14話〜えっ?帰らないよ?〜
4月も残すところ数日と言うこの日、ゴールデンウィークが始まった。
厳密に言えば、始まったのは俺と母と舞花だけ。父と兄は仕事の真っ最中だし、使用人の皆さんも半分が休みをズラしてお仕事してくださっている。
その内の1人が今、俺と一緒にバスケをしてくれている。
「いやぁ、まさか仕事中にバスケが出来るなんて。なんか俺の同僚達に悪い気がしますよ」
「大丈夫ですよ、久保さん。舞花の護衛達なんて、今頃ハワイですよ?彼女達と比べたら、久保さんは十分に貧乏クジを引いてますって」
俺もその旅に同行していたら、もしかしたら久保さんもバカンスに行けたかもしれない。舞花からは『えっ?あんたは行かないの?折角の9連休よ?』とまで言われて誘って貰えたんだけど、俺がトレーニングがしたいからと言って断ったのだ。
その時の舞花は、ただ呆れて笑っていた。『流石は虎兄さんだわ』と言われた気がしたけど…気の所為かもしれない。アンタとか、お前としか呼ばれたことないから。
まぁ、兎に角だ。
「俺のワガママに付き合って貰っちゃってるんですから、せめて楽しみましょうや」
久保さんも学生時代に遊び半分でバスケはしていたそうなので、俺の練習に付き合って貰っている。1人よりも、2人の方が意見とか貰えるから効率が良かった。
なので、彼には感謝しているのだが、肝心の久保さんは俺に感謝しっぱなし。
「いやいや、坊ちゃん。俺が引いてるのは貧乏クジどころか大当たりですよ。ハワイ組は周囲を警戒するだけで相当疲労しますからね。逆に、俺は安全な黒沢家で坊ちゃんと遊べる。最高じゃないっすか」
「まぁ、午後からは市営のプールに行くんだけどね。その時はよろしく頼みますよ?」
「お任せください!」
余裕そうに返す彼だが、実際に護衛はやり易いだろう。
今我々は、黒沢家の敷地内にある運動場に居る。ここは多目的なホールで、ピアノの演奏会や絵画の美術展なんかにも使われるらしい。
そして今は、バスケットゴールがセットされた運動場になっている。
お陰様で、朝のモーニング筋トレが終わってすぐに、バスケの練習へとシフトする事が出来た。
とは言っても、今やっているのは基本的な練習ばかりだ。
ドリブルをしたり、互いにショートパスを出し合ったり、ゴール下でのシュートをしたりと、ネットに転がっていた自称セミプロの基礎練習を2人でなぞっているばかりだ。
「坊ちゃん、ドリブル上手いですね。全然手元見ないでボールを捌けてるじゃないですか」
「うん。そうなんですよね。なんか、ちょっと懐かしい感じもして」
ボールを持つと、何となくしっくりくる感じがある。虎の記憶に、バスケをした覚えはない。なので、これは俺の前世が関わっていると思う。昔の俺は、ある程度バスケをしていた可能性が高い。
とは言え、それは魂の話であって、体は全くの初心者だ。ドリブルも、ちょっと走りながらしていると怪しくなる。
加えて、
「パスは…近場ならいけますね!」
「変なフォローは要らんですよ、久保さん」
やはり、問題はパスだった。
手首だけでボールを弾く分には問題ないのだが、肩を使ったロングパスに移行した瞬間に、ボールが天井へと召されてしまう。前方に投げたと思ったら、いつの間にか頭上からボールが落下してくるんだ。
亜空間魔法でも使っているのか?俺は。
「でも、ほら、シュートも出来てるし。ロングパスが苦手なくらい、なんでもないっすよ」
確かに、今のところシュートは問題ない。サークル内であれば、2割〜3割の成功率で決まっている。
サークルから出ると1割を下回るから、まだまだ練習の必要があるけれど。
「全体的に、まだまだ練度が足りないって事ですね。こりゃ、暫くはバスケの練習時間を多めに取った方が良さそうだ」
「良いですね。お供しますよ、坊ちゃん」
それは助かる。
なんだか、久保さんが俺の専属秘書みたいになってきたぞ。本職ボディーガードなんだけど、大丈夫だろうか?
そうして、午前中はバスケの基礎練習に時間を当てた俺は、午後から市営プールへと場所を移す。
ここでは専ら、運動しまくって脂肪を減らす事に重点を置く。次点で全身の筋トレかな?こちらは泳いでいる間に育てばラッキー程度で考えておこう。
「坊ちゃん。本当にプールでの護衛は、たった2人で良いんですか?」
「そりゃねぇ。一般客もいるから、ゾロゾロと強面が入場したら不味いでしょ?」
分かるよ?君達が四方をガチガチに固めたいって思っているのは。でも、それが出来ないと分かっていたから、ちょっと遠くてもこの屋内プールを選んだのだ。ここなら、外から狙撃することは難しいし、外から強襲される恐れもない。
…日本だから、狙撃や強襲の可能性は考える必要は無いか?薬物でイッちゃってる人も見かけないし、平和な国って良いもんだな。
俺はワガママボディを揺らしながら、堂々と屋内プールへと入場する。GWだからか、かなり人が多い。でも、そういう人達は殆ど家族連れで、屋外のアミューズメントプールへと行ってしまう。
向こうは流れるプールとか、スライダーとか、子供用プールがあるからね。今頃芋洗い状態だろう。
方や、こちらは競技用のプールだ。その為、年齢層は比較的高く、ガチのスイマーっぽい人も見かける。
だから、こちらなら目立たないだろうと思ったんだけど…周囲の視線が痛いな。ガチ勢が多い分、俺みたいな怠惰なブタは目立っちまうのか?
気にするな、水に入ってしまえば分からなくなる。
…あら?プールに入っても、みんな見てくるね。そんなに珍しいのか?やっぱり日本って、肥満率が低いんだな。
うん。そんな事に気を取られている時間は無いぞ?ガンガン泳いで、この邪魔な脂肪を消費せねば。
俺は早速、25mプールを泳ぎ出す。
かなり泳ぎ辛いな。虎の記憶では、小中と水泳の授業だけは参加していたみたいなんだけど。
あれ?こいつの記憶、女の子の水着姿ばかりじゃないか。そっちにばかり注力し、あんまり泳いで来なかったな?
いや、それを考慮しても泳ぎ辛い。やっぱり、この脂肪が抵抗になってしまっているんだ。頑張らないと、まともに前進すらできないぞ?
おりゃぁああ!
そうして30分くらい泳いでいると、プールサイドで『ビィイイーー』という大きな笛の音が鳴った。
これは、「全員水から上がりなさい!」の合図だ。低体温症を防ぐ為、定期的に休憩時間を取らされるルールになっていた。
「坊ちゃん。何かそこの屋台で買って来ましょうか?たこ焼きとか、焼きそばも売ってるみたいですよ?」
「やめてくれ!聞いただけで腹が減る。俺は何も要らないよ。ありがとう」
「いや、でも。体が冷えてしまいますよ?ほら、飲み物だけでも」
久保さんが心配してくれるが、それは甘い悪魔の囁きだ。
俺は鳴り響く腹をパンパンと叩いて、彼に示す。
「熱源は十分に蓄えている。こいつが無くなるまで、カロリーについては無問題だ」
「そ、そう、ですか?」
「代わりに、俺のバッグを取ってもらえるかな?」
「えっ?こいつですか?」
久保さんから渡されたバッグから、俺は1冊の本を取り出す。
それは…。
「坊ちゃん、まさか…」
「勿論、学校の教科書だよ。科目は物理ね」
「いや、当然のように勉強してますけど…今は休憩時間ですよ?」
「違う、違う。久保さん、この時間は”体の”休憩時間なだけだ」
俺には時間が無いのだ。体を休めている時は、頭を働かさねば。まだまだ無茶が出来る年齢なのだから、限界まで酷使せねば勿体なかろう?
「やっぱ、黒沢家の人だ…」
うん?久保さん、それはどう言う意味だい?
それからも俺は、午後いっぱいを使ってプールで泳ぎ続けた。泳いでいる内に、段々と泳ぎ方もしっくり来るようになって、ちょっとはマシな泳ぎが出来たんじゃないかと思う。
最初の頃は、半分溺れているみたいだったからね。今でも偶に水を飲んでしまうけど、それも何時かは克服出来るだろう。
ただ、3時間も泳ぎ続けていると、流石に体力の限界が近付いてきた。勉強する為に陸に上がると、一気に疲労感が襲ってきて、自重で押し潰されそうになる。
怪獣映画で言われていたな。あんなのが東京湾上陸した日には、その場で内蔵が潰れてしまうと。
今の俺は、まさにそれの気分だった。
…放射能は吐けないけどね。
「大丈夫ですか?坊ちゃん。ヨレヨレじゃないですか」
「流石に疲れたわ、久保さん。泳ぐのはここまでにしますよ」
「本当にお疲れ様でした。では、帰る準備をしますね」
「えっ?帰らないよ?」
「えっ?じゃあ、どうするんです?」
目を見開く久保さんに、俺はプールの一番端を指さす。
そこは…。
「次はウォーキングだ」
お年寄り用にと開けられた、ウォーキングスペースであった。
「……」
俺の指す方向を見た久保さんは、ポカンと口を開けるだけだった。
なんとか言ってくれよ。不安になるじゃないか。
そうして、夕方まで動き続けた俺は、全身の疲労感で動けなくなっていた。
もう、ダンベル2kgも持てない。今日の夜トレはパスだ。
代わりに、勉強をしようと思ったのだが…。
「………はっ!」
気付いたら、寝落ちしていた。
アカン。こりゃ限界だ。若さに胡座をかき過ぎた。
反省し、その日は何時もより少し早寝の就寝を取る事にした。
そうして十分に眠ったからか、翌朝は体力満タンで目覚めた。
全身が酷い筋肉痛だが、これにはもう慣れている。動くことに支障はない。
俺は昨日と同じように、午前中は軽い筋トレとバスケの練習をして、午後から市営プールへ向かった。
相変わらず、多くの人から注目されるが、俺は気にせず泳ぎに集中する。クロールする度に筋肉が悲鳴を上げて、昨日よりも動きがぎこちない。
まぁ、仕方ないだろう。別に、泳ぎを上達させる為に来ている訳じゃないからな。
そして、昨日と同じように、休憩時間は勉強に当てる。
昨日の物理はすんなりと頭に入ったから、今日は地理をやることにする。
ふむふむ。気候と植生の話は分かりやすいな。狙撃を考えた時に思ったけど、俺の前世は海外に住んでいた事がありそうだぞ。厳しい訓練にも耐えてくれるし、何処かの傭兵だったのか?
「えっ」
俺が前世に思いを馳せていると、鈴を転がしたような可愛らしい声が耳に入った。
脳が痺れる様な、甘い声。その声を聞いて、視線が勝手にそちらへ向いた。
そこに居たのは…。
「そこに居たのは…誰だ?」
それ言ったら、楽しみがないでしょ?
「良い。我だけに教えよ」
次を待ってください。




