第四話「父親」
「結局、どこにも寄らないんだ?」
シイナと別れ際に、「うん」と頷いた。
「お父さんに晩御飯届けないといけないし」
「ああ、そういえばあんたの家はそうだったっけ。おじさんは何の研究しているの?」
ミーシャはふるふると首を振った。
「分からない。いつも帰ってくるのも遅いし、朝も早いから」
「大変だね」とラケットケースを背負い直したシイナが言った。事実、大変だとミーシャも思っている。一体、父親は何に没頭しているのか。気になったが、踏み込んでいい領域かどうかははかりかねた。
「まぁ、頑張りな」
「シイナもね」
言葉を交し合って、シイナと別れミーシャは校門から出て駅へと向かった。改札を抜けてちょうど電車が滑り込んできたので、「グッドタイミング」とミーシャは呟いて電車に乗り込んだ。一人だったので窓際の座席に座る。
トンネルを抜け、外周チューブに達した電車の窓の外を眺める。常闇の中に薄く星明りが点在している。地球は遥か遠くにあるので目視できない。見える輝きは随分と時間の経った星の光であることは学校で習っている。じっと静止して動かない星の合間を、不意に何かが移動したのが見えた。最初は目の錯覚かと思ったが、小さな青い蛍火が五つ、ふわりふわりと浮かび上がり、幾何学の軌道を描く。意思を持っていると思われる青い流星群にミーシャは釘付けになった。
「……青ずきん部隊だ」
確信があった。電車が流れ、青い光は反対側を行くためにすぐに離れてしまったが、ミーシャの眼には鮮烈に映った。鼓動が高鳴っている。青ずきん部隊を動画越しではなく、生で見られる機会が巡ってくるとは思わなかった。
電車がぐるりと巡り、トンネルへと至って駅のホームへと滑り込む。ミーシャは電車から降りてもまだ鼓動が熱く脈打っているのを自覚した。早足で家までの道中を帰り、「ただいま!」と声を弾かせたミーシャへと、母親が、「おかえり」と応じながら夕食を作っている。ミーシャが浮き足立っているのが分かったのか、「何かあった?」と母親が尋ねる。
「青ずきん部隊を見たの」
「青ずきん部隊を? どこの動画で?」
母親はオムライスを作っているようだった。ケチャップを白米と混ぜている。同時進行で卵をとぎながら、油を敷いたフライパンを熱す。ミーシャはテーブルを叩いた。
「違うの! 本物の青ずきん部隊をこの眼で見たの」
母親が卵をとぐ手を止めて、ミーシャへと視線を向けた。「青ずきんを? このコロニーで?」と母親が訊いた。ミーシャは鼻息を荒くして頷く。まだ興奮冷めやらぬ様子のミーシャに対して、母親は顔を青ざめさせて、「そう」とまた卵をとぎ始めた。
「それだけ?」
「うん。お母さんは青ずきんには興味ないからね」
「何だかシイナみたいなこと言うんだね」
ミーシャは肩透かしを食らった気分だった。珍しいものを見たというのに誰かとその興奮を共有できないのは面白くない。ケチャップライスを炒めながら、「できれば見えないほうがいいものだわ」と口にした。
「演習だったのかしらね」
「演習だったとしたらすごいよ。本物だよ」
ミーシャは足を踏み鳴らした。母親は、「演習だったとしても、あんまりいい兆候じゃないわね」と冷たい声音でといだ卵をフライパンに注ぐ。
「どうして? このコロニーにも青ずきんがいたってすごいじゃない。守ってくれるんだよ?」
「本当にグランマが襲ってきたら、守ってもらえるかなんて分からないわよ」
卵がジュージューと焼けて芳しい匂いが漂う。ミーシャは、「きっと守ってくれるよ」と返した。
「だって青ずきんはヒーローなんだもん」
「ヒーローね。お母さんはもう卒業しちゃったから、ミーシャの気持ちはちょっと分からないかな」
ミーシャは母親の言葉に少し気落ちした。一緒に喜んでくれることはなくても、青ずきん部隊を正義の味方だと信じてくれることくらいは共有できると思っていたのだ。しかし、現実の反応はよくない。
卵でケチャップライスを閉じて、しばらく焼く。ミーシャは、「部屋に戻る」と言い置いて、その場を離れた。二階の自室に入ってすぐに、ミーシャはベッドに飛び込んだ。枕元のオオグチぬいぐるみを抱き締めて、「あたしは見たんだ」と繰り返す。何だか母親と話していると、青ずきん部隊を見た事実が疑わしくなっていくようだった。目を閉じて自分の中で何度も映像を反芻する。青い流星群は間違いなく青ずきん部隊だ。普段は見られないものが見られた。それだけで今日が特別な日になったような気がしていた。しかし、ミーシャは同時に今朝のシイナの言葉も思い出していた。
「でも、見えないほうがいい、か」
青ずきん部隊が見えないほうが平和の象徴だと言ったシイナの言葉は恐らく正しい。ミーシャは自分の中で昂っていた精神が徐々に凪いでいくのを感じた。
「動画でも録っておけばよかったなぁ」
呟いていると、階下からミーシャを呼ぶ声が聞こえた。母親だ。きっと、父親に渡しに行く夕食が完成したのだろう。ミーシャは起き上がって、制服を脱いで私服に着替えた。ストライプのワンピースだ。制服は後で畳もうとベッドの上に適当に脱ぎ散らかした。階段を降りて、ミーシャは夕食の入ったパックを受け取る。まだほんのりと温かかった。
「できるだけ早く届けてあげてね」
先ほどまでの青ずきんの会話などなかったかのような母親の態度に、ミーシャは渋々ながらも頷いた。きっと母親からしてみれば宇宙を守る青ずきんの活躍よりも夕食が冷めないかどうかのほうが重要なのだろう。
ミーシャは頷いて、玄関を出た。駅まで歩き、券売機で一番安い切符を買った。父親の勤める研究施設は学校よりも程近い。外周チューブを通るまでもなく地下鉄で辿り着くことができる。ミーシャは地下へと続く階段を降り、三分ほど待って地下鉄に乗り込んだ。端末の時計を見やる。四時を回ったところだった。ミーシャは一駅分だけ乗って、五分ほど揺られて降りた。地下から出ると、灰色の工業施設が並んでいる。中でも抜きん出て背の高いビルがあった。エントランスに入ると受付がある。受付嬢が清楚な笑みを浮かべて待っていた。ミーシャは受付で、「あの第三分室の」と言葉を発した。
「はい。第三分室ですね。ご用件は何でしょう」
「オブライト・カーマインの娘です。夕食を届けに来たのですが」
父親の名前を口にすると、紙のように薄い液晶端末を手渡された。
「必要事項をご記入ください」
名前と用件、それに正確な時刻を記さなければならない。手書きでも可能だったがミーシャは端末を翳した。すると、情報が同期され端末情報が液晶に反映される。受付嬢が液晶端末を受け取って、小さな端末を差し出した。
「これを持ってそちらのエレベーターで三階までお上がりください」
ゲスト用の端末なのだろう。ミーシャは端末をゲートの前で掲げる。これだけで情報がビル全体に行き届いたはずだ。同時に危険物を持ち込んでいないかどうかのチェックも行われる。今では当たり前のようになったセキュリティシステムだが、古い場所だとまだ導入されていないらしい。奥のエレベーターに乗り込み、三階のボタンを押す。
箱の中で少しの間の振動を味わうと、すぐに三階に着いた。三階の廊下は滅菌されたような白だ。ミーシャが廊下を歩いていると白衣の人々とすれ違った。人々はストライプのワンピースを身に纏ったミーシャを物珍しそうに見やる。ミーシャは少し居心地の悪さを感じた。「第三分室」という表札を見つけ、ミーシャが扉を開けようとすると、逆に向こう側から扉が開いた。現れたのは細身の男性だった。やはり白衣を纏っており、黒縁眼鏡をつけている。見知った顔だったのでミーシャが名前を呼んだ。
「イアンさん。こんにちは」
イアンと呼ばれた男性は、「おっ」と少し驚いたように後ずさって、ミーシャの姿を認めた。
「ああ、ミーシャちゃんか。今日は何か?」
「父に晩御飯を」
手荷物を掲げて用件を言うと、イアンは何度か頷いて、「ああ、はいはい」と顎をさすった。無精ひげが生えている。
「室長。カーマイン室長」
イアンが室内に向けて呼びかけると、白い防護服を身に纏った影が現われた。顔の部分はガスマスクのようになっている。
「どうかした?」と温和な声が防護服の中から聞こえてきた。イアンがミーシャへと片手を差し出す。
「室長の娘さんですよ。夕食を届けに来てくれたみたいで」
「ああ」と防護服を脱ぎながら片手を上げて応じる。細身の男性だった。清潔感のある顔立ちで、目が大きい。黒目がちなところが自分にそっくりだった。
「お父さん」
ミーシャの声に父親は、「今日もご苦労様」と防護服を脱いで笑顔を返した。防護服を脱いだ父親はぴっちりとした黒いボディスーツを着込んでいた。イアンがタオルを差し出す。
「これは蒸れていけないな。改良したい」
受け取ったタオルで汗を拭いながら父親がミーシャへと近づいてきた。ミーシャは、「はい」と手荷物を渡す。受け取りながら、「今日の晩御飯は?」と尋ねた。
「ヒントはお父さんの好きなもの」
「おっ。じゃあ、オムライスかな」
見事中身を的中して見せた父親は包みを開いて、柄にもなくガッツポーズを取った。
「おお。結構、大きめだね。これは研究室のみんなで食べよう。イアン君もどう?」
「それじゃあ、いただきます。僕もオムライスは好きなので」
父親が研究室の人間に呼びかけると、白衣を纏った人々が総勢八名歩み寄ってきた。全員、ミーシャの顔見知りだ。
「ミーシャちゃん、大きくなったね」
女性のスタッフがミーシャの頭を撫でる。ミーシャはくすぐったそうに、「そんなことないですよ」と応じる。
「いや、子供というものは知らない間に大きくなるものだよ」と年長の男が口にする。父親はパックに入ったオムライスを開けながら、「そこのテーブルを囲もう」と指差した。テーブルの上には書類が山積みになっていたが、それを床に退けてオムライスをでんと置いた。仕事道具をそんな扱いでいいのだろうか、とミーシャは少し心配になる。ミーシャの気持ちに反して、すっかり夕飯モードになった人々は各々椅子を持ち寄って四角いテーブルを囲んだ。女性スタッフがオムライスをより分けている間にミーシャは父親に小声で囁きかけた。
「お父さん。今日、珍しいものを見たの」
「何を見たんだい?」
ミーシャはわざともったいぶって答えた。
「青ずきん部隊。こんな風に」とミーシャは身振り手振りで青い流星が散っていった様子を表現する。
「すごい綺麗だったんだよ」
「そうか。青ずきん部隊か。ミーシャの夢だもんな」
父親がミーシャの頭に手を置いた。ミーシャは笑顔で頷く。イアンが聞いていたのか、「青ずきんを見れたのは珍しいですね」と言った。
「僕なんて動画以外じゃ一度も見たことがない」
他のスタッフにもたちまち話が伝播していき、「青ずきんか。一度見てみたいな」という話になった。
「あのシステムを開発した人間は天才ですよね」
オムライスを各々の皿に盛った女性スタッフが口に出した。
「まぁ、唯一の欠陥がOSだったわけなんだけど」
イアンが腕を組んで頷く。ミーシャは、「OS?」と首を傾げた。「ミーシャちゃんにはまだ難しいかもしれないけれど」とイアンが説明する。
「青ずきん部隊は特殊な戦闘用宇宙服に身を包んだ遊撃隊なんだ。使用されている宇宙服、これが青ずきんとあだ名される由来なんだけど、正式名称ブルーフレームに使われているオペレーションシステムのことを略してOSと言う」
「知っていますよ。女の子しか使えないんでしょ」
「知ってたか」とイアンが後頭部を掻いた。以前、テレビの過激論者が青ずきんのOSが女性の、しかも少女でしか使えないのは増え過ぎた女性人口の間引きだと言っていたのを思い出す。実際、宇宙に進出してから人類が変化したことと言えば、男女比率だ。女性の出生率が異常に増えたのである。原因は分からないが、これも宇宙に適応するための変化なのではないかと専門家が見ているらしい。
父親が、「なにせ、青ずきん部隊に入るのが目標だもんな、ミーシャは」と誇らしげに口にする。ミーシャは、「うん!」と笑みを咲かせた。ミーシャの夢を馬鹿にしないのは父親と研究室の人間だけだ。反対しないのは理解してくれている証拠だと思っていた。
「まぁ、我々が開発しているのはそれの上位互換ですからね」
オムライスを頬張りながらイアンが言うと、年長の男が、「おい」と低い声で制した。
「さすがに室長の娘さんとはいえ、一応は極秘事項なんだから」
「ああ、そうでした。すいません」
少しも悪びれた様子のないイアンに一同は苦笑いを浮かべた。ミーシャはこの場所こそが自分の求めている場所だと確信する。誰も否定しない。夢を夢だと笑ったり、蔑んだりしない。子供のような純粋な眼差しに、いい人たちだと、ミーシャは感じていた。
「しかし、このオムライスうまいですね」
早速話題をすり替えたイアンに、「そうだな」と父親が同調する。
「愛妻弁当ですか。羨ましいですね、室長」
女性スタッフが笑いながら茶化すと、「そんな大層なものじゃないよ」と父親は片手を振った。父親はミーシャに尋ねる。
「青ずきんになれそうか?」
「もうちょっと勉強しないと駄目そうだけど、あたし、頑張るから」
「その意気だ」とイアンが励ます。
「僕だって中学の頃はろくな成績じゃなかった」
「今だってろくに役に立っていないだろ」と飛んだ声に、一同が笑いに包まれた。イアンは、「参ったな」と困惑する。それを見てミーシャも吹き出した。イアンは研究室の中でも新参で、まだ若い。からかわれることが多いのだろう。笑いの絶えない研究チームを、ミーシャは純粋に羨ましいと感じた。
「室長。ミーシャちゃんに見せましょうよ。今日、ようやく七割方完成したんですから」
イアンの提案に、「いや、さすがにそれはまずいんじゃ」と女性スタッフが制そうとしたが、父親は顎に手を添えて少しだけ考える仕草をした後、「そうだな」と頷いた。
「感想をもらうのも悪くはない。ミーシャ。約束できるかい?」
「約束?」
小首を傾げると、父親は、「絶対に秘密を守るっていう約束だ」と言った。
「ひょっとしたら青ずきんになりたいミーシャからしてみれば憧れの存在かもしれない」
その言葉が持つ魅力に、ミーシャは目を輝かせた。
「ホント? どんなの?」
「その前に、約束だ」
父親が小指を差し出す。ミーシャは自分の小指を絡めた。
「指きりげんまん、嘘ついたら針千本のーます」
小さい頃から父親とは秘密を共有することが多かった。母親のお気に入りの壷を割ってしまったことや、ゴルフバックを買ってしまったことなど様々だ。大抵、すぐに母親にばれて二人とも雷を落とされた。この約束もその延長線なのだろう。ミーシャはそう感じていた。
「室長。いいんですか?」と年長の男が不安そうに尋ねてきた。父親は、「見るだけなら分からないさ」と返す。父親に促され、ミーシャは研究室の奥にある黄色と黒の危険色で塗り固められた金庫のような場所の前に立った。
「見てごらん」と背中を押され、ミーシャは金庫の中央にある小窓を覗き込む。金庫の中にはレンズのような円形のガラスが縦に飾られていた。ガラスの内側に赤い光を内包している。まるで真っ赤に染まった銀河のようだ。
「これは?」
ミーシャが尋ねると父親は、「私たちの研究だよ」と告げた。
「これが未来を変える研究になる、とだけ言っておこう」
「何かは教えてくれないの?」
「さすがに企業秘密って奴だよ、ミーシャちゃん」
後ろからついてきたイアンが応じる。ミーシャはもう一度、小窓の中にあるレンズを見つめた。内部の銀河は回転しているように見える。ミーシャは視線が吸い込まれていくのを感じた。
「綺麗……」
「そうだろう。まぁ、だから見るだけならってことなんだけどね」
父親はそう言って、「さぁ、もういいだろう」と切り上げた。ミーシャはもう少し見ていたかったが、父親の言葉に従うことにした。ミーシャとてそれなりに厳重なものである研究成果の意味程度は理解できる。口外するなという意味も分からなくはない。それでもどれほど重要なのかははかりかねたが、父親との秘密の一つや二つを持っておくことは悪い気がしなかった。
「すごいだろ、ミーシャちゃん。完成すればきっと世界が変わる」
イアンの大仰な態度に、「世界?」とミーシャは反応した。年長の男がいさめようとする。
「大げさだよ。それにこれ以上は」
「分かっていますって。僕だって馬鹿じゃないんですから」
「いや、どうかな」と父親が微笑んだ。その笑いが研究チーム内に伝播していく。イアンは、「酷くないですか?」と肩を怒らせたが、ミーシャもつられて笑ってしまった。
「ミーシャちゃんにまで笑われちゃったら、僕、本当に馬鹿みたいじゃ……」
「さーて、仕事の続きだ続き」
父親が手を叩いて空気を切り替える。「ちょっと、室長!」とイアンが声を上げるが、全員が笑って受け流した。ミーシャは研究チームのどこか家庭的な空気が好きだった。温かみがあって包み込んでくれるようだ。それは父親の優しさが多分に影響しているのだろう。
父親はきっと誰よりも優しく頼れる。そんな幻想のようなものを、まだ信じて疑っていない。シイナからしてみれば父親など蔑視の対象らしいが、自分は違う。誇れる存在だ、とミーシャは感じていた。