61話~傘を忘れちゃって…~
ジュンさんのダンスレッスンを受け始めてから、数日が経った。最初はロボットダンスだった俺も、レッスンを重ねる毎にマシな動きが出来るようになってきており、先生からも「これなら大丈夫」と太鼓判を押して貰えた。
とは言え、ジュンさんは俺に大甘だから、押してくれたその印も、お芋のスタンプレベルかもしれないけど。
まぁ、それでも。最低限のダンスは披露出来るだろう。
「なぁ、ちょっと。黒沢君!」
そうして、今日もジュンさんの教室で頑張ろうと心躍らせていたら、クラスメイトの永井君が慌てた様子で話し掛けてきた。
彼が困った様子で指さす方を見ると…。
「君の事を、1年のアイドル様が呼んでるぞ。何をしたんだ?
コハルちゃんが教室のドアに半分体を隠して、俺に「おいで、おいで」と手招きしている。
猫でも呼んでるつもりか?
「やぁ、コハルちゃん。どうしたのかな?」
「皆川先生が呼んでる。おそいぃ~って、頭にニョキニョキ角生やしてる」
そう言って、両手を頭の上に乗せるコハルちゃん。
それって、めっちゃ怒ってるってこと?
「あっ…」
それで思い出した。そう言えば俺、球技大会で彼女と約束したんだった…。
「やっべ」
俺は慌てて保健室へ行こうとした。でも、その手をコハルちゃんに取られてしまった。
ええっと、どうしたの?
「保健室行くのぉ?」
「あ、ああ。今からね」
「おんぶして」
ふぁっ!?
「どうしたんだ?何処か、怪我でもしたかい?」
「んーん。疲れた~」
疲れた?俺をタクシー代わりにするつもり?
肩を落とす俺。でも、よく考えると呆れるのは失礼なことだった。彼女は体が弱いのだから、ちょっと歩くだけでも辛いのかも。
俺は考え直し、彼女を背中に乗せる。
「出発しますよ?お客さん」
「ごー!ごー!」
…元気だな。本当に体弱いの?
俺は首を傾げる。
そうして華奢な少女を背負いながら、俺は保健室へと急いだ。道中みんなが見て来るから、いつ通報されるかとヒヤヒヤものだった。
幸いにも、誰に咎められることもなく保健室まで辿り着けたが、そこで待ち構えていた鬼にこっぴどく叱られてしまった。
「貴方!自分の体を何だと思っているの!」
「いえ、ですから、俺は糖尿病なんかじゃなくて…」
「病気の人はみんなそう言うの。太く短く生きるなんて、あんなの幻想よ?通院生活になったら、残りの人生は死ぬほど辛いんだからね?今の内に、しっかりケアしないと」
っと、こんな感じで説教されて、簡単な健康診断を受ける羽目になった。
こりゃ、今日のダンスレッスンは中止だな。
そう思って、事前にジュンさんへ連絡した俺の判断は正しかった。
先生の健康診断が終わったのは、夕日も隠れ始めた夜。部活動の生徒も大半は帰ってしまった静かな校舎を、俺はトボトボと歩いていた。
「はぁ。大変な目に遭った」
先ほどの健康診断は地獄であった。普通にやれば早く終わる筈だったのに、あの先生が付きっきりで健診するもんだから、この高射砲を収めるのに大変な苦労を割く羽目になった。目の前でメロンが躍り跳ねるから気が気ではなく、ちょくちょく迫って来るから堪ったものじゃなかったのだ。
お陰で、心拍数は上がるわ変な汗が出るわで、測り直しが連発であった。
…尿検査で蛋白反応が出たら、絶対にあの人のせいだ。再検査は受けないからな?
「まぁ、とりあえず、これで俺が健康体だと分かる筈だ」
そうなれば、暫く彼女の世話になることも無いだろう。
俺は気持ちを立て直し、カバン片手に廊下を歩く。いつの間にかコハルちゃんも帰っていたけど、あの子は何をしに保健室へ行っていたのだろうか?
「あっ」
靴箱まで来たところで、鈴を転がしたような美しい声が俺の耳に入る。見ると、昇降口の手前でノゾミさんが立っていた。
うん?どうしてこんな遅い時間に、1人で突っ立っているんだ?
「こんばんわ、ノゾミさん。どうしたんだい?こんなところで」
「学級委員の集まりで遅くなって、今帰ろうとしたら…傘を忘れちゃって…」
傘?
彼女の視線を追って外を見ると、雨粒が地面を叩いていた。
あらら。さっきまで晴れていたと思ったけど、結構な雨だな。通り雨か?
「すぐ止むかと思ったど、まだ続くみたいなの」
そう言って、スマホを覗き込むノゾミさん。
ふむ。随分と困っているみたいだな。
「車で送ろうか?」
そう言ってしまった後で、俺は後悔した。ジュンさんを送ることに慣れて考えが及ばなかったが、密閉空間に男女2人と言うのは好ましくない状況だ。特にノゾミさん程の美少女からしたら、それほど親しくもない男と2人で閉じ込められるなど、恐怖でしかないだろう。
そう思って、慌てて訂正しようとする俺だったが、
「本当に?ありがとう!」
ノゾミさんは笑顔を咲かせ、俺の方へピョンッと近づいてきた。
これは…どうやら俺の取り越し苦労だったみたいだ。こんなに喜んでくれるほど困っていたなら、提案して良かった。
「では、ロータリーまではこの傘を使ってくれ」
俺は折り畳み傘をカバンから取り出し、それをノゾミさんに差し出す。
この距離なら、俺は上着を頭から被れば十分だろう。
そう思ったのだが、
「はい。虎二君」
傘を広げたノゾミさんが、俺を隣へと誘ってくれる。
そうだった。この娘はかなり真面目な性格。借りた物を1人で使うなんて、出来ないだろう。
「ああ、ありがとう」
俺は傘の取っ手を持ち、主導権を握る。せめて彼女が濡れないようにと、傘を彼女側へ大きく寄せる。
こうするのが当然と思っての行為。でもそれが、逆に作用してしまう。
「濡れちゃうよ?虎二君」
「ぐぉっ!?」
突然、俺の右腕にノゾミさんが抱き着いて来た。
「ほら、こうしたら2人で入れるでしょ?」
「あっ、ああ…」
しまった!ノゾミさんに気を遣わせてしまった。真面目な彼女だから、自身の羞恥よりも俺を優先してしまったみたいだ。
やらかしたなぁ。こんな事なら、田上のお爺ちゃんに車内の傘を持ってきてもらうんだった。
後悔するも、車はもう目の前だ。俺はノゾミさんが濡れないように気を配りながらドアを開け、彼女をエスコートする。
そして俺も車内に入って横を見ると、ノゾミさんがハンカチを構えて俺を見ていた。
ええっと…なんでしょう?
「虎二君、私ばかり庇うから濡れちゃったでしょ?拭いてあげるから、頭出して」
「ええっ!?」
そこまで気を使ってくれるの?
「大丈夫だ、これくらいの雨」
「ダメよ。そのままにしてたら、風邪ひいちゃうから。ほら、早く」
「…うむ。では、お言葉に甘えて」
有無を言わさないノゾミさんの笑顔に、俺は大きく頭を下げる。押し問答しても、彼女に勝つ未来が見えないからね。
そうして頭を下げていると、彼女の手が俺の髪を撫で、肩や腕の水滴まで吸い取ってくれた。
「あーあ。こんなに濡れちゃって。これじゃ、2人で傘に入った意味がないでしょ?」
拭きながら、ノゾミさんが怒った風に小言を言う。でも直ぐに、「ふふっ」と笑った。
「でも、ありがとう。私の為にこんなになってくれて」
「この程度、大したことではないさ」
本当に大したことはない。
これが矢の集中砲火であれば話は別だが、ただの雨粒から守った程度なら、そこまでの感謝は過分であろう。
「ううん。大したことよ。少なくとも、私は嬉しかったわ」
それでも、ノゾミさんは喜んでくれたみたいだ。
全く。この程度で喜んでくれるなんて、セイジの野郎はどれだけデリカシーが無いんだ。
「あの~、お坊ちゃま。どちらに向いましょう?」
俺が憤慨としていると、田上さんの申し訳なさそうな顔が運転席のミラーに映る。
おっと、しまった。
「ノゾミさん。何処まで送ったらいいだろうか?」
「えっと…寄り道とかしたら、ダメかしら?」
「それは構わないよ。何処に寄るの?コンビニ?」
「ううん。ええっと…あっ、本屋さん。ショッピングモールの本屋さんに寄って貰える?」
「分かった」
本屋さんか。ノゾミさんらしい。
行き先を今思い付いたみたいな雰囲気だったのは気になるけど、彼女も色々とあるのだろう。
俺達は早速、最寄りの大型ショッピングモールへと向かった。
「あっ、これこれ!」
ショッピングモールに着いた我々は、ノゾミさんの先導で本屋さんへと向かい、そこで目当ての物を物色していた。今、彼女の手の中にあるのは、手帳サイズの参考書だった。
うん。やはりノゾミさんだな。勉学を積むための寄り道だったとは、なんと素晴らしい事だろうか。
「ほら見て、虎二君。この参考書ね、とっても見やすくて覚えやすいんだよ?」
「うん?ああ、本当だね」
見てみると、それは歴史の参考書だった。
ま、まさかこの娘、俺の為に本屋さんへ寄ってくれたのか?
「あとね。このシリーズもおススメなの。大学入試に出題される割合なんかも書いてあるから、受験勉強にも役立つわ」
「ほぉ。受験にも繋がるのなら、かなり効率的な受験勉強が出来るね」
「そう!今から始めれば、きっとみんなとも差が付くと思うわ」
凄いな、ノゾミさん。今の時期に大学共通テストまで視野に入れているなんて…。中間テストすら視野に入っていなかったヒデちゃん達に、聞かせてやりたいセリフだ。
「であれば。俺はこいつと…こいつを買うとしよう」
「私も同じのを買うわ。これでお揃いね」
そう言って笑みを向けて来るノゾミさんは、凄く輝いて見えた。
俺の心臓が、ドクンと大きく跳びはねる。
「どうかした?虎二君」
「うん?ああ、いや。心強いと思ってね」
ああ、そうだ。心強い。学年1位に勉強方法を学べることが。そして、これ程のオーラを持つ者と同じ武器で戦えることが。
彼女の纏うこの輝きが、上を目指す者が持つオーラなのだろう。ジュンさんはこれを、俺に見ていたのか?俺にこんなキラキラがあるようには思えないんだけど?
「あのね?虎二君」
彼女の輝きに目を奪われていると、ノゾミさんが恥ずかしそうに顔を伏せて、提案する。
「もしよかったらなんだけど、今から私と、2人で打ち上げをしない?」
「打ち上げ?それは…何の?」
「球技大会の打ち上げよ。虎二君、一次会の途中で抜けちゃったでしょ?その後も結局、宿泊学習の事で忙しくて出来なかったし。だから、その、ちゃんと祝えてなかったし…私は1組の学級委員長だから、貢献してくれた虎二君を祝いたいって思っていて…」
ノゾミさんは何かを探すみたいに、視線を彷徨わせる。
「それに、ほら。京都案を通す為に頑張ってくれたじゃない?そう言うのも含めて、一緒にお祝いしたいの。かっ、カラオケとかどう?映画館の横にあったと思うから、そこに行きましょう?」
「ね?」と言って、俺を見上げるノゾミさん。不安げな笑みを浮かべて、俺を見詰めて来る。
何を不安に思っているのだろうか?俺に断れることを恐れている?それとも、攻め過ぎた提案をして後悔しているのか。俺を祝う為にと、また自分を犠牲にしてしまったのか?
まぁ、どちらにせよ。
「カラオケはやめておこう」
密室に男女2人は不味い。車内ではまだ、田上さんも久保さんも居たけれど、カラオケは久保さんも入って来られない。そうなると、ノゾミさんだけでなく俺も不味くなる。誰かにその情報を悪用される恐れもあるからね。
「そ、そうだよね。ごめん。変な事言って」
俺が断ると、ノゾミさんは凄く落ち込んでしまった。
おおっとぉ!?これってもしかして、カラオケしたかったのか?う~ん、でもなぁ。やっぱり色々と弊害がある。
ここは…。
「では、そこのカフェなんてどうだろうか?ケーキでも食べて、打ち上げとしないか?」
甘いもので代案とする。
こんな事では、カラオケには劣るかもしれないが…。
「素敵!そこにしましょ!」
うぉおい。凄い食いつきだな。
もしかして、歌う方じゃなくて軽食が目当てだった?いや、ならば最初から食事処を提案するか。
「ほら、早く行きましょ?虎二君」
ノゾミさんの心理状況を推し量ろうとしていると、彼女に手を引っ張られてしまう。
何はともあれ、ノゾミさんが元気になったみたいで良かった。
…うん?でもこれって、デートみたいになってないか?
いえ、デートと言うよりもですね。これは…
う・わ・き・だよ!
「落ち着くのだ、イノセス。口調が乱れておるぞ?」
落ち着いて居られますか!
「お、おぅ…」




