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第二話「戦場までの距離」


 陽光がカーテンの隙間から降り注ぎ、朝の訪れが強張った関節に予感させた。


 人工太陽とはいえ、地球と住環境は同じだという。ならば、地球の人間もこのように朝を迎えていたのだろう、と感じながらミーシャは布団からもそもそと起き上がり、カーテンを開けた。居住ブロック全体が銀色の光を発している。人工太陽の熱はもちろん、近づけば人間など簡単に炭化してしまうが、コロニーの外側に備え付けられているためにそのような事故は滅多に起こらない。ミーシャは窓を開けて人工太陽へと手を伸ばした。コロニーの内側からでも届きそうだ。すると、階下から声が響いた。


「ミーシャ! 朝よ!」


 母親の声だ。ミーシャは眉根を寄せて、「今行く!」と声を返し、窓を閉めた。お気に入りのワニのキャラクターがあしらわれたパジャマを脱いで、制服に着替える。「オオグチ」と呼ばれるワニのキャラクターは馬鹿みたいに口を広げている。そのぬいぐるみが部屋の各所にあった。枕元に始まり、部屋の扉に至るまで。「オオグチ」は間抜けな顔をしているのでミーシャは好みだった。しかし、幼馴染のシイナは、「馬鹿みたいで嫌い」と言う。


「馬鹿みたいだからいいんだけどなぁ」


 ミーシャは枕元の「オオグチ」ぬいぐるみを撫で、部屋を出た。階段を降りてまずは洗面所に向かう。歯を磨いて、顔を洗って眠気を吹き飛ばす。茶色がかったセミロングの髪を整え、小さく二つに結う。小学校の時から同じ髪型だった。


 中学生になった今でも変えることはない。周りでは中学生になって様変わりした人間も多かったが、ミーシャには大した変化は現れなかった。スカートの丈を整え、ミーシャはリビングへと向かった。リビングには母親がテーブルに朝食を置いているところだった。ミーシャは、「お父さんは?」と尋ねる。


「もう仕事で行っちゃったわよ」


 ミーシャの席にバタートーストとハムエッグが運ばれてくる。ミーシャは表情を翳らせた。


「そう。何だか最近、いっつもだね」


「忙しいのよ」


 母親がミーシャの対面へと同じメニューを持ってきて座った。母親はブラックのコーヒーを飲むが、ミーシャは紅茶である。砂糖しか入れないストレートティーと決めていた。「いただきます」と言って、トーストに齧りつくと、香ばしい食感とバターの香りが口中に広がった。ミーシャがほくほくと食べていると、「ミーシャ」と母親が呼びかけた。


「何?」


「中間テスト。そろそろでしょ」


 ミーシャは、「うっ」と声を詰まらせた。母親がぎろりと睨む。


「まさか。勉強していないんじゃないでしょうね」


「し、してるって。心配しないで」


「本当かしら?」


 母親がリモコンを手にとってテレビをつける。テレビに映し出されたのはつい先日のグランマとの戦闘だった。母親が顔をしかめて、チャンネルを替えた。


「何で替えるの?」


 ミーシャが頬を膨らませて抗議すると、「食事中でしょ」と母親がさらりと言った。


「グランマってキモチワルイじゃない」


「あたしは青ずきん部隊の活躍が見たいの」


 ミーシャが主張するが、母親が、「どうしてそんなのが見たいの?」と逆に尋ねた。


「あれって戦争なのよ。朝から嫌よ」


「お母さん、青ずきん部隊も嫌いなの?」


 ミーシャの言葉に、母親はため息混じりに頬杖をついた。


「ミーシャ。あんた、前期の進路面談で青ずきん部隊に入るって先生に言ったけれど」


「うん。本気だよ」


「口の端についてる」


 頷いたミーシャを指差して母親が言う。ミーシャは口元をティッシュで拭いながら、もう一度確認の意を込めて頷いた。


「本気、本気」


「やめてよ。軍隊なんてろくなもんじゃないんだから」


「お母さん、それって偏見だって。青ずきん部隊はすっごくかっこいいんだから」


 ミーシャが念を押すように言うと、母親は頭を振った。


「あー、駄目駄目。とにかくお母さんは許しません」


「えー、じゃあお父さんがいいって言ったら」


「駄目に決まっているでしょ」


「どうして?」


 ミーシャが小首を傾げると、母親は諭すように、「あのねぇ」と口にした。


「お父さんにとってあんたは一人娘なのよ。いつの時代だって、一人娘を軍人にしたい親なんているもんですか」


「青ずきん部隊はただの軍人じゃないよ。あれは――」


「グランマと戦う任務を帯びた精鋭、って言うんでしょ? 聞き飽きたわよ。耳タコ」


 耳を指差した母親がトーストを齧り、ブラックコーヒーを飲む。ミーシャは次の言葉を探そうとしたが、母親は何があってもミーシャを軍に入れたくはないのだろう。それは痛いほどに分かっている。しかし、ミーシャはこの問答をいつでも繰り返す覚悟だった。ミーシャは、「軍人って言う括りで考えているから」と口にした。


「堅苦しいんだよ。そうじゃなくって、大昔にあった劇団みたいに考えればいいんじゃないかな」


「なに、あんたが花形務めるって言うの?」


「うん、まぁ……」


 曖昧に頷くと、母親はミーシャを上から下へと値踏みするように眺めた。怪訝そうに眉根を寄せて尋ねる。


「何?」


 その質問に母親はため息を漏らした。


「我が子ながら、無理だと判断するわ」


「……それって失礼じゃない?」


 ミーシャがトーストを頬張って、紅茶で流し込む。ストレートティーのさっぱりとした香りと味を嚥下する。母親はミーシャを指差してくるくると人差し指を回した。


「まずはそのちんちくりんを直さないとね」


「ホント、失礼だよね。あたしだって成長しているのに」


 ミーシャが胸を張って言葉を発すると、母親は、「どこが」と最後のトーストの一欠けらを口の中に入れた。


「どこが、ってことはないでしょうが」


 ミーシャがテーブルを叩くと、「はいはい」といなしながら母親が立ち上がって食器を流しへと置く。


「どっちにせよ。勉強しないと青ずきん部隊にだって入れないから、勉強しなさいよ」

ミーシャはどこか釈然としないという顔を作りながら、トーストを齧って飲み込んだ。


「行ってくる」


 食器を流しに置いてミーシャは身を翻した。「行ってらっしゃい」と背中に声がかかる。鞄を手にとってミーシャは玄関を出た。端末を取り出して時間を見る。七時半を回ったところだった。人工太陽から放たれる陽光が関節を暖めていく。ミーシャは人工太陽に向けて手を伸ばした。


「陸の太陽なんかよりもずっと近くにあるんだよなぁ」


 ミーシャはコロニーの育ちなので陸の太陽は知らない。ほとんど地球の住環境と変わらないとされるペロー5で育つことによる厳密な地球人との差異はほとんどないとされているが、果たしてそうだろうか。確かに人工太陽の光もあれば、夜になると星の光もある。しかし、月のような衛星は再現しようがないし、完全にコントロールされた四季は自然とは程遠い。


 それは巨大な掌の上で寸劇を続けるのと同義のような気がしていた。手を翳すと血脈が薄く浮き上がる。コロニーの中でも「生きている」ということが実感できる。だから、ミーシャはこの習慣を欠かすことがない。ともすれば、生きているのか疑わしい、欠伸が出るほどに平和なコロニーでは、特に。ミーシャが手を翳したまま、ぼうっとしていると背後から声がかかった。


「これこれ。いつまでそんなことをしているのかね」


 古めかしい言い回しが聞こえてきて、ミーシャは振り返った。視界に入ったのはミーシャと同じ制服を着た少女だった。ショートボブの髪にオレンジ色の髪留めをつけている。顔立ちはどちらかというと童顔だが、背が高い。ミーシャよりもしっかりした目つきのために童顔はマイナスにはならなかった。


「シイナ。早いね」


 名前を呼ばれたシイナは、「あんたがいっつもそうやってぼうっとしているからでしょ」と腰に手を当てて言った。


「その癖、何なの? 童謡じゃあるまいし、わたしたちもう中二だよ? 今さら真っ赤に流れる血潮が珍しいって?」


「別にそういうんじゃないけど」


 シイナは歩き出した。ミーシャも並んで歩き出す。学校までは駅を四つ分乗り継がなくてはならない。コロニーの外周を回るリニアレールは一種の見ものだが、毎日見ているとさすがに飽きてくる。ミーシャたちは端末を見ているか、雑談をしているかのどちらかだ。主にシイナと通うことが多いので必然的に雑談の場になる。


「もうすぐ中間だよね。憂鬱だなぁ」


「お母さんみたいなこと言わないでよ。あたしは忘れようとしてたのに」


「でもさ、高校行くのだって大変じゃない。わたしは部活をメインにやっていきたいけどさ」


 シイナが担いでいるラケットケースに目を向ける。ソフトテニス部だ。その中でもエースである。ミーシャは帰宅部だった。どんくさいので運動部には向かないと思ったが、文化系の陰湿なノリも嫌いなので、必然的に帰宅となった。シイナは頭の後ろで両手を組みながら、「あんたは楽じゃん」と言った。


「何で?」


「帰宅部だからいくらでも勉強できるし」


 シイナの言葉にミーシャは頬を膨らませて言い返した。


「それって偏見だと思うけど」


「進路どうするの?」


「だから、お母さんみたいなこと言わないでよ」


 ミーシャが片手を振るってその話題を打ち切ろうとする。シイナは、「でもさぁ、考えないわけにはいかないじゃん」とまだ同じ話題を引きずるつもりだ。


「スポーツ推薦でいけるかなぁ。それなりに頑張っているつもりなんだけど」


「シイナは頑張っていると思う。あたしは相変わらずだけど」


「なに、あんた何になりたいの?」


「言ってるじゃない。小学校の時から」


 ミーシャは先ほどの母親との問答を思い返し、いちいち説明することに嫌気が差していた。察したシイナが、「ああ」と口を開く。


「青ずきん部隊ね。何であんなに危ない職種に就きたいわけ?」


「かっこいいでしょ」


 ミーシャが片手の拳を固めてぶんと振るう。シイナはいまいちパッとしない表情で首をひねった。


「うーん、かっこいいか? いや、あんたのかっこいいかどうかに疑問を挟むつもりはないけどさ」


「ヒーローみたいだし」


「ああ、そうだっけ。あんたはそうだよねぇ」


 シイナはミーシャの性癖を知っている。呆れ顔で、「まだ観てるの?」と尋ねた。


「まだ、って何?」


「日曜の朝八時にやっている番組。今は、何だっけ? わたしが最後に見たのは全身金ぴかの鎧を纏った奴だったけど」


「今は超速戦士バレット1。シイナの言っているのは三年くらい前の奴だよ」


「そうなの? まぁ、わたしは興味ないからさ。っていうか、やっぱりまだ観てたんだ」


 シイナがため息をつく。ミーシャは理由が分からずに目をぱちくりさせた。


「何でため息?」


 シイナが横目にミーシャを見やり、後頭部を掻きながら、「おかしくない?」と訊いた。


「何が?」


「まだ子供向けのヒーロー番組観ているってことが。ミーシャ分かってる? あれって子供が楽しむために作られているの。わたしらもう中二であんたも来年で十四歳。そろそろ本気で進路も考えなきゃならない」


 シイナが自分の胸元に手を当てながら諭すように口にする。ミーシャはどこか気に食わないとでもいうように鼻を鳴らした。


「別にいいじゃん。かっこいいよ。必殺技はこんな感じで」


 ミーシャが胸を反らせて両手を後ろに思い切り引く。直後に、両手を前に突き出した。


「バレットビーム! バレットキーック! って言って。あれ? 何で引いてるの?」


 シイナができるだけ他人を装うとするかのように目線を逸らしている。「いや、だって引くでしょ」と頬を掻いた。


「それだからおばさんを心配させるんだよ」


 駅に近づいてきた。サラリーマンやコロニーの運営に関係する業務専門のつなぎを着た人々が改札を通り抜けていく。ミーシャとシイナは端末を改札に翳した。端末には様々な機能が入っており、通学定期の音声が短く鳴った。ホームに入ると間もなく電車が滑り込んできた。空気圧縮の扉が開き、乗客たちが雪崩れて降りてくる。入れ替わりにミーシャたち学生が乗り込み、電車が動き出した。トンネルに入り、もうすぐコロニー外周を回るチューブ型線路へと移行する。ミーシャとシイナは立ったまま吊り革に掴まって喋っていた。


「どうしてお母さんのことが出てくるの?」


 真横にいるシイナに顔を振り向けると、シイナは首を横に振った。


「いや、分かっていないんだったらいいと思うけど」


 ミーシャはむっとして、「だったら」と口にした。


「シイナの好きな男子のことを話題に上げても文句は言えないよね」


 その言葉にシイナは顔をぼっと紅潮させて、「馬鹿。ミーシャ」と頭を軽く小突いた。ミーシャは大仰に頭を押さえる真似をしながら、「だったら、言ってよ」と責め立てる。シイナは息をついて、「あんたのことだから怒らないと思うけど」と前置きした。


「怒る時は怒る」


「じゃあ、できるだけ怒らないように言うけどさ。あんた、趣味変だよ」


「オオグチのこと?」


 ミーシャが小首を傾げると、「まぁ、それもだけど」とシイナは頷いた。ミーシャは眉間に皺を寄せて言葉を返す。


「オオグチかわいいよ」


「いや、あんたの美的感覚狂ってるって。あんな馬鹿っぽいワニの何がいいの?」


 電車がコロニー外周チューブの中を走り抜ける。青白い装甲のコロニー外壁が見えた。星の煌きが薄い点描のように瞬く。ミーシャは、「馬鹿っぽいのがいいんだけど」と言い返した。


「オオグチのことはともかくとしてさ。まだ子供向けヒーローものを、うら若き乙女が観ているっていうのが、ちょっと異常だって言ってるの」


「どうして?」


 ミーシャにはシイナの言葉の意味が分からなかった。どうして観てはいけないのだろう。シイナは懇々と諭すように、身振り手振りをつける。


「だから、そろそろ卒業したほうがいいんだよ。オオグチはまぁ、いいとしてさ。ぬいぐるみも出ているし、カルト的だけど人気もあるし。でもヒーローものはやめておきなよ。絶対おかしいって」


「あたしは大丈夫だよ」


「あんたが大丈夫でも周りが不安になるの。あんた、テレビに映っているヒーローと同じ感覚で青ずきん部隊に憧れているでしょ」


 コロニーの全景が視界に入る。太陽光を取り込み、人工太陽を形成している部分はまるで蓋のようだ。全体像としてはコンパクトか大昔に考えられていた亀の上の世界のようである。人工太陽や、昼夜を決定付ける天蓋が覆い被さっている。天蓋は一定間隔で甲羅のようなコロニー本体へとかかる距離が決まっており、それによって四季を再現する。今は夏の前なので、天蓋は甲羅に程近い。甲羅を覆う薄い膜は宇宙放射線や紫外線から身を守る盾である。ゼリー状に見える膜は外から見ると薄っぺらく、少しの刺激で簡単に弾けてしまいそうだが、その実は堅牢な防御を約束している。


 ミーシャはシイナから言われた言葉を咀嚼するように中空に視線を向けた。やがて首をひねって、「そんなことはないと思うけど」と返す。


「そんなことがあるように見えるから危ういって言うの。青ずきんとか軍が何と戦っているか知っているでしょ?」


「グランマでしょ。知っているよ」


 学校でも習うことだ。それに連日のようにニュースでもやっている。もうすぐ外周チューブからコロニー内部のトンネルへと入る。ミーシャは周囲を見渡した。その様子を怪訝そうにシイナが見つめる。


「何しているの?」


「いや、青ずきん部隊の演習が見られないかな、って」


 ミーシャの言葉にシイナはため息をついた。


「馬鹿。そんなのが見られた日にはこのコロニーが危ないってことじゃない。見えないのが平和の象徴なの」


「えー。でも、演習はどのコロニーでもやっているでしょ」


 ミーシャが駄々をこねると、シイナは、「あのねぇ」と呆れた様子で口にする。


「習ったでしょ。青ずきん部隊は民衆の不安を煽らないために隠密に訓練するって。だからわたしたちから見えたらそれ意味ないってことじゃん」


 電車がトンネルへと入る。漆黒とガイド用の明かりだけが照らす空間の中、耳鳴りがした。


「今日も見れなかったなぁ」


 ミーシャが残念そうに口にすると、シイナが、「軍隊なんて、暇なほうがいいの」とため息混じりに言った。


「グランマが近くまで来ている様子もないし、それこそいいことじゃない。もし戦闘になったら、その宙域は、一週間はグランマの占領下に置かれるってことくらいあんたがいくら馬鹿でも分かっていることじゃない」


 ミーシャは唇を引き結び、「んー」と呻った。シイナの言っていることは分かる。グランマなど現れないほうがいい上に、青ずきん部隊も見えないほうがいい。それは平和であることを示す何よりのシンボルだからだ。


「でも、あたしは青ずきん部隊に入りたいなぁ」


 ぼんやりと発した言葉にシイナが声を返そうとする前に、次の駅のアナウンスが響いた。一旦言葉を切ってから、シイナはミーシャへと忠告する。


「青ずきん部隊はやめときなさい。早死にしたいの?」


「シイナは青ずきん部隊のこと、誤解しているよ。お母さんと同じ」


 駅のホームへと電車が滑り込む。ミーシャとシイナはその駅で降りた。歩き出し、改札を抜けてから会話の続きをシイナが口にした。


「その誤解は、多分、みんな持っていると思うけど」


「だから」とミーシャがシイナの前へと歩み出た。


「それが誤解だってみんな分からなきゃならないんだって。青ずきん部隊はかっこいいんだって知らなきゃ」


 シイナはミーシャの顔を覗き込んだ。ミーシャは負けじとぐっと身を強張らせる。しばらく見つめ合った後、シイナがため息をついた。


「本当にお熱なんだね。でも、ヒーロー感覚はよくないと思うのは変わらないよ」


 ミーシャの脇を通り抜け、シイナが口に出す。ミーシャはシイナの背中を追いかけて、「それでもあたしは」と抗弁の口を開いた。


「青ずきんになりたいの」


「夢を追うのは勝手だからさ。わたしもあんまりとやかく言うつもりはないけど」


 シイナがミーシャへと視線を向ける。ミーシャは首を引っ込めた。


「周りの人だけは心配させないでよ。多分、おばさんも同じ気持ちだと思う」


 ミーシャは何も言えなかった。母親の気持ちも分からないでもないからだ。シイナの言うことも筋が通っている。死に急いでいるようにしか見えないだろう。坂道を上ると、校舎が見えてきた。校門の前で端末を掲げる。ミーシャとシイナの出席状況が確認され、その情報は職員室へと送られる。校門をくぐった以上、エスケープは許されないシステムだった。


「窮屈だよね」


「今さらじゃん」


 端末を眺めながら発した言葉に、シイナは冷静に返して上履きに履き替える。ミーシャは三階建ての校舎の中に入った。コの字を描く校舎は二階が二年生の学級になっている。ミーシャとシイナは同じクラスだったので、入ってすぐに席に荷物を置き、ミーシャはシイナの席へと歩み寄った。シイナは端末を眺めている。窺うと、大昔の書籍を読んでいた。


「シイナさ。よく読んでいるけど何が面白いの?」


「多分、あんたには三回転生しても分からない面白さ」


 シイナは端末から視線を外さずにミーシャに言葉を投げる。ミーシャは明らかに馬鹿にされているのが分かったが、言い返す気力もない。実際、書籍など読み始めれば十分と経たずに眠れる自信がある。ミーシャは机に齧りつくように身を寄せた。それを横目で見やったシイナが、「ちょっと鬱陶しい」と言った。ミーシャは頬を膨らませて、「じゃあ、シイナの好きな男の子のこと――」と言いかけたところで、端末で額を小突かれた。


「馬鹿。声でかいし。大人しくしてな」


 シイナは頬を上気させてミーシャを睨みつける。ミーシャは必殺の言葉が通じないと見るや、「構ってよー」と手をばたつかせた。シイナが端末を閉じて、ぺちんとミーシャの頭に向けてチョップする。ミーシャは小動物のような鳴き声を上げた。


「ええい、鬱陶しい。あんたご自慢のヒーロー動画でも観なさいよ」


「あ、そういえば新しい動画配信されていたんだ。観る?」


「わたしはいい」


「遠慮しないで」とミーシャはシイナへと端末を翳す。シイナは眉根を寄せて、「観るからやめな。鬱陶しい」と口にした。ミーシャは端末を操作して動画サイトへと飛んだ。映し出された動画タイトルにシイナは吐きそうな顔をした。


「これって最近言っていた冥王星辺りの戦局動画じゃん」


「そうそう。最大望遠で見た奴なんだって。青ずきん部隊もしっかり映っているよ」


「やめな。趣味がいいとは言えないよ」


「どうして」とミーシャは小首を傾げる。シイナは、「あのねぇ」と片手を翳した。


「グランマも映っているんだよ。気持ち悪くないの?」


「全然」と平然と答えるミーシャにシイナはため息をついた。ミーシャは不満そうに、「何?」と尋ねる。


「いや、あんたはそういう部分も鈍いんだなって思ってさ。世間一般とずれているって」


 びしりと指差され、ミーシャは戸惑うように端末に視線を落とした。


「そうかなぁ」


「そうなの」


「あっ、再生バー溜まったしもうすぐ始まりそう」


「……人の話聞いてる?」


 ミーシャは再生ボタンを押した。すると「冥王星・青ずきん」とタイトルがつけられた動画が再生され始めた。音はない。しかし、ミーシャは高鳴る鼓動を止められなかった。桜の花弁のように広がったグランマの周囲を青い蛍火が回っている。


「青ずきんだ」とミーシャがその動きを注視した。ともすれば見逃しかねない速度で動く細やかな青い流星は僅かな軌跡を描きながらグランマへと攻撃を加える。翻弄するように動く青い光の粒にグランマが何らかの攻撃を加えようとしているように見えたが、画質が悪く細かい動作はほとんど分からない。


 時折、グランマが放射する白い光条だけが常闇に浮き上がる。青い粒子とグランマとの戦闘は三分程度で打ち切られた。結局、最大望遠でもどちらが勝ったのかは今一つ分からない。しかし、ニュースでは冥王星にグランマが侵略宙域を広げたとあったので、この青ずきん部隊は恐らく負けたのだろう。


「あんたさぁ」とシイナが頬杖をつきながらミーシャへと話しかけた。ミーシャは動画が終了したと見るや、「うん?」と反応する。


「こういうの観て気分悪くならないの?」


「どうして?」


 シイナは再生を終えたミーシャの端末を指差した。


「だって、この動画だって青ずきんみんなが生き残ったわけじゃないでしょ? 戦争の動画じゃん。それ観て平然としていられるってちょっとおかしいよ」


 ミーシャは端末に視線を落とした。自分はおかしいのだろうか。疑問符を浮かべてみたが、シイナの言う「おかしい」の基準点が分からない。


「そんなに変?」


「変って言うか、どこかずれてる。日曜朝八時にやっているのはフィクションだけど、その動画はフィクションじゃないし」


 シイナは再び自分の端末を開き、書籍を読み始めた。それだってフィクションだろう、とミーシャは思う。日曜朝八時のヒーロー特撮と何が違うのか。言い返していたい衝動に駆られたが、シイナは必ず自分の論点の隙間をついてくるだろう。恐らくはこう言うはずだ。「フィクションはフィクションでも高尚だ」と。ミーシャにはフィクションに貴賎があること自体、納得がいかない。ヒーローだって立派なフィクションだ。


「シイナは青ずきんに入る気はないの?」


 机に張り付いて尋ねると端末から視線を外さず、「興味ない」という言葉が飛んできた。


「それに危ないし。何で自分から危ない場所に行かなきゃいけないのかっての。このペロー5は平和そのものじゃん。平和な世界で平和に暮らせるに越したことはないよ」


 それは無責任ではないか、とミーシャは感じた。今もどこかで青ずきん部隊は戦っているかもしれない。それなのに、一部の人間に責任を丸投げして、平和を享受するのは何か間違ってはいまいか、と。だが、それが正しいあり方なのかもしれない。ミーシャのまなこが曇っていない証拠などないのだ。ヒーローのような青ずきん部隊への憧れは、人格的な歪みから発している可能性だってある。


 何か言葉を返そうとしたその時、教師が教室に入ってきた。「ホームルームを始めるぞー」という言葉に全員が席に戻る。端末を使っていた生徒はポケットや鞄に入れた。シイナに、「戻りな、ミーシャ」と促され、ミーシャは渋々といった様子で席に戻った。教師の退屈なホームルームが始まる。ミーシャは欠伸をかみ殺した。


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