34話〜忙しいんじゃないかしら?〜
翌日。俺は緊張気味に教室のドアを開ける。
昨日のバスケ練習会で、ジュンさんとノゾミさんを鉢合わせさせてしまったから、俺とジュンさんの密会がセイジにバレた可能性があった。
ノゾミさんには釘を刺したし、昨晩のやり取りは随分と友好的なものだったので、取り越し苦労だと言う思いもある。
だが、人の心は分からないもの。もしかしたら今頃、この中で俺を待ち構えているかもしれん。
「お、おはよう!」
少々言葉が詰まってしまったが、何とか挨拶を捻り出した俺。それに対し、いつも通り野郎どもが「おっすー」「よぉ、黒沢」と返す。
うむ。ここまでは正常。さて、一番の問題点は…。
俺は恐る恐るセイジの席へと視線を移す。でも、そこはもぬけの殻だった。
あっ、まだ来てなかったのか。
「おはよう、黒沢君」
安心した俺の耳に、鈴を転がした様な美しい声が響く。
この声は…。
「おはよう、七音さん」
ノゾミさんだった。
俺は自然と、頭を下げていた。
「昨日は本当にごめん」
「だから、それはもう良いわ。昨晩のメッセージでも、そう書いたでしょ?」
そう言って優しく微笑む彼女の様子は、俺が昨晩に思い描いたのと同じ姿だった。
これなら、約束は守ってくれるか?
俺がノゾミさんに期待していると、彼女は手に持っていたカバンから小さな箱を取り出した。
えっと…それは?
「頑張り過ぎな黒沢君に、コーチからのプレゼントよ。はい、温湿布と冷湿布。捻挫とかは冷えの方、慢性的な腰痛とかは温かい方を貼るのよ?」
「おおっ、ありがとう」
俺は有難く、彼女からの差し入れを受け取る。
だが湿布自体は、先日メイド長の長谷川さんが買い揃えてくれたばかりだから、家に売る程あった。
だが、そんなことはどうでもいい。敵対するかもと危惧していた相手から、こうして贈り物をしてもらえることが嬉しかった。
「気を付けるのよ?黒沢君。君は頑張り屋さんだから、いつ体が故障してもおかしくないわ。特に膝を気付けるのよ?」
「そうだな。俺は体重も重いし」
俺がそう言って腹を叩くと、ノゾミさんは顔を伏せて笑いを堪える。
おお。久々のクリーンヒット。最近空振りばかりだったから、ちょっと嬉しいぞ。
「あと、これも持ってきたんだけど…良かったら練習中に飲んでくれない?」
「水筒?」
「ええ。私が作った特製ドリンクよ。熱中症とか怖いし」
確かに。連休が開けて急に暑くなったから、そこも配慮せねば。
「助かるよ、七音さん」
「ふふっ、任せて。なんたって私は、貴方のコーチなんだから」
そう言って胸を張るノゾミさん。
コーチか。俺が言い出した口だけの役職に、彼女は律儀に従おうとしている。とても責任感が強く、優しい人なんだな。それ故に、セイジの魅了にも掛かりやすいのかもしれない。幼馴染と言う責任感で、彼から離れらえないのかも。
…あれ?そう言えば、今日は奴と一緒の登校じゃないのか。
「七音さん。今日は上郷君と一緒じゃないのか?」
「…ええ。セイジは、追試の勉強で忙しいんじゃないかしら?」
なんか、ちょっと冷たい言い方。
セイジの話には、あまり触れて欲しくないのか?
俺が危惧する間にも、ノゾミさんは冷たかった表情を一転させ、再び優しい笑顔を俺に向ける。
「それじゃ、黒沢君。私はあまり行けなくなるけど、練習頑張ってね」
「ああ、ありがとう。七音さん」
俺に手を振ってから、自分の席に戻るノゾミさん。セイジの話を振ったから気分を害したと思ったけど、帰る彼女の足取りは軽い。
俺の考え過ぎだったか?
「く〜ろ〜さ〜わぁ〜」
俺がノゾミさんの背を見送っていると、後ろから低い声が俺の名を呼ぶ。
振り返ると、野郎どもの良い笑顔があった。
「お前、いつの間に七音さんとあんな親しくお喋りする仲になったんだよ?」
「それは…バスケの練習でね。ほら、俺はバスケ組に入っただろ?」
そう言うと、「ぐっ…」と圧力を弱める男子達。そして、悔しそうに拳を握る。
「くそぉ〜…俺もあの時、バスケに入っていれば…」
「セイジの野郎なんか無視して、そのまま残っていたら…」
「ノゾミちゃんと、あんな事やこんな事が…」
出来ない、出来ない。そもそもしていないぞ?俺はバスケを教えて貰っているだけだからな。
「なぁ、黒沢。今からでも俺、バスケに入れてくれないか?」
「俺も!」「俺も頼む!」
いやいや。
「俺にそんな権限は無いぞ?」
「くそっ、そうだった。これは、体育委員に言わねぇと」
「永井ぃい!永井は何処だ!」
男子達が競い合って、教室を出て行く。
選手枠があと3つだからね。自然と競争になってしまう。
そうやって、彼らが出て行った後を見ていると、視線を感じた。見ると、ノゾミさんが困ったような笑みを浮かべて、こちらを見ていた。
ああ、済まない。騒がしくしてしまったか。
俺が手を上げると、彼女も振り返してくれた。
このやり取り、野郎どもが見てなくて良かったよ。
〈◆〉
黒沢君はすんなり、私の水筒を受け取ってくれた。湿布を渡した時も嬉しそうだったけど、とてもいい笑顔を返してくれた。
素直な子よね、黒沢君って。捻くれ者のセイジだったら、絶対に嫌味が飛んでくるもの。黒沢君は、素直で頑張り屋さん。何だか、本当に私の生徒が出来たみたい。
私が彼を見詰めていると、視線に気が付いた彼と目が合った。そして彼は、嬉しそうに手を上げる。
私も手を振り返して、顔を伏せる。
ああ。あの時ジュンが言っていた意味が、やっと私にも分かった。
本当に可愛い。黒沢君って。
〈◆〉
結局その日、俺がセイジに非難される事はなかった。
ノゾミさんが言っていた様に、彼は赤点の事で頭いっぱいみたいで、授業の合間でも頭を抱えて苦悩していた。
その様子に、俺とジュンさんの事を聞いた素振りはない。ノゾミさんはしっかりと、俺の願い出を聞き届けてくれたみたいだ。
助かるよ、コーチ。本当に律儀な娘だ。
俺がノゾミさんに感謝の念を送っていると、彼女の指導を受けていたセイジが呻く。
「ああ、くそっ。なんでジュンの奴は赤点じゃないんだよ」
「ほら、ボヤいてないで、勉強に集中しなさい」
「なんだよノゾミ。今日はやたら俺に冷たくないか?」
「赤点取る様な人には優しくしてあげません。ほら、手を動かす」
「なんだよ、それ」
…何だか可愛そうだな、ノゾミさん。勉強を見てあげてるのに、その生徒からは恨めしそうに見られてしまって。
あんな生徒、俺なら見放すぞ?
「くそぉ…。ジュンの奴、絶対に許さねぇぞ。追試が受かって、スマホを買い換えたらすぐ呼びつけてやる。そんでもって、あいつが隠してる赤点回避の秘密を、全部吐くまで帰さねぇぞ…」
…ふむ。やはりセイジは、ジュンさんを手元に置きたがっている様子。疎遠になって暫くしたから、もう興味を失ったのかとも思ったが…。
どうやら、思ったよりも強欲な男の様だ。目の前に美しい女性が居ると言うのに、まだジュンさんを求めるなんてな。
俺は改めてセイジを危険人物と認識し、昼食の席でジュンさんに警告する。セイジのスタンスは変わっていないから、また不意に体を触られるかもしれないと。
だが、彼女はそれを聞いても余裕の笑みを浮かべた。
「大丈夫。クラスのみんなとも仲良くやってるからさ。そうなる前に、みんなが動いてくれるよ」
「おぉ。そうか」
1組のクラス仲は随分と良くなっているみたいだ。それは安心した。
「それにね、虎ちゃん。もしもの時は、虎ちゃんが助けてくれるでしょ?」
「ああ、勿論だ」
もしもそうなったら、今度こそジュンさんに触れられる前に、奴をねじ伏せてやろう。
そう心に誓いながら胸を叩くと、ジュンさんは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「じゃあ、今日の放課後はエスコートしてね?ナイト様」
…と言う事で、今日の練習会もジュンさんが参加する事が決定した。
何としてでも、チアガール姿になるのだけは阻止せねば。ヒデちゃんがイヤらしい目で見るからな。
そう思っていたが、チアガール姿じゃなくてもヒデはジュンさんをガン見していた。
おい、お前。外周10周追加されたいか?
「違うっすよ!虎二さん。あっしはただ、また式部さんが来てくれた事に感動してただけっす。それを実現させてくれた虎二さんに、感謝してただですって!」
「ふむ。ならば、今日も頑張れるな?」
「お任せ下さい!」
そう言い切ったヒデちゃんだったが、本当に頑張っていた。苦手な走り込みは勿論、その後のボール練習もしっかりと着いてくる。
「ガンバレー!みんなー!」
「うぉおお!やる気出てくるっすぅう!」
「お菓子も持ってきたからねー!」
「やったぁ!僕も頑張るぅー!」
おお。お菓子でマモちゃんを釣るとは、やるなぁジュンさん。
そうして、彼女のお陰で練習効率が格段に上がった2人は、メキメキと実力を付けて行く。
マモちゃんは元々フィジカルが強かったけど、そこにバスケの基礎が定着して来たことで、よりパワフルな選手になりつつあった。
「見てて、式部さーん。僕の、ダンク、シュート!」
「わぁ、小林君すごーい!」
「じゃあ、お菓子くださいなー!」
「はい、どーぞ」
…調教師かな?
ダンクまで決めるマモちゃんとは反対に、ヒデちゃんは地味だった。
地味に、いい仕事をしていた。
「虎二さん!」
「ナイスパスだ、ヒデちゃん!」
彼は兎に角、パスが上手い。遠くに投げられるという意味ではなく、瞬時に最適な場所へパスを回してくれるのだ。
恐らく、視野が広いのだろう。フィールドの状況を常に把握して、誰がフリーで安全なのかを見極めている。また、人の動きもしっかり見ているから、俺が久保さんを抜いたと同時にパスを回して来たりする。
「凄い才能だ、ヒデちゃん。これなら、幻の6人目になれるかもな」
「…バスケは5人っすよ?虎二さん」
分かってないな、ヒデちゃん。バスケ漫画は読まんのか?
そんな感じで、我々のバスケ技術は上達して行った。
…と、思いたい。
「これで、あっしらも戦える駒になったんでしょうかね?」
「うーん。正直、俺じゃ他のクラスがどのレベルなのか分からん。いい試合にはなると思うんだが…」
「あたしも分かんないなぁ。3年生は結構ガチだって聞いてるけど」
ジュンさんも分からんか。
やはりノゾミさんに相談するか?だが、それでセイジの奴も付いてきたら目も当てられん。今日の様子を見るに、ジュンさんを見たら必ず絡んで来そうだから。
そうなったら、俺が何をするか分からん。本当にやっちまうかもしれん。
「こうなったら…」
「こうなったら?なんですか?虎二さん」
「…本番までのお楽しみだな」
「あらっ」
そう肩を落とすな、ヒデちゃん。
余談だが、バスケの追加申請は却下された。もう生徒会に提出してしまったから、変更するのは難しいのだそうだ。
男子達が俺を妬ましそうに見て来るのだが…そいつは俺のせいじゃないぞ?
なんだか、上郷の言動が怪しいですね。
最初は気弱な男子なのかと思いましたが。
「仲間内だと強気になるタイプか」
そんなクズタイプがあるんですか?




