花は散りゆく
「あーあ。今日はお祭り、なくなっちゃうのかな」
しとしとと雨が音を立て、降り止む気配のみられない曇天をぼんやりと眺めていたティアナがぽつりと呟いた。
誰に言うでもないその言葉は自室の空に消えていく。
花開く穏やかな季節に雨など珍しく、祭りのために国民たちがこぞって街を華やかに飾り付けていた様子がティアナの目に浮かぶようだった。
「みんな、あんなに頑張ってくれていたのにな。雨、か……」
空と同じくティアナの気分もとても重たいものであった。
王花祭が中止になるかもしれないというのもあるが、もう一つの原因が占める割合の方がとても大きい。
「ティア、入るよ」
暗い気持ちを吐き出すかのように一つため息を溢した時、ドアをノックする音と優しいがティアナの耳に入ってきた。
「はーい。どうぞ、開いてるよ」
その声から察するに、訪れた人物は兄のシャルルだろう。
ということは、ロレンスも一緒であるはずだ。
「おいおい、せっかく祝いに来てやったのに王女様はご機嫌ナナメか?」
ティアナの思った通り、部屋に入ってくる二つの足音に続いて茶化すようなロレンスの声がした。
くるりと振り返って窓に背を向けたティアナはフンと鼻を鳴らす。
「まさか。夏祭りに行けないからっていい歳して拗ねちゃうような誰かさんとは大違い……って、その花束は?」
まさに売り言葉に買い言葉というものか、昨年の夏祭りの時期と隣国での公務とが重なり、ロレンスが酷く落ち込んでいた際のことをティアナは口にする。
しかし、そんな彼女の興味はすぐにロレンスの後ろ手に隠された花束へと移っていた。
あまりにも大輪の淡い水色をした小さな花弁の花束に宝玉のような藍の瞳が丸くなる。
「ああ、これな。昨日公務で出掛けた先で売ってたんだ。ちょうど……その、お前の誕生日だし、いいかと思ってさ」
まごまごと尻切れの悪く言ったロレンスの頬は薄らと赤くなっている。
いくら妹であるとはいえ、彼が女性のために花を買うだなんて珍しい事過ぎて
今朝から雨が降り続けているのはそのせいではないだろうかとティアナは小さく笑みを浮かべた。
「ほら、ロロ。せっかくティアのために買ってきたんだろう? 早く渡さないと俺が先に渡してしまうよ」
くすくすと笑いながらシャルルがロレンスのから肩を叩く。
少しばかりやっつけのようではあったが、その言葉に促されたロレンスはティアナの前に花束を差し出した。
「ティア、誕生日おめでとう。……今年こそお前にいい相手が見つかるように、だ!」
ロレンスからの精一杯の祝福の言葉と共にティアナは花束を受け取った。
花の名前は分からなかったが、ふわりと甘さを含んだ爽やかな香りが鼻先をくすぐる。
「ありがと。今年こそ素敵な人の元へ行っちゃうかもしれないけど、ロロは泣かないでね」
意地悪く返したティアナだったが、その胸の奥がチクリと痛んだような気がしていた。
「ティア、俺からはこれを」
柔和な笑顔のシャルルがそっと小さな箱をポケットから取り出してティアナに見せる。
花束を左腕で抱え直したティアナは手のひらをシャルルへ向かって差し出した。
「誕生日おめでとう。今年もティアが花のように美しくありますように」
流石はシャルル、とその甘い言葉をティアナはむずむずするような気持ちで聞いていた。
片手が塞がっているティアナの代わりに箱に掛けられた水色のリボンを解いたシャルルは、中に入っていたペンダントを取り出す。
角度によって深い藍のような、淡い水色のような、まるで空と海が入り交じったような丸い宝石に金で装飾が施されているペンダントはまるで自分の瞳と同じだった。
ティアナの後ろへ回ったシャルルがペンダントを着けてくれると、白を基調としたお気に入りのワンピースにとてもよく調和している。
「ありがとう、シャル。とっても綺麗だね」
今度のパーティーではこのペンダントを着けていこうか。
ロレンスにもらった花も美しいままドライフラワーにして、髪飾りでも作ってみようか。
そんな楽しみを胸の内に、ティアナはにっこりと微笑んだ。
つい昨晩見た夢の中での出来事など、まるで気に留めていないかのように。
夢でナイトメアが言っていた言葉が真実でなければ、こうして二人と楽しく過ごせる日々が続くのに──。
一瞬だけ、そんな思いに暗い表情をしたティアナに気付いたのはシャルルであった。
「ティア、大丈夫だよ。俺が──俺たちが、ちゃんと呪いを解いてみせるから」
優しい声音であったが、心の内を覗かれたようなシャルルの言葉にティアナの体はビクリと跳ねる。
どうして何も言っていないのに、シャルルは知っているのだろうか。
真向かいのロレンスに視線を遣ると、同じく真剣なすみれ色の双眸が向けられている。
「親父から全部聞いたぜ。お前があの日からずっと、誰かは知らねぇけど付け狙われてるって」
「……なんで、父さまが?」
不思議がるティアナにロレンスが一通の手紙を差し出した。
握り潰したような跡が残る便箋を受け取ったティアナはそこに綴られた文字を目で追い、唇を噛む。
「隠してても、無駄って訳か……」
ぽつりと呟くティアナの肩にシャルルの温かな手がそっと置かれる。
「ティア、詳しい話を聞かせてくれないか?」
ため息を溢すティアナに優しくシャルルは尋ねた。
全てが夢であれば良かったのに。
ティアナのそんな願いは届かず、ナイトメアの言葉は真実であると一枚の手紙が物語っていた。