第十九話「賭け」
赤色光に塗り固められた検査室内でミーシャは身を強張らせた。慌てて制服を着込み、「何……」と周囲を見渡す。すると、扉が開き、ウィペットが姿を現した。
「ウィペットさん、これは……」
「グランマだ」
遮って放たれた言葉にミーシャは息を詰まらせた。リリィが顔を出し、「ガンス小隊に出撃命令をかけるしかない」と告げる。その時、ウィペットの右手首に巻かれている携行端末が点滅した。ウィペットが通信を繋げる。
「何だ?」
『グランマがペロー5外郭に出現。ガンス小隊に出撃命令が下っています』
「とっくにこちらも状況を把握している。隊員たちにスクランブルを。グランマの形状は?」
『前回把握されたのと同じ、新型です』
「わたしも行こうか?」
リリィが左手首の携行端末を翳す。ウィペットは、「いや」と応じた。
「リリィはミーシャ・カーマインを守ってやってくれ。もしもの時の対応のために」
ウィペットとリリィが目配せし合う。それだけで、もしもの時とやらが意思疎通させられたのが分かった。
「ならば、情報軍の特殊シェルターで待機している。……ガンス」
駆け出しかけていたウィペットをリリィが呼び止める。ウィペットは振り返った。リリィは踵を揃えて挙手敬礼をした。
「死ぬなよ」
その言葉にウィペットも返礼を寄越す。
「お互い様だ」
減らず口にリリィがフッと口元を緩める。ミーシャは、「あたしも!」と胸元に手をやった。
「戦います。青ずきん部隊と一緒に」
「駄目だ、許可できない」
「どうして」
「レッドフレームはブルーフレームと違い、機能停止時間を過ぎれば無防備になる可能性が高い。そうなった場合、あなたを守るためにガンス小隊は陣形を崩さねばならない。もし、グランマとの接戦時にそうなれば、ということくらいは分かるだろう」
リリィの言葉は理解できる。しかし、という思いが胸を突き抜けた。
「でも、あたしは戦いたいんです!」
リリィはウィペットへと困惑の視線を向けた。ウィペットはその視線を受け止めて、ミーシャを見据える。
「駄目だ」
「でも、あたしの力なら、グランマを単機でも倒せるかもしれません。だからあたしを隊列に――」
「自惚れるな!」
ウィペットが今まで聞いたことのない声で怒鳴りつけた。ミーシャは覚えずたじろぐように後ずさる。
「一度グランマを下した程度で戦えるなどと口にするんじゃない。お前の力は不確定要素が強過ぎる。実戦とはそのような甘い要素でできているわけではないんだ」
ウィペットの言葉は正論だった。ミーシャは一度勝っただけだ。それもほとんど自分の意思ではない。暴走した本能でグランマを叩いたに過ぎない。理性で戦っているウィペットたちからすれば自分のような存在は小隊に波紋を呼ぶだけだろう。
「彼女の言う通り」とリリィが視線を振り向けた。
「わたしも実戦経験があるから分かる。そう簡単に任せられることでもないんだ。わたしたちは、それでしか生きられないのだから戦いに身を置いている。不器用なんだよ、わたしも、みんなも」
不器用であることは自分も同じだ、と言い返そうとしたが、その前にウィペットが、「お前だけが特別じゃない」と口にしていた。
「私だってグランマを倒すという志は同じだ。戦いに赴く戦士という点では、お前も私も大した差はない」
「でも、あたしにはレッドフレームと……」
課された運命がある、と言おうとしたがそれとてウィペットも同じものを抱えているだろう。自分だけを特別だと考えるのはウィペットの志を踏み躙るようなものなのかもしれない。
しかし、とミーシャは思う。それでも、戦わなければ。身のうちから衝き上がる熱と声が告げている。呪縛のような父親の声が木霊する。
――行くんだ、私の赤ずきん。
「行かなきゃ、ならないんです」
「それでも、物理的に不可能だろう」
リリィが歩み出て口にする。ミーシャが顔を振り向けた。
「どういう、ことですか」
「連続変身が可能かどうかは分からない。もしかしたら過負荷に耐えかねたレッドフレームが不調を来たすかもしれない。未知の部分が多いんだ。おいそれと実戦投入というわけにはいかない」
「そういうことだ」とウィペットが首肯し、身を翻す。
「ウィペットさん!」とミーシャがその背中に呼びかけていた。ウィペットは立ち止まらなかった。既に死地に赴くことを覚悟している戦士の背中にかける言葉などなかったのだろう。ミーシャの内側からも完全に足を止める言葉はもう存在しない。
「さぁ、わたしたちは情報軍のシェルターへ。生き残ることがガンスのためになる」
ミーシャはリリィに導かれてウィペットとは反対方向へと歩んでいった。胸元で拳をぎゅっと握り締める。どうして、力が欲しい時に現れてくれない。望む力ならば自分の意思に応じてくれるはずだ。それとも、やはりこれは望まぬ力なのか。望まずに得た力は、望まない結末しか用意してくれないのか。
ミーシャはリリィと共に情報軍のシェルターに入る。一般のシェルターよりも頑丈にできているように見えた。三重のロックがなされた扉をくぐり、ミーシャとリリィは座り込んだ。
情報軍のシェルターのせいか、グランマの様子が分かるようにモニターが備え付けられている。ペロー5の外側に現れた葡萄型のグランマは何かを探すように果実の眼球を忙しなく動かしていた。
きっと自分を探しているのだ。グランマはレッドフレームを葬るつもりであることを、ミーシャは予感した。
「グランマは、あたしを殺そうとしている」
「考え過ぎだ。どうしてたった一つしかない戦力を潰そうとする。今までグランマはそのような目的意識のようなものはなかった。グランマには戦略も戦術も分かりはしない」
「じゃあ、どうしてこのコロニーに三度も現れたんですか? それも偶然だとでも?」
このコロニーに現れたのは全てレッドフレームの力のためだと考えれば辻褄は合う。自分さえ矢面に立てば、誰の犠牲も必要ないのだ。そう考えるといてもたってもいられなくなった。
駆け出そうとすると腕をリリィに掴まれた。ミーシャが振り向くと、リリィはブルーフレームに変身を遂げていた。比べ物にならない力で引っ張りこまれ、「ここにいるんだ」と低い声で制される。
「あたしを監視するためですか」
「悪く思わないで欲しい。ガンスの戦いの邪魔になるだけだ。わたしとてブルーフレーム隊の端くれだよ。君を無効化させることくらいはできる」
ミーシャは歯噛みして、自身の内奥へと意識を飛ばした。しかしレッドフレームの核は出てくる気配がない。やはり連続変身が不可能なのか。それとも意思が足りていないのか。ミーシャはモニターを視界に収め、グランマへと青い流星が飛びかかったのを見た。
施設を出るとウィペットは右手首に左手を添えた。
青い銀河を内包したレンズの内側から十字の光が発し、両手を開いて駆け出す。風が半透明の鎧を成し、青い光が滲み出して一瞬のうちにブルーフレームへの変身を果たしていた。
ウィペットは空間を蹴って飛び上がった。一定高度まで上がると、追従してきた四つの青い光が視界に入る。部下たちがそれぞれ青い光の尾を引きながら隊長であるウィペットにつき従う。
『隊長。グランマはペロー5外郭から動きません。何か目的があるんでしょうか』
B4の作戦コードを与えられた部下が尋ねる。ウィペットは、「それはまだ分からないが」と返した。頭の片隅にはミーシャのことがちらついていたが、気を取られている場合ではない。民間人の、押し付けられた運命を持った少女を巻き込みたくない。たとえレッドフレームがグランマに拮抗する力だとしても、ミーシャに頼るのはお門違いというものだ。
「民間人を一人として犠牲にするな。これは我々の戦いだ」
頑固かもしれない。しかし譲れない思いでもあった。ブルーフレーム隊に入ったことも、決して褒められた理由ではない。
誇れるだけの矜持も持たぬこの身では、ミーシャを失望させるだけだろう。しかし、それでも踏み越えさせてはならない一線は心得ているつもりだった。
「四番スペースゲートより外郭に出る。目標を目視できる範囲に入れて出力を最大に」
『了解』の復誦が返り、ウィペットは四番スペースゲートへと身体を流した。普段はシャトルやフリゲート船舶が行き交う港が赤色光に塗り固められ、ゲートの大半が閉じている。
ウィペットはブルーフレーム隊専用のゲートから飛び出して、宇宙空間に出た。1Gの呪縛から解き放たれた身体が軽く、出力を上げる。
推進剤を焚いて、ウィペットは外郭をナメクジのようにのっそりと移動するグランマを視界に入れた。グランマは前回現れたのと同じ、葡萄型だ。ウィペットが射程距離に入るのと同時にグランマも気づいたらしい。
眼球をウィペットに向けて瞳孔を絞る。上部が焼け爛れていた。レッドフレームの与えた攻撃がまだ継続しているのだ。グランマの再生能力でも追いつかないほどのダメージを与えられるのか、と考えたが、ミーシャは巻き込まないと決めたはずだ。
今さらの迷いを振り切って、ウィペットは通信網に命令の声を吹き込んだ。
「私とB2が先行する。B3は中間地点よりグランマの注意を引け。B4、B5は後衛より援護射撃」
ウィペットとB2が速度を増して青い線を空間に描く。グランマが眼球を向け、白い光線を放った。偏向した光線がウィペットを狙おうとする。ウィペットは半身になって光線を紙一重で回避し、ロールを入れて両腕を突き出し、制動をかける。
回転軸を安定させつつ、空間を蹴りつけグランマへと駆け上る。ウィペットへと白い光線が降りかかる。幾筋もの光条の先を青い砲弾が遮った。B3が放ったバズーカの光である。
B3が肩に構えたフェンリルのバズーカを撃ち放つと、グランマに着弾する直前で砲弾が弾け飛び、散弾がグランマの表皮を叩きつけた。グランマはしかし、ほとんどダメージを負った気配はない。
「やはりコアでないと駄目か」
ウィペットはコアに向かって空間を奔る。するとグランマから枝葉のような黒い触手が飛び出してきた。ウィペットは即座に反応して右手を突き出して身を翻す。すぐ脇を突き抜けていった触手はB2を絡め取った。B2の叫び声が通信網を震わせる。
(あなたはどうしてそんなに耳が長いの? あなたはどうしてそんなに口が真っ赤なの?)
グランマの質問だ。答えてはならない、という基本知識は叩き込まれているはずだが、まだ新兵のB2は答えてしまった。
『嫌! 助けて、お願いだから――』
グランマが眼球から全方位より光線を発射する。B2は回避できるはずもなく、満身に光線の攻撃を浴びた。ブルーフレームが消失し、青い残滓が霧のように流れていく。B2のブルーフレームが効力を失い、触手が強く絡みついた。その直後、肉の砕ける音が通信に走った。
ウィペットは奥歯を噛み締め、「よくも!」とコアへと直進する。B2に気を取られていた今が好機だった。ブルーフレーム隊は仲間の死も利用しなければならない。この過酷な使命をミーシャは背負えないだろう。汚れ役を買って出るのは自分のような不純な動機を持つ人間だけで充分だった。
「フェンリル!」
飛び込みながらウィペットは右手を開いた。右手からワイヤーフレームが形成され、円筒がいくつも連なり重なっていく。ガトリングの形状を成したフェンリルをウィペットはコアに向けて構えた。既にコアは眼前にある。左手で姿勢を制御し、ガトリングの砲口が射線上にコアを捉えた。
「食らえ!」
ガトリングが回転して青い粒子の弾丸を撃ち出す。光の薬莢が飛び出して常闇に消えていく。コアへと命中するかに思われた瞬間である。グランマは今までののっそりとした動きを捨て、急に下腹部から光線を弾き出した。
グランマの身体が跳ね上がり、コアを狙って放たれた弾丸は果実の眼球へと命中する。白い表皮にはほとんど傷がない。ウィペットは舌打ちを漏らした。
「こいつ、私たちの推進剤の真似事を……!」
光線を発射した衝撃は今までほとんど抑えられていたのだろう。しかし、今グランマはあえて光線発射による慣性を利用してコアへの命中を避けた。
学習しているのだ、とウィペットは感じた。グランマには今までのような作戦パターンは通用しない。では、どうすればいいのか。ウィペットが目を慄かせていると、『隊長!』と声が飛んだ。
『指示をください。このままでは……』
言わずとも分かっている。このままでは全滅は必至だ。ウィペットはフェンリル使用による時間制限に視線を向けた。
あと一分半である。残り一分半のうちにコアへと回り込み、的確な攻撃をくわえる。明らかに不可能だと思えた。
残存戦力はB3からB5までの三人。しかし、後衛戦力に突然前に回れというのは無理がある上に、彼女たちは新兵だ。突然の状況判断能力に期待することはできない。
どうする? と堂々巡りの思考に浸す。
考えている間にもフェンリルの機能停止時間までそう長くはない。ブルーフレームの能力ではフェンリルを使用する以外に決定打を与えられない。ウィペットは決断を迫られていた。どう行動するのが正解だ?
グランマが光線を撃ち出し、白い軌道を描いてウィペットへと迫り来る。ウィペットは青い尾を引きながらガトリングで弾幕を張って光線の軌道を阻む。
上昇機動を繰り返しながら、ウィペットは何とかコアの死角へと入り込めないかと考えたが、不可能だった。グランマは再び葡萄の房のような身体の向こう側にコアを隠した。コアへと攻撃をくわえようとしても、ブルーフレームの機動力ではコアへと到達することはできない。全員が特攻の覚悟で向かったとしてもコアへと到達できる人間がいるかどうかは疑問である。
「ここまでなのか……」
ウィペットは思わず呟いていた。
ペロー5が陥落され、非力な自分たちは消えていく。
終わりを受け入れると自分でも思っていたよりも冷たくなっていった。冷静に状況を見れば、勝てるはずのない戦いだ。
この戦いに身を置いている限り、戦況は客観視できないだろう。結局、主観の中でしか生きられなかった。そんな自分を顧みて、ウィペットは目を閉じようとした。
その時、ペロー5の空が弾け飛んだ。覆っていた膜がバチンと割れて、赤い光が飛び出した。その光は直角に折れ曲がったかと思うと、グランマへと猪突した。
突然現れた存在にグランマも面食らったのか、赤い光の体当たりが命中し、グランマが傾ぐ。白い光線が直後に放射された。赤い光は幾何学の軌道を描きながら、光線の追尾を振り切った。白い光線が消失し、ウィペットへと赤い光が迫ってきた。ウィペットはたじろぐように後ずさったが、赤い光はウィペットの手を繋ぎ、接触回線で通信に割り込んできた。
『大丈夫ですか? ウィペットさん』
赤い光の主――ミーシャの声にウィペットは思わず呟いていた。
「馬鹿な。リリィが止めたはずだろう」
『無理やり振り切って来ました。戦いを、見ていられなくって』
「リリィ!」とウィペットが怒声を飛ばすと、『分かっているよ』という冷静な声が返ってきた。
「どうしてミーシャ・カーマインをここに――」
『単純にわたしじゃ力不足だったから止められなかった。あと、もう一つ。わたしも、賭けてみたいと思った』
「賭けだと? 何を」
『ウィペットさん。あたしの力に賭けてください』
ミーシャが顔を振り向ける。バイザー越しでも強い双眸を携えているのが分かった。