31話〜お待ちになって、兄さん〜
バスケの練習中、ジュンさんの訪問を聞いた俺は、運動場を飛び出て玄関へと急ぐ。その道中、俺の後ろをついて来た久保さんに状況を問う。
「今はまだ、玄関で待たせている状況だな?」
「いえ。お客様として、客室へお通ししたそうです。坊ちゃまを呼ぶので、ここでお待ちくださいと」
「よしよし。良い対応だ。運動場へ招かなかったのは最良の判断であった」
「恐縮です」
俺は使用人達を褒めながらも、速度は緩めない。
早くジュンさんに会って、現状を伝えないと。彼女がノゾミさんと鉢合わせしたら、大変なことになる。連休中に俺と過ごしたなんて知られたら、セイジにあらぬ疑いを掛けられてしまうかもしれない。
そんなことで彼女達の仲が悪くなるのは、俺としても本意ではない。それでハーレムが壊れたとしても、きっと修復できない禍根を残すだろうから。
最悪の場合、血で血を洗う惨劇に陥る恐れもある。それだけは、何としても避けたい。
「兎に角、ノゾミさんとジュンさんを会わせるのは危険だ。ノゾミさんにも監視を付け、イザという時は2人の間に入って物理的衝突を回避せよ」
「はっ!」
まぁ、そうならないように、先ず俺が立ち回らないといけないのだがな。
俺は覚悟を決めて、玄関のすぐ近くにある客室のドアを開ける。でも、そこにはメイドさんが1人居るだけだった。
ジュンさんが居ない…いや、テーブルに1人分の紅茶が置かれていて、カップ端にピンクのリップが付いている。ジュンさんがさっきまで居たのか?
「客人は何処へ?」
「そ、それが…舞花お嬢様がいらして、お連れになられてしまって」
おいぃい!何してんだ妹よぉ!
「その舞花は何処に?」
「虎二様を探しに行くと、お嬢様は言われて出ていきまして…お止め出来ず、申し訳ございません!」
「貴女は悪くない。それより、舞花達の行き先を探って欲しい」
「はっ、はい!直ちに」
メイドさんが出ていくと、俺も舞花探しの旅に出る。
舞花が行きそうな場所…ではなく、あの子が考える俺の行動パターンを予測する方が良いだろう。舞花が俺に思っているイメージと言えば…。
「やはり、ここか」
トレーニング室。その扉を開けると、ジュンさんを連れた舞花の後ろ姿があった。そして、俺が声を掛けると2人とも振り返った。
「あっ、虎ちゃん!」
俺を見つけて、ジュンさんが跳び跳ねながら駆け寄って来る。
ああ~、可愛い。やっぱジュンさんしか勝たん。
「待たせてしまって済まない、ジュンさん。よく来てくれたね」
「ううん。約束もしてないのに、来ちゃってごめんね?電話もしたんだけど、繋がらなくて…」
あっ、しまったな。バスケをしている間、スマホをロッカーに入れっぱなしにしていた。セイジのスマホみたいになっては大変と思っての処置だったが…これは俺の失態だ。
「それは申し訳ない。携帯を携帯していなかった」
「虎ちゃんが謝る必要ないよ。あたしも、お昼休みに相談してたら良かったんだし…。それより、体操着って事はバスケの練習してたの?」
「ああ、そうだよ。球技大会への特訓中でね」
ジュンさんと楽しく会話していると、横から舞花が割り込んで来た。
「兄さん。その特訓ですが、他に何方か招いていらっしゃるの?」
「…ああ、そうだ。同じチームになる人達で、合同練習会を開いている」
「その中に、女性もいらっしゃいますよね?」
舞花の問いかけで、ニコニコしていたジュンさんが驚きの表情に変わってしまった。
舞花の奴、どう言うつもりだ?
「…ああ、居るぞ」
「どちら様です?その方のお名前は?」
どう言うつもりか分からんが、これで遠巻きに説明する事は出来なくなった。ほぼ直球で、ジュンさんに言わねばならない。
俺は舞花から視線を切り、不安そうな顔をしているジュンさんに向き合う。
「落ち着いて聞いて欲しい、ジュンさん。今ここに、七音さんが来ている」
「…えっ?ノゾミ、が?」
「ああ、そうだ。だから、少しだけ待ってくれないか?君が俺と接点を持っている事が彼女に知られると、色々とややこしく…」
「っ!」
俺の発言中に、ジュンさんの瞳に強い光が宿った。そして、俺を追い抜いてトレーニング室から出ていこうとした。ヤバいと感じた俺は、「待ってくれ!」と彼女の後を追おうとした。
でも、
「お待ちになって、兄さん」
舞花にそれを止められた。
今朝も俺を止めようとしたその言葉は、しかし重みが違っていた。
運動場へと歩みを進めるジュンさんと、それに続いた久保さんの後ろ姿を見送り、俺は妹に向き直る。
「どういうつもりだ?妹よ」
「それは私のセリフです。兄さん」
そう言って見上げて来る彼女の目にも、ジュンさんに劣らぬ光が宿っていた。
「式部先輩という可愛らしい彼女が居るというのに、まさか別の女性を連れ込むなんて…」
「舞花よ。我々の状況は大変込み入っている。今、君の誤解を解く時間は許されていない。済まんが、また今晩にでも時間を作ろう」
そう言って踵を返した俺に、舞花は「ふふっ」と笑った。
「やはり、貴方も黒沢の男ですね。でしたら、もう彼女に近付くのはお止め下さい」
…どういうことだ?
「詳しく、いや、端的に話を聞こうじゃないか」
俺が向き直ると、妹は首を振った。
「ただお父様も龍一お兄様も、女性に節操がないというだけの話です」
「ほぉ」
そう言えば、俺が目覚めた時に龍一が「男の甲斐性」がなんだの言っていたな。あれは虎を嵌める為の方便と思っていたが…本心だったのか。
しかも、父親もとは…。
「そのような尻軽男に、式部先輩のように純粋な人は勿体ない。今ここで、きっぱりと彼女を諦めて下さい」
舞花は静かに、しかし鋭利な言葉で俺に迫る。まるで首切り役人の様に、揺るぎない瞳で俺に迫る。
その鬼気迫る様子に、俺の頬は自然とつり上がる。
何時かの暴力会長より、余程剣士の才があるぞ?妹よ。
「それであるなら、俺がジュンさんを追う事に、君が憂う必要は何もない。俺を留める理由もない」
「…ハッキリとおっしゃってください、兄さん」
ふむ。そうか。
「俺はジュンさんが好きだ。この熱は、他の誰に向くこともない」
俺がそう言い切ると、鋭かった舞花の表情は一転、にんまりと小悪魔スマイルを浮かべた。そして、それを隠すかの如く、小さく頭を下げた。
「十分ですわ、虎兄さん。お時間を取らせてしまい、済みませんでした。どうぞ、式部先輩を追ってください」
「ああ」
俺は妹から背を向け、トレーニング室のドアに手を掛ける。でも、そこで一旦止まる。頭を下げたままの妹に向けて、声を掛ける。
「分かっているとは思うが、舞花よ。今お前が録ったソレ、直接伝えねば、ただの音だからな?」
「っ!」
ガバッと頭を上げ、驚いた顔をこちらに向ける舞花。
ふふっ。珍しいものが見られたな。
満足した俺は、今度こそトレーニング室を後にした。
〈◆〉
「遅いわね。どうしたのかしら?」
運動場から廊下に出てみたけど、黒沢君の姿は見当たらない。いつの間にか姿が見えなくなっていたから、最初はトイレかと思ったけれど、結構時間が経つから心配になって来た。
かなり激しい動きだったから、膝とか怪我しちゃっていたらどうしよう。連休中も凄く頑張っていたみたいだし、体中にダメージが溜まっているんじゃないかしら?私、そう言うの全然教えていなかったし、彼って頑張り過ぎちゃうところがあるから…。
「明日は湿布とか持ってきてあげた方がいいかも。それにドリンクと、軽食と、あとは…」
なんだか部活のマネージャーになった気分で、不安だった気持ちがフワフワ浮き上がり始めた。
そんな時、私を呼ぶ声が聞こえた。
「ノゾミ!」
「えっ?…ええっ!?じゅ、ジュン!?」
そこに居たのは、私の親友であった。
最近、会う機会が減っているから心配していたのに…なんで、黒沢君の家にジュンが居るの?
訳が分からず、私は駆け寄って来るジュンをただ茫然と見ているしか出来なかった。
すぐ目の前に迫ったジュンが、いつになく真剣な目で私を見る。
「ノゾミ。なんでここに居るの?何をしに来たの?」
「なんでって、私はただ、バスケのコーチに来ているだけで、黒沢君達のバスケを見てあげてるだけよ?」
言っていて、段々と私の心も落ち着いて来た。そうすると、沸々とジュンに感じていた不満が湧きあがって来た。
「そう言うジュンはどうなのよ?なんで、貴女が黒沢君の家に居るの?みんな貴女を心配して…セイジだって、今日の赤点勉強会にジュンが来ないって聞いて、心配していたのよ?」
「だってあたし、赤点なかったし」
えっ?うそ。あのジュンが、赤点なし?
「数学はどうしたのよ?私やナツ先輩が教えても、毎回赤点だったじゃない」
「赤点どころか、平均点も取れたし。虎ちゃんに教えてもらったから」
「とら、ちゃん?」
それって…黒沢君の名前だったよね?
えっ!?黒沢君が、ジュンの勉強を見てたってこと?私達の勉強会じゃなくて、ずっと黒沢君と一緒に居たってことなの?
テスト前も、連休中も?もしかして、急に行けないって言い出したあの遊園地の時も?
「どうして、そんな。もしかして貴女、黒沢君が…」
黒沢君がジュンに、何かしたの?
そう聞こうとして、私は言葉が詰まる。心が、その言葉を口にすることを拒んだ。
彼がそんなことをしないって、もう分かっていたから。彼の真っすぐで熱い心を、私は知ってしまったから。
そう思っていた私に、ジュンは大きく頷いた。
えっ?ウソ…。あの黒沢君が、まだ何か悪い事をしているの?
「そうだよ、ノゾミ。あたし、虎ちゃんが好きなの」
「…えっ?す、き?」
すきって、好きってこと?黒沢君のことが?
「そんな…だって、ジュンはセイジの事が…」
「ううん。違うの、ノゾミ。違ったんだよ。あたしが上郷君に感じていたのは、全然違ったんだ。虎ちゃんを好きって言うこの暖かい気持ちと比べると、まるで違うものだったんだよ」
そう言って、恥ずかしそうに微笑むジュンを見たら、もう私は何も言えなくなってしまった。
頭の中では、セイジを擁護する言葉が沢山浮かんでくる。でも、私の心がそれらを締め出す。
言葉に、出来ない。
また言葉に詰まる私を、ジュンが驚きの表情で見た。
「えっ!な、なんで泣いてるの!?ノゾミ」
「え?」
言われて、やっと自分が泣いていることに気が付いた。
何で、こんなに泣いてるの?それに、止まらない。全然止まってくれない。
涙も、そして、さっきからおかしな鼓動を刻む心臓も、私の言うことを聞いてくれない。
私…どうしちゃったの?
「修羅場では、あるが…」
思っていた修羅場ではありませんね。




