晦日月
とんてんからりん とんしゃらりん
山の端にも 街灯にも 並べて降るは 月あかり
透かして見たら まほろばの 雲の間に間に 夢のあと
「ねぇ。ちょいとご覧よ、あれを」
「なんでぇ、人の寝入りばなによぅ」
それでも聞こえた声色の先に、何やら面白そうな物を感じ取るともう寝てなぞいられやしない。
「天神祭りのお囃子に惹かれちまったのかねぇ。あんな小さい子が可哀想に」
心配気な言葉尻に目を向ければ、幼い子どもが泣いていた。
「母ちゃんとはぐれちまったかな、こんな所まで独りでよ」
耳を澄ませば、祭囃子が風に乗って微かに聞こえる。
「あっ、もう。転んじまったよ、どろんこだ。とっぷり暮れちまった薄闇ん中じゃ足元なんて見えちゃいないんだろうねぇ」
たった一人でつっ立って、幼い子供が泣いている。
母ちゃんおいらはここだよと、心細げに泣いている。
「見ちゃらんねぇなぁ」
「あ、ちょいと!……気ぃつけんだよ、あんた」
その声に、振り向いて笑った。
「あいよ。合点承知の輔」
年に一度の秋祭り。天神様のお社の、周りにぐるっと一回り。
甘酒、餅屋、釣遊び、お面に風車、飴細工。
夏も前からずううっと指折り数えて、ようやっと。
妹おぶった母ちゃんに、強請って買うて貰ったのは鶴の飴細工。
つるんと白い、綺麗な羽を今でもようく覚えてる。
とんてんからりん とんしゃらりん
「かぁちゃーあぁん、かあちゃーぁん…………」
転げて擦り剥いたのは、膝小僧。
呼んでも泣いても、暖かい母ちゃんの姿は見えない。
腹は減るし、辺りはもう夕暮れから夜の闇に衣替えを始めてる。
何処をどう歩いたのか、気がつきゃ細い道の行き止まり。
大きな木の、その根元で疲れて座る小さな体。
ひっく ひぃっく ひっく……っく
「……ちょいと、坊」
声にびっくり驚いて、坊やが顔を上げたらそこに、
人の良さそうなじいさまがニコニコ笑って幹の端から覗いて見ていた。
「ああ、何も捕って食おうってんじゃないんだ。驚かせちまったかね。坊、おっかさんと逸れたかい?」
幼子は、びっくり顔のまんまで頷いた。
「……お囃子、舞で、ひよこ見てたら…母ちゃんいなくって、そんで……っく」
「ほうほう。祭囃子の舞に浮かれて夜店の雛を見ておったら、おっかさんと逸れたんだの」
幼子は頷いた。頷きながらもしゃくりあげる顔は、涙と鼻水が滝のよう。
「おうおう、困ったのう。どれどれ」
とんてんからりん とんしゃらりん
爺の舞は摩訶不思議。
奇なる天なるとんちんかん。
「あー、ほれほれ、あらよいよい」
好々爺の意外に身軽なその姿。大きな風呂敷みたいな着物に膨らむ袴。
坊が呆気にとられたその後は、気がつきゃ涙の川も干上がった。
とんてんからりん とんしゃらりん
「いいかい、坊。あすこの小さなお地蔵さんを曲がってな、後はまーっすぐ歩くんだ。良く聞いとくれ。ここらにゃ人を騙して、そう、丁度坊が大事そうに持ってるような菓子を騙し取るかわうそってぇケチなやつが出るのさ。だから気ぃつけなきゃならないよ、いいね」
「うん、わかった」坊やは頷いた。母ちゃんの飴をしっかりと握り締めながら。
「ほうほう、良いお子じゃ。ええかの、おっかさんとおとっつぁんの言う事をようく聞いて両の足でしっかり歩くといい。これはの、無事に帰れる呪いだからの。家に着いたら皆で食べるといい」
そうして爺様が持たせてくれたのは、見た事もない飴。
坊やが強く握り締めてすっかり元の形が解らなくなった、鶴と違って、
大きくて長くて立派な尾を風に棚引かせる鳳凰の飴細工だ。
「うわあ、大きな飴!」
「おっかさんにはの、天狗の爺にもろうたと言うとくれ。ささ、急がないとかわうそが出るぞ」
雲の間に顔を出したお月さん。お陰で爺様の示した道ははっきりと見えている。
「ありがと、天狗の爺様」
何度も振り返り振り返り、小さな両手に二つの飴抱えて、幼子は真直ぐに駆けて行った。
それは朧月夜の物語。
雲の間に見えたのは 夢かそれとも幻か。
時は流れ人は遷り、戦も災いも幾年過ぎた。
どんなに耳を澄ましても、もう祭囃子は聞こえない。
「……やだ、やだ。いやだっ!」
「駿、我侭言うんじゃ……あ、こら、待ちなさい!」
冗談じゃない。大人が勝手なのは知ってるけど、本気で冗談じゃない。
大きな古ぼけた庭を飛び出して闇雲に走ったのは、少しは心配したり慌てたりして大人も反省すれば良いと思ったから。子供が我侭って言うけど、大人の方がワガママだって。
「あれ……、ここ。さっきも通った」
道に迷ったのはわかったけど、見上げる空は晴れていて日も高い。
大丈夫、この間ショッピングモールでママと逸れたけど、全然平気だったし。
「んー、と。うん、バッテリーも充分だから、パパが来るまで続きしよう」
日差しはじりじりと暑いし、丁度涼しそうな木陰、根っこに座ってゲームを始めた。
「……あーっダンジョンクリアできなーい!もう、飽きちゃった。パパ、まだかな」
ふと気がつけば、あんなに暑かった日差しが薄っすら出てきた雲に翳っている。
少し、風も冷たい。
「……上着、車ん中だ……」ぶるり、と身を震わした。見渡せば、薄暗い辺りに見えるのは荒れ放題の田んぼに畑、細いあぜ道に、朽ちかけた水路の蓋、苔だらけの汚れた地蔵。
見慣れない景色に、馴染めない程澄んだ空気は、少年を心細くさせた。
バッテリーが尽きつつあるゲーム機は、背中のバックパックに仕舞った。
することもないので、独りその場で膝を抱えた。
「パパ、まだかな……」
もしかして、パパも迷子だたったりしたらどうしよう。こんな田舎どこ見ても同じなんだもん。
膝を抱える腕にぎゅっと力を込めて地面を見た時、ふいに人の声が降ってきた。
「もし、坊は迷子かの」
「うっうわあぁ!」
声に弾かれるように見上げれば、そこにはやたらにこやかに笑う爺さんがいた。
テレビの教育番組で見たような、やけに袖の長くてたっぷりした着物に袴姿の小柄な爺さんだ。
白髪の髪は後ろで一つに束ねているようだが、何よりその、昔話の絵本に出てくるような
ニコニコ顔が正直不気味だ。ここまで満面の笑顔で話しかけてくる人物は、少年にとって既に亡くなった曽祖父くらいのものだった。曾爺さんだって、小さい頃に二三回会っただけだ。
「はて。そこまで驚く姿だったかの。ちと時代遅れじゃったか」
あまりに突然現れた爺さんに、出すべき言葉が見つからない少年がただ呆気に取られている。
「ほれ、坊。まあ姿形はどうでもええわい。おっかさんかおっとさんとはぐれたんじゃろ?」
「……お、っとさん?」
「なんじゃ、言葉まで通じんのかいな。ほれ、えーと、マミーとダディーゆうたか?」
「ああ、なんで英語……うん。パパとはぐれたんだけど、お爺さんはここの近所の人?」
漸く返事を返した少年に、爺さんはにっこり笑って言った。
「ほうほう。わしはもう先からずーっとここに居る。どうかの、坊が寂しゅうないように爺の舞でも見せようか。それとも直に帰り道を教えようかの」
爺さんは笑顔で言ったけれど、少年は首を振る。
「寂しくないし、もう少しここに居る。……パパは、もう少し困るべきだと思う」
「おっとさんを困らそう、いうんかの? わざと」その答えは、少年の頷く顔。
爺さんはため息をついて、少年の隣に座った。
「そうか、じゃあ坊が持ってきたげーむでもやるかの?」
「ううん。もう充電ないし、無理」ぶっきら棒に答えながら、少年は抱えた膝に顔を埋めた。
「……さよか。ほんなら、爺が昔話でもしようかの」
「昔話?」
お爺さんは僕を一体幾つだと思ってるの、と言いかけたけれど、見上げた爺さんの横顔が
なんだか楽しそうだったから、止めた。
「むかーし、昔の話での……」
耳を澄ますと聞こえた音は、ぴーひゃらぴーひゃら ぴーひゃらどん
日の光を弾いた稲穂は眩しくて、高い空を飛んでく鳶も軽やかに。
泥饅頭をこさえては交わした約束、小指の痕。赤い花の髪飾りはいつかの姉さん花嫁衣裳。
電気の下じゃあ唯の虫に石ころだけど、月夜にゃ化けるよ天女にも。
お天道様とお月様、一緒に生きて笑ってさ。
ぴーひゃらぴーひゃら ぴーひゃらどん
「……駿! こんなとこに居たのか、ほんっとに探したんだぞ」
「パパ!」
「お、おい。……寂しかったのか?」
「……」少年は返事はしないけれど、父親のズボンを握り締める拳の白さは心細かった事を正直に伝えた。
「ごめんな、色々急に決めちゃったから、驚いたよな」大きな手が、頭を撫でる。
少年は俯いたまま目を擦ると、父親の手を握った。その手に有る物に気付くと、少年の目の高さに合わせる様にしゃがみ込んだ。
「……駿、これ、どうした?」
少年が手にしていたのは、竹の細い棒の先に付いた小さな雪兎。
「……無事に帰れるお守りだって、変なお爺さんがくれた」
その返事を聞いた父親の顔に、大きな笑顔が広がった。
「そっか。駿も天狗に会えたんだな」
「天狗?」
父親は少年の手を取り、歩き出した。
「うん。一杯、話そう。駿も知る権利があるからな。パパが曾じいちゃんの土地に移住するって決めた理由」
「天狗の森を守りたいって、言ってるって。ママに聞いた」
「そうなんだけど、どうかな、ママは大反対だからなぁ。駿は、どう思う?」
少年は、繋いでない方の手に握る、小さな雪兎の飴細工を見た。
「……まあ、いいけど……電気の無い夜が、ゲームより本当に面白いなら」
「そうか、駿はパパの味方かぁ、よかった!」
「あっでもママの説得はパパの仕事だよ、僕関係ないからね」
「わかってるって、大丈夫。もう辞表出しちゃったし、それにもう転職先だって見つけてあるんだ。駿は覚えてないかな、隣町の造り酒屋。あっほら、曾爺ちゃんの葬式ン時に一杯お酒貰っておじさん達がベロンベロンになって、いや美味いんだほんとにって……ああ、お前は寝てたっけ。そっか。あ! そうそう、それにね、ママだってファンタジー好きだったんだ。昔は……」
満面の笑みで楽しそうに話す父親の隣、少年はふと、大木のあった方向に目を向けた。
ま、いいけど。リアルファンタジーって2D世界だと経験できないし。
天狗森クエスト、いいかも。
とんてんからりん とんしゃらりん
「なあにやってんだい、このこんこんちき!」
「なんでい、藪から棒によぅ」いい加減老骨に鞭打って、久方ぶりの仕事を終えたと言うのに、古女房の口は減るどころの騒ぎじゃない。いきなり剣突食らってしまった。
「棒もへったくれもないっての、あんたついに呆けたんじゃないかえ? 見てたよあたしゃきっかりと」
「だからよ、なんだってんだい。さっきの坊は、あの坊の坊の坊の坊だろ? 四代続けて同じ場所で迷子ってのも珍しいっちゃ珍しいがよ、人助けにゃ代わりあるめえ。まあ確かに近頃じゃかわうその野郎も耄碌しやがって、化かすも騙すも両手ふらふら足元へろへろだしよ、人様に余計なお節介かもしれねえが。あれ、それともおめぇあれかい? 残り少ない蓄え叩いちまったからって、悋気かい? いいじゃあねぇかい、こまっしゃくれても小さな坊は坊だ。え、なんだか生意気にはなっちまったが子供にゃ違げぇねえ。その証拠にあの坊の坊にもおいらが見えたし、坊の坊の坊にもおいらが見えたし、さっきの坊の坊の坊の坊にも見えてたじゃねえかよ。ややこしいなしかし」
近頃じゃ珍しいくらいに饒舌な相方をちらり、と見やったおかみさんはため息混じりに答えた。
「坊にやった鳳凰はそりゃあ立派なもんだった、三国一だよ。坊の坊には虎、あれも良かった。鳳凰ほどに細工がいらないけど、迫力ってものがあった。坊の坊の坊には、亀。まあ、ね、悪くはないと思ったけど……なんだいさっきのちっちゃい兎はさ。あんなので天狗山の守が聞いて呆れるよ。どうせならばしっとびしっと、無い袖振って格好つける位やったらどうだい、全く甲斐性の無い」
「なっなにおう! この減らず口婆め、てめえの愉しみくれえ残しといてやろうってぇこの優しい心遣いがお前さんにはわからねえのかい、このすっとこどっこい、岡目とんちき!」
「余計なお世話だってんだよ! この呆け爺ぃ!」
「何が余計だ、モウロク婆ぁ!」
「呆けはボケだよ、どこ見てんだいその節穴みたいな目玉は! だから尻尾を忘れるんだよ!」
啖呵を切ったおかみさんを、呆然と見返した。
とんてんからりん とんしゃらりん
「……尻尾?」
「うん。あれ、天狗じゃないと思うよ、僕」
高速を順調に都会に向かう車内、今はもう見えない森を振り返りながら嬉しそうに笑う少年と、そして。
「えっだって、じいちゃんも、父さんも、あれは天狗だって……」
大きな疑問符を頭上に浮かべるその父親がいた。
「いいじゃん、どっちでも。ねえ、それよりさっきの話の続き、教えてよ」
「あ、ああ、うん。えーとね、じいちゃんが道に迷ったのは……」
運転席の父親越しに見えるのは、大きな丸い月だった。
女郎の誠と四角い卵 あれば晦日に月が出る
とんてんからりん とんしゃらりん
もう随分昔に遠のいた 祭囃子に 太鼓の音
天狗の森に 昔むかし
二匹の古だぬきが住み着いた
「でぇじょうぶだ、四代目の坊がおいらに約束してった。指きりげんまんってよぅ」
「まあた、あんたは性懲りもなく。人間なんザ信用して良い事一つだってなかったってのに」
「三代目の、ほれ亀の坊とよ。戻ってくるんだと。おっかさんと妹と一緒に」
古だぬき、三本の尻尾はその昔もっと豊かでつやつやしていた。
「本当かねえ、本当に信じていいのかねえ、人間を」
お地蔵さんがまだ朝日を照り返していた頃は、どんな飴細工だって変化だって、自在だった。
「いいじゃあねえかい。ダメだダメだって足元ばっか見ながら暮らすより、騙されても
真直ぐお天道様見上げて生きるほうが、ずっといい」
とんてんからりん とんしゃらりん
雲の間に見えた月 嘘か誠か狸の仕業かと 疑れば
いいや違うと笑って踊ろうや 次の祭囃子を待ちきれぬ
天狗森のお社で 老いた化狸は肩寄せて
並んで夢見る いつの日か 天神様のお囃子を
とんてんからりん とんしゃらりん
了