第五話「魔物」
ミーシャは仕事の邪魔になるといけないので、すぐに帰ることとなった。丁寧に全員にお辞儀して帰っていく娘の後姿を眺め、オブライト・カーマインは眠気覚ましのコーヒーを啜った。
「室長。いいんですか?」
女性スタッフの一人が尋ねる。オブライトは振り返り、「何が?」と聞き返す。女性スタッフは困惑気味に、「レッドフレームを見せたことですよ」と口にした。
「いくら娘さんとはいえ、社外秘ですよ。研究していること自体がタブーなんですから」
「ミーシャにはあの物体が何なのかは伝えていない。だから秘密は保たれている」
「それは、そうですけど……」
言葉を濁す女性スタッフはやはり納得がいっていないのだろう。自分の家族に一端を背負わせようとしているオブライトを理解できない気持ちもあるのかもしれない。
「私は、ミーシャこそが適任だと思っている」
放たれた声に研究室が色めきたった。年長の男が、「室長。それはちょっと」と声を出す。彼は自分よりも年上でこの研究を推進する上で必要な理解者だった。心象を悪くしてはならない。しかし、オブライトにも譲れないものがあった。
「娘の夢の手助けをしたいという親心はいけないか?」
フッと口元を緩めて発した声に、年長の男は口を噤んだ。何か言おうとして開きかけるが、躊躇うように閉じる。分かっている。それはエゴだと言いたいはずだ。ミーシャの夢を利用して自らの欲望を叶えようとしている。あるべき親子の姿ではない。どこか歪な関係である。
「僕は、賛成ですけどねー」
イアンが研究資料を運びながらお気楽な意見を発する。年長の男が、「イアン。お前はまた考えなしに口を挟んで」と叱りつけるが、イアンは意に介さずといった様子である。
「室長の望みでもあるし、ミーシャちゃんだって喜ぶと思いますよ」
「でも、このシステムはまだ不完全です」
女性スタッフが言葉を差し挟む。
「そう、不完全だ。要となる武器管制システムとリミッターの制御構造がまだ完成し切っていない」
「上も無茶言いますよね。僕らのリミットもあと一週間でしょ」
イアンが首筋を掻っ切る真似をする。上層部はこれ以上予算を割けないと言ってきている。この研究が実を結べば確実に人類は一歩進むだろう。しかし、徹底した秘密主義の第三分室のあり方に上は疑問を呈しているのだ。気に入らない、と暗に言いたいのだろう。だが、この研究は進めなくてはならない。
「一週間。できますかね」
弱気な発言を漏らす年長の男に、「やるんだ」とオブライトは強く言い放った。
「やらねば、人類全体の躍進を止めることとなる」
「何よりも愛娘のために、ですよね」
イアンが茶化すと、年長の男と女性スタッフが睨む目を向けた。イアンが肩を竦める。間違いではない。ミーシャのためにこの研究は何より結実させねば、と思っている。人類、というお題目を掲げているが、量産体制に踏み切れるのはまだ先だろう。必ず試験運用の必要がある。
「室長。被験者の連絡取れました」
イアンが固定型の端末を操作しながら報告する。
「経歴と名前は?」
「ブルーフレーム第三小隊に所属。先日のグランマとの戦闘によって小隊はほぼ壊滅。現在、ペロー5にて演習を行っており、転属先で隊長を務めているブルーフレーム隊上がりです。名前はウィペット・ガンス。19歳。階級は少尉」
尉官クラスということはそれなりの軍務をこなして来たのだろう。それともブルーフレームへの適性があったから、自動的に尉官クラスへと繰り上げになったのかもしれない。ブルーフレームを操縦する人間は少尉以上の階級を自動的に得ることとなる。
「何年やっている?」
白衣の襟元を整えながらオブライトが尋ねた。
「三年の軍務、とあります。実戦経験はそれなりに」
「ミーシャの憧れの青ずきん、というわけか」
独りごちて、オブライトは顎をさすった。イアンが、「どうします?」と訊いた。
「軍を通じて打診はしてもらってくれ。ただし、何の性能実験かはまだ明かさないように。完成するか分からないからな」
「了解です」
イアンが端末のキーを打っているのを横目に見ながら、オブライトは小窓を覗いた。奥にあるレンズのような物体へと視線を注ぐ。赤い銀河が緩やかに流転している。夢の輝きに見えた。ミーシャの放つ真っ直ぐな夢の羨望の光。それを利用しようとしている自分が酷く浅ましい。
「できることなら、誰も傷つかない方法を模索したい」
「ミーシャちゃんが適任だって言っておいてですか?」
イアンが端末を操作しながら声を飛ばす。年長の男が、「そういうことを室長は言っているんじゃない」と怒りの声を上げた。
「じゃあ、どういうことで?」と返すイアンの頭を年長の男はファイルで叩いた。
「せめぎ合いがあるんだ。察しろ」
イアンが目をぱちくりさせて分かったような分かっていないような顔を振り向ける。オブライトは顔を上げて全員へと視線を配り、「よし。作業続行」と声を張り上げた。
「分かりました。作業続行」と年長の男が引き続いて声を上げる。スタッフたちが動き出し、各々の作業に戻る。
オブライトは窓際に歩み寄り、暗がりの外を眺めた。工業地帯なので明かりはほとんどない。ミーシャは無事に帰っただろうか。魔物がどこかに潜んでいてもおかしくはない暗闇に一瞬だけ不安に駆られる。だが考えてから、自嘲する。まだこうして心配できる親心と、娘を研究の犠牲にすることも厭わない冷徹さが同居していることに。
「本当の魔物は私だ」
口にして、オブライトは白衣を翻した。