64話〜はぁ。驚いたわ〜
念願のジュンとのデートを取り付けた翌日。
俺は下ろしたてのスーツに身を包んで、普段父が使う高級外車に乗って外出する。
今日は三方議員の誕生パーティーだ。着る物も乗る物も、最高の品で固めている。
今日ばかりは外見重視。ちょっと安い物を使っているだけで、見下されてしまう世界だから。
「緊張していますか?虎兄さん」
俺の隣に座る舞花が、鏡を見ながら問うてくる。化粧が崩れていないか、念入りに最終チェックをしているみたいだ。
「ああ、そりゃするさ」
「そう言う割に、余裕そうですけど?」
妹が俺の手元を見るが…なんだ?このハンドグリップがどうした?
「そんな事をしている間に、出席者の名前を覚えたら如何です?」
「名前と役職は覚えたさ。だが結局、顔が分からんからな…」
名簿が写真付きなら良かったが、情報漏洩とかで文字だけだった。
あまり行儀は良くないが、ネームプレートを覗かせてもらうしかない。
「顔なら私が覚えているので、大丈夫です」
「おお。それは心強い」
なんでも、舞花は父の手伝いとして、良く挨拶回りに借り出されるのだとか。美人で品もある彼女だから、結構オジサン達の受けは良いらしい。
もしかして、舞花が居れば俺は用済みなのでは?と思ったが、やはり父の息子と言う立場が必要らしい。
「虎兄さんは、名刺交換だけミスしないようにお願いしますね?」
「そこも大丈夫だ。ちゃんと練習したからな」
久保さんを相手にね。彼からも上手いと褒められたし。
…近しい人だから、身内贔屓かもしれんが。
「そうですか。それなら私も安心しました。あとは…そのトレーニング器具を、ちゃんと車に置いていくくらいかしら?」
「えっ?ダメなん?」
「当たり前でしょ!一気に不安が帰って来たわ!」
はっはっは。冗談だ、舞花。ちゃんとポケットにしまっておくよ。
…えっ?それもダメなん?
そんな冗談を飛ばしている間にも、車は会場に着く。
見上げても、全体像が見えないほどの高層ビル。そこの最上階が本日のパーティー会場だ。
俺達はエントランスで久保さん達と別れ、2人で会場へと向かう。
ここからは、招待状が無いと入れないからね。議員のパーティーだから、我々の護衛であっても入場が許されなかった。
「こちらでございます」
「おお…」
ボーイに連れられて会場に入ると、俺は思わず感嘆の息を吐く。
一切柱が見えない広い会場は、とても開放感がありながらも落ち着いた雰囲気であり、壁一面が大きな窓となっていることで、絶景が一望できるようになっていた。
その手前に並べられている料理の全てに手が込んでいるし、向こうのバーに積み上げられたお酒の数々は、俺でも知っている銘柄がズラリと並んでいた。
「何か飲まれますか?」
「あっ、いや」
ジッと酒瓶を眺めていると、気遣い上手なバーテンダーが優しく俺に問うて来る。
その姿勢は素晴らしいが、未成年に酒を勧めないでくれ。ついつい頼みたくなってしまうだろ?
マスター。ウィスキーをダブルで。
「ほら、兄さん。冗談言ってないで、挨拶に行きますよ」
冗談…ではないかもよ?
「あちらが、今回の主催者である三方議員です」
舞花の視線を追うと、グラスを片手に笑い合うおっさん集団が目に入った。今回は立食パーティーだから、みんなが好き勝手な場所で寛いでいる。その中でも、一際高級そうなスーツを着ている集団が、この場の大御所の集いらしい。
その中心人物であるでっぷりとした老人は…確かに見覚えがあった。
事前に議員のホームページで予習したからね。ただ、実物は写真よりもカエル顔だ。目の下のクマも酷いし、やはり広告用の写真などは多少の加工がされているみたいだ。
心の中で散々に言うも、俺は笑顔を貼り付けておっさん達の中へと斬り込んでいく。
「ご歓談中、失礼します。ご挨拶にと伺わせて頂きました。黒沢宗一の息子、虎二と申します」
「うん?あらら?黒沢さんとこの息子さん?」
議員は目を大きくして、寂しい頭をポリポリと掻いた。
「貰ってた写真と随分違うね、君。私より太って見えたんだけどね。ひっひっひ」
引き笑いをしながら、自分のお腹を摩る議員。
むむ。自虐ネタか。俺も脂肪があったなら対抗してたけど、今は無いから対応に困るな。
ここは…昔取った杵柄で勝負するしかない。
「実は医者に言われてしまいまして、泣く泣くダイエットしたんです」
頭の後ろに手を回し、恥ずかしそうに見えるように苦笑いを浮かべる。
それに、議員は「あらら」と食いつく。
「まだ若いのに、そりゃイケナイね。何に引っかかったんだい?」
「この前は糖尿病を疑われまして、検査させられてしまいました」
嘘では無い。疑われただけだがな。
議員は顔を歪ませる。
「あら、そいつは危ないよ。私も糖尿病の薬を飲んでるけど、老い先短い私だからまだいいけどさ、君は若いんだから気をつけなさいよ?」
「はい。ありがとうございます」
ヒィット!めっちゃ食い付いてくれる。
ご高齢だから、健康に興味があるかと思って振ってみたが、正解だった様だ。
しかも、議員だけでなく周囲のおっさん達も乗っかってくる。
「先生、糖尿病だったのですか?」
「ええ。色々持ってますよ。高血圧だし、肝臓の数値も悪いしで。医者からはこの前、酒を断つように言われちゃいましてね」
「ああ、分かりますよ。私も毎回、痛風で駆け込むと言われます。でも、止められませんからね。お付き合いもありますし」
「そう言って、貴方。ただ飲みたいだけでしょ?」
「バレましたか。あっはっは!」
ここに居る人はみんな、何処かの社長さんだったり地主さんだったり、ある程度の役職を持っている人だ。そりゃ、付き合いで飲まされる人もいるだろう。
そして、既に飲んでいるであろう1人が、俺に胡乱げな視線を向けてきた。
…なんでしょう?
「君も飲むのかい?」
なにっ?
「いえ。残念ながら未成年ですので」
「とは言うが、年末年始の祝い席とかで、シャンパンくらいは飲んだことがあるだろう?」
そんな事はな…うん?あれ、そうでもないな?
俺が記憶の整理で黙っていると、赤ら顔のおっさんが俺にグラスを向けてくる。
「ほらな?めでたい席なら、ちょっとくらいは問題ないだろ。そっちのお嬢さんも如何かな?」
「いえ、私も…」
舞花は本当に、嫌そうな笑みを浮かべる。
巷ではアルハラも厳しくなってきているが、ここは天上の世界。ちょっとやそっとの横暴は、幾らでも横行している世界だ。
さて、どう断るか…。
そうだな。天上か。
俺は腰を折る。
「とても魅力的なご提案ですが、我々は遠慮させて頂きます」
「おや?君達にとってこの席は、さほど目出度くないものだったかな?」
ニヤリと笑うおっさん。
分かってて言っているな?この人。俺達が飲めないと分かってて、試しているみたいだ。
俺もニヤリと笑い、空を指さす。
「目出度い席ではございますが、あまりに天に近い会場でもあります。年末で見過ごしてくれた神様も、このようなお膝元での出来事は、看過しては下さらないでしょう」
「あひゃひゃひゃ」
議員が大きな引き笑いを上げる。そして、俺達に絡んできたおっさんの肩を叩いた。
「言われてしまいましたな、白月社長。えっ?お天道様が見てると言われては、無理な事も出来んでしょう」
「ええ、はい。そうですね、先生」
白月と呼ばれたおっさんは、少し残念そうに俺を見て、グラスを机の上に置いた。
なんだ?そんなに俺と酒が飲みたかったのか?それとも、酒で潰そうとでもしていたか?
「さぁさ、2人とも。ここに居たらまた、イケナイおじさんにお酒を勧められてしまうよ。ほら、向こうでフリードリンクを頼みなさい」
議員が俺の肩を掴んで、窓際のテーブルを指さす。
ふむ。脱出させてくれるのか。結構マトモな方だな、三方議員。
「はぁ。驚いたわ」
ボーイから麦茶を受け取った舞花が、大きな溜息と共に感情を吐き出す。
まだ会が始まってすらいないのに、こうも感情を吐露するとは…。マナーが完璧な舞花にしては珍しい。余程、さっきのアルハラが堪えたのだろう。
俺は労る意味も込めて、舞花に「お疲れ」と声をかける。
「ああいう人も、中には居るさ。舞花が嫌なら、あとの挨拶回りは俺1人でも大丈夫だぞ?君が名前さえ教えてくれたらな」
「別に、あの手の嫌がらせに疲れた訳じゃないわよ。私が驚いたのは、兄さんの事よ」
「えっ?俺?」
驚かせたって…まさか、俺の心の中では既に、グラスを受け取っていたのを見抜いたのか?
舞花がエスパーかもとヒヤリとしていると、彼女は着々と準備が進むテーブルの上に視線を移す。
「以前の兄さんなら、ただ料理を貪るだけだったでしょ?」
「ああ、まぁな」
それは、俺の記憶の中でも新しい。人の記憶は無いのに、どんな料理が出たのかだけは鮮明だから。
ただ食べてばかりな俺を、見下す様に見ている父と兄の姿も覚えている。
「そんな貴方が、あんな完璧な挨拶をしたから驚いているのよ。嫌がらせにも怯まないで、見事に打ち返していたでしょ?」
「いやいや。あれくらいの対応は誰でも…」
「出来ないわよ。ほら、見てみなさい」
そう言われて、議員さんの方に視線を向けると…また白月のおっさんが若者に絡んでいる。その子はグラスを受け取ってしまい、それを飲む直前に議員が取り上げていた。
ああ、なるほど。ああやって揶揄うつもりだったのか。
「あの子は受けとっちゃったけど、大抵は押し黙って嵐が去るのを待つのが鉄則よ?あの人達はああやって、若者が困る姿が見たいだけなんだから」
「だとしたら、俺はとんだ無礼者になってしまったか」
「そんな訳ないでしょ」
えっ?そうなの?
「あれだけ場を盛り上げたんだから、十分に成功よ。兄さんの役割は、もう十分に果たしたと思っていいんじゃないかしら?」
「役割…あ"っ!」
俺は思い出して、内ポケットから手のひらサイズのケースを取り出す。その中には、父から預かった彼の名刺が入っていた。
しまった。三方議員に名刺を渡すの忘れてた。やっちまった。
そうしている間にも、議員は会場奥に設置されたステージに立ち、簡単な挨拶と乾杯の音頭を取る。その後、席に戻った彼の回りには、多くの人集りが出来てしまった。
ぐっ…こりゃ、パーティーの終盤で、改めて挨拶に行った方が良さそうだな。
ならば、
「その間に、他の方へアタックするぞ」
「えっ?いや、もう十分だって言ってるじゃ…」
「何を弱気な事を言っている、舞花よ。我々は父の代理で参戦しておるのだぞ?頂いたこの名刺、全て交換するつもりで当たらねば意味がないだろう?」
「ええ…」
絶句する舞花を連れて、俺は談笑しているおじさん達の群れに突っ込んで行く。
「初めまして、谷垣局長。私、黒沢宗一の息子で、虎二と申します」
自己紹介をして、名刺を交換し、また簡単な雑談をしてから席を離れる。
そのヒット&アウェイ戦法で、徐々に名刺も捌けてきた。
「虎二君と言ったかな?若いのに、随分としっかりしているじゃないか」
「恐縮です」
こうして、しばしば褒められる事も多かった。
名刺交換の練習をした成果が出ているぞ。付き合ってくれた久保さん、ありがとう!
「兄さん。あちらに居らっしゃるのが、万江村会長で…」
「ああ。道場を経営されている方だな。よしっ、次はあの人だ」
「あっ、ちょっと…」
何故か俺を止めようとした妹だったが、既に俺の足は動いていた。枯れ木の様な細い体をしたご老人に、俺の心は集中していた。
「失礼します。万江村様。是非ご挨拶させて頂きたく、参りました。黒沢虎二と申します」
「なぬ?黒沢?」
老人は鋭い目を俺に向け、瞳をジッと見詰めた。
そして、「ふむ」と頷いた。
「良い目をしておる。お前さん、何か武道を嗜んでおるな?どうじゃ?」
「…人様に誇れる程、納めてはおりません」
俺は言葉を濁した。やってないと言ってしまうと、お爺さんに恥をかかせてしまうと思ったから。
「かっかっか。無闇に爪を見せん、良い心掛けじゃ。若いのにどうして、出来た男よ」
しかし、お爺さんは好意的に捉えてしまった。
謙遜した訳じゃないんだがな…。
「黒沢と言えば、四葉学園に多額の寄付をしておるあの黒沢じゃな?」
「はい。仰る通りでございます」
「うむ、そうか。孫が世話になっておるの。おい」
お爺さんが手を叩くと、向こうから綺麗な女性が近付いて来る。クリーム色の落ち着いたドレスを着こなし、黒く艶かしい長髪を後ろに流した彼女は、まるで何処かの王妃様の様に見えた。
そんな女王様が、俺を見て目を丸くする。
俺も目を剥く。
「くっ、黒沢!?」
「会…長?」
そこに居たのは、生徒会長のナツ会長だった。




