05:火星を耕すイヴとイヴ
▼あらすじ
西暦2155年12月8日、Ecological Vector Engineer(生態系微生物管理ドローン)は、火星の農業ドームで起動した。火星政府所属農業技術専門職のハウワー・レーヴェンは、ドローンにEVEⅡと愛称をつけ、よき同僚として働き始める(イヴのことをアラビア語ではハウワーと呼ぶ)。陽気なハウワーとドライなイヴⅡは、協力しながら火星での農作業を進めていた。
「火星種苗法違反です。認められません」
「ちぇ。そんなのわかってるよ。イヴⅡの真面目っ子」
ある日、火星麦の生育チェックをしている際にハウワーが転んだことをきっかけに、イヴⅡが不可解な挙動をし始めて、二人の関係はドローンの回転翼のように回り出す。
光があった。
高い明度をセンサーが感知すると同時に、火星データベースとのアクセスが強制的に開始し、必要な情報が濁流となって押し寄せてくる。こうした比喩表現も人間的思考も、今後の活動を円滑に進めるために必要な情報の一つなのだろう。0と1だけでコミュニケーションが取れるほど、人間はまだ洗練されていない。自身の躯体に搭載されている自律型AIが初期起動に必要なレベルにまで組み上がっていく。といっても、時間にして0.1秒にも満たないうちに作業は完了し、「私」ができあがる。
「おはよう」
目の前の人間から声をかけられた。現在時刻、西暦2155年12月8日、午前3時38分2秒。おはようという挨拶には少し早い。ここが地球ならば。
「おはようございます」
「わたしはハウワー。ハウワー・レーヴェン。ハウワーって呼んで」
ハウワーは口元にささやかな笑みを浮かべながら自己紹介をしてくれた。虹彩認証。ハウワー・レーヴェン、27歳、生物学的女性。火星政府所属農業技術専門職。その他、データベースに登録されている個人情報をすべて、すでに私は知っている。とはいえ、こちらも同様に自己紹介を返すのが礼儀だろう。
「私はEcological Vector Engineer。生態系微生物管理ドローンです。機体固有の番号は付番されていますが、個別の名称のようなものはありません」
ほほえみの代わりに頭部パネルを薄桃色でグラデーションさせる。農業ドローンである私の躯体には、作業しやすい腕や移動しやすい脚部が備わっていて、だいぶヒト型に近づけられてはいるものの、パートナーアンドロイドのような顔はない。顔にあたる部分には、分析結果などを表示できるパネルが設置されている。農作業を遂行するのに表情は不要という判断に基づく設計だ。それよりも作物を傷つけずに収穫したり、土壌微生物を精確に扱えたりできる腕部パーツにコストをかけた方が、よりよい仕事ができる。
「よろしくね、イヴⅡ(ツー)」
「なんですか? それは」
ハウワーは右手の人差し指をピンと立てた。天井を指さしたわけではなさそうだ。
「なんだかあなた、女性っぽいし、Ecological Vector Engineerだから、E・V・Eでしょ? 実はわたしの名前もイヴっていう意味なの。二人目のイヴだからあなたはイヴⅡ。わたしたちはアダムとイヴならぬ、イヴとイヴなんだよ」
その説明の意味はわかったものの、意図はわからなかった。わからなかったけれど、聞きかえすことまでは不要と判断。曖昧なままにして今はやり過ごすことにする。自律型AIは、0と1の間に無限の選択肢があることを知っている。きっとこの先一緒に作業をする過程で、ハウワーが私のことをイヴⅡと呼ぶ意図もわかるようになるだろう。
「今日からさっそく手伝ってもらえるのかな?」
「概要を伝えていただければ、たいていのことはできるように私は作られています。もちろん農業ドローンの機能の範疇に限りますが」
「ははっ、作業終わりに一杯つきあって、とかいわないから大丈夫だよ」
ハウワーはからからと笑った。私の仕事相手は陽気だ。
「嗜む程度ならいけますよ?」
「嘘っ! 飲めるの?」
「冗談です」
私の返答にハウワーは一瞬ぽかんとした表情を浮かべた後、口を大きく開けて顔全体で笑った。
相手に合わせた対応など自律型AIにはお手のものだ。良好なコミュケーションは良質な作業につながっている。私はこれから活動停止するまでの間ずっと、目の前の人間と協力し、火星の住民のため農作業を遂行する。そう設定されている。そのためならば相手が喜ぶような冗談もいう。すべて与えられた任務のためだ。
「じゃ、私のかわいい麦ちゃんたちにも自己紹介してもらおうかな」
そういいながらハウワーは立ちあがり、のっぺりとした白いドアに向かった。滑らかにスライドしたドアの向こうから、植物にとって適切な濃度に保たれた大気と自然光が流れこんでくる。
その先には、火星の朝があった。
ハウワーのもとで働きはじめて、火星日で六日が経過した。
私たちの職場である農業ドームでは、純粋火星農業の確立のため、重力や日照時間など、できる限り火星環境に寄せた状態で植物の育成を進めている。
ハウワーの暮らしている居住ドームは、地球日のスケジュールに合わせた人工照明によって日照時間が調整されているため、どうしても農業ドームとはズレが生じてしまう。ハウワーのような火星で生まれ、育った世代の人間でも、火星日のリズムに整合した生活をしようとすると、体調不良を起こしてしまうのだとハウワーは教えてくれた。知識として知ってはいたものの、人間の身体とはまったく不合理で理不尽だ。
現在、地球日の時間では真夜中だけれども、ここには朝の光がこぼれている。ハウワーは明日まで休養日なので、まだベッドで寝ていることだろう。今日と明日は私単独の作業となる。当然、作業指示をきちんと受けているので、滞るようなことはない。
作業プロトコルをロード。脚部を折りたたみ、フローター形態へ移行。地中の重力調整盤から浮力を解放し、回転翼を最速に。一気にドーム内の天井付近まで上昇する。ホバリング状態から微速前進しながら散水を開始。光の粒子と水分子がじゃれ合って、さざ波のように揺れる火星麦に虹をかける。
その光景に初日から大喜びしていたハウワーは、見慣れるということがないのか、昨日まで毎朝、同じように声を上げては、下方から私に向かって手を振っていた。休養日が開けたらルーティーンのようにまた繰り返すのだろうか。そうした人間の感覚はよくわからない。
その時、前室と通じているドアが軽快なベルの音を鳴らしながらスライドした。
「よかったー! 間に合った」
ハウワーの背後でドアが閉じると、ベルの音が止み、再び私の回転翼の音がドームの中を満たす。その音をかき分けるようにして、ハウワーの大きな声が届く。
「おーい! イヴⅡ、おはようー!」
音声出力先をドーム内スピーカーに変更。回転翼の音に紛れないように通常より3レベル音量を上げる。
「おはようございます、ハウワー。今日は休養日だったはずですが?」
「おお、おはよう、イヴⅡ。今日も元気だね。いや、イヴⅡの虹を見ないと一日が始まった気がしなくてさ」
散水を切り上げて、垂直に降下。四本の脚を伸ばしファーマー形態に移行して、休日出勤のハウワーに歩み寄る。スピーカーの出力先と音量を、元に戻しておくことを忘れない。
「しっかり睡眠時間を確保しないと作業に影響が出ます。地球日ではまだ真夜中なのですから、きちんと休養してください」
「あれ、声が戻ったね。いや、イヴⅡのいうこともわかるよ? わたしだってあったかいベッドで楽しい夢でも見ながら寝たいんだよ? でもさあ、あんな夢より綺麗なものを見せられたら、毎日見たくなるじゃん。ね? ちょっと作業したら、すぐ帰るから」
私の想定よりずっと、ハウワーは農業ドームの中の虹がお気に入りらしい。
「居住ドームでも虹は見られると思うのですが」
「あんな人工照明とタイマーで管理された虹なんて虹じゃないよ。やっぱり自然光じゃないと」
「私の散水だって天然の雨じゃないですよ。自然の気候現象ではなくて、ただの農作業の副産物でしかないのですが」
私の返答に、ハウワーはひらひらと右掌を揺らして見せた。
「いいのいいの。イヴⅡのつくる虹はきれいだなって、わたしが勝手にそう思ってるだけなんだから。ねえ、もう少し水撒いて見せてよ」
「もう十二分に散水しました。これ以上は根腐れの元になります。この後は土壌計測を済ませて、マイクロバイオームの調整を予定しています。今日は予備土壌の過塩素酸塩の除去処理も進めないといけないですし、余分なことをしている時間はありません」
「えぇ、ちょっとくらい大丈夫だよ。虹、つくってよぉ」
「駄目です。そもそもこの作業プロセスを私に指示したのはあなた自身ですよ」
「ちぇ。そんなのわかってるよ。イヴⅡの真面目っ子。カタブツ。ええかっこしい」
この場にはハウワーしかいないのに、誰に対していい格好をするというのか。私たち自律型AIは火星政府からリモートで常時モニタリングされているけれども、いい格好をしたところで何かよい機能が追加されるなんてこともない。なので、いい格好をしようという概念がない。
私が黙っていると諦めてくれたのか、ハウワーはだだっ子のような表情から専門職の顔に変わった。
「じゃあ、何か変わったことは?」
「ありません」
「昨日、措置した根圏微生物の影響は?」
「ありません」
「うぅん、そこは何かしら変わっててほしかったんだけど」
そうはいってもないものはない。
「火星麦の養分獲得層に活性化の兆候はありますが、生育に影響を与えるほどの変化ではないです」
「そっかぁ」いったんそこで間をとって、ハウワーは目をそらしながら、言葉を続けた。「じゃ、昨日いってた地球由来の根圏菌を」
「火星種苗法違反です。認められません」
「早いよ。まだ全部いってないのに」
「予測できましたので。もしかして休養日にわざわざ出てきたのは、こっそりと違法な措置をしようと?」
私の指摘にハウワーは顔をゆがめて舌を出した。
「舌を見るかぎり、健康状態は良好そうですよ?」
「別に健康チェックをお願いしたわけじゃないですう」
「冗談です」
火星の一日は平均で24時間39分。つまり地球は火星よりも39分早く、破滅に向かって一日いちにちを消費している。私が火星で起動してから一ヶ月が経過した。その間、地球は一ヶ月と16時間、終わりに近づいた。
ハウワーは虹にはすぐ飽きた。最近は農業ドームに併設されている、彼女の祖母のラボを探索することに夢中になっている。
「おばあちゃんはさ、開拓時代のレジェンドなのよ。おばあちゃんがいなかったら火星農業は始まらなかったっていわれてるの知ってる?」
誇らしげに話すハウワーの鼻の頭が少し赤くなっている。
「火星で農業に従事する者で、故セラ・レーヴェン博士の名前を知らない者なんていないでしょ。私たちの圃場にだって、そこかしこにセラ博士の開発した技術が活かされている」
「ふふ、まあね」
「別にハウワーのことを褒めていない」
先週からハウワーの指示で敬語を使わないようにしている。話し言葉で何が変わるとも思えないが、距離感が縮まった、とハウワーは喜んでいる。
「でね、おばあちゃんの研究ノートを読んでるんだけど、やっぱりキモは地球由来の」
「ダメ」
「早いよ」
「火星政府の農業方針は知ってるよね? 壊滅状態の地球の土壌と同じ轍は踏まないように、火星サイクルで完結することを目指してるって」
「そりゃもちろん知ってるけどさ」
ハウワーは拗ねたような仕草で、足元に転がっているレゴリスの小さな塊を蹴とばした。そのレゴリスだって、火星にあるままではとても使えないところ、セラ博士考案の手法をもとに農業用土壌に転用できるようになったのだ。火星の土で火星の作物を育てる。それが地球という反面教師に教わった火星農業における最大の叡智だ。
「イヴⅡって、ときどきお母さんたちみたいなこというんだよなぁ。純火星主義っていうか」
「火星は現在であり未来。地球には学ぶべきこともあるけど、所詮過去だよ」
「なーんか冷たいんだよなぁ。気にならない? 地球は今、どんな状態なのかなぁ、とか」
「ならない」
「地球の野菜はどんな味だったんだろう、とか」
「ならない。データベースを検索すれば、数値が残されてるよ」
ハウワーはレトロな天秤のように左右の手のひらを広げて、天井を見上げた。
「空気の質量でも計測してるの? 酸素も二酸化炭素も濃度は適正値だよ」
「イヴⅡの冗談、わかりづらいから気をつけた方がいいよ」
「わかった」
ハウワーの地球に対する思慕もわからないではない。人類が本格的に火星への移住を始めたのは百年以上前のことだ。情報として地球の様子などは見聞きできるものの、実際に地球へ行ったことのない世代の者たちが、興味を持つことはとても自然な感情だろう。
それでも地球由来のものを使うことは許されない。地球では温暖化やその他の自然破壊、不適切な農業活動の結果、地球全域において土壌の多様性が失われて農業自体が立ち行かなくなった。同じあやまちを繰りかえす訳にはいかない。火星で暮らす人類のために。
「イヴⅡは地球が嫌いなの?」
「好き嫌いは特にない。そんな過去を気にするより、未来に目を向けた方が単純に有益だと思うよって話」
ふーん、と納得はしてなさそうな声で答えると、ハウワーはさわさわと揺れている火星麦の列の間に入っていった。私はその後に続き、ハウワーが目視して気になった麦の穂をスキャンしていく。ダブルチェックすることで、病気が蔓延する前に対処できる。
ハウワーが歩く。その後を着いていく。作業服の背中が汚れている。また、洗濯してあげなければ。
突然、その背中が前のめりにバランスを崩した。「わっ!」
腕を伸ばす。背後からウエストを抱える。ゼロ距離でやわらかさを感知。体温の上昇。熟れた果物の収穫よりも丁寧に、私はハウワーを元どおりに立たせた。
「⋯⋯ありがと」
耳を赤くしたハウワーがお礼をいった。
「どういたしまして。そんな恥ずかしがるようなことじゃないよ。私はハウワーを支えるためにここに来たんだから、全然気にしないで」
「別に気にしてなんかないし」
そういって横を向いたハウワーの頬からあごに向かうラインは、なんといったらよいのか。なんだろう。えぇと、そう。とても、チャーミングだった。いや、とても、妖艶だった。違う、とても、かわいらしかった。
「イヴⅡ? どうしたの? 大丈夫?」
言葉が出てきすぎて選べなくなっていた。こんなこと初めてだった。ハウワーに対する言葉が無数に現れて、0と1の間を埋めつくしていく。熱暴走しているような反応だ。自分の躯体に何が起きているのかわからない。わからないけど、高揚している。さらなる体温の上昇。指示されてもいないのに、フローター形態になって火星中を飛びまわりたい気持ち。この気持ちはなんなんだ。
「よくわからないけど、大丈夫。問題ないよ」
言葉にすると、根拠はないけれども大丈夫に思えてくる。こんな不合理なプロトコルを自分が許容できるなんて。
「よかった。イヴⅡも壊れちゃったのかと思って怖かったよ」
鎮静。急降下していくイメージ。
「も? 私以外に、何が壊れたの?」
「アグリっていうイヴⅡの前に一緒に働いていた農業ドローン。イヴⅡと違ってポンコツだったなあ、あいつは」
その時、ハウワーの視線は私を捉えていなくて。これまで見たことのない穏やかな表情をしていて。
ハウワーのそんな顔を見て、躯体の温度が冷えていく。さっきまでの多幸感がかき消えて、私の知らない私がまろびでてくる。
ハウワーがかつてどんなドローンと働いていたかなんて、どんな笑顔で接していたかなんて、今後の作業に関係ない。そんな過去を気にするよりも、これからの未来を考える方が有益だと決まっているのに。わかりきっているのに。
気になる。気になる。ハウワーの気持ちが気になる。でも聞けない。なぜ聞けない。わからない。わからない。
感情波形が大荒れだ。なんなんだ、これ。
「なんだか、本当に壊れたのかもしれない」
「おっと、それも冗談なんでしょ。もうそんな簡単には引っかかってあげないよ」
ハウワーの瞳孔が私の影を捉える。それだけで、もう。
ここは火星。私は農業ドローン。目の前の人間はただの、仕事上の、一緒に作業をするだけの、いつかいなくなってしまうかもしれない、かけがえのない、ただ一人の。
「冗談、じゃないよ」
了
Q.あなたにとって〝SFらしさ〟とはなんですか?
A.ロジックとはったり





