7話〜その発言が不安だって言ってるの!〜
「全く、あんな公衆の面前で土下座するなんて…あんたの頭の中はどうなってんのよ!」
現在俺は、車の中で実妹から滾々と説教を受けている。
あの後直ぐに迎えの車が来てくれたから良かったものの、実の兄を叱る妹なんて見られたら、彼女の評判がガタ落ちしていたかもしれない。
クラスメイト達の雑談を聞いていると、舞花については「可愛らしい」とか「お淑やか」と好評であったから。
そんな我が妹も、今はかなり苛立っている。男っぽく腕を組み、整っていた眉を大きく歪めていた。
でも、それ程怒っていないのも見て取れる。本当に怒っていたら、俺が目覚めた時のような冷めきった目をする筈だから。今の彼女は、悪さをした子供を叱る母親の様であった。
…俺の見立てだから、本当は腹わた煮えくり返っているかもしれないけど。
俺は両手を上げて、敵対しない意思を示してから弁明する。
「確かに君の言う通りだ、舞花。土下座はやり過ぎで、ただ皆の注目をイタズラに集めてしまうだけだった。周りが気になり、俺の誠意が十分に伝わらなかった恐れもある」
「そうよ。あんな恥ずかしいことをして、明日からあんた、どの面下げて登校を…」
「だが!それだけのことを俺は彼女にしてしまった。そうではないか?」
俺が拳を握って力説すると、舞花は「うっ…」と言葉を詰まらせる。
「彼女が受けたショックを考えれば、この程度の羞恥は些末なこと。俺が蔑まれる様を見ることで、少しでも彼女の留飲が下がるのであれば望外の喜びである!」
「ぼ、ぼう…がい?」
舞花はすっかり怒る気力を失い、大きくため息を吐いて車のシートに背中を預ける。そして、俺をジトッとした目で見てきた。
「本当にどうしちゃったのよ?何時ものあんたなら、謝るどころか自分は悪くないって喚き散らしていたじゃない」
「まぁ、なんと言うか、目が覚めたんだよ。君のビンタのお陰でね」
俺がニヤリと笑うと、舞花は「ふぅん…」と疑うような目を向けて来る。でも、直ぐに小悪魔のような笑みを浮かべた。
「なら、次にあんたが寝ぼけたことを言ったら、私がまた思いっきり叩き倒してあげるわ」
「あまりやり過ぎないでくれよ?君の本気は、本当に永眠しそうだ」
「何を言ってるのよ。あんた、行きの車で言っていたでしょ?イザと言う時は、キツイのを一発お願いって」
「しまった!墓穴掘ったぁ!」
「あははっ!」
舞花の笑い声が、車内に響く。
舞花のこんな表情を見たのは、本当に久しぶりな気がする。少なくとも、俺が把握出来る虎の記憶の中にはない。
加えて、同乗者のみんなの表情も明るくなった。
コハルちゃんに「魂が2つある」と言われた時は色々と考えてしまったが、こうしてみんなが楽しそうにしてくれるのなら、俺が目覚めて良かったんじゃないだろうか?
そうして、帰りの車内で舞花と少しだけ仲良くなれた気がした。
でも、家に帰ってトレーニングをしていると、彼女からまた冷たい視線を向けられてしまった。
「何してるのよ、あんた…」
「何って、トレーニングだが?」
トレーニングルームの入口で突っ立っている舞花に、俺は乗っていたランニングマシーンを撫でて説明する。
でも、彼女の視線は変わらない。
「それじゃあ、その手に持っているのは何よ?」
「何って、数学の教科書だが?」
「いや、だからなんでランニングマシーン乗りながら教科書読んでるのよ!」
堪らず叫ぶ舞花に、俺は歩きながら首を振る。
「これが効率的な勉強方法なんだよ、舞花。知っているか?勉強と言うのは、ただ教科書を読むだけでは記憶に定着し難い物なんだ」
人間の脳は、刺激によって動く。よって、より強く多彩な刺激を受けた方が活性化しやすい。
勉強も同じこと。ただ読むと言う刺激だけよりも、そこに新たな刺激…例えば、ノートに書き写したり、声に出して朗読してみたり、こうして動きながら読む方が記憶に強く刷り込まれる。
「人に教えると言うのも効率的だ。自分で理解したと勘違いしていても、そこが曖昧だったと気付かせてくれるからな」
「確かに、それは覚えられそうだけど…でもなんで歩きながらやってるのよ!自分で言っていた、ノートへの記述や朗読の方が一般的でしょ?」
「それは、この方が俺のダイエットにもなるからだ」
「その発想がズレてるのよ!」
うん?そうなのか?ではウォーキングではなく、スクワットにするか?それとも、ベンチブレスのバーに単語帳でも貼り付けての勉強にする?
俺があれこれと新たな勉強方法を検討していると、舞花は「はぁ~」と大きなため息を吐いた。
「目が覚めたって言ってたけど、変な方向に目覚めたんじゃないかって不安になって来たわ」
「はっはっは。大丈夫だ。俺はしっかりとしたビジョンを持って行動しているからな。安心して見ていてくれ」
「本当でしょうね?」
疑わしい目を向けて来る舞花を安心させるため、俺は大きく頷く。
「さて、では舞花の要望に応えて、ベンチプレスに単語帳を貼り付けるとするか…」
「その発言が不安だって言ってるの!」
おっと。また、舞花に怒られてしまった。
難しい年ごろだな。
そうして迎えた翌日。
昨日よりも激しい筋肉痛と戦いながら登校すると、昨日と同じ様にヒデちゃん達が出迎えてくれた。
ただ、
「だ、大丈夫っすか?虎二さん」
「なんか、動きが変だよー?怪我したの?」
2人が心配して駆け寄ってきてくれた。
それに、後から降車した舞花がため息交じりで説明をする。
「変なのは動きだけじゃないんです、この人。昨日は一日中トレーニング室で筋トレをしながら勉強していて…。それで、こんな風に筋肉痛になっちゃったんですよ」
「へ、へぇ。そう言う事だったんすね」
引き攣った笑みで答えるヒデちゃんに、舞花は「聞いてください!」と言わんばかりに目を輝かせる。
「それだけじゃなくて、車内でも何か変な器具をニギニギしてますし、夕食も朝食もお肉ばかり食べるし…」
おっと?それは聞き捨てならないぞ。
「ニギニギって…舞花よ、あれはハンドグリップと言う握力を鍛える器具だ。片手で扱えるから、もう片方の手で勉強もできる優れモノだ。あと、肉は肉でも鶏の胸肉だからな?」
「何の肉でも一緒でしょ?そんな肉ばかり食べてたら、ダイエットにならないわよ?」
「はっはっは。それこそ勘違いなのだよ、舞花。肉を食べるから太るのではない。脂肪がたっぷりと付いた肉を食うから太るのだ。脂肪分が少ない鶏肉を茹でて食べるのであれば、筋肉となって痩せやすい体を作ることが出来る。寧ろ、君が好んで食べる芋料理の方が太り易い…」
「あー!あー!聞きたくない!もうあなたの筋肉談義は聞きたくないわ!」
舞花はそう言って耳を塞ぎながら、校舎の方へと走って行ってしまった。
うむ。難しい年ごろだな。
「なんか、仲良くなってますね、虎二さんと舞花ちゃん。小学生の頃を思い出しますよ」
「うん?そうなのかい?」
「そうじゃないです?あの時はまだ、舞花ちゃんも『虎兄さん』って呼んでたじゃないですか」
ヒデちゃんが言うには、俺と舞花の仲が悪くなってきたのは中学生の頃。俺が傲慢になって行くのと比例して、兄弟仲が冷え込んでいったらしい。そして、俺が高校に上がってからは更に悪化したと。殆ど口も利かなくなり、顔を合わせば言い合いをしていたらしい。
それはつまり、高校に上がってからの俺の態度が更に酷くなったという事を示している。
虎の記憶を見るに、去年から始まった高校生活は散々だったみたいだ。高校生になって早々、クラスの女子はみんなセイジ君に夢中となり、ちびデブの自分には見向きもしなかった。そのことが余計にストレスとなり、言動は荒く、そして体はより肥えていった。
そんな兄に、舞花は愛想が尽いたのだった。
「なるほどね。と言うか、ヒデちゃんは良くそんな事まで知っているね」
「そりゃ、虎二さんとは小学生の頃から同じ学校でしたから。こうしてつるむ様になったのは、高校からですけれど」
えっ?そうなのか?虎の幼少期の記憶に、君の姿が無いんだけど?
そもそも、虎の記憶に男子の影は殆どない。あるのは家族と、宿敵と思っているセイジ君くらいなもの。
全く、虎の記憶力には困ったものだ。
そう嘆いていた俺だったが、後で思い直すこととなった。数学の授業で実施された小テストで、少しはマシな点数を取ることが出来たからだ。
昨日の英語と同じようにタブレットで受けて、今はその結果が表示されていた。
〈あなたの得点:60点/100点、平均点:35点、最高得点100点〉
小テストは出題範囲が非常に狭く、また高得点を取ったからと言って成績表に反映されるのは極僅か。それでも、こうして平均点を超えられたことはとても嬉しかった。
何せ、昨日まで何も入っていなかった頭だからね。突貫工事で良くここまで改善出来たものだ。
これは俺の努力の賜物でもある。妹には疑問視された勉強方法が、間違っていないと証明された。
だが、それだけではない。虎の頭脳がある程度優秀だから出来たことでもある。本当に覚えられない人は、全くだからね。若い頃に勉強しておけばと、俺も何度思った事か…。
「わぁ、虎二さん60点だぁ!」
俺が感慨にふけっていると、後ろでマモちゃんが大きな声を上げた。
俺は慌てて彼の口を塞ごうと振り返ったが、時すでに遅し。何人かの生徒がこちらに視線を寄越しており、「えっ?黒沢君が?」「授業サボってたのに?」とコソコソ話が囁かれる。
「凄いなぁ、虎二さん。今度、勉強教えてよ~」
そう言うマモちゃんの点数は…20点か。数学は苦手かい?
「良いけど、俺の勉強方法はキツいぞ?」
「じゃあ、期末テスト前は合宿だね」
おお、それは良いな。なら、ヒデちゃんや舞花も入れて合同合宿にするか。
俺が勝手に計画を立てていると、背中に視線を感じた。振り返ってみると、ノゾミさんがこちらを見ていた。
でも、俺と視線が合うと慌てて顔を伏せてしまう。
(えっ?なに?もしかして…俺の事を好きになっちゃったのか!?)
そんな風に心がトキメクので、俺は大きなため息と共にその炎を鎮火させる。
全く…自意識過剰なんだから、虎の奴。ただ見られただけで好意を寄せられている訳が無いだろう。
でも、虎の感情も強ち間違っていない。勉強のことに関してなら、ノゾミさんは興味を持ってくれる可能性がある。
であるならば…。
君も一緒に合宿するかい?うちのベンチプレス、まだ空きがあるよ?
空きがあっても、ノゾミさんはやらないでしょうね。
「今はな」
…えっ?




