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恋友達  作者: 青砥緑
10/13

10.

 秋生は中学校に入って友達に影響されたのか、おしゃれに目覚めたらしい。髪型にも気を使い、ときどきつけすぎたワックスが髪の毛の先に残っているのを見かけることがある。でも中身は急には変わらない。ぶつくさと文句を言いながら、国語の教科書と原稿用紙を並べて書いては消してを繰り返している。秋生はどちらかというと理系脳なので感想文みたいなぼんやりした課題が苦手だ。それでも教育実習生の研究授業にどうしても必要だとかで、延々と悩まされている。

「感想文なんて何の意味があんの?」

 せっかく書いた文章を三行分もまとめて消しゴムで消しながら、秋生は途方に暮れた声をあげた。

「自分の気持ちを人に伝える練習だよ」

 消しゴムをかける手を止めて私を一瞥した秋生は、今度は黙って原稿用紙に向き直った。ニキビの跡の残る頬に伸ばしかけの前髪の影が落ちている。


 何とか感想文を書き終えた秋生のリクエストで少し長めに休憩を入れる。普段ならつっぷして寝たふりをするか部屋を出ていくのに、今日はだらしなく机に肘をついたまま小さくなった消しゴムを弾いている。問題集をめくっていると唐突に秋生から質問が来た。

「先生。女って年下の男は嫌いなの?」

 途中まで数えた問題数を忘れないように慌ててメモをとってから顔を上げた。秋生はだるそうな姿勢のまま、視線だけしっかりこっちを向いている。

「さあ。嫌いな人もいるだろうし、全然平気な人もいるでしょうね」

 誰か、先輩にでも何か言われたのだろうか。秋生は何か引っかかるところがあるようで食い下がってきた。

「でもさあ、年下は嫌だって言うじゃん。年上の方が良いって」

「一般的にはね、上の方がモテるのは確かかも」

 私の唯一の恋愛は荻野谷さんなので、私のn=1のサンプルでは年上がモテることになる。もう少し視野を広げてみても、やはり女性は年上の男性を好む傾向があると言っていいように思う。

 秋生は思い切り眉を寄せた。

「ずりくね?」

「誰が?」

「みんな」

 つまり、早く生まれただけで有利な男も、秋生より早く生まれてしまった女も。

「そうね。ずるいね」

 私は全面的に同意した。いつ生まれるかなんて、どうしようもないこと。いつ出会うのかと同じくらい、どうしようもないこと。そういう努力ではどうしようもないことが、往々にして決定的な意味を持つ。

 私の返事に真剣さを見出したのか、秋生は肘つきを止めて顔を上げた。

「先生も年下の女に男取られたりしたの?」

 失礼なことを平気で言う。

「しない」

 年下の女など眼中にない。私の恋敵は一回りも年の離れた彼の妻と、それから同じだけ年の離れた彼の友人だけだ。

「ただ、私ももう十年早く生まれたかった」

 そうしたら大きな声であなたが好きですと言えたのに。

 私の心からの願いを聞いた秋生は鼻で笑った。

「ゼータクだな」

 それからくるりとペンを回して彼は続けた。

「俺は七年でいい。あと、七年だけ早く生まれてれば良かった」

 私は驚いた。今、秋生はそんなに年上の女性が好きなのだろうか。七つも離れていては中学生同士の可愛い恋とはいかない。相手に奇跡的に振り返ってもらえたとしても、その先に大人と子供という問題が立ち塞がる。世間に認めてもらえる恋愛になるまで何年も、七歳年上の女を繋ぎとめておくことは絶望的に難しい。

 ふと黒くなった原稿用紙に目が向いた。秋生の思いの丈を乗せた紙切れ。教育実習生は可愛い女子学生なのかもしれない。


 授業が終わり、私達はいつものように一緒に家を出た。秋生は私の少し先を両手を尻ポケットに突っこんで顎を突き出すように歩いていく。家の中ではちゃんと歩けるくせに、外では恰好をつけないと歩けないらしい。脱げないのが不思議なくらい腰の低い所でひっかけたジーンズと大きすぎるTシャツの中で細い身体が泳いでいる。

「秋生が七年早く生まれていたら、私の教え子にはならなかったね」

「何、先生寂しいの?」

 後ろから声をかけると、秋生はちょっと笑いを含んだ声で応えた。そこは駆け引きをする大人の問いかけではなく、純粋に面白がっている子供のままに。

「寂しいよ」

 きちんと真面目に返事をしたら、秋生は黙ってしまった。まだ、秋生には少し難しいに違いない。友情や恋愛じゃなくても、人を大事に思う感情は存在する。一つ一つ、違う色合いの、一つ一つ、特別な執着。私が秋生を思うように。木崎さんを思うように。なるべく彼にも分かりやすいように少しだけ「ばらして」あげた。

「大事な教え子第一号だもん。生意気でしょうがないけど」

 秋生は荒々しく鼻息を吐いた。しばらく無言で歩いていたが、急にトトっと軽く足を弾ませて戻ってくると斜めに私を覗き込んだ。

「でもさあ、俺が七年早く生まれてたら別の誰かが最初の生徒になるだけじゃん。そいつが第一号になるんだから、別に寂しくないんじゃねえの。最初から俺のこと知らないんだから」

 明快に言い切られたことに驚いて、それから徐々に笑いがこみ上げた。

「あは、ははは。ふふ」

「はあ? 何笑ってんの?」

 隣から不機嫌そうな声がする。

「ふふ、ああ。すごいね、秋生」

 秋生は眉を寄せて不審そうな顔になった。自分がどんなにすごいことを言ったのか、彼はちっとも分かっていない。

「あんた、すごいよ」

 七年早く生まれたら、秋生は年上の女と同じ年になって、その女にまた巡り合って、また好きになって、今度は「ずる無し」で彼女を巡る勝負をするつもりでいるのだろう。七年早く生まれたら、今と同じように彼女に巡り合うことはできないのに、そこは何とかなると思い切り夢を見て、でも、私のことは端から知りもしない関係になるのだから感傷も生まれないとばっさりだ。無邪気で、残酷。秋生の潔さが羨ましかった。

「訳分かんねえ」

「やっぱり第一号の生徒は秋生がいい。だからあんたは七年早く生まれるのは諦めなさい」

「勝手だなあ」

 秋生はぼやいてまた私に背を向けた。伸ばしかけの髪から覗く耳たぶが赤かった。


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