第十話「最後の涙」
「ミーシャ。何を考えているの」
シイナに口を出され、ミーシャは黙した。母親も先ほどのミーシャの言葉に狼狽しているようだ。
「ミーシャ。お父さんはどうしたの?」
ミーシャはその言葉にびくりと肩を震わせたが、やがて首を横に振った。「そんな……」と母親が泣き崩れる。これ以上、悲しむ人間を見たくなかった。
「あたしは青ずきん部隊に入る」
「ミーシャ」とシイナが肩を掴む。その眼には親友として止める義務があるという強い意思が宿っている。
「何を言っているのか、分かっていてそんなことを」
「もちろん」
分かっている。ミーシャは胸元に手をやった。今も体内にあるであろう赤い銀河を感じながら、強く口にする。
「グランマで悲しむ人を見たくないから」
「分かっているの?」
シイナはあくまでも止める側に入るようだった。眼前に回ってきて大仰に言った。
「戦争なんだよ」
それはグランマの脅威を目にしたから言える言葉なのだろう。自分とてグランマと青ずきんの戦闘など対岸の火事だとばかり思っていた。平和がこんな簡単に瓦解するとは思っていなかった。
――いや、とミーシャは胸元に手をやって拳をぎゅっと握り締める。最初から平和などなかったのかもしれない。この世界は危うい均衡の上に成り立っていたのだ。いつ、どこにグランマが現れてもおかしくない不思議。
それを視界の外に置いていたのは人類だ。勝手な理論で、見ないようにしてきた。父親は世界が変わる研究をしていた。その世界とは偽りの平和を享受する人々が変わらざるを得ない世界ではないだろうか。変わって、一歩踏み出すためのきっかけがこの胸の中にある赤い銀河なのだ。
「また、ヒーロー感覚で入ろうと思っているんなら――」
「ヒーロー感覚じゃない」
――本物のヒーローとして戦う。
そこまでは口にせずに、シイナの眼を真っ直ぐに見つめた。ウィペットは嘘偽りのない、現実としての青ずきんだった。グランマの存在も、自分の得た力もまた現実だ。今までの虚構のガラスの向こう側にいるのではない。真実の意味でこちら側に全てが存在する。
シイナはしばらくミーシャの眼を見つめていた。宿る決意が本気なのかと問いかけているようだった。やがて一つ息をつき、家族のほうへと振り返った。
「ゴメン。お父さん、お母さん」
家族がシイナの言葉の意味を解す前に、ミーシャへと顔を振り向けた。
「わたしも青ずきん部隊に入る」
ミーシャは目を見開いた。あれほど忌み嫌っていたシイナが入ると言い出すとは思わなかったのだ。家族も困惑して、「どうして」と声を上げる。シイナは、「だから謝った」と短く告げた。
「本当に親不孝だと思う。だけど、ミーシャが行くって言うんだから、放っておけないよ」
もちろん、納得はできないだろう。親心ならば止めたい気持ちがあるに違いない。シイナは家族へと向き直った。口に出して言ってみせる。
「引っ叩くなら、今叩いて。お父さん、お母さん。それでもわたしの覚悟は変わらない」
シイナの言葉に家族は当惑の眼差しを交し合う。ミーシャも歩み出て、母親の前に立った。母親が涙に濡れた瞳を上げる。ミーシャはちくりと痛みを覚えたが声に出した。
「あたしも。同じ覚悟だから。引っ叩いて、お母さん。お父さんがいなくなったのに、こんなことを言い出すあたしを」
後腐れのないように、という覚悟の現われだった。
何よりも親友が自分の痛みを背負って前に出ようとしているのだ。自分が前に出なくてどうする。母親は首を横に振る。
そんなことはできないと言うのだろう。シイナの家族は何も言えなくなっていた。ミーシャが、「お母さん」と手を取る。その手に父親の形見である白衣の一端を握らせた。母親は、「嫌……!」と切れ端を取り落とす。
「お父さんは死んだの。あたしの目の前で。多分、お父さんは背中を押してくれる」
母親は一瞬だけ苦痛に顔を歪めたかと思うと、ミーシャの頬を引っ叩いた。
乾いた音がシェルターの中に響き渡る。ミーシャは熱い痛みと共に母親へと視線を返した。母親はより一層涙を溜めて顔を伏せる。
ミーシャは前を向いて、「ありがとう」と口にした。母親が顔を背ける。ミーシャは母親の手を握り締め、もう一度、深く、「ありがとう」と言った。
母親がその度に首を振って、ミーシャの身体を抱き締めた。離れていって欲しくない、それが本心なのだろう。痛いほどに伝わる本音にミーシャは目を伏せた。父親の望んだことではないのかもしれない。悲しませるだけ悲しませて、何の意味も成さないのかもしれない。それでも、前に進むためには必要だった。因果を断ち、自分の足で人生を踏みしめるために。
痛みに喘ぐ人々が身を寄せ合うシェルターの中で二つの家族の運命が決した。その眼に輝きを宿したミーシャの瞳から、最後の涙の一滴が流れ落ちた。