52話~一緒に来てくれない?~
「ああ、なるほどですねぇ」
翌朝の車内で、舞花が口元を隠しながら頷く。
「昇降口でそのようなイベントが開かれていたから、昨日は皆が同じ噂を口にしていて、兄さんはこんな早くに家を出られたということですか」
口元を隠している筈なのに、その下に小悪魔な笑みを浮かべているのがありありと分かってしまう。
それに、俺は腕を組んで唸る。
「ああ、そうだ。この時間なら誰にも…それこそ、君とも顔を合わさずに教室まで行けると思ったんだがね」
だが何故、お前はもう登校しているのだ?
そう言う想いを込めて舞花をチラ見すると、彼女の頬が吊り上がり、この事を心底楽しんでいる事が分かった。
「私はただ、美化委員会の活動があるからですよ」
「美化委員会、ねぇ」
本当だろうか?委員会活動って、大抵放課後にやっているイメージなんだが?
俺が疑いの視線を向けていると、妹は急に真面目な顔になった。
「気を付けて下さい、虎兄さん。最近の貴方を見て、クラスの子達も兄さんに興味を持つようになりました。この前の打ち上げの様に、言い寄って来る子も出て来るでしょう」
「ああ、分かっているよ。ただでさえ俺は…俺達は黒沢家の人間。そう言うフィルターを掛けて見てくる奴はいるだろうからな」
背も低く、部活にも入っていない俺なのに、ここまで周りが持て囃すのは金の力が大きいだろう。脂肪のガードが無くなった今、一部の女子生徒達は俺の事をおいしそうな鴨に見ているに違いない。
俺がため息交じりにそう言うと、舞花は安心したように淑女の笑みを浮かべた。
「それが分かっていらっしゃるなら、少し安心しました。でも、慢心なさらないで下さいね?女というのは、男性が思う以上にズル賢い生き物なんですから」
…大丈夫だ。その代表格みたいな君を、いつも見ているからな。
「何か?」
「いや、肝に銘じるよ」
そうして、最初から計画が破綻してしまった俺だったが、学校に着いてからは誰とも会わずに教室まで来る事が出来た。
「おは…」
何時もは男子達が騒ぎ立てる教室も、シンと静まり返って違う場所みたいだ。
なんだか得した気分で自席に座り、教科書を広げて勉強モードに入る。まだ1年生の復習が終わっていないが、先ずは今日の授業を予習しておこう。先にどんな内容を話されるか知っておくだけで、記憶の定着率が全然違うからね。
そうして、2教科目の予習が終わった丁度その時、ガラガラッと誰かが教室へ入ってきた音がした。
俺は顔を上げて、先に挨拶する。
「おはよう」
「おは〜よ〜」
でも、帰ってきた声はクラスの誰の物でもなかった。ちょっと眠そうな声で、かなり眠そうな顔の銀髪美少女が教室に入ってきた。
コハルちゃんだ。
彼女は俺を見つけると、トテトテと机の間を駆け寄って来た。
可愛いらしい。小動物みたいだ。飴ちゃんをあげたくなるな。
「やぁ、コハルちゃ…じゃなくて、大田さん」
「良いよ~それで。ハルの事、みんなそう呼ぶ」
そうか。まぁ、彼女の可愛らしい容姿だと、その方が合っているものな。
「それで?コハルちゃんは何をしに、ここへ来たのかな?」
「お礼を言いに来た。ハルを助けてくれて、ありがと」
たどたどしくそう言って、ぺこりと頭を下げるコハルちゃん。
やっぱり、球技大会の事で来たみたいだ。その為だけに上級生の教室に足を運べるなんて、結構度胸のある子だな。
「当然の事をしただけだよ。君が元気になったみたいで良かった」
「うん。でも、まだちょっとフラフラする」
「おや。あまり無理したらダメだよ?」
俺は慌てて、隣の男子の椅子を引き寄せて、座るようにと彼女を促す。
元々、身体が弱い子なのかな?
そう思ったが、コハルちゃんは「大丈夫」と言って、首を振る。そして、綺麗な瞳で俺を見詰めた。
「トラにお願い。セイジと喧嘩、ダメ」
「うん?喧嘩?」
「うん。喧嘩」
これは…俺がしている事への批判だろうか?ハーレムを壊す行動を危惧しての忠告?
それにしては、彼女の表情も口調も至って冷静。俺を非難している様には見えんが…。あまり感情を出さない子だから、確かでは無い。この表情で、はらわた煮えくり返ってるのかもしれん。
どちらか判断つかなかった俺は、ただ肩を竦めた。
「さて、なんの事だが。俺は彼から、友人として接して貰っているよ。先日の球技大会も、バスケで共闘したからね。寧ろ、他のクラスメイトよりも親交が深いと自負しているが?」
「仲が良い、関係ない。セイジの魂、ユラユラがダメ。喧嘩してユラユラ、もっとダメ」
魂を、ユラユラ?それって…。
「つまり、感情を揺さぶってはダメだと言いたいのか?」
「そゆこと」
コハルちゃんは少しだけ、俺に微笑みを向ける。もうホント、俺の勘違いかと思うレベルの変化。
ふむ。その表情の意図は何なのか。魂の揺らぎとは一体…?
それを問おうとしたら、再び教室のドアが開いた。そして、そこには何故か、先程別れた筈の舞花の姿があった。
「コハル。兄さんにお礼は言えたかしら?」
「言えた〜」
コハルちゃんが手を挙げると、舞花は彼女を手招きする。
ふむ。なるほど。俺が既に登校しているのを、何故コハルちゃんは知っているのかと思ったが…舞花に聞いたから来たみたいだな。と言う事は、コハルちゃんも美化委員なのか?
俺が彼女を見上げると、彼女も俺を振り返る。そして、先程と同じように頭を下げて「よろしく〜」と言って舞花の元へと駆けて行った。
「では虎兄さん。また家で」
「ああ」
気の抜けた返事をしてしまったが、彼女達は特に気にした様子もなく去っていった。
不思議な娘だ、コハルちゃん。言いたい事は分かったが、その裏にある意図が読めない。
善意なのか、悪意なのか。
好意なのか、敵意なのか。
負の感情で言ってるだけなら、気にする必要もない事。でももし、それが正の意識で忠告しているのなら…。
「おはよー」
「おいっす〜」
それから程なくして、クラスメイト達も登校し始める。俺が予習しているのを見て、ニヤニヤしながら集まってくる男子達。
「うぉい、黒沢。朝から何、そんな危険な呪物開いてんだよ」
「朝から勉強なんてしてたら、1日が持たねぇぞ?」
お前らなぁ。期末テストまで時間があるからって、あまり悠長に構えていると大変な目に遭うぞ?追々試とかになったら、京都旅行に行けなくなるんだからな?
「黒沢君!」
そうして成田君達とバカやっていると、切羽詰まった声でノゾミさんが近寄ってきた。彼女の後ろには、表情を暗くしたセイジも一緒だ。
なに、なに?そいつが何か、やらかしたんです?ノゾミさん。
「ちょっと、不味い事になってね…あの、一緒に来てくれない?」
「ああ。それは構わんが…」
説明して欲しかったが、ノゾミさんの様子はかなり焦っているようだった。なので、取り敢えず黙って、彼女について行くことにした。
その道中で、彼女は事情を説明してくれた。
「昨日のあの後、私達は生徒会に行って申請したんだけど…今朝、提案が通らなかったって、ナツさんが」
「うん?通らない?」
どういう事だ?そもそも、審議を経ずして案を通してくれるからの優勝賞品なのだろ?否決されるのなら、そんなものは無価値だぞ?
「私も分からないの。だから、詳しい話を聞きに、黒沢君も来てほしくて…」
「なるほど。そう言う事か」
俺は頷いて、セイジの方を見る。
「上郷君は、何か知らないか?」
「さぁな。俺も聞いてねぇよ」
セイジは諦めたような、なんだか面倒くさそうに言葉を吐き出し、細くした目をノゾミさんに向ける。
「なぁ、ノゾミ。もう良いだろ?ナツさんがダメって言うんだから、俺達が何を言ってもダメに決まってるよ。もうさ、もう一つのメイド喫茶に変えちまおうぜ。そっちはすぐに通してくれるだろ?」
「ダメよ、そんなの。クラスの女の子もみんな、反対していた案じゃない」
「そこは、ほら。後で俺が、女子達に言ってやるよ。俺がみんなのメイド服姿見たいから~とかって適当に言えば、みんな喜んで賛成してくれるって」
随分と自信があるようで、鼻高々に言い放つセイジ。
そんな奴を、冷たい目で睨み上げるノゾミさん。
「何言ってるの?京都案にするって言うのは、みんなで決めた案でしょ?それを理由も分からずに却下されて、セイジはおかしいって思わないの?」
「思わないね。ったく、ノゾミは真面目過ぎんだよ。良いじゃねぇか。たかが学校の行事だろ?」
「くっ…!またあんたは、そうやって…」
アカン、アカン。ノゾミさんが激おこだ。
俺は慌てて2人の間に入り、セイジの肩に手を置く。
「上郷君。たかが行事と言うけれど、人生で1度しかない貴重なイベントだぞ?そんな貴重な体験、最大限楽しもうとしなきゃ損だろう?」
「そうかぁ?俺はノゾミ達と色んな所に行ってるから、別にそんなの貴重でも何でもないぞ?この間の連休も、みんなで遊園地行ったしな」
はいはい。お前は良いよな。他の人には味わえないチャンスを、何度も体験出来ているんだから。
薄ら笑いを浮かべる奴に、俺は拳を突き立てたい衝動に駆られる。でも、何とか抑え込んで、引き攣った笑みを向ける。
「俺達にとっては、ってことだよ。それに、大人数での交流は、小規模グループで動くのとは違った醍醐味がある。君にだって、新しい角度から旧友と仲を深められたり、新たな縁が結べるかもしれんぞ?」
「あー、そういや言ってたな、黒沢君。忘れてたぜ」
セイジは漸く納得したのか、表情を少し明るくして大股になった。
「んじゃ、ナツ先生にチャチャッと理由聞いて、なんとか通してくれって俺が言ってやるよ」
奴は軽々しくそう言った。
でも、
「ダメだ」
現実はそんなに、甘くはない。
3年1組の教室で俺達を出迎えたのは、厳しい顔のナツ会長。
それに、ノゾミさんが食らいつく。
「理由を教えてください、ナツさん」
「理由…そうだな。少し場所を変えよう」
そう言って会長は、我々を教室のベランダまで誘導した。会長はそこに設置されているベンチに座り、腕とその長い足を組んで「では」と小さく言葉を漏らす。
「却下される理由についてだが、それは…予算不足だ」
「えっ…」
考えていなかった返答に、ノゾミさんは言葉を詰まらせる。まさかこの学園で、そんな言葉が出て来ると思っていなかったのだろう。
俺もそうだ。教室のベランダまで広く設けているこの学園で、まさか予算不足なんて言葉を聞くなんて思ってもみなかった。
だが、考えれば納得できる。本来の宿泊学習は1泊2日で、東京のオペラや芸術展覧会を見て回る予定だった。それが2泊3日の京都旅行となれば、費用は数倍に膨れ上がる。そんな増額を、生徒会の議会だけで左右出来るとは思えない。
俺もノゾミさんも理解出来た。でも、
「予算がどれくらいか知らねぇけどさ、頼むよ、ナツさん。何とかしてくれ!今度デートしてやるからさ。なぁ?」
セイジは分からないらしい。両手を合わせて、ニヤリといやらしく笑う。
それに、会長は「うっ…」悩ましい顔を一瞬見せるが、直ぐに首を振る。
「無理な物は無理だ。これは我々ではなく、理事会から言われてしまった事だからな」
「はぁ…。分かったぜ、ナツさん。じゃあ特別に、2人だけのデートにしよう!朝から晩まで、俺を独り占め出来る権利を…」
「上郷君。もういい。ありがとう」
変な粘りを見せるセイジに、俺は待ったを掛ける。
そして、苦悩の表情を見せる会長に向き合った。
「会長。京都案の決議ですが、正式な回答は少々お待ちいただけないでしょうか?」
「…何をする気だ?黒沢」
胡乱な目で見上げて来る会長。それに、俺は少しだけ頬を吊り上げて頷く。
「この学園の財務長官に、掛け合ってみます」
財務長官?
どなたです?
「まぁ、資金源と言えば、だなぁ」




