王と王妃
窓の外には曇天が広がり、今にも一雨きそうな雰囲気を醸し出していた。
エルメランド王国の国王はそんな曇り空の遥か彼方を見るかのようにぼんやりと思考を巡らせていた。
「──これは、やはり避けられようがないのだろうか……」
一人でどんなに考えてみてもいい結論に達することはなく、重いため息を吐き出した。
妻である王妃の待望であった王女が生まれてから早くも十六年の月日が経とうとしている。
時の流れというものは残酷すぎるほど早く、三人の子どもたちが無邪気に庭を駆け回っていた日もいつの間にか過去の思い出の中の光景となっていた。
「……いや、このまま奴の思い通りにはさせない」
国王は手の中にある一通の手紙をくしゃりと握りつぶした。
王女の生誕から十年を祝う王花祭、その日から王の元へ届くようになった忌々しい手紙である。
──六年前の王花祭のこと。
十年の区切りとして行われた花の儀と呼ばれる儀式を行っていた際、何の前触れもなく王女が意識を失った。
ざわめく国民たちを前に、傍についていた二人の王子が場を取り持ってくれたお陰で大きな騒動にはならなかったのではあるが、肝心の王女はその日から三日間の深い眠りに落ちてしまったのである。
目覚めた王女には特段何の変化はなかったものの、その翌日に最初の手紙が届いたのだった。
初めは誰かの悪戯かと思っていたのだが、年を重ねるごとに穏やかではない内容へと変わっていく文面にはただの悪戯で済まされないようなものもいくつかある。
今年も、王花祭前日である今朝、また例の手紙が届いたことに王は頭を悩ませていた。
一人で抱え込んでいても仕方がないので魔術に長ける国から迎えた王妃に相談してみようかと思い始めた頃である。
コンコンコン、と重厚な木製の扉を叩く音が部屋に響いた。
「──誰だ?」
「妾じゃ。何、怪しい者ではない故安心せい」
王の問い掛けに特徴的な口調の、耳に心地よい声が返ってくる。
慌てて重い腰を上げて出迎えれば、つい先ほど思い描いていたすみれ色の瞳がにっこりと柔和な笑みを作った。
「ファナ! どうしてここへ?」
「どうもこうもないであろう。そちと妾は夫婦じゃ。共に苦難を越えていこうと誓い合った仲ではなかったか?」
少し悪戯っぽく言ったファナは首を傾げてみせた。
その容姿はまるで三人の子を産み育てたとは思えないほどに若々しく、妻に迎えた頃から一つも変わりのないように思える。
ファナのさらりと癖のない白金の髪が肩から滑り落ちたのを掬い上げ、そっと口付けた後で王は困ったように微笑んだ。
「君の言うとおりだ。でも……」
「そちのそういう所、変わらんのぅ。妾は好きじゃ。だがな、隠し事はせんで欲しい……何かあったんじゃろう? はて、子どもたちに関わることか?」
ファナには王の考えていることなど何でもお見通しなのだろうか。
すらりとした華奢な手が王の頬を優しく包み込み、優しいすみれ色が尋ねる。
「シャルルもロレンスも……ティアナも、三人ともそちと妾の子じゃ。優しくて強くて……とても温かな心をもっておる。少々の試練には立ち向かえるほどの勇気もあるぞ」
そよ風のような、透き通った柔らかな声が王の耳をくすぐった。
曇天から射し込む春の陽光が、まるで一筋の希望のように庭に咲き誇るトレーネ・アンジュの花を照らしている。
胸の支えが取れたように、王は一つ息を吐き出した。