第六話「蒼い星」
青い流星が駆け抜ける。
ウィペットは腕を振り翳した。放たれた推進剤の帯が常闇を貫き、身体を後退させる。上下左右の感覚が希薄な宇宙空間で後退とは妙な言い方だったが、ブルーフレームを得ている自分の感覚は陸地とさして変わるところはない。
後退してすぐに足裏に意識を飛ばして蹴りつける。宇宙空間を蹴って青い光が波紋のように広がった。ウィペットに追随する青い光が四つあった。全員がブルーフレーム隊だ。ウィペットの通信網を震わせる声が聞こえる。
『ウィペット隊長。指示を』
言われてから、隊長なのだ、と自覚する。ペロー5の現地軍に転属して三十時間。隊長の命を拝したのがちょうど一日前。最初は戸惑ったものだった。どうして、と上官に問い詰めたところ、「適任だ」という答えが返ってきた。
「実戦経験のある人間はペロー5には少ない。グランマとの戦闘経験のあるウィペット少尉を我々は歓迎する」
だからと言って歓迎の準備が整っており、パーティーやバイキングが催されるわけではない。整っていたのはブルーフレームになり立ての新兵たちだった。彼女たちはグランマの脅威を知らない。戦闘状態にペロー5が突入するとは思えなかったが、それでも鍛えておく必要がある。もしもの時のために。そのもしも、が起こらないのが一番いいのだが。
「パターンCに散開」
ウィペットは短くそう伝えた。『了解』の復誦が返り、青い流星が花弁のように広がりを見せて散開する。実のところ大きく迂回ルートを取っているこのパターンは全方位からグランマを叩く時に使う戦闘パターンだった。
――隊長がよく教えてくれた。
感傷が胸を過ぎり、失ったものの重さを教えてくれる。ブルーフレームが鈍り、ウィペットの速度が僅かに落ちる。ハッとして、ウィペットは片手を薙いで進行ルートを変えた。
『隊長?』と耳朶を打つ声に、ウィペットは両手を後ろに引いて推進剤を焚き起こした。身体が弾かれたように跳ね上がり、ウィペットは速度を増して陣形の先端を切っていく。内心、ホッと胸を撫で下ろしながら、ウィペットは身体をひねった。
足裏から推進剤が尾を引き、両手からぼっと青い光が弾け飛ぶ。ウィペットはその視界にペロー5の全景を捉えた。巨大な亀の甲羅に天蓋が被さったように見える大規模生活コロニー。外壁は青く、常夜灯のようなガイドの赤いランプが輝いている。
甲羅から羽衣のように外周チューブが延びている。夕方にもコロニー外周ルートを通ったためにもしかしたら目視されたかもしれない。されたとしたら、不安を与えてしまっただろうとウィペットは考える。ブルーフレーム隊は見られないほうがいいのだ。そのほうが民衆は安心して日々を送れる。自分たちは影だ、と断じている。影は自覚させられてはならない。ただし、なくてはならないものだ。それは生きている人間にとって当たり前に存在するものなのだから。生を自覚するために影は必ずそこにあり続ける。
視界の隅に回転軸のぶれた隊員を確認する。僅かな軌道維持の遅れが命取りになる。
「B3、回転軸を乱すな。グランマはその隙をついてくる」
『はい!』と威勢だけはよさそうな声が返ってくる。B3、と口中に呟いて、そういえばリリィはどうしているだろうか、と考える。きっと自分のように隊長の任を命じられているだろう。次に会った時にはお互いに愚痴を言い合うような仲になっているかもしれない。それとも、お互いに知らぬ顔ですれ違うだけかもしれない。神様の気紛れで生き残った自分たちが言葉を交わし合ったことなど、大した意味はないだろう。しかし、とウィペットは思う。
神様などこの世にはいない。
自分たちは生き残るべくして生き残り、意味のあるなしに関わらず、存在するから言葉を交わした。それでいいではないか。何も難しく考える必要はない。
「急制動。パターンBへと移行」
ウィペットは前に両手を伸ばした。両手の袖口から青い光が噴き出し、制動をかける。足裏で同時に蹴りつけて星が額を流れていくのを自覚しながら、くるりと身を翻す。いつか映像記録で見たイルカのように、軽やかに。宇宙空間を泳いでいく。しなやかに身体をひねって反転し、ウィペットはパターンBの移動方法を取った。遅れて四人が追従する。まだ統率がまともに取れていない自分たちは流星には程遠い。小魚の群れだ。このままでは餌になるのを待つばかりである。
早目に慣れなくては。
ウィペットはそう誓って、速度を増そうとした。その時、通信に割って入ったものがあった。繋ぐと、本部からである。
「こちらウィペット・ガンス少尉。現在、演習中である」
『本部より入電。ウィペット・ガンス少尉。バラク中佐に繋ぐ』
バラク中佐はこのコロニーでは実質的な長だ。ブルーフレーム隊ではない。そもそも男であり、中年である。
『聞こえているか。ガンス少尉』
「聞こえています。何か」
『転属時に添えた資料は目を通したかね』
男で中年にありがちな、意図通りに動いていることを前提とした口調だった。しかし、ウィペットもそのような人間の扱いは心得ている。
「はい。一通り」
『その中で、君にお願いしたい新兵器の試験運用があるんだが』
そういえばそのような資料があった。思い出しながら、ウィペットは左手を薙いで急旋回。上下を逆さまにターンに入る。遅れながら小隊の人々が続く。
「存じております」
『十日後に予定している。ただ先方も完成するかどうかは分からないらしい』
ウィペットは眉をひそめた。とんだ日和見だ。完成するかどうか分からない新兵器を、転属したばかりの人間に任せるとは。曖昧な予定に苛立ちつつも、ウィペットは声音にはそのような感情は含めない。
「そうですか」
『引き受けてくれるかね?』
どうせ最初から拒否権などないのだ。ウィペットは頷いてから、見えるわけでもないのに、と考えた。
「分かりました。引き受けます」
通信の向こう側でバラク中佐が息をついたのが気配で伝わった。
『そうか。ならばよし。引き続き、演習に励みたまえ』
「了解。失礼します」
通信を切り、ウィペットも息をつく。このコロニーはどうにも平和ボケした人間が集っているらしい。まともに訓練されていない新兵のブルーフレーム隊に、あるのかどうか分からない防衛システム。外周チューブに至っては、最初に耐久を疑った。どこからどう考えても、娯楽や快適を謳い文句にしたようなコロニーの造りだ。これでは人類が総出でグランマの餌を育てているようなものである。
「危機感はないのか」
思わず呟いた声に、『どうかしましたか?』と質問の声が飛んだ。「何でもない」と返す。しかし、これでは冥王星付近の二の舞だ。
グランマがもし現れたら、という警戒をしているのは自分だけなのかと思わせられる。グランマの出現予測は立てられないとはいえ、それは現れないということの免罪符ではない。いつ平和が崩れてもおかしくはないのだ。危うい均衡の中にあることを、人類は自覚するべきである。ただ、このようなことを最前線に立つ人間の弁論として並べ立てたとして、過激論者の言葉として受け流されるだろう。萎えたマスコミには最早何も当てにしていない。
最前線に立つ自分の、この身だけが唯一信じられる。そう思い直してウィペットは宇宙を駆けた。流れる星の煌きが網膜に焼きついた。