32話〜ジュンのことばっかだね〜
俺は運動場へと急いでいた。
大事な話だったとは言え、舞花に随分と時間を割いてしまった。久保さん達が居るから最悪の状況は回避できるとは思うが、なるべくなら会って欲しくない。
連休中に俺と会っていたことを非難されたりしたら、ジュンさんがまた悲しむかもしれない。優しい彼女の心を、傷付けて欲しくは無い。
「それが仮令、学園のアイドルであっても、俺は一切躊躇せんぞ?」
俺はノゾミさんと戦う覚悟を決め、廊下を突き進む。
だが、
「うん?」
前方から足音が聞こえた。次いで、こちらに駆けて来る体操着姿の少女が。
あれは…ノゾミさんだ。
「七音さん!」
「あっ」
声を掛けると、彼女は驚いて顔を上げ、その場で立ち止まる。でも、俺と目が合うとまたすぐに顔を伏せてしまった。
本当に一瞬。でも、彼女の目が赤くなっていたのは見逃さなかった。
泣いていた。
十中八九、ジュンさんの事でだろう。
「済まなかった、七音さん。俺がジュンさんの事を伝えなかったばかりに、君を傷つけてしまった。本当に、申し訳ない!」
俺が頭を下げると、頭上からは「ジュン…」とノゾミさんが呟く声が聞こえた。
あっ、しまった。親友の名前を俺が呼んでしまったから、気分を害したか?
またやっちまったと、俺は顔を伏せながら歯を食いしばった。
だがそんな俺に、ノゾミさんは落ち着いた声を掛ける。
「別に、貴方が謝る必要ないわ。嘘を付かれた訳じゃないし、ジュンを無理やり連れ込んだ訳でもないみたいだし…」
「それでも!連休中やテスト前の大事な時期に、俺はジュンさんに時間を割いてもらった。君達との友好を深めるチャンスを奪ってしまった事を、ここで謝罪させて欲しい」
「だから、それもジュンが選んだことでしょ!?」
ノゾミさんは強めの言葉を吐き出して、直ぐに「あっ、やっちゃった」みたいな顔をする。
分かるよ。今まで一緒に居た親友を取られて、その原因である俺が憎いのだろ?だが、それを選んだのはジュンさん自身だから、何処に怒りをぶつけていいのか分からない。そうだと思ったから、俺がその壁になろうと、こうして懺悔していたのだが…真面目なノゾミさんには、逆効果だったか。
ならば、直接こちらの要望を伝えよう。
「ああ、そうだ。七音さん。この選択はジュンさんが行った事。だがそれは、彼女が自信を欲したから選んだことなんだ。自分がどうすれば輝けるのかを見つけようとして、俺の後ろを付いて来ているんだ。こう言っては自信過剰に聞こえるかもしれないが、俺は努力することだけは人一倍長けている。そんな俺を見習って、彼女は頑張っている。自分の道を見つけようとして、輝こうと努力しているんだ。だから、もう少しだけ静観してはくれないだろうか?上郷君には、この事を内密に願えないだろうか?」
無理だろうか?セイジ一筋の彼女に、この願い出は受け入れられないかもしれない。
そう思いながらも、俺は不安を押し殺し、ノゾミさんを真っすぐに見る。
すると、彼女は顔を伏せてしまう。
そして、
「ジュンのことばっかだね。そんなにジュンの事が大事?」
呟くように問うてきた。
俺がそれに「ああ」と答えると、また消え入りそうな声で「そっか」とノゾミさんは呟いた。
「分かった」
そう言って、彼女はまた歩き出した。俺の横を通り過ぎ、玄関へと歩いて行く。
俺は一瞬、彼女を追いかけようと足を踏み出した。でも、一歩踏み出したところで思い留まる。俺の頭の中に、屋上で泣いていたジュンさんの姿が思い浮かぶ。すると、俺の足は自然と反対方向へと向いていた。
ノゾミさんがあんな状態だったと言う事は、ジュンさんはもっと大変な状態かもしれない。彼女にもしものことがあっては大変だ。久保さんが付いてはいるだろうが…それでも。
焦りで、一歩一歩が速まり、いつの間にか走り出していた。そして、運動場への入口で彼女の背中を見た時、俺は堪らず彼女の名前を叫んでいた。
「ジュンさん!」
「あっ、虎ちゃん」
俺の心配とは裏腹に、彼女は小さな笑みを浮かべて俺を迎える。そして、運動場の中を指さして小首を傾げる。
「あそこで走ってる男の子、かなりヤバそうな顔してるよ?まだ走らせるの?」
「えっ?…ああ、そう、だね。おーい!ヒデちゃん!休憩!休憩して良いよ!」
俺が声を掛けると、その場で倒れ込むヒデちゃん。
おーい。いきなり止まると、心臓まで止まっちまうぞ?
「良かった。じゃあ、あたしはノゾミを追いかけるから」
ジュンさんが俺の横を通り過ぎようとするので、俺は咄嗟に「待ってくれ」と彼女の手を掴んでいた。
「七音さんなら、ちょっと前に帰ってしまったよ」
「えっ?そうなの?」
「ああ」
俺が先ほどのやり取りを端的に伝えると、ジュンさんは「そっかぁ…」と暗い顔になる。
暗い…けど、後悔しているって顔じゃないな。どういう事?
「ジュンさん。何があったのか教えてくれないか?七音さんが泣いていた様に見えたんだが…?」
「うん。それがね、立ち話をしてたら急に泣き出しちゃって。あたしも焦っちゃってさ、追いかけられなくて…」
うん?妙だな。てっきり、ジュンさんと喧嘩でもしたのかと思ったのだが…。
そもそも、俺はジュンさんも大きなダメージを負っているものと思っていた。隠れて会っていたのは我々の方であり、ノゾミさんは追及する側なのだから。
だと言うのに、ノゾミさんが泣いて帰り、ジュンさんは彼女を心配する素振りを見せている。
一体…。
「一体、どんな立ち話をして、彼女は泣き出したんだ?」
「えっ?ええっと…それは…」
うん?なんで顔を赤くしているんだい?俺はまた、気付かない内に恥ずかしいセリフを言ってしまったのか?
「ジュンさん?」
「あ、あたし、着替えて来るね!」
ビューンっと、ジュンさんは走って行ってしまった。
…どう言うことなの?
ノゾミさんが帰ってしまったのは残念だったが、ジュンさんが来てくれたお陰で練習も捗った。彼女が応援してくれると、野郎どもの士気も爆上がりであったのだ。
「ガンバレー!」
「はーい!」
「うぉお!やってやりますよー!」
うん。ヒデちゃんだけは、何だか怪しい気合いを入れているぞ?
俺は運動場の舞台で応援してくれているジュンさんに近付き、新しいジャージの上着を差し出した。
「ジュンさん。これを着てくれないか?」
「ええっと、この上から着てってことだよね?」
ジュンさんはそう言って、チアガールのコスを摘む。
なんでも、ジュンさんが応援したいから服を貸してくれと相談したら、メイド長の長谷川さんがこいつを持ってきたのだとか。
とても良い仕事をしてくれたんだがね、長谷川さん。ジュンさんのこの格好は、我々には刺激が強過ぎるんだ。特に、下心マシマシのヒデちゃんには見せたくない。
そう思ってジャージを差し出すと、ジュンさんが嬉しそうに笑った。
「もぉ。独占欲ツヨツヨだね?虎ちゃん」
「うっ…済まんね。俺のワガママを押し付けてしまって」
「いいよ、いいよ~。あたしも、その…嬉しいし…」
ジャージをギュッと抱きしめるジュンさん。
可愛い。
チアガール姿が見れなくなってしまったのは残念だが、これでやっと安心できる。
良かった。
「良くないっす!!」
ヒデちゃんが叫ぶ。
「酷いっすよ!虎二さん。折角、式部さんが応援してくれてたのに、そんな…」
「別に、チアガール服でなくとも応援してくれるぞ。なぁ?ジュンさん」
「うん!任せといて!」
ジュンさんが手を上げると、ヒデちゃんは「うぅっ…」と一瞬黙る。
でも、直ぐに復活した。
「虎二さんばっかズルいっす!いつの間にか七音さんだけじゃなく、式部さんとも仲良くなってるし、式部さんのおっぱいまで独占するなんて!」
「おーおー。やはりそう言う魂胆か、貴様」
「あっ」
ヤベッ、という顔になったヒデちゃんは、くるっと背を向けて逃げようとする。
だが、逃がさん。プールとレッグプレスで鍛えた俺の脚力から、簡単に逃げられると思うなよ!
「捕まえた」
もやしっ子を捕えるのに、5歩あれば十分だった。
首根っこを掴まれて項垂れるヒデちゃんに、俺はニターと作った笑みを向ける。
「仲良くなってズルいと言ったな?では貴様に、その極意を伝授しよう。さぁ、先ずは屋敷の外周を20周だ」
「い、いやぁ、あっしは、虎二さんレベルになる気はサラサラ無くてですねぇ…」
「遠慮するな、友よ」
「いや、マジで勘弁っす!下ろしてください!誰か、助けてぇ!」
その後、ヒデちゃんは外周3周目で力尽きた。
うーん。これは、バスケ以前の問題だな。
夕飯前までみっちりバスケの練習をしたヒデちゃん達は、帰る頃にはぐったりしていた。特にヒデちゃんはもう歩けないくらいに弱ってしまい、田上のお爺さんに送ってもらう羽目になった。折角、ジュンさんも同乗してくれたと言うのに、シートにもたれかかって白目を剝いていた。
ジュンさんが帰り際に「また明日ね。虎ちゃん」と手を振ってくれた時は、「とら…ちゃん…?」と微かに呻いた気がしたけど、俺の気のせいだったかもしれない。
そうしてみんなを送り届け、今日のタスクは終了だと意気揚々と帰った俺を、口元に僅かな笑みを浮かべた妹が出迎えた。
…何を期待しているの?
「あら?惚ける気ですか?虎兄さん。込み入った事情とやらを、私に教えてくださるんでしょ?」
おっふ。忘れてたぜ。ずっと忘れていたかったぜよ、マイシスター。
「分かった。ではディナーの後、俺の部屋か舞花の部屋で…」
「ディナーの場にしましょう。お母様も聞きたいでしょうし」
おーい。お前ら、俺の恋愛話を肴にする気だな?
俺が呆れて妹を見ると、彼女は笑みを消してゆっくりと首を振った。
「これは兄さんの為よ。今のうちに、お母様を味方にしておけば、後々動きやすくなるわ。私達は、黒沢の人間なんだから」
ふむ。黒沢の人間、ね。つまりそれは、将来的に面倒になるってことだな?
一理あるか。
「分かった。君の案に乗ろう。母への事前告知は頼んだぞ?」
「承知しましたわ」
と言う事で、俺の恋愛事情を夕食の場で暴露することが決まった。
どんな罰ゲームだ?
「まさに刑罰であるな」
妹と母親に自身の恋愛話なんて…私なら意識を落としていますよ。
「朝食の場での発言で、既に決まっていた運命なのかもしれんな」




