25話~俺は俺だ~
「何してんの…あんた達…」
いつの間にか現れた綺麗なお姉さんは、手からビニール袋が落ちたことを気にした様子もなく、ただ驚いた表情をこちらに向けていた。そして、俺の腕の中で力なく倒れているジュンさんに気が付いて、大きく開いていた目を鋭くする。
「貴方、一体どこの誰なの?」
低く唸る様に問われてしまったので、俺はジュンさんをゆっくりと床に寝かせ、お姉さんに向き直る
こうして対峙してみると、女性の容姿はジュンさんに似ていた。目元が少しだけキツくなって、化粧もOL風で大人になったジュンさんといった風貌。胸部装甲も彼女に負けず劣らずで、近しい血縁関係であるのは一目瞭然。
ジュンさんのお姉さんだろうか。大学生…社会人?
「初めまして、お姉さん。僕は黒沢虎二と申します。ジュンさんと同じ四葉学園高等部の生徒で、彼女とは中間テストに向けて勉学に励んでいる…友人です」
「ふぅ~ん。友人ねぇ」
お姉さんは鋭い目をしたまま、俺を上から下まで見回す。
「なんで彼氏でもない友人の君が、寝ているジュンに覆いかぶさろうとしていたのかしら?それが君の勉強方法だって言うの?」
ああ、なるほど。この人の立ち位置からは、俺がジュンさんを襲っているように見えたのか。そして、それが友人を名乗る怪しいブタであるから、余計に怪しんでいると。
妹を食い物にしようとしている悪漢に、怒り心頭という事か。
「それは誤解です。お姉さん。僕は倒れそうになったジュンさんを支えたに過ぎません」
取り合えず簡潔に説明はしてみたけれど、お姉さんの形相は変わらない。怒気を孕んだ目は血走っており、徐々に荒々しくなる鼻息が彼女の興奮状態を表していた。
足音荒く、お姉さんが俺の前へと急接近する。怒りで震える手を高々と上げ、そこに力を籠める。
「何時も何時もそうやって、無責任に逃げ回ってばかり。今もあたしが来なかったら、この子の体だけ奪おうって魂胆だったんでしょ!?この、スケコマシ野郎!」
突如、超高速で振り下ろされる張り手。その速度は凄まじく、風切り音が聞こえる程の威力であった。
だが、俺はその一刀を避けた。上半身を大きく沈みこませ、そのフルスイングを回避した。すると、お姉さんのビンタが頭上を通り過ぎ、その風圧が俺の後ろ髪を揺らした。
うん。食らっていたら、首がむち打ちになっていたかもしれんな。
上半身を浮上させると、空振りをして態勢を崩したお姉さんが俺を睨み上げてくる。
「卑怯者。またそうやって、逃げる気なんでしょ!?」
その鋭い視線を、俺は真っ向から受け取る。彼女の目を真っすぐに見て答える。
「僕は貴女の叱責を受けるつもりはありません。その理由がありませんので」
「白々しい。あんたがどれだけジュンを苦しめているか、知りませんとは言わせないわよ!」
お姉さんは寝転ぶジュンさんに視線を落として、辛そうな顔をする。
「ジュンはね。いつもあんたのことを嬉しそうに話しているわ。とても優しくて、格好良い子が隣のクラスに居るんだって。去年の夏、その子とやっと友達になれたんだって、凄く嬉しそうに話していた。
でも、あんたはいつも周りに女の子を侍らせている。どれだけジュンがあんたのことを思っても、あんたはマトモに相手もしてくれなかった。受け入れることも突き放す事もせずに、ただペットのように飼い殺していただけ。違う?」
ああ、やはりそうか。
俺は理解する。彼女が何故、ここまでの怒りを覚えるのかを。
彼女は俺を、セイジと勘違いしているのだ。ジュンさん達を散々振り回して、思わせぶりな態度をとる諸悪の根源と勘違いして、怒りを覚えている。
そう理解しても、俺は何も言わずに彼女の言葉を聞いた。彼女の怒りを、全て吐き出させる為に。
「高校に入ってこの1年、ジュンはずっと暗い顔をしていたのよ。なんでだか分かる?あんたのせいよ!ジュンはね、あんたの為にいつも一生懸命だったのよ?
誕生日プレゼントを選ぶのだって、半年も前から悩んでいたし、クリスマスプレゼントを買う為にって、夜遅くまでバイトを頑張っていた。バレンタインデーには何度も失敗しながら、頑張って美味しいチョコを作ってあげた。
なのに、あんたは何を返したのよ?ただ一言「サンキュー」って呟いただけって、ジュンは部屋で独り泣いていたんだから!しかも、ジュンの誕生日にはおめでとうの一言もなかったんでしょ!?あんたは一体、何様のつもりよ!!」
全ての怒りを吐き出したお姉さんは、しかし、更なる怒りのオーラを纏って俺を睨み上げる。開いていた手のひらを固く握りしめ、震える拳の先を俺に合わせる。
それに、俺は一歩前に出る。怒りに染まる彼女の前で、堂々と宣言する。
「俺は俺だ。黒沢虎二だ。貴女の言う、卑怯者ではない。だから…」
「だから、何だって言うのっ!」
構わず殴って来た彼女の拳を、俺は手のひらで受け止める。
「だから、貴女が繰り出すその拳に、俺は一歩も退きはしない。貴女の抱えるその怒りに、俺は一歩も逃げはしない。俺の背後は盤石だ。俺に後ろめたいことなど、何一つないのだからな」
「うっ…」
俺が更に半歩前に出ると、その分だけお姉さんは退いた。彼女が纏っていた怒りのオーラも、同じ様に引く。
俺に押し付けられていた拳から、力が引いて行く。
「…君は、ジュンの事をどう思っているの?異性として、1人の女の子として…好きなの?」
「はい。僕はジュンさんが好きです」
俺がきっぱり言い切ると、お姉さんは目を丸くする。そして、今まで吊り上がっていた眉毛を弱弱しく寝かせて「違う」と呟いた。
「違うわ。逃げずに、こんなハッキリ言うなんて…。もしかしてあたし…勘違いしてた?君は、ジュンの言っていた子じゃないの?」
「恐らくは人違いかと。僕がジュンさんと交流を持ち始めたのは、この連休中の事ですので」
やっと誤解が解けたか。
そう安堵するよりも早く、
「申し訳ございませんでした!」
お姉さんが崩れるように土下座した。
「あたしとんだ勘違いしていて、君に大変な無礼をしてしまって…」
「頭を上げて下さい、お姉さん。無礼なんて一つも、僕は受けていませんから」
「…えっ?」
お姉さんは頭だけ上げて、訳が分からんという顔を俺に向けて来る。
それに、俺は大きく頷く。
「僕は何の被害も受けていませんよ。全部、避けるか受け止めるかしましたからね。寧ろ、良い訓練になりました」
「く、訓練って…でも、手を出しちゃったのは事実だし…」
「ですが、それもジュンさんを思っての事。違いますか?」
ジュンさんが辛そうにしているから、お姉さんは必死に藻掻いただけだ。彼女達をここまで苦しめる元凶こそ、断罪するべきではないだろうか?
「ですから、もう謝らないで下さい。貴女の気持ちは、僕も痛い程分かりますので」
俺は手を差し伸べて、お姉さんを半強制的に立たせる。
立ってもまだ、お姉さんは驚いた顔を俺に向け続ける。
「君、本当にジュンの同級生なの?なんか、人生何周もしてそうな貫禄があるんだけど…」
おっと。ジュンさんと同じようなご意見。流石は姉妹だ。
式部姉妹の慧眼に舌を巻いていると「ぅん…」と小さなうめき声が聞こえた。ジュンさんが意識を取り戻したんだ。
彼女は体を起こして、我々の方を見て目を丸くした。
「えっ?なんで、虎ちゃんとママが手を繋いでるの?」
「まっ!?」
ママだと!?
俺が驚きで目を向くと、お姉さん…お母さんはバツの悪そうな笑みを浮かべて、小さく頭を下げた。
「ごめんなさい…ジュンの、母なんです」
うせやろ…。
〈◆〉
「ジュン。もう夕飯だから、机の上片付けちゃって」
「ちょっと待って、ママ。この課題だけやっちゃうから」
流し台からジュンに声を掛けると、娘は楽しそうな声でそう返してきた。キッチンからチラリと様子を見ると、悩みながらも明るい表情で机に向かうジュンの姿があった。
思えばこの子、連休中はずっと忙しそうだったわね。またあのクズ野郎に騙されているのかと思って見ないようにしていたけど、どうやら違ったみたい。
「楽しそうね、ジュン」
あたしは嬉しくて、勉強に打ち込む娘の正面に座り、彼女の顔を眺める。
「楽しい訳ないじゃん。コレ、あたしの苦手な数学だよ?」
そう反論する娘だけど、彼女の目はキラキラと輝いていた。
こんなに明るい彼女は久しぶりに見た。きっと、彼のお陰ね
「ねぇ、ジュン。黒沢君って、どんな子なの?」
「…なに?ママ。もしかして、虎ちゃん狙ってる?」
キラキラしていた目が突然、猫のように鋭くなる。でもすぐに、口元が嬉しそうな弧を描いた。
「虎ちゃんは努力家だよ~。もうね、ビックリしちゃうくらい直向きでさ。いつもキラキラしててね、見てるだけで元気を貰えちゃうの。あと、いつも素直で可愛いんだけど、イザって時はキリッてカッコよくてなってね~」
あら?この子、黒沢君に惚れているんじゃない?
黒沢君は『ジュンさんは別の男性(スケコマシ野郎)が好きだ』って言っていたけど、本当かしら?
「ねぇ?ジュン。貴女、黒沢君の事が好きなの?」
「ブフッ!」
あっ、吹き出した。分かりやすい子ね。
「ママ止めて!それ、虎ちゃんに言ったら怒るからね?」
「あら?どうして?」
「だって…虎ちゃんには好きな人が居るから…」
えっ?
「それは、誰なの?」
「ノゾミだよ。七音望。うちにも呼んだことあるでしょ?虎ちゃん、去年ノゾミに告って、フラれちゃったの。でも、まだ未練があるみたいでさ、動画とか持ってたし…」
う~ん。それは、この子の勘違いね。だって黒沢君『僕がジュンさんを振り向かせて見せますから、それまで「好き」という先ほどの発言はご内密に…』って言っていたもの。
つまり、両想いなのに両方とも勘違いしているって事?
「ジュン」
「なに?ママ」
「黒沢君の事だけど…」
あたしは真実を教えようとした。でも、
「ママ。あたし頑張るから」
そう言って、再び教科書に視線を落とすジュンを見て、あたしは口を閉じた。2人が2人の為に努力して、燃え上がっている今を消してしまうのは違うと思ったから。恋ってものは、こうやって燃える方が強い結びつきになるものだから。
あたしが出来るのは、この縁が焼き切れてしまわないようにするだけ。
「分かったわ、ジュン。またいつでも、黒沢君を家に呼びなさい。お母さん、全面的に協力するから」
「ありがと!ママ」
本当に、良い笑顔になったわね、ジュン。ここまで導いてくれた黒沢君には、感謝しかないわ。
でも…。
「良い事?ジュン。いつ呼んでもいいけど、ちゃんとゴムは付けるのよ?」
「えっ?……なっ!?なに言ってんのよ!ママぁ!」
まぁ、まぁ。赤くなっちゃって。
この分だと、2人がくっ付くのはまだ先になりそうね。
お母さん、随分と若いのですね。
見た目だけでなく、精神的に。
「まぁ、娘がハーレム野郎に騙されていたら、気が気ではないだろうな」




