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#匿名SF短編企画  作者: 八雲 辰毘古
▼参加作品
25/33

22:蒼茫のガレオノバ:浮上

▼あらすじ

温暖化などによって海洋が拡大し、居住可能な陸地が激減した近未来。


カリフォルニア沖に残存するかつての海洋開発拠点、アメリカを主導に民間資本で作られた組織「SHALLOWS」の施設である「オーフォード1」に接近する、三機の可変海中活動デヴァイス「シンカー・ボード」があった。

それは生存者の保護と人類文明の継承を企図して活動する団体「バリア・リーフ」の実働班。彼らは電子制御式の帆を持つ先進型帆船「GALEONOVA」シリーズを擁して、各地で様々なミッションを繰り広げているのだった。

艦長、メリル・ルーサーの命を受けた三人の美少女たちは、SHALLOWSの研究成果たる各種データを回収すべく予備調査に赴いたのだが、施設内からの漏れる音声によって内部に生存者がいることが判明する――

 風が止んで波の消えた海面が、陽光を反射して鈍く輝いた。

 凪いだその水鏡に、小さな影が三つ立て続けに落ちて入り組んだ波紋を広げる。少し遅れて、濡れた三つの頭が押し上げた水の薄膜を突き破るように浮かび上がると「ぷはッ」と弾ける呼吸音が響いた。

 

「……ッ、冷たッ」


 頭の一つ、赤いウェットスーツの小柄な少女が抗議じみた声を上げる。三つの影は、いずれもウェットスーツを着込んだ年若い娘だ。 

 残りの二人はクスクスとさざめくような笑い声を返した。

 

「フィル、この天気ならすぐ水温も上がるわ。あとのスケジュールもあるし手早く進めましょう」


 落ち着いた声でそう言ったのは、すらりとした身体を青いウェットスーツに包んだ少女。

 

「うーっ、分かってるよジュリア。でも本当に、ここにあんの?」


「……艦長(メリル)はそう言ってる。つまり間違いない」


 返事はジュリア――青いスーツの少女ではなく、彼女より一回り大きな身体をした黄色いスーツの少女からだった。彼女はトプン、と音を立てて一度沈み込むと、水中から自分自身より一回り大きな流線型の物体を抱えて再び浮上した。

 

 アルファベットの「E」の字を、横方向へ極端に長く引き伸ばされたような形。

 炭素繊維(カーボン)で強化され、表面に特有の模様が浮かび上がった樹脂製のそれは、簡単な操作で各パーツの配置を変え、長いセンターボードと小さな帆を具えた軽快なセイルボードに早変わりした。

 

「……ええ、まだ早くない、ヘザー?」


 赤いスーツの少女、フィルが黄色の少女へと疑わし気に呼びかける。ヘザーは自信ありげにうなずいた。

 

「いや、この凪はすぐ終わる……ほら」


 宙を指したヘザーの右手が合図になったかのように、大気が動いた。水面がさあっと細かく皺だち、ヘザーのセイルボードがするすると走り出す。

 

「ホントだ、流石ね」


 フィルも目の前の歴とした現象に、今は疑いを放り捨てたようだった。彼女とそれにジュリアも、水中からボードを引き上げて変形させる。

 三人はそれぞれ自分のボードに体を預け、定まった一つの方向へ向けて洋上を滑走し始めた。

 

 ジュリアがふと、後方を振り返る。

 彼女たちの後ろには、高いマストに四組づつの横帆装置を有する、白く塗られた大きな帆船がある。


 艦体の前後へ緩やかに反り上がった甲板をもち、船尾には大航海時代よろしく一段上がった船尾楼(スターン・キャッスル)構造を有するという、ある種時代錯誤的なデザイン。

 だが、その実体はコンピューター制御で四十枚近くの帆を操り、補助機関に使用する最低限の燃料を別にすればほぼ自然の力だけで長距離を高速で航海可能な、今の世界で望みうる最先端の船だった。

 

その舷側には「GALEONOVA(ガレオノバ).3」と赤い塗料で記されていた。

 

 

 § § §

 

 

 薄暗がりの中で目を覚ました。照明が落ちているせいで戸惑ったが、数分かけてなんとか自分のいる場所を思い出す。


(ここは……そうだ、「オーフォード1」の、休眠カプセル室……!)


 大海進の危機に対応するため進められている浅層海底開発プロジェクト、通称「SHALLOWS」。その一環として、カリフォルニア沖に建造された拠点基地の施設の一つだ。


 体を起こそうとすると、それに反応して目の前にあった透明な蓋が開く。室内は暗がりの所々に赤い非常灯が点されて、異様な雰囲気だ。

 休眠に入った時からずっとそのままだったのだろうか? 室内の空気は冷たくよどんで埃臭く、長い間ほとんど換気が出来ていなかったことが想像できる。軽い頭痛を感じるのはこの空気のせいかもしれない。


(僕は……ええと――ナギサ。うん……ナギサ・トリガイだ)


 休眠状態から醒めた脳が回り始め、ようやく自分の名前が頭に浮かぶ。なんとなれば、眠っているときに自分の名前を意識できる人間は、おそらくいない。


(確かあの時は、地上部分へつながる通路ブロックが浸水して崩壊したんだ。僕たちは孤立して閉じ込められた――)


 電気系統は幸いその時点でもオンラインだったから、急いで隔壁を閉鎖。溺死は免れたが、あの時点で使用可能なカプセルは一つしか準備できておらず――


(くそッ、わからない……! あれから、どのくらいの時間が……)


 年少者だった自分は優先的にカプセルに入れられた。地上からの救出を待つ間の措置だったはずだが、他のメンバーはどうなってしまったのか?


 背筋にぞくりとするものを感じながら、周囲をゆっくりと、注意深く見廻す。

 何も出力されていない、黒いディスプレイ画面をこちらに向けるモニター機器。プラスチック製の四角いエンベロープに格納された、ディスク型の記録媒体がデスクの上や床にいくつか散乱している。その近くに雑然と散らばったいくらかの紙類は、何かのメモだろうか。


 生きて動いているものは何もない。死体すら見当たらない。

 基地の施設と機能が復旧して、休眠が解除された――そんな希望的観測はこの時点で潰えた。どうやら、自分の休眠が解除されたのは別の理由だ。


 その答えは、休眠カプセル室から通路に出ると、すぐに提示された。先ほどからおぼろげに聞こえていた何かの音声が、クリアに聞こえてくる。


〈施設内の人員へ通達。老朽化により、居住区の環境維持機能が低下しています。モジュール外殻の耐久値は50%以下に低下と推定。本日9:43に発電システムの停止を確認、予備電源を省電力モードで使用中。換気システムの稼働率、現在20%……〉


 オーフォード1の管制AI「ジャニス」のアナウンス音声だ、と思い至る。内容を把握して自分の表情筋がひどいしかめ面を作るのが感じられた。状況は悪い。想像以上に悪い。


〈安全のため、速やかに施設外へ退避してください――〉



 § § § 



 洋上へ展開する前日。ジュリア・サヴァランは帆船「ガレオノバ3号」の司令所で、艦長メリル・ルーサーから予定される任務の説明を受けていた。


「……救難信号、ですか?」


「そう。記録によれば三十年前、付近を航行していた難民船がメーデーを受信している」


 厄介な話を聞かされそうだ、とジュリアは内心でため息をついた。彼女のチームの残り二人、フィルとヘザーは体調不良の乗組員(クルー)に代わって艦内の保守作業にあたっている。人手が足りないのは仕方がないが、二人への説明を自分がやるのは少々恨めしい。


「不幸にも難民船の乗員たちはメーデー・リレー(註1)を行う規定(プロトコル)を知らず、日誌に記載するのみでそのまま通過してしまった。彼らは我々『バリア・リーフ』の前任者たちの手で保護されて現在に至るが……その後、別方面での調査の結果、ここカリフォルニア沖に『SHALLOWS』の拠点基地が建設されていたことが判明した」


SHALLOWS(浅瀬)?」


「Sustainable Habitat And Long-term Laboratory for Oceanic Welfare and Survival(海洋の幸福と生存のための持続可能生息域・長期研究室)の意味らしい。大海進期の初期に、アメリカ合衆国を中心に民間で組織された機関、とのことだ」


「……ひどい逆頭字語(バクロニム)ですね」


「確かに。だが報告によればこの組織は、潮力発電技術の洗練や海中ハビタットの確立など、かなり具体的な目標に向けて研究を行っていた、とある。データの一部でも残っていて入手できれば、将来的に『バリア・リーフ』のインフラ改善に役立てることができるはずだ」


「つまり……()()()()いない、と」


「ああ。それはまず、ないと見ていい。記録によれば信号は『メーデー』コールと自分の座標、浸水による人命危機があるという三点のみのシンプルなものだった。むろん当時の状況は既に終了しているだろうな」


 なるほど、とジュリアはうなずいた。

 「バリア・リーフ」は活動開始からこの数十年、生存者や残存コミュニティを探して地球上の海という海をくまなく巡ってきた。人員はわずかづつ充実していているというが、そのぶん資源は常にひっ迫している。

 技術水準を上げることでそれをカバーできるなら、というのが彼女たちの行う調査航海の最大の目的だった。


 メリル・ルーサーはベリーショートにカットした金髪の頭をぐるりと巡らせて、ジュリアへ向き直った。


「というわけで君たちの任務だが……ジュリア・サヴァラン。君とフィリッパ・ブリーム、ヘザー・ハリバットの三名は明朝八時より行動開始、SHALLOWS拠点と思われる水中遺構の予備調査に着手せよ。これにあたっては諸君の『シンカー・ボード』を格納庫で受領し、各自に合わせて調整しておきたまえ」


――了解!


 ジュリアは敬礼をして執務室をあとにした。




 そして翌日、つまり現在。時刻は9:50。

 三人を乗せたボードは洋上を滑るように走っていた。風は先ほどよりだいぶ強まり、やや強風(フレッシュ・ブリーズ)といったところか。波がやや大きくなり一面に白く砕ける中、三人は無線機で連絡を取りあいながら、問題の海域へ二十ノットほどの速度で近づきつつあった。


〈そろそろ『シンカー』に切り換える?〉


 フィルが通信越しに訊いてくる。ジュリアはフィルがボードの上で姿勢を維持するのに消耗したのではないかと案じた。彼女はチームの中で一番小柄で身軽な分、筋肉量が少なく持久力でわずかに劣っている。


「そうね、フィル。そろそろキツい?」


〈や、まだそれはいいんだけどさ。正直なとこ、水中でのミッションにワクワクしてて〉


「OK……でもまだもう少し待って。なるべく接近してからの方が、バッテリーを長く使えるから」


 水中作業ビークル「シンカー」に変形した後は、ボードは内蔵のバッテリー二つに頼って動くことになる。二次電池のほうは充電量が洋上での滑走距離に依存するのだ。


〈よっし、それなら――ジュリア、私ちょっと前へ出るからね!〉


 軽い驚きにほぅ、と息を吐いたジュリアの、二十メートルほど右手をフィルのボードが緩いカーブを描いて追い抜いて行った。強風にあらがって(セイル)を廻し、北東風を目いっぱいに受けて増速していく。

 くぃ、と全身をひねってボードを操る赤いウェットスートの姿はずいぶん遠く見えたが、こちらを振り向いて得意げな笑みを見せるフィルの顔を、ジュリアははっきりと見たように思えた。


 北東からのやや冷たい風が吹いていた。三人は左手にカリフォルニア半島の陸影をのぞみながら南下していく。彼女たちの位置からはほとんど見えないが、五キロほど北へ離れた地点では、ガレオノバ3号が三人の位置と通信状況をモニターしながら、バックアップの任を担って追走している。


〈ジュリア。水中聴音器が音声らしきものを拾った……『SHALLOWS』の施設、まだ生きているのかも〉


 ヘザーから予想もしなかった報告が入る。


「それは……心躍る想像ね。まずは録音して、艦へ転送お願い。解析してもらいましょう」


 どうやら予定通りの展開とはいかなそうだ。ジュリアは強いて自分を落ち着かせた。風は少し穏やかになり、気温も上がってきている。潜水作業を行うにあたって、気象条件としては概ね悪くない。


 所定のポイントにほど近く、旋回しながら待機している彼女たちにガレオノバ三号からの回答があったのはおよそ五分後だった。


〈【枯れ枝の家】から【三匹の子豚】へ。音声の解析が完了。内容は施設内の人員に端する避難勧告。本日の日付と時刻を経時的に繰り返していることから、事前に録音されたものではなくAIによって即時生成されたものだ〉


「待ってください……それじゃ――生存者がいる、と?」


 ジュリアはにわかに混乱と緊張に襲われ、ごくりと固唾をのんだ。


〈信じがたいがその可能性は否定できない。状況を確認しつつ、最善を尽くしてくれ〉



 通信を終えたジュリアは、努めて冷静にチームの残る二人に告げた。


「フィル、ヘザー。鰓胴衣(ギル・ジャケット)の準備を」


〈了解〉


 二人の応答を確認すると、ジュリア自身もスーツの胸中央にあるリングに指をかけ、ぐっと引いた。スーツ内に圧縮格納されていた、細かく折り返された半透膜の袋が膨らんで、胸から首にかけてのシルエットを大きく変化させる。

 首にかけていた呼吸マスクを定位置にセットし、胴衣から伸ばしたチューブを接続すると、海水から無限に酸素を抽出できる人工エラの出来上がり。


 三人はボードのセイルを畳んで倒し、水面下へ伸びたセンターボードを引き起こしてボード本体と平行に戻した。両サイドに分かれたボードは水中で彼女たちを保護する盾として働き、内蔵した小型ウォータージェットで時速四十キロの推進力を与える。

 水上では帆走(セイル)ボード、水中ではダイバー推進車輛(ヴィークル)(DPV)として機能する個人装備。それがバリア・リーフが各ガレオノバに配備する「シンカー・ボード」だ。


 バラストタンクに給水して浮力を排したシンカー・ボードは、ゆっくりとジュリアたちを海底へと運んだ。未だ活きている「SHALLOWS」の施設へ向けて、三人は警戒しつつ進んでいく。


 魚をはじめとする水中生物の影は、この辺りではほとんど見当たらない。海進は極地の氷が解けて起きたため、塩分濃度が変化してしまったのだ。現在の所汽水域に生息する種だけが、海中を支配しつつあった。



 § § § 



 これで五個めの通路隔壁。メンテナンス用に設けられた有線端末から操作してようやく開放できた。恐る恐る次のモジュールへと踏み入れてみると、そこもどうにか浸水を免れている。通路の交差部分になっていて、開いたままの隔壁フレームが来た道以外に三方向へ口を開けていた。


「次はどっちへ進めばいい?」


 別のモジュールで発見した、だいぶギリギリな状態の保存食糧を飲み込みながら、天井のスピーカーへ呼び掛ける。まだ食えるものが残っていたのは度外れた幸運としか言いようがなかったが、自分の体がこうも直ぐに動かせたのも驚きだ。


〈あなたから見て右へ進んでください。水中コミューター用発着用の注水区画があります。システム上で認識できるので、まだ活きているかと〉


「了解。でも、そもそも僕が使える潜水器材はあるのかな……」


 「ジャニス」の指示に従って、分断されたオーフォード1内部を進んでいる。ありがたいことに「ジャニス」は対話形式で情報の集約や提示ができる機能を維持できているようだ。アナウンス音声に返事をして反応が返ってきたときは、流石に少し泣きそうになった。


〈完全なコンディションのものは期待できません。あなたが休眠に入って三十年経過しています。殆どの機材は経年変化で信頼できないでしょう〉


「じゃあ、そこへ行っても意味がないじゃないか」


 「ジャニス」は論理矛盾を起こしかけていることだろう――そんな気がした。管制AIとして生存者を助けるという目的と、そのために提示できる有効な材料が何も見つからない、という事実。仮に人間であったとしたら、まともな神経で耐えられるものではない。


 だが、「ジャニス」は予想に反した返答をよこした。


〈呼吸を維持できるある程度の量、気体を確保して運ぶ方法があれば生存の可能性はあります。例えば、逆さにしたタライのようなものを把持して、その中に空気を確保したまま浮上。タライを水平なまま維持する必要がありますが〉


「流石にそれは、現実問題として無理じゃないか……?」


 洗面器サイズでも、中に空気を保持したまま水中へ沈めて維持するのは難しい。ひ弱な子供の腕一対で、想定されるようなサイズのものを水面までもっていくことはできそうにない。


〈大型機器に掛ける防水カバーなどでもいいかもしれません。二十世紀の子供の遊びに、水中で膨らませた濡れタオルを金魚に見立てて水面に漂わせるものが〉


「流石に知らないよ」


 苦笑が洩れた。


〈それと、報告が遅れましたが現在、この施設に対して接近している小型物体が三つあります。恐らく地上から来た、別の機関または組織のエージェントでしょう。協力が得られれば、脱出の実現可能性は高まります〉


「……このタイミングで? そんな偶然って、あるものなのか」


〈ナギサ。仰る通り、これは奇跡に近い幸運な偶然です。なんとしてもチャンスを掴み、生き延びてください。この三十年、放棄せずにあなたの生命を維持してきました。どうやらそれは報われそうです……ほら、もうそこに!〉


 ジャニスが告げるとほぼ同時。モジュールの壁面に設けられた楕円形の採光窓に何かがとりつき、嵌め殺しの窓枠をばんばんと叩いた。


「うぉ……!」


 色白な黒髪の、少し年上に見える少女が、窓の透明パネルにおでこを押し付けて目を見開いている。手元には明滅する小さな赤いペンライト。

 それからしばらく、コミュニケーションの開始までひどく手間取った。だが、とにかくこちらの脱出を彼女たちがサポートする方針になったのだ。



 § § § 



 あちこちに残されたメモ類や記録ディスク。それをかき集められるだけ集めた防水バッグを手に、ナギサは注水区画へ進んだ。

 酸素を持ち出すための入れ物としては掛け値なしに、手前の倉庫に残っていた防水カバーしかなかった。ゴム状の樹脂をコーティングされた七メートルサイズ、ナイトキャップかボックスシーツのような布袋だ。


 それに適量の空気を包んで、注水区画に注がれ始めた海水の中で座り込む。


〈このポンプを動かすことで、当施設の電力はほぼ途絶えるでしょう。私も将来のサルベージに備えてメモリーを維持する事しかできなくなる。お別れです、ナギサ。幸運を〉


 「ジャニス」の淡々とした挨拶が、水音と防水シートの擦過音に塗りつぶされて消えていく。ナギサは短くただ一言それに答えた。


「ありがとう」


 ここから海面に出るまでは、一呼吸たりとも無駄にできない。


 区画に十分に水が満たされると、前方のゲートがゆっくり、ゆっくりと開かれて、奇妙な形の水中スクーターを保持した人影が滑り込んできた。続いてもう一人。


 青と黄色のウェットスーツを着た二人の少女がそれぞれナギサの左右について、空気の浮力で膨らんだシートごと、慎重に海面へと運んでいく。水面を通して届く屈折光が、ナギサの視界を明るく照らし始めた。

 海面はやや大きな波とうねりがあるようだった。もうほとんど浮上しきる寸前、急に海水が大きく動いてシートがずれ、ナギサは大きなあぶくと共に水中へ投げ出された。引率の少女たちが、事故を防ぐためにいったん手を放したのだ。


 焦って水を掻き、蹴り足をきかせて海面へ向かう。あっけないほど唐突に、ナギサの頭が水の薄膜を突き破って空中へ飛び出した。


「ぷっは……!」


 せき込んで水を吐きだし、知らない匂いのする大気を胸いっぱいに吸う。陽光は眩しく、皮膚はすぐに灼けて熱を帯びた。ここまで運んでくれた少女二人は、水中スクーターを変形させて、小さなヨットのようになったものの上に上がろうとしていた。


「……やっと、声を出して話せる」


 少女のうちの誰かが言ったのか、自分の口からか。緊張と昂奮で分からなくなってしまったが、そんな言葉が三人の間に漂っていた。


「ようこそ、海の上へ」


 青いスーツの少女がそう言って、自分を指さして名のった。


「私は『バリア・リーフ』のジュリア・サヴァラン。あなたを歓迎するわ」


「あ……僕は、ナギサ。ナギサ・トリガ(ゴボッ)」


 肺から空気が抜けたせいで浮力がわずかに失われ、海水が口に入ったのだ。


「無駄に息を吐きすぎ。もっと効率的に発声すべき」


 黄色いスーツを着た少女がそう言いながら、ナギサの襟首をつかんで引き上げた。


 少し離れたところから、赤いスーツの少女が滑走してくる

「まずは調査任務の、第一段階クリアね! いったん帰りましょう――」


――彼女は、背後から近づいてくる大きな白い物体を指さして、弾けるように笑った。


「私たちの船、ガレオノバに」



註1:

 救難信号を発信したが付近に応答できる沿岸警備隊などがいない、といった場合に、メーデー呼び出しを他の船舶などがリレーして遠方へ伝えることがある。

Q.あなたにとって〝SFらしさ〟とはなんですか?

A.SFとは何か、という話をするとき、近年では「科学技術の進歩、発展によって人間の社会や文明、或いは肉体や精神性そのものが変化する様、或いはその変化した結果を描く」という定義がされます。良い定義だと思う。


しかし、私はあえてそこに少しばかりの感傷を込めて「激動の中で変化にあらがい、能う限り同じであり続けようとする人間の姿」を描くのも、SFのSFらしさであってよいのではないかなあ、と思ったりもするのです。

サイボーグになろうがデータだけの存在になろうが、人間は物語に憧れ浸り、何かを学び、そして恋をし、未来へ何かを残す。SFもまた文学、文芸である限り、そして書くのが今を生きる我々である以上、人間を描くことから逃れられない。人間普遍の人間らしさを描いてしまう、ということからも。


SFらしさとは、人間らしさを書くことだと、畢竟そう考えるのです。


本作は時間的制約と私の非才によって、あまり完成したまとまりをもつものにはならなかったのですが、ともあれ現時点であり得る未来の海の様相と、そこに生きる、生きようとする人々、特に少年少女のポジティブな姿を楽しんでいただければ幸いです。

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