21話~待ってくれ、ジュンさん~
スマホの画面を見たジュンさんは、表情を強ばらせる。視線が僅かに揺れ、「どうしよう…」と戸惑う仕草をしていた。
俺が居ては電話に出られないのか?ふむ。まぁ、そうだろうな。
ならば、
「俺が席を外そう」
俺から動く方が良いだろう。
そう思い、俺は腰を浮かせる。でも、ジュンさんは「ううん」と首を静かに振った。
「ごめん、ちょっとだけ待ってて。サンドイッチ食べてて良いから」
そう言うと、ジュンさんはパタパタと駆け出し、廊下の方へと出ていった。
その彼女の後を、隣の控え室から出てきた久保さんが、そっとついて行こうとする。
おいおい。
「待ってくれ、久保さん」
「ですが、坊ちゃん。先程携帯から聞こえてきた声は、男性のものでしたよ?」
「ああ、そうだろうな」
スマホの画面をつい見てしまったが、そこにはセイジ君の名前が表示されていた。
「彼女の想い人からの連絡だ。彼女にとってそれは、何よりも優先されるものだ」
「なっ、そんな…そんな酷い事、許せるんですか?坊ちゃん。デート中に、他の男性の電話に出るなんて…」
「良いも悪いも、そう言う侵略戦争を仕掛けているのは俺の方なんだ、久保さん」
俺の言葉に、久保さんは目を白黒させる。
そんな彼に、俺は「ふふっ」と口を歪める。
「だがまぁ、今回は俺の負けみたいだな」
俺は机に広げていた勉学道具を脇に寄せる。
ジュンさんは恐らく、セイジ君から呼び出しでも食らったのだろう。最愛の男から誘われれば、ここに留まる筈も無し。悔しいが、今は潔く引くしかなかろう。
「悲しいかな。俺の努力も、まだまだ途上と言う事だ」
〈◆〉
ドアを閉めると同時に、通話ボタンをフリックする。
「もっ、もしもし?」
『おっ、やっと出たな、ジュン。お前、今どこに居るんだよ?もうお前以外の奴、みんな揃ってんぞ?寝坊か?』
「えっ?どう言うこと?あたし昨日の夜、調子が悪くて行けないって、グループチャットにメッセージ残したけど…?」
もしかして、送れていなかった?
あたしはヒヤッとして、急いでチャットアプリを開く。でもそこには、昨晩あたしが送ったメッセージがしっかり残されていて、既読も4つ付いている。セイちゃん以外の人から、心配の返信も来ていた。
やっぱ見てるじゃんって思っていると、電話口から気のない声が聞こえた。
『あー…そうだっけ?えっ、マジかよナツ先輩。俺も既読してる?あー…わりぃジュン。見たの忘れてたわ』
忘れてた。
その言葉に、あたしはショックを受けた。
ううん、言葉自体にじゃない。あたしは、あたし自身にショックを受けていた。その衝撃で次の言葉を出せないでいると、流石のセイちゃんも悪いと思ったのか、心配する声色を出す。
『あーっと、その…大丈夫なのか?お前の具合は』
「えっ?あっ、うん。平気。今はちょっと、治ったから」
嘘だ。今でも心はフワフワする。全然治る気がしない。それでも、セイちゃんが心配してくれたのは少しだけ嬉しかった。
それなのに…。
『しっかし、お前も災難だったな。遊園地を1番楽しみにしてた奴が、まさか前日に風邪ひくなんてよ。アレだろ?楽しみが過ぎて、熱が出ちまったパターンなんだろ?』
「えっ?あの…」
『やっぱそうか!はっはっは!小学生かよ、お前』
一方的に喋るセイジ。
一体、誰と喋っているの?楽しみにしていたのはコハルであって、あたしは水族館を推していたよね?あたし達の会話も覚えていないってこと?
ねぇ、セイちゃん。貴方は本当に、あたし達を見ているの?
動揺して、また会話が途絶えた。電話口からは、コハルやナツ先輩の楽しげな声が聞こえて来て、それにセイちゃんも嬉しそうに答えていた。
まるで、あたしだけ取り残されている気がした。それに、あたしの心は寂しさを覚える。
ただ、それも微かにだった。心がちょっとチクリとしただけで、そこまで揺さぶられない。さっき、セイちゃんが『忘れていた』と言った時と一緒で、あたしはその事について殆どショックを受けていなかった。
その事がショックだった。今までなら、そんな事言われたら暫くの間蹲ってしまって、ママやノゾミが慰めてくれてやっと立ち直っていた。なのに今は、あの重い感覚が殆どしない。今も平然と立っていられる。
虎ちゃんがノゾミの動画を見てた時は、あんなに苦しかったのに…。
『おい、ジュン。聞いてんのか?』
「えっ、あっ、なに?」
いつの間にか、セイちゃんがあたしに話しかけていた。
『だからさぁ、明日はナツ先輩の家で勉強会をやるって話だよ。先輩とノゾミのダブルティーチャーだぞ?すげえ豪華だろ?お前は勿論、参加するよな?時間は…』
「行かない」
『…えっ?』
セイちゃんが驚いた声を出したけど、それ以上にあたし自身がビックリしている。セイちゃんの誘いを断るなんて、今まで一度もしたことなかったから。突然呼び出されても行ったし、友達との予定もキャンセルして優先させた。
なのに、あたしの中から飛び出したのは断りの言葉。それ以外の選択肢が、あたしの中には思い浮かばなかった。
『…おいおい、どうしたんだよ?ジュン。さっき体調は良くなったって言ってただろ?なんで来ないんだよ?』
「予定があるの。明日は」
嘘だ。予定なんて無い。でも、こんな気持ちでみんなと一緒になんて居られない。こんなの誠実じゃないから。みんなと、セイちゃんと離れても寂しさを感じないあたしなんて、そっちには行けないよ。
あたしは辛くて、少し俯く。そこに、セイちゃんの軽い声が届く。
『おいおい、ジュン。そんなんじゃ、休み明けのテストで大変な事になるぞ?お前はバカなんだから、ノゾミ達に教えて貰えないと、赤点大量生産して球技大会にも出られないだろ』
「ばっ…」
バカって、そんな直球で言わなくて良いじゃん。そんな事、あたしが1番分かってるのに。なのに…。
虎ちゃんなら、冗談でもそんな事言わない。出来なくても、出来るまで優しく教えてくれてる。ここまでは出来たよって、ちゃんとあたしの事を褒めてくれた。それなのに、セイジは…。
あたしは悔しくて、歯を食いしばる。そこに、相変わらず軽いセイジの声が届く。
『よーし。そんなおバカなジュンに、俺が救済の手を差し伸べてやるぞ!休みの間、お前の都合が良い日に勉学会をセッティングしてやるよ。あと6日もあるからな、流石にいつかは空いてい…』
「空いてない」
あたしは言葉を吐き出していた。
「ごめんけど、忙しいんだ。また学校でね」
あたしは一方的に電話を切っていた。スマホを持つ手が震えているけど、この感情はなに?怒ってるの?悲しんでいるの?もう、自分がどうしたいのか分からないよ。
スマホが小さく震えて、何個かメッセージが飛んできたのを知らせたけれど、全部無視してポケットへ滑り込ませる。ドアを開けて、彼の待つリビングへ急いだ。
そして、無理やり笑顔を浮かべ、両手を合わせて彼に謝る。
「ごめん、虎ちゃん。急で悪いんだけどさ、あたし、かっ、帰るね…」
あたしは心底、自分が嫌になった。セイジとの会話中に、虎ちゃんの事を思い出してしまった。2人を比べるような事までして、それで腹まで立てちゃって…。
最低だ。
最低の人間だよ、あたし。
こんな不純で不誠実な奴、虎ちゃんの前にいる資格も無い。ここはとても居心地の良い場所だったけど、早く出ていかないと。
早く、優しい彼の前から去らないと。
あたしは机の上に広げた勉強道具をカバンにしまって、それを肩にかけようとした。
そんなあたしに、虎ちゃんの静かな声が届く。
「待ってくれ、ジュンさん」
前に回り込んだ彼が、あたしを見上げてくる。
その真っ直ぐな瞳で、あたしを見詰めてくる。
「今の君を、帰す訳にはいかない」
「えっ?な、なんで?」
「君がとても、辛そうにしているから」
虎ちゃんの優しい瞳が、あたしの冷えた心に熱をくれる。あたしの両肩に優しく手を置いて、儚げに微笑む。
「少しでも良い。俺に話してくれないか?君の中で渦巻く葛藤を、戸惑いを。少しでも俺に、君のその重荷を背負わせてはくれないだろうか?」
「虎ちゃん…でも、あたしって、どうしようもない奴で、虎ちゃんに、そんなこと…」
「そんな事はない、ジュンさん。君は素直で優しく、魅力的な人だ。ただ、それが自分では見え辛いだけなんだ」
虎ちゃんの温もりが彼の手から伝わってきて、あたしの中にも熱いものが込み上げる。目頭から、感情が溢れてくる。
それを、彼は優しく拭う。綺麗な紫眼の瞳が、あたしの中を覗き込む。
「そんな君を、俺は支えたい。見た目通り、俺はどっしりしているからね。君が全力でぶつかってきても、受け止める自信がある」
虎ちゃんはそう言って、お腹を勢い良く叩く。パンッて凄い音がして、あたしの心が一気に軽くなる。思わず、吹き出しそうになる。
あれだけ重く悩んでいた事が、少しだけ軽く感じた。軽くなったあたしの口が、心の中のモヤを、ちょっとずつ零し始める。
友達からバカと言われた事。そんな事は百も承知で、あたしは何の取り柄もない事。ただ着飾る事しか出来ないあたしに、内面の魅力がない事。
そんな恥ずかしい事まで、いつの間にか彼に話していた。自虐にも劣る、何の価値もない愚痴。
それなのに、虎ちゃんは優しく聞き続けてくれた。あたしを、甘やかしてくれる。
「何度も言うが、君は自分の魅力に気が付いていないだけだ。今君に必要なのは、中身ではなく自信だ」
「自信?」
「ああ、そうだ」
虎ちゃんはそう言って、机の端に寄せられていた教科書を1冊取り上げる。
「ジュンさんがやれば出来るという事を、証明するんだ。明確で不変な数値で表される定期テストの結果を持って、君の自信とするんだ」
「テストで良い点取ろうってこと?でもあたし、バカだからそんな事出来ない…」
「いいや、出来る。俺は知っているよ。ジュンさんは決して、バカじゃない。教えれば響くし、自ら進もうとする意思がある。そんな君に、俺は可能性を感じている。俺は君を信じている。だから、君も信じてみてはくれないか?自分自身を」
虎ちゃんはそう言って、あたしの前に手を差し出してきた。
そんな虎ちゃんを、あたしは見詰める。
「出来るのかな?こんなあたしに」
「ああ。俺も共に歩む。共に乗り越えよう。この試練を」
「うん」
彼の真っ直ぐな言葉に、あたしは頷いていた。差し出された彼の手を、両手で大切に包み込む。彼の温もりが伝わってきて、心がフワリと軽くなる。
「うん…よろしくね、虎ちゃん」
「ああ。よろしく頼む、ジュンさん」
彼の力強い笑みが、あたしを照らす。真っ直ぐな瞳は、しっかりとあたしを見てくれている。
とっても暖かくて、凄く幸せな気持ち。
不思議な気持ち。
ううん。不思議じゃない。もう分かってる、このフワフワした感情の正体。
これが本当の、好きって気持ちなんだ。




