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第十七話「覚悟の日」


 訪れた部屋は簡素な場所だった。


 途中、何度か軍人らしい人間と出くわしたが、ウィペットが、「ブルーフレーム隊の新人です」と紹介してくれたおかげで追及を逃れられた。


 ウィペットの部屋にはほとんど何もない。硬そうなベッドとテーブルがあり、小窓から僅かな光が覗いている。椅子を勧められたのでミーシャはおずおずと椅子に座った。


「紅茶を入れよう」とウィペットが提案し、暖かい紅茶を入れるために湯を沸かし始めた。三十秒と待たず湯が沸いて、先に入れておいたティーパックの入ったカップに湯を注ぐ。芳しい香りが漂ってきた。思わず頬の筋肉が弛緩しそうになる、柔らかな香りだ。


 ウィペットはベッドへと歩み寄る。ビンを手に取ると、振って中から角砂糖を取り出した。包装された角砂糖を摘み、「何個いる?」と尋ねてきた。


「一個でいいです」


「そうか。私は三個だ。いつもそう決めている」


 充分に味が染み出したティーパックを小さなマグカップの中に入れて、角砂糖の包装を解き、紅茶に入れる。ウィペットはさらにミルクを注いだ。ミーシャが、「甘過ぎるんじゃないですか?」と訊くと、「甘党なんだ」とウィペットは返す。


「甘くなければ、何となく飲んだ気がしない」


 ウィペットがスプーンを取り出して角砂糖をよく溶かす。ミーシャにも角砂糖が渡された。赤い包装紙に包まれている。宝石のような細やかな包装紙の意匠に、解くのがもったいなくなったが、解かなければ飲むことができない。


「綺麗だろう」とウィペットが指差す。ミーシャは頷いた。


「掘り出し物だ。私は新しい場所に訪れれば、いつも角砂糖を綺麗に包装している店を探す。そういう店の売る砂糖は得てしてうまいものだ」


 ウィペットの美学にミーシャは、「はぁ」と生返事を返した。包装を解いて角砂糖をポチャンと紅茶に落とす。「ミルクは?」と勧められたが首を横に振った。


「ストレート派なんです」


「そうか」とウィペットは納得し、ミルクティーを口に運んだ。


「うん。うまい」


 ミーシャは満足そうなウィペットを尻目に紅茶へと視線を落としながら、言葉を探していた。ウィペットはどういうつもりでこの場所に自分を招いたのだろう。そればかりがぐるぐると頭の中を巡る。


「あの、ウィペットさん」


「何だ?」


 ミルクティーを飲みながら、ウィペットが首を傾げる。ミーシャはカップを両手で包み込んで、「見ました、よね?」と核心の言葉を発した。


 ウィペットはしばらく何も言わなかった。沈黙が降り立つ。言うのではなかったか、とミーシャが考え始めると、ウィペットはミルクティーを口に含んで首肯した。


「ああ、見た」


「やっぱり、あたしをどうにかするつもりなんですか?」


「どうにか、とは」


「実験台とか……」


 思い浮かんだ言葉を口にすると、ウィペットは口元を斜めにした。笑ったらしい、と感じると、ウィペットは口を開く。


「そうだな。普通ならばそういう流れだろうが、私は不思議とお前をそんな扱いにすることは躊躇われるんだ。初陣で、たった一人でグランマを倒したお前の能力には興味を引かれる。しかし、だからといって実験動物のように扱うのは、気が引ける、とでも言うのかな」


 ウィペットの言葉にミーシャは暫時目を丸くしていたが、やがて、「変わっているんですね」と言った。


「だろうな」とウィペットはミルクティーをすする。ミーシャは紅茶を口に含んだ。口の中で香りが乱舞し、甘みが舌をとろけさせるようだった。鼻に突き抜ける香りは全く下品ではない。芳醇な香りはそのまま喉に至るまで続いた。


「……おいしい」


「だろう? 私は、自慢ではないが紅茶にはうるさいほうだ」


 ウィペットの言い草にミーシャは思わず吹き出した。すぐに笑いを鎮めようとするが、ウィペットもつられたように笑う。


 その時、端末に着信が届いた。取り出すと母親からだった。


「お母さんから」


「私が代わろう」


 ウィペットが端末を手に取り、母親と言葉を交わす。


「ええ。先ほど娘さんをお見かけしたので、風邪を引くと思い、勝手ながら私の宿舎へと。……はい。ついでに検査は済ませますのでご心配なく。はい」


 通話を切り、ミーシャへと端末を手渡す。受け取り際に、「いい母君だな」とウィペットが言った。


「そんなことないですよ」


「こんな状況下でも娘を心配する。普通ならば自分だけで手一杯だ」


 ミーシャは端末を仕舞いながら、「あの」と口を開く。「うん?」とウィペットが反応した。


「お母さん、母にはばれていないでしょうか?」


「恐らくは。あの時、閉まりかけていたシェルターからお前を見たのは私だけのはずだ」


「……よかった」


 ミーシャはホッと胸を撫で下ろす。ウィペットが尋ねた。


「どうして正体を隠す?」


 言うべきか。ミーシャは逡巡を浮かべたが、ウィペットはここまで自分を信頼してくれている。応ずるべきだ、とミーシャは語った。


「お父さん、父との約束なんです」


「約束?」


「このレッドフレーム」と胸元に手をやりながらミーシャは続ける。


「父の研究成果みたいで。でも、決してレッドフレームになれることを明かしてはならないって言われたんです」


「父親は?」


 ミーシャは首を横に振った。ウィペットは理解したのか、「そうか……」と目を伏せた。


「残念だった」


「あたしは、最初よく分からなくって。目の前で父がグランマに殺されて、その時にレッドフレームになったみたいで」


「私が見た戦いだな。レッドフレームは確かに、グランマを圧倒していた」


「あの時は、どう戦ったのか、ほとんど覚えていなくって。ただ闇雲に戦ったら、できたって言うか……」


 語尾を小さくしてミーシャが言うと、「お前は」とウィペットが口を開いた。


「誰にも言ってはならないと父親に言われ、厳格に守り通したというわけだ」


「ええ。ウィペットさんには、ばれてしまいましたけれど」


 ミーシャが肩身を小さくさせると、ウィペットはミルクティーを飲んで顎に手を添える。


「ではあの時、既にレッドフレームの力はあったのか」


 あの時、というのはミーシャが初めてウィペットに出会った時だろう。ミーシャは首肯した。


「ならばどうして、ブルーフレーム隊に志願しようとした? レッドフレームの力さえあれば、そんなものはいらないだろうに」


 ミーシャは顔を伏せて、「夢だったんです」と告げた。ウィペットが、「夢?」と聞き返す。


「青ずきん部隊、ブルーフレーム隊になることが。周りはみんな、そんな夢はおかしい、って言うんですけど父だけはその夢を追いかけることを許してくれて。せめて、父の前で誓った約束は全て果たしたいと思ったんです」


「約束、か」


 ウィペットはミルクティーを飲みながら小窓の外へと視線を移した。まだ雨はしとしとと降り続いている。


「羨ましいな」


 出し抜けに放たれた言葉に、ミーシャは、「えっ」と聞き返した。ウィペットがミルクティーを呷って、「そう思えることがだよ」と言った。


「私には他に選択肢がなかった。ブルーフレーム隊になることでしか、自分の存在意義を示せなかった。だから今、ここにいる。こうすることがきっと、色んな人の供養になると信じているから」


「ウィペットさんは、どこの生まれなんですか?」


 訊くべきではないかと思ったが、口について出ていた。ウィペットは、「辺境のコロニーさ」と窓の外を眺めた。


「グリム7というコロニーでね。小規模生活コロニーで人々がひしめき合って生活していた。お世辞にもいい環境ではなかった。衛生状態も生活レベルもここに比べれば底辺さ。私はそんな生まれに縛られるのが嫌で、ブルーフレーム隊に志願した。適性があったからよかったが、なかったらまだあのコロニーで暮らしていたんだろうな」


 ウィペットが遠い目をする。その目が既に過ぎ去った過去を捉えているのだと感じたミーシャは視線の先を追った。灰色の雨が焦土と化した地表に降りしきる。


「あたし、何も考えていませんでした」


 窓の外を見ながらミーシャは懺悔の言葉を発した。


「レッドフレームの力に任せて、もしかするとコロニーを破壊していたかもしれない。大事な人たちを、あたしの手で殺していたかもしれない」


「そう自覚できるだけマシさ。欠けている人間はそれすらも考えられない。お前には感じる心があった。私としては、それがある意味幸福だと感じる」


「幸福、ですか」


「何も感じない心は奈落へと通じる闇だ。痛みを感じられる間は、自分はただの兵器ではないのだと判断できる。たとえ最前線に立とうが、グランマと同一の脅威だと思われようが、己を曲げずに戦い抜くことができる。私こそ、礼を言わねばならないかもしれない」


 ウィペットが立ち上がり、ミーシャに頭を下げた。「どうして」とミーシャが戸惑う。


「私たちの力だけでは、先のグランマを撃退できたかどうかは分からない。その点ではお礼をさせて欲しい」


「お礼だなんて。あたしはただ、自分の思うようにやっただけです」


「それでも、覚悟をしている。だから、果実のグランマにも立ち向かえた」


 ウィペットが椅子に座り、優しく微笑んだ。


「覚悟……」


 放たれた言葉はミーシャの中に深く重く残響した。本当に自分の中に存在するのかどうかすら危うい言葉。ただのヒーロー感覚で戦っているだけと罵られても仕方のない自分には持つべき言葉なのか分からなかった。


「あたし、ずっとヒーローが好きだったんです」


 発した声をウィペットは黙って聞いていた。


「だから青ずきん部隊が大好きで、みんなの笑顔のために、青ずきん部隊は戦っているんですよね?」


 確認の意を込めた言葉に対して、ウィペットは僅かに顔を逸らした。先ほどの話から、ウィペットは自分の思っているような理想像を持っているわけではないことは分かっている。青ずきん部隊が皆、理想の姿を持っているかといえばそうではないだろう。


 だからこそ、問いかけたい。そういう人間も中には、いるのかどうか。志は枯れていないのかどうかを。


 ウィペットは幾ばくかの逡巡の間を浮かべた後に、「期待しないほうがいい」と声を発した。


「私とて、そのようなヒーローである感覚などない。みんなの笑顔のために戦うなどという崇高な目的を持ち合わせているかと問われれば怪しい。ただ……」


 ウィペットは立ち上がった。自分のカップを持って、言葉を彷徨わせる。ただ、何なのか。ミーシャが答えを待ち望んでいると、ウィペットは首を振った。


「いや。そういう人間になれれば、それはとても喜ばしいことだな」


 それはほとんど答えに近かった。ウィペットは自身や見知っている青ずきんを含めてそういう人間はいないと言っているのと同じだった。その言葉はミーシャの中にあった、理想という幻想に亀裂を入れるのには充分だった。


「そう、ですか。そうですよね」


 覚えず自嘲の笑みが漏れる。何を期待していたのだろうか。ミーシャは額を押さえた。


「馬鹿みたいですよね、あたし……」


 勝手に期待して落胆している。ウィペットからしてみれば身勝手に飾り立てられて迷惑極まりないことだろう。


 ただ、そうあって欲しかっただけなのだ。理想であっても、そのようなヒーローがこの世に存在して欲しい。それは願いそのものだった。ウィペットはミーシャから視線を外し、「志は同じだ」と擁護の口を開く。


「人類の平和を願っている。グランマに怯えないで済む、平穏を」


 そんな日を求めて、たくさんの少女たちが命を散らしていった。グランマをこの宇宙から駆逐するために。彼女たちの犠牲は尊く引き継がれているのだろうか。


「でも、青ずきん部隊の人々全員がそう思っているとは限らない」


 ミーシャは自分の発した言葉の冷たさに顔を伏せた。理想像としていたヒーローを目の前で否定され、ミーシャにはどうすればいいのか分からなかった。


「今日はもう休むといい」


 ウィペットがミーシャに声をかける。ベッドを顎でしゃくり、「私は床で寝る」と告げた。


「そんな。何か悪いです……」


 ミーシャが語尾を小さくすると、「仮眠室ならいくらでもある」とウィペットが言った。


「私がどこで寝ようと気を遣う必要はない。どうせ軍のベッドはどれも似たり寄ったりだ。それに、少しばかり調べたいことがある」


「調べたいこと、ですか」


 ウィペットは頷き、「レッドフレームのことだ」と口に出した。


「明日、解析させてもらう。今のままでは不安要素が大き過ぎる」


 それは、確かにそうだろう。ミーシャもレッドフレームがどのようなものなのか知る必要があると考えていた。


「それじゃあ、お言葉に甘えて」


 ミーシャが紅茶を呷ってテーブルに置く。ウィペットが置いたカップを手にとって、「もう寝るといい」と忠告した。


「明日は早いからな」


 ウィペットの言葉に従い、ミーシャはベッドに横になった。ウィペットが電気を消して、部屋を後にする。連日の無理が祟ったのか、ミーシャは十分と待たずにうつらうつらと深い眠りの淵へと落ちていった。


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