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恋友達  作者: 青砥緑
9/13

9.

 そこから二軒はしごした夜半過ぎ。泥酔した木崎さんをやむを得ず我が家に回収した。コップに水を汲んで戻ると、床に転がった木崎さんはぶつぶつと文句を言っていた。

「何がクールビズは六月からだっての」

 その続きは私に向けられるのだろうと思った。ちょうど今日、その話を荻野谷さんとしていたから。しかし、続けられた言葉は明らかに私に向かってはいなくて、私は混乱した。

「完全デート仕様で何言ってんだ、十年前からお前のデートプランには進化がねんだよ」

 彼は更に何か言いながら寝入ってしまったけれど、私はすっかり酔いが醒めた。痩せた寝顔を覗き込む。

 この人は今、何の話をしたのだろうか。

 一晩かけて木崎さんの吐き出した言葉とこれまでの行動を掻き集めた私は一つの推測に至った。気づいた時からそわそわと心が落ち着かず、何度も思い違いではないかと考え直した。それでも一度気が付いてみると、すべてがそのようにしか見えなくなった。その晩を、私は一睡もできずに越えた。


 翌朝、だるそうに身を起こした木崎さんは這いずるように窓辺に向かい、無言で壁にもたれてぼうっとしていた。開け放たれた窓から朝の冷えた空気が流れてきて酔い覚ましにはちょうど良さそうだ。私はコーヒーを淹れてから彼に近づいた。

「木崎さん」

 緊張して手が震えたので、彼の隣に座り、マグカップを一度床に下ろした。「ん」と短く答えた木崎さんの顔は窓の外に向いたままだ。振り返られたらもう聞けない気がして早口になった。

「男の人が好きなんですか?」

 彼はゆっくり私を振り返って「あー」と声をあげた。

「違う」

 首を小さく横に振りながら返された返事は短かった。俯いてマグカップを発見した彼はそれを手に取ってコーヒーを覗き込むように丸まった。

「性別は関係ない」

 迷いのない口調だった。彼が人を好きになる基準に性別を用いないのなら。私の推測は確信に変わる。

「荻野谷さんが、好きなんですか?」

 彼は私を見て、にやりと笑った。肯定だと思った。

 これが、木崎さんのこれまでの私に対するすべての行動の根底にあったものだ。彼は偶然私を見つけたのではなく、荻野谷さんを見ていて私という存在に気が付いた。私に対して差し出された厳しい助言と気遣い、私が一度はそれが自分への愛情かと勘違いしたものは、嫉妬と、それから私と自分を重ねた彼の屈折した自己憐憫だった。私がかつて木崎さんに向かって吐き出した質問は、彼こそがずっと誰かに問いたかったものに違いない。どうして世の中には認められる恋愛と、認められない恋愛が存在するのだろうか。


 丸まっていたコーヒーを啜っていた木崎さんがもぞもぞと動き出して私に顔を向けた。

「昨日は巻き込んで悪かったな」

「慰めてあげるって、私が言いだしたことですから」

 彼が私を嫌な奴だと言った理由も、今なら分かる。他の誰よりも、私に慰めてあげると言われたくなかっただろう。私達は恋敵なのだから。でも、昨日は荻野谷さんの結婚記念日で、木崎さんは荻野谷さんが奥さんのためにデートを計画しているのを知っていた。好きな人の幸せを呪いながらじっとやり過ごすしかない時間は重く苦しい。きっと昨日でなければ、木崎さんは口を滑らせたりしなかっただろう。確かに彼は昨日、私に救いを求めてしまうほど苦しんでいた。

「お仲間だと、分かってしまったし」

 落ち込んでいる彼の心を軽くするつもりで軽口を叩いた。しかし、ぱっとこちらを向いた木崎さんの目は剣呑だった。

「お友達ごっこなら止めてくれ。俺とお前は全然違う」

 カチンときた。

「何か違うんですか?」

「お前、本気じゃないだろ。報われない恋に酔ってるだけ。可哀想な自分を楽しんでるだけ。荻野谷を追っかけてるのも今やポーズ。なんだよ、また殴る?」

 私は無意識に振り上げていた手を下ろした。殴ったら、彼の言葉を認めるのと同じだ。

「そうやって人のこと決めつけるの、みっともないですよ。私は木崎さんに負けないくらい本気です」

 木崎さんは「俺に負けない、ねえ」と皮肉に笑って乱暴に足を投げ出した。

「じゃあ、百歩譲ってお前が本気だとしようよ。それでも俺とお前はやっぱり違う」

「どこが?」

 木崎さんはうんざりした顔をした。

「そもそも俺は男で、お前は女だろう。全然違うよ」

 確かに荻野谷さんがこれから運命の相手を選ぶなら、そして彼が女性にしか興味がないのなら、圧倒的に私が有利だ。だから二人は同じ仲間とは言えないかもしれない。でも、状況はそうではない。

「それでも同じですよ。同じように荻野谷さんが好きだし、同じように報われない」

 私達は睨み合った。私は彼に嫉妬し、同時に憐れみ、憎んでもいた。木崎さんがこちらに腕を伸ばしてきたとき、そのまま首を絞められるのではないかと思った。しかし彼は代わりに荒々しく私の唇を塞いだ。乱暴に私の肩を掴んだ指が震えていなければ、遠ざけようと触れた眦が濡れていなければ、私は必死に抵抗したに違いない。でも、彼が泣いていると思った瞬間、憎い恋敵は、愛おしい仲間になってしまった。

 私達は同じだ。一人の男を愛し、その想いを望まれていないという点では本当にどこまでも全く同じだった。

 倒れたマグカップからコーヒーが流れ出し、二人に歪な染みを残した。


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