「⋯⋯わかってはいるの」
でも実行に移すのは難しいのだと、エーアリアスは儚げに微笑んだ。
「私の周りはいつも、私の機嫌を少しでも取ろうとする人しかいなかったもの」
バカみたいと、エーアリアスは吐き捨てた。
「私の機嫌を取ったところで何かが変わるわけでもないのに⋯⋯大人はみ~んな私の機嫌を取ればそれだけで出世できると本気で思ってるの。この国のいいところは、そんな邪な考えを持っている人間は、早い段階で閑職に回されるところだと思うの。まあそのせいで私の周りはいつもすぐに人が入れ替わっていたの」
そう言ってエーアリアスは自嘲気味に苦笑いした。
「そんな人間に自分の感情なんて見せたら、そこにつけ込もうと寄ってくるだけなの。誰も私を1人の人間として見ないの。ただあの人たちの目には王女という肩書が映っているだけ⋯⋯」
「それは⋯⋯」
マリアは何も言葉が出てこなかった。
「そりゃあそんな人間ばかりじゃないって、ちゃんとわかってるのよ? お姉様の侍女たちは昔から良くしてくれたし、お兄様も、お兄様の友人たちも可愛がってくれたもの。でも私の近くに来る人間はみんな、みんな自分のことばっかりなの⋯⋯仲良くするようにと言われた令嬢たちだって、王女の友だちという肩書を見てるだけ⋯⋯そのことに気づいた時はゾッとしたの。何を言っても私を称賛する言葉しか返ってこないのは⋯⋯ただただ虚しいだけなのよ」
いつの間にかエーアリアスの瞳からは大粒の涙が溢れ落ちていた。
「メアリーぐらいなのよ。今も昔も変わらずに私の側にいるのは⋯⋯」
だからこそ、マリアが自分の身分を知っても態度がほとんど変わらなかったことが心から嬉しかったのだと、エーアリアスは言った。
「ワタシ、リアガナクノハイヤ。ナキヤムノ」
ベルはマリアの腕の中から手を伸ばすと、エーアリアスの涙を拭こうとした。だが届かない。
ベルのやりたいことを察したマリアがソッと運んでやる。
「⋯⋯ありがとうなの、2人とも」
涙を拭き終わったエーアリアスは、恥ずかしいところを見せてしまったと苦笑いした。
「でもこんなに泣いたのは久しぶりなの。後でメアリーに何があったのかって訊かれそうなのよ」
どこか楽しそうに笑うエーアリアスを視界に収めながら、マリアは首を傾げた。
「でもおかしくない? なんでリアの周りだけにそんな⋯⋯言っては悪いけど無能な人間ばかりが集まるの? 今の話だとお姉さんとお兄さんの周りは普通の人しかいなかったんでしょう?」
「そういえば⋯⋯」
「誰か⋯⋯人事を決められる立場の人間の思惑が絡んでるとしか思えないんだよね。例えば⋯⋯国王様とか」
言ってからマリアはしまったとでもいうように口もとを手で覆った。
「さ、最後に言ったことは聞かなかったことにして⋯⋯今の完全に不敬罪になっちゃうでしょう?」
「お父様はさすがにそれぐらいじゃ不敬罪にはしないの。子どものうっかりをいちいち罰していたら切りがないもの。本人の前でもなければ大丈夫なの」
でも、とエーアリアスは言葉を続ける。
「その視点で考えたことはなかったの。後でゆっくり1人で考えてみるの」
今その話をしても仕方ないしと、エーアリアスは苦笑いし、他のところも案内すると言った。




