15話〜…仕方ないわね〜
「えっ、黒沢君?なんで、こんな所にいるの?」
そう言って、引き攣った顔をこちらに向けるのは、ハーレムメンバーの1人、ノゾミさんであった。彼女の後ろには、小柄な女の子が隠れるように立っていた。
顔のパーツが似ているな。姉妹か。虎の情報にも、ノゾミさんはご姉妹が居るとなっているし。
「あぁ…ええっと、俺は…」
声を出そうとしたら、喉でつっかえてしまった。休憩で落ち着いていた心臓が、ジワジワと鼓動を早めていく。
おいおい。ちょっとは落ち着いてくれよ、俺の体。まともに喋れすらしないじゃないか。
いや、こうして焦らせる方がダメだな。こういう時は、やっぱりあの手だ。
ドンッ!ドンッ!
「げほっ、げほっ」
胸を叩いたら、大きく咳き込んでしまった。酷使し過ぎて、肺が弱っていたみたいだ。
「だ、大丈夫?」
「ええ、済みません。予想外の邂逅だったので、焦ってしまって」
かなり警戒してしまった彼女に、俺は飄々と答える。すると、引き攣っていたノゾミさんの表情も、少しだけ和らぐ。
「予想外なのは私の方よ。なんで黒沢君、こんな一般のプールに居るの?家にもプールがあるって、学校で自慢していたじゃない」
ああ、そんな事も彼女に話していたのか。きっと虎の事だから、金持ち自慢をして気を惹きたかったのだろうな。でも、逆効果で引かれてしまったと。
ここはなるべく、謙虚な態度で訂正した方がいい。
俺は頭の後ろに手を当てて、苦笑いを浮かべる。
「いやぁ。プールはあっても、シーズンにしか使わないんだよ。だから、今はホコリを被っている。学校のプールと一緒さ」
「あっ、そうなんだ」
納得したからか、また一段と表情が柔らかくなり、警戒心が解かれた様子。
かと思ったら、俺の手元を見て眉を顰める。
「えっ?でもそれって教科書だよね?プールで勉強?」
「ああ、うん。ほら、休憩時間が暇だからさ、ちょっとでも勉強して、サボっていた分を取り返そうと思って」
サボっていたことを恥じている風に話すと、ノゾミさんの目がまた一段階警戒心を強めた。
「取り返す?あのサボり魔の黒沢君が?一体どうしちゃったのよ?最近の貴方」
ふむ。急激な変化に、俺のことを疑っている様子。仕方がない。以前が余りにもクズ過ぎたからな。
俺は肩を竦めて、小さく首を振る。
「寧ろ、今までがどうかしていた。自暴自棄になり、周りに迷惑をかけて、人の道から大きく外れてしまっていた。だから今は、少しでも人間に戻ろうと足掻いているんだよ」
そう言いながら、俺は自分の腹を掴んでみせる。笑ってくれるかと思ったが、ノゾミさんの表情はそこまで変わらなかった。
いや、ちょっとだけ変わったな。スっと通った小鼻が少しだけ膨らみ、目がキラリと光った。
「本当にそうなの?私は貴方が、何か企んでいる風に見えたんだけど。球技大会の種目決めの時も、後から私達の方に入ってきたよね?あれはどうしてなの?」
「その前に」
興奮気味に問い正すノゾミさんに、俺は待ったと手を翳す。彼女が押し黙ると、俺の目の前の席を手で指す。
「長くなりそうだから、座ったらどうかな?立ったままだと、2人とも疲れてしまうだろ」
「あっ」
ノゾミさんは慌てて、妹さんを振り返る。
話に入って来れない妹さんは、先程から足をプラプラさせていたのだ。髪も濡れているし、泳いだ後で疲れているのだろう。
俺が進めると、久保さん達がパッと動いてくれて、俺の対面に椅子をセットして姉妹をエスコートしてくれた。
座ったノゾミさんは、小さな声で「ありがと」と呟く。
いえ、いえ。これくらい、当然の配慮です。
「それで、俺がバスケ組に移籍した意図についてだったね?端的に言うと、あのままでは話し合いが頓挫する恐れがあったからだ。誰もバスケ組に入る素振りを見せず、終いには押し付け合いに発展する恐れがあった。クラスの団結が試される催しで、それはあまりに残念な事ではないかな?」
「うっ、確かに、そうね」
ほぉ、理解しているのか。セイジ君がいる限り、他の男子が協力してくれない事を。
ハーレムの呪縛で盲目になっているのかと思っていたが、ある程度の思考能力は残っているみたいだ。
「他の人達に動く様子がなかった。だから、俺は動いたんだ」
「それって…妥協したってこと?」
「妥協ではない」
俺は教科書を閉じて、ノゾミさんの目を真っ直ぐに見る。
「やるからには勝ちに行く。木下君や成田君にも、そう約束したからね」
「うっ…」
見詰め過ぎたのか、ノゾミさんが慌てて目を逸らしてしまった。
ああ、済まんね。好きでもない奴に見られて、気分を害してしまったかな?兎に角、俺の本気度は伝わっただろう。
そう思って、俺が背もたれに背中を預けようとすると、再びノゾミさんがこちらに視線を寄越した。
「勝つって…どうやって勝つの?黒沢君、バスケ経験はどれくらいなの?」
「恥ずかしながら、まだ2日だよ」
「ふ、2日?」
「うん。バスケに出ることが決まってから、練習を始めたんでね」
俺がそう言うと、ノゾミさんは驚いた顔で「あの黒沢君が、練習を?」と呟いていた。
まぁ、そう思うだろうな。前の虎は、練習とか訓練とかを凄く嫌っていた。だから、ノゾミさんにもサボり魔と言われているのだし。
「でも、黒沢君。バスケってかなり難しいスポーツよ?ちょっとやそっと練習したからって、そう上手くはならないわ」
「そうなんだよねぇ…」
かなりキツい指摘だったが、俺は渋々頷く。このまま練習を積み重ねても、本当に戦力になるのか分からなかったから。
時間があれば、何とかなったかもしれない。でも今回は、球技大会まで1ヶ月もない。付け焼き刃にもならないナマクラでは、足を引っ張るだけだ。
「七音さんみたいな経験者に見て貰えたら、少しはマシになると思うのだが…」
まぁ、それは冗談だ。だが、誰か経験者に教えを乞うと言うのは良いかもしれない。
「…仕方ないわね」
誰か、知人で居ないものかと考えていると、ノゾミさんがボソリと呟く。
えっ?
「だから、少しだけ見てあげるわよ。黒沢君のバスケ」
「マジか!ありがとう」
「ただし!本当に少しだけよ?接触は勿論、私の半径1m以内に近付かないって約束出来るなら受けてあげるわ」
俺が大きく喜ぶと、ノゾミさんは一気に警戒心を強める。
まぁ、でも、それで十分だ。
「よろしくお願いします!」
俺はノゾミさんに…いや、コーチに深く頭を下げた。
プールから上がった我々は、そのまま横に併設されている体育館へと移動した。ここの設備はかなり大きくて、プールだけじゃなく様々な設備を内包している。ここみたいな体育館や、巨大ホール。外にはアスレチックやビオトープなんかもあるらしい。
「それじゃ、始めるわよ!」
さっきまでイヤイヤ顔だったノゾミさんだが、ボールを持った瞬間から笑顔が輝いていた。
本当に、バスケが好きみたいだ。
「はい!コーチ!」
「じゃあ、先ずは走り込み…は、今日は出来ないから、ドリブルからスタートよ!」
体育館の中も、ゴールデンウィークだからか人でいっぱいだ。あっちこっちを小さな子が走り回っているから、我々はゴール下の狭いスペースで練習するしかない。
まぁ、基礎練習だけなら十分だ。
俺は早速、この2日間の成果を披露する。すると、ノゾミさんの表情が驚きに変わる。
「へぇ。結構ちゃんとしているわね。そのまま歩いてみて」
「はいっ」
ドリブルはかなり練習したからね。今なら軽く走りながらでもボールはブレない。まぁ、本気で走ろうとすると、偶にどっか行っちゃうんだけどね。
俺は暫く、ノゾミさんに言われるままに動いた。ドリブルして、シュートを見せて、パスを出す。そのパスを受け取ると、ノゾミさんの目はまた細く疑わしい者を見る目になった。
はい。なんでしょう?
「本当に初心者?この2日間で、どれだけ練習したの?」
「ええっと、午前中だけだから、全部で10時間くらい…」
「ええっ!?そんなに?」
驚くノゾミさんは、助けを求める様に壁際を見る。そこに待機していた久保さんが大きく頷くと、口をパクパクしていた。
「10時間って、部活並よ?」
「バスケだけで10時間です。坊ちゃんは、その後にそれ以上の時間を水泳に費やされていますよ」
「バケモンでしょ!」
おーい、久保さん。余計なこと言うから、完全に引かれちまったじゃねぇか。
俺が久保さんをジト目で見ていると、今まで見ているだけだったノゾミさんが『ダンッ!』とボールを着いた。
「じゃあ次は、私が手本を見せるわ」
そう言うと、ノゾミさんは軽やかなドリブルを見せた後、すんなりとジャンプシュートを決めて見せた。
「これくらい出来れば、本番でも十分戦えると思う。相手は現役選手じゃないからね」
「現役選手でも、今のは難しいと思うがね」
「ふふっ。そうだったらいいんだけど」
おおっ、初めて笑ったな。破壊力がエグい。
ノゾミさんに見とれていると、彼女はその場でもう1本、シュートを放った。
「君のドリブルはいい筋しているから、強化すべきはシュートね。ちょっと打ってみてよ」
「こうかな?」
「はいっ、そこでストップ!」
俺がボールを打ち出そうとした瞬間、一時停止を掛けてくるノゾミさん。そのままズンズンと俺の方に近付いてきて、自分で敷いた半径1m以内を易々と超え、俺の肘に手を当てた。
「打つ時は、こう。ちゃんと肘を絞って、足の力を真っ直ぐボールに伝えるの」
「……」
(うぉおお!ノゾミちゃんの手、めっちゃ柔らかいぃい!めっちゃいい匂いするぅう!)
体が歓喜に湧き、脳内までお花畑に染まりそうになった。それを、俺は必死に押さえつける。
くそっ、暴れるんじゃねぇ。今は練習中なんだ。経験者による貴重なレクチャーなんだ。真面目にやれ。全集中しろ。
「なに?どうしたの?」
急に黙った俺に、ちょっと不安そうな顔を向けてくるノゾミさん。
やっと制御を取り戻した俺は「分かった」と一言頷いて、ボールを放つ。ボールは綺麗なアーチを描いて、そのままゴールネットにダイブした。
おおっ。今のは確かに違いが分かる。こう、膝で作った勢いがそのままボールに伝わった感じ。
俺が確かな手応えを感じていると、ノゾミさんがクルリと振り返る。
「やったわね!」
そう言って、笑顔を向けてくる彼女に、またもや俺の心臓が飛び跳ねた。
おいおい、大丈夫か?俺の体。首輪とか拘束具着けた方がいいんじゃないか?
俺は本気で危惧した。




