30話~とても素敵なことだと思うわ…~
「やっぱり参考書は、海丘出版社が出してるのが良いと思うわ。その中でもオススメが、これと…あとこれもね」
「あ、ああ。ありがとう」
中間テストが終わって、我々は次の球技大会に向けて動き出すつもりだった。ヒデちゃん達と一緒に、我が黒沢邸でバスケの練習をする予定を組んでいた。
のだが…。
「そのページ開いてみて?ほらここ、登場人物視点だから分かりやすく書かれているのよ」
「ああ、なるほどねぇ」
その会場へ向かう車中で、何故か俺の横にはノゾミさんが座っており、俺に手渡した参考書を共に覗き込んでいる。
確かに俺は、ノゾミさんが使っている参考書を教えて欲しいと依頼した。でもまさか、ここまで着いてくるとは思わなんだ。
君って、俺の事を毛嫌いしていたよね?どう言う風の吹き回し?
「どうかしたの?」
「あっ、いや」
俺が押し黙っていると、ノゾミさんがこちらを見上げてきた。その大きな瞳に掛かるまつ毛までくっきりと見えて、俺の心臓が再び荒れ狂う。
(うひょー!たまんねぇー!)
えぇい、黙れ!エロザル…じゃなかった、エロブタ!
俺は強制的にノゾミさんから視線を外し、もう1冊の参考書を手に取る。
「こっちの参考書はどうなのかな?えっと、一問一答?」
「そう。少しの時間でも解ける問題ばかりだから、隙間時間の有効活用が出来るのよ」
「ほぉ。俺にピッタリな参考書だ」
「言うと思った」
そう言って、ノゾミさんは楽しそうに笑う。
くっ。俺もちょっとだけ、彼女を可愛いと思っちまった。
鎮まれ、俺の魂。ジュンさんの事を思い出せ。
「……」
俺が必死に心を鎮めていると、目の前から強い視線を感じた。
同乗しているヒデちゃんだ。目も口も空きっぱなしで、完全にフリーズしている。
「2人とも、仲良しだねー」
その隣では、マモちゃんがバリボリお煎餅を食べていた。
喋るか食べるか、どっちかにしなさい。
「ちっ、違うわ!これは、そう言うんじゃなくて…」
ノゾミさんは慌てて体を起こし、ブンブンと手と首を振る。
振りながら言葉を詰まらせた彼女に、俺は助け舟を出す。
「俺がお願いしたんだよ、マモちゃん。社会科の点数が振るわなかったから、良い参考書をレクチャーして貰っているんだ」
「そう!それよ!勘違いしないで」
半分叫ぶ様に言い返すノゾミさんは、焦り過ぎて顔が真っ赤だ。
もしかして、俺と仲が良いと思われることに怒りを感じているのかな?マモちゃんは別に、悪意を持って聞いている訳では無いのだが…。
ここは、話題を変えるか。
「そう言えば、コーチ。上郷君の方は良いのかい?確か、数学と生物で赤点だったんだろ?」
「いいのよ、あいつは。サボって赤点になったんだから、今回くらいは少し苦い思いをした方がいい薬になるわ」
…なんか、言い方ちょっと冷たくない?
「それに、もう1人の生徒が何処まで上手くなったのか、コーチの私が見てあげたいもの」
そう言って、またこちらに笑いかけるノゾミさん。
ああやっぱり、彼女はバスケが好きなんだ。だから、俺が誘ってセイジが断った時、あんな残念そうな顔をしたんだな。そして、俺の事も生徒と思ってくれていると。
有難い。最高のコーチだ。
「よろしくおなしゃす!コーチ!」
「うんうん。ビシバシ行くからね!」
ノゾミさんが生き生きしている。きっと、バスケ部時代を思い出しているんだろう。吐くまで練習さしていたと聞くし、相当厳しい練習だったに違いない。
そう考えると…俺、ワクワクするぞ。
「羨ましい…」
コーチのやる気に打ち震えていると、そんな怨嗟にも似た声が聞こえた。
ヒデちゃんだ。
俺が視線を向けると、彼は「あっ」と視線を一旦逸らせたが、すぐに険しい顔をこちらに戻した。
「虎二さん。いつの間に、そんな仲になったんです?」
そんな…とは、コーチとの話だろうな。
「連休中、バッタリ出くわしてね。俺が無理を言って、バスケのコーチングをしてもらったんだよ」
「違うわ、黒沢君。私が見てあげたいって思ったから、コーチに立候補したのよ?」
「あれ?そうだっけ?」
なんか、俺の認識と違うな。
そう思うが、目の前のノゾミさんは自信満々で頷く。
「そうよ。だからあまり、貴方のせいみたいに言わないで」
「そうかい?そう言って貰えると、俺としても助かるよ」
「本当の事よ?」
「それが羨ましいっす!」
ヒデちゃんが悲痛な声を上げた。
ふむ。そうか。こうしてノゾミさんと会話できることを羨んでいると。
で、あるなら…。
「コーチ。ここはヒデちゃんにも1つ、ビシバシな指導を賜りたく存じます」
「分かったわ」
「ええっ!?」
と言うことで、黒沢邸に着くとすぐに、我々は運動場へと赴いた。
ヒデちゃん達は事前に告知していたから体操着を持ってきていたが、ノゾミさんは飛び入り参加だったので舞花様の体操着を着てもらった。
勿論、新品である。
「ごめんなさい。体操着の事を失念していたわ」
「いいさ。これも予備の予備だろうから、きっとコーチが使わなかったら破棄されていただろうよ」
「うっ…やっぱり、住む世界が違うわね」
おっと、金持ち自慢みたいになってしまった。
「さて、じゃあ早速やろうか」
「そうね。先ずはウォーミングアップしてから、みんなの実力を見せて貰いたいわ」
と言う事で、我々はジョギングから始まり…。
「ひぃっ、ひぃっ、ひぃっ…」
…約1名、この時点で脱落しそうな奴がいた。
ヒデちゃんだ。
「体力無いな、ヒデちゃん。普段、走り込みはしてないのか?」
「しないっすよ。あっし、陰キャなんで」
「陰キャを盾にしちゃいかんぞ?」
「そうね。林君には先ず、ここの外周を20周してもらおうかしら?」
「ええっ!?」
ノゾミさんからの指示に、ヒデちゃんは絶望の表情を浮かべる。
それに、俺は笑みで答える。
「良かったじゃないか、ヒデちゃん。早速、コーチからの愛を頂けるんだぞ?羨ましい」
「全然、羨ましくないっすよ!」
そう言うな。ヒデちゃんは先ず、最低限の体力を付けることから始めないとな。
そして、マモちゃんは…。
「あー。またボールがどっか行っちゃった〜」
体力は十分にあるのだが、ドリブルしながら前を向こうとすると、ボールが逃げてしまった。
「君はドリブルの練習ね。こうやって、腰を落としてやってみて?」
「うん。分かったよー」
ノゾミさんに教わり、早速ドリブル練習をするマモちゃん。
うん。彼は何とかなりそうな雰囲気があるぞ。
「さっ、黒沢君もやってみるよ」
「了解。相手は久保…」
「私が相手するわ!」
いつも通り久保さんを呼ぼうとしたら、ノゾミさんが腰を落として構えた。その彼女の目は、怪しく輝いていた。
もう、目の前にいる俺を嫌悪の対象とは見ていない。ただ純粋な、対戦相手として見ていた。
良い目だ。
「行きますよ、コーチ!」
「来なさい!」
俺はドリブルをしながら駆け出す。ノゾミさんとの差を、一気に詰める。
このままだと彼女に激突する。その手前で、俺は急ブレーキをかけて大きく緩急を付ける。
それでも、ノゾミさんは動じない。俺が止まると分かっていた動きだ。
俺はすぐに彼女の右側から抜こうと重心を移動させ、その動きに彼女も合わせてきたところで、重心移動を即座にキャンセル。逆に、彼女の左側へと駆け抜けた。
よし。抜いた。
そう思ったが、俺のすぐ横を美しい黒髪が跳ねた。
ノゾミさんだ。
「くっ…」
速い。もう追い付いてきた。流石は経験者。
俺が奥歯を噛むと、ノゾミさんは小さく笑った。車の中で見た、天使の笑顔じゃない。誇り高き戦士の笑みだ。
俺の攻撃を防げた。そう思っているんだろ?
俺は急停止する。それに、1歩遅れてノゾミさんも止まる。
だが、その1歩の間に、俺は次のモーションに入っていた。
ボールを高く掲げ、垂直に大きくジャンプする。手に持っていた弾を、ゴール目掛けて勢いよく放った。
「えっ」
俺が着地すると、驚いた顔のノゾミさんが出迎える。俺が放った弾を、彼女は目で追い続ける。思い描いた通りの放物線を辿る弾は、そのままゴールへと吸い込まれて行く。
そして、
スパンッ。
弾着。
「す、スリーポイント…」
ゴール下でバウンドするボールを見詰めながら、ノゾミさんが掠れた声で呟く。ゆっくりとこちらを振り返った彼女は、元々大きな目を更に開いて驚いていた。
「今の…偶然?」
「必然さ。とは言え、成功率は3割強と言ったところかな」
「そ、そんなに…」
ノゾミさんは唾を飲み込み、「ミドルシュートも見せて」と言う。
その要望に従い、俺はゴール下やサイドからも打って見せて、彼女はそれをすぐ後ろで見ていた。そして、10本目のシュートが成功すると、堪らずと言った様子で拍手をしてくれた。
「凄い…凄いわ!たった数日で、ここまでシュートが上手くなるなんて!」
「シュート練習にかなりの時間を割いたからね。だから、ドリブルはさっきみたいにまだまだなのよ」
俺が顔の前で手を振ると、ノゾミさんが「いいえ。そんなことないわ」とズンズン近付いてくる。キラキラした目で、俺を見上げてきた。
「ドリブルも凄く良くなってた。鋭い切込みにボールが付いて来ていたし、インサイドアウトも見事だった。何より、重心の移動がとっても上手で、私も騙されちゃったわ。普通の人なら、あれで抜かれていたわね」
おお、そうか。ドリブルについても、ネットの動画から幾つか技を真似してみたけれど、それも一般人相手なら通用するのか。これは朗報だ。
俺が喜びに頬を吊り上げていると、ノゾミさんは更に俺へと近付く。もう目と鼻の先だ。
「貴方って、バスケの才能があるわ。今からでもバスケ部に入ってみたら?」
「ありがとう、コーチ。そう言ってもらえて嬉しいよ。でも、俺のは才能じゃない。ただ、それだけの時間を費やしただけなんだ」
俺はそう言って、手のひらを見せる。そこには、水面下で藻掻いた痕が刻まれていた。
「時間とお金を掛ければ、一般人でもある程度は上達する。今のはただ、それだけの事なんだよ」
俺は、俺が環境的に恵まれた人間だと暗に示した。決して才能ではないと、ノゾミさんに告白した。
だと言うのに、彼女の表情は更に輝く。俺の手を両手で包んで、俺の手のひらを彼女の綺麗な指でゆっくりとなぞる。
「タコができてる。たった数日で、ここまでやり込んだってことよね?それって、とても素敵なことだと思うわ…」
俺の手を触りながら、ウットリとした表情を見せるノゾミさん。でもすぐに「はっ」と我に返り、慌てて俺の手を解放する。
「ご、ごめんなさい!私、いきなり手を握ったりして」
「いや、嬉しかったよ。俺の努力をここまで評価してもらえると」
俺がそう言って笑みを向けると、ノゾミさんはポカ~ンとしていた。でも直ぐに表情を正して「さ、さぁ!私も特訓しないと!」と走り出した。
俺の努力に触発されたかな?正の連鎖が始まったようだ。
「坊ちゃん、坊ちゃん!」
俺もノゾミさんに続こうとすると、久保さんが慌てて駆け寄って来た。
…この慌てようは、結構ヤバいことが起きたんじゃないか?
「何がありました?久保さん」
「坊ちゃんに、来客です」
来客?誰が来たん?
いや、待てよ。久保さんの慌てようからして、その来客者とは…。
「まさか、ジュンさん?」
「はい。その通りです」
やべぇえ!修羅場が始まるぅ!
「偽った代償だな」
楽しんでません?
「無論」




