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#匿名SF短編企画  作者: 八雲 辰毘古
▼参加作品
20/33

17:異世界転移者生物群集の生態系遷移について

▼あらすじ

1876年、ロシア人のイヴァン・セミョーノヴィチ・クズネツォフは、火星の如き果てしなき曠野の中心で目を覚ました。どこまで歩いても、人の姿も建物も、蓼や藜の一本すらない無人の曠野。農夫であるイヴァンのポケットには、一握りの種籾が入っていた。イヴァンはこの世界で麦を実らせることができるのだろうか。

 1876年、ロシア人のイヴァン・セミョーノヴィチ・クズネツォフは、突如己が果てしない曠野の中心で目を覚ました。

 見渡す限りの曠野は灰色の岩盤に覆われ、行けども行けども果てはなかった。

 イヴァンは家族の名前を呼び、跪いて神に祈りを捧げた。

 農家だったイヴァンが背負っていた背嚢には、僅かばかりの麦の種籾がいた。

 イヴァンは爪が剥げるのも構わず、地を掻いた。その土は祖国ロシアの黒く肥沃なチェルノーゼムとは似ても似つかず、どれだけ掘れども指の間から零れる砂礫があるのみだった。

 祈りの言葉を唱えながら地に埋めた種籾が芽を出すのを見届ける前に、イヴァンは渇水で命を落とした。

 彼が埋めた種籾も、芽吹くことなく砂礫の土の中でやがて枯死した。


 1235年、元の孫仲章は、突如己が果てしない氷土の只中で目を覚ました。

 氷雪吹きすさぶ中、孫は己が騎乗していた愛馬を探したが、氷点下15℃を下回る気温に耐えきれず、一時間も経たぬうちに凍死した。


 1947年、マリのドゴン人の末裔であるイェベネ・ドロ・アイサタは、突如己が果てしない砂漠の只中で目を覚ました。

 イェネベは、6人の己の子どもたちの名前を叫び、方々を探しまわった。

 砂漠には果てなく、イェネベは祖国とは比べものにならない寒暖差に体力を奪われ、三日後に死亡した。


 2022年、日本の田嵜義則は、突如己が岸壁の只中に転がっていることに気が付いた。

 強度行動障害を持つ義則は、パニックとストレスで周囲の岸壁に呵責ない勢いで頭を叩きつけ続け、十八時間後に死亡した。


 2014年、ドイツ人のフランク・ホフマンとペギー・ホフマン夫妻の間に産まれた生後十二時間の娘は、破れたインキュベーターの一部と共に、突如赤茶けた大地に出現した。

 体重1126gの未熟児で産まれた彼女は、泣き声を上げることすらなく、四時間後に死亡した。


 『それ』は、彼らをこの世界に生み落としてから、命を落とすまでの様子を観察し、記録し、本体にそのレポートを送信した。

 黒色で歪な形をした『それ』は、人体を分子単位で再構成できる超高精度3Ⅾプリンタと、探査船の子機を兼ねていた。

 『それ』に人類が発音可能な名称はない。だが、その機能と行動から、幾つかの意図を推察することができる。

 一つ。並行世界間を越えて情報を送受信することが可能であること。

 一つ。自己再生産モジュールを持ち、ナノサイズのシステムから数百年をかけて再帰的構造を以て自己複生産を行い、直径数百キロメートルの巨大な親機と、数百メートル単位の子機によって構成される群体として行動すること。

 一つ。地表に残された水と有機物を使用して、親機の指定する人体を地表に生成すること。

 一つ。生成された人体を追跡観察し、そのレポートを並行世界を越えて送信すること。

 一つ。地表に干渉しない親機と、人体の生成を終えた子機は成層圏近くで待機を行うこと。

 

 これらの性質を総括して考えれば、『それ』は、並行世界を越えて人類を播種する一種の移民船と考えることもできるかもしれない。

 しかし、この世界に生成される人間は、概ね西暦にして1000年から2025年までの人物であり、当該の時間軸に於ける人類が並行世界転移の能力を持ちうる筈もなく、この世界への転移生成が己の意志に拠るものでないことも、また自明である。

 生成される人間は前述した約1000年間に生きた人物であるが、その中でも1850年代から2025年まで200年弱の時代を生きた人間が転移生成者の9割を超える。

 生成元の被参照時間軸には上記のような偏りが見られるが、出身国・人種・性別・年齢・健康状態などは、全てランダムであり、統計的に何らかの傾向を見出すことは難しい。

 子機によって地表に生成される人間は、着衣を伴っていることが大半である。身に着けていたバッグや、手にしていた器物も共に生成される。

 その際に、スキャナーの枠に入らないものがコピー機から吐き出されたプリントで途切れるように、釣り竿やゴルフクラブなどの長物、あるいは座っていた椅子や机などが、人体に接触した部分から機能を無視して同心円状に切り取られて共に生成されることも度々あった。靴やスリッパの下には、立っていた土地の土や床板が薄く貼り付いていることも多い。

 『それ』は、人間というものを酷く大雑把に認識しているようだった。

 『それ』は、恐らく人ならざる霊長が作り上げた、一種の観測機なのだろう。

 私たちの価値観で解釈――ホモ・サピエンスという種に並々ならぬ興味を抱き、他の平行世界に移植してどのような挙動を行うかを数千年単位でつぶさに観察を行ってきた。

 勿論、その真意や価値観を、我々人類の精神性で理解することは不可能だろう。

 数多の世界に、人権を無視し(無論、『それ』に人権という概念はない)転移生成された人間たち。

 極めて近い平行世界に転移生成された人間は、社会に大きな影響を与えたり――あるいは、平行世界間に於ける、侵略的外来種としての挙動を行うことも度々あった。


 ――己は、予定外の死を迎えたので、女神によって二度目の生を与えられた。

 ――この世界を救えという神の啓示を受けた。


 幸運にも環境の近い平行世界へ転移生成された人間が、そのような言葉を口にすることも度々あった。

 勿論、これらは事実無根の錯覚である。極度のストレスを受けた脳が、公正世界信念に基付いて、過去に読んだ物語から連想して脳内で作り上げた、己をストレスから守るための一種のカバーストーリーだ。転移生成を行った『それ』は人間とコミュニケーションを行えるような存在ではなく、基幹世界――無論、私たちホモ・サピエンスから見た基幹世界であるが――の私たちは、ただ生体情報をコピーされ、他の平行世界へと転移生成されるのみだった。

 平均的な人類の倫理観からすれば著しく人道に悖る行為であるが、私たちが干渉可能な世界に於いて被害者となる人間が存在しない以上、『それ』を罪に問うことは不可能だろう。

 今回は、冒頭に記した五名をはじめとする、多くの人物が転移生成されたある並行世界での、人類の営みを紹介をする。

 そこは、約2億5100万年前に私たちの世界と分岐した、ペルム紀末期の大絶滅で全ての真核生物が絶滅した世界だった。


 ◆

 

 P-T境界――地質年代区分で、古生代と中生代の境目となるペルム紀末期では大絶滅が発生したことで知られている。これはBIG5と呼ばれる生物学史上の大絶滅の中で最も被害が甚大であり、地球上の95%の生物が失われたという。この時期に地球各地の陸上へは、原始的な昆虫類や、大型両生類、中生代に大繁栄する恐竜類の子孫となる双弓類爬虫類、後の哺乳類に繋がる単弓類爬虫類、無弓類爬虫類などの様々な生物が進出を果たしていた。海洋では有関節頭足類や、三葉虫類、ウミユリなどの棘皮類が栄えて現在の海とはまるで違う様相をみせており、魚類はまだ軟骨魚類が大きな生態系地位を占めており、棘魚類が生存していた。

 大絶滅の理由は定かではない。現在のシベリアトラップに当たる火山の大噴火や、それに伴う全世界の『火山の冬』そして、海中の溶存酸素が欠乏するスーパーアノキシアなどの複合的な要因が推察されている。

 この世界に於いては、全地球に影響を及ぼした『火山の冬』が深刻だったこと、そして追い打ちをかけるように、原生代以来のスノーボールアース――全地球凍結が発生し、氷の下で全ての真核生物は死滅した。

 動物、真菌、褐藻類、紅藻類、緑藻類、陸上植物といった、真核生物というドメインの中で、多細胞生物に分類されるグループが絶滅したのみではなく、地衣類や粘菌類、アメーバや鞭毛虫類などの比較的環境変異に強い単細胞生物までも全てが絶滅した。これは、スノーボールアースの下で、極低温環境でグラム陰性細菌が繁殖し、生き残った真核生物へと感染したためである。これらは感染すると猛毒であるVacAを発生させた。これはミトコンドリア内に入り込み、膜孔を形成して膜電位を崩壊させ、アポトーシスを引き起こす。真核生物は劇症型のグラム陰性細菌の感染流行によって、地球上から完全に淘汰された。

 かくして、この世界は何一つ生きるものが存在しない、無人の大地となった。

 このペムル紀の破局的大絶滅以降、好気性古細菌がαプロテオバクテリアと細胞内共生を行うという、言うなれば『真核生物への収斂進化』は地球では二度と発生しなかった。

 石炭紀から続く植物の繁栄の名残も、新天地を開拓しようとした動物たちの名残も、2億5000万年の歳月の間に、全て消え失せた。

 海は嫌気性細菌や緑色硫黄細菌のスープとなり、地上は月面や火星と見まがうばかりの剥き出しの岩盤と、藍藻の作り上げたストロマトライトの曠野が広がるばかり。

 奇跡的に――大気組成だけは窒素78%と、石炭紀の植物が遺した酸素が21%という私たちの世界に近い形で残っていた。

 いや、因果関係が逆か。生存可能な大気が存在する世界だったからこそ、『それ』は人類の転移生成を開始したのかもしれない。


 著名なフランスの昆虫学者、ジャン=アンリ・ファーブル。

 彼は己の庭をプロヴァンス語で荒地を意味する「アルマス」と名付け、そこに生きる昆虫達を観察し『昆虫記』を執筆した。

 ペルム紀末期に分岐にしたこの平行世界の地球を、私たちの地球と区別するために、『テラアルマス』と呼称することにする。

 冒頭で紹介したロシア人、イヴァン・セミョーノヴィチ・クズネツォフは、テラアルマスに転移生成された最初の人類だった。

 イヴァンの生成を以て、テラアルマス歴1年と年号を定める。

 その後100年が経過する間に、100億人を超える人類がテラアルマスへと転移生成された。

 この最初期の100億人は、例外なく1年以内に命を落とした。

 1年につき1億人が転移生成された計算になるが、『それ』の子機は、1億人の人間を、約1億5000万平方㎢のテラアルマスの地上部へ、ほぼ等間隔の距離を空けて転移生成したのである。多くの人間たちは、己に与えられた1万5000平行㎢の土地の中で、飢えと渇きに苦しみながら、その命を終えた。

 テラアルマスを構成する大陸の形は、概ね私たちの地球と同じであるが、維管束植物が一切存在しない岩盤剥きだしの地表は、雨として降り注ぐ真水を留め置く保水力をまるで持たず、降り注いだ雨は忽ち大地に染み込むか、穿たれた川に沿って海に流れ込むかのどちらかだった。局所的には巨大な湖も発生したが、地中の塩分や有害物質が溶け出し、飲料水には適さなかった。

 日光を遮るものがないテラアルマスの地表は、気温は昼は50℃を超え、夜は氷点下近くまで下がる。

 大地の殆どは、火星の表面に似た赤茶けた剥きだしの岩盤であり、人間の生存に適さない死の世界だった。テラアルマスに転移生成された人間の99%以上は、自転周期である24時間を生き延びることができない。

 火山帯に近く、地熱で気温が保たれている――あるいは、大河の河口の近くで潤沢に真水が手に入る。気温が一定に保たれる鍾乳洞が近くにある――

 そんな幸運な条件に恵まれた人間も、一週間生き延びられた人間は稀である。食料となるものが一切存在しないので、餓死を待つばかりだ。

 テラアルマス歴100年を数えまでに、この世界に転移生成された人間の最長生存記録は、僅か130日。

 1960年にベトナム戦争に従軍していたアメリカ海兵隊員のルーカス・ベネットは、背嚢のレーションを食い繋ぎながらテラアルマスを探索し、運よく自分のエリアに近づいた人間を所持していたグロッグで射殺し、発見した人間と死体と併せて、干し肉に加工して命を繋いだ。そのルーカスも100日を超える頃には骨と皮の様相に変貌しており、精神にも変調をきたし、殺した人間の頭蓋骨を海兵隊の上官と思い込み、脳内に響く訓戒に従ってミッションを遂行する妄想を抱きながら、130日で死亡した。


 100億通りの死を、浮遊する子機はじっと観察を続けていた。

 子機がどのような方法で人類を観測しているかは、全くの不明である。

 光学的観測か、音波反響による観測か。それとも、人類には未だ観測できぬ何かを見ているのか。

 子機はテラアルマスで5000万体以上が常時活動している。ユーラシア大陸に当たる場所の西には、子機を複製するための巨大な工廠まで建築されていた。

 普段は遥か上空から人間を観察している子機であるが、観察対象の人間が死亡すると、テラアルマスの海洋部から有機物と水分を吸収し、昆虫の口吻のような長いチューブ状の器官を地表に下ろし、転移生成した新たな人間を地表へと産み落とす。その繰り返しだった。


 ◆


 さて、ここで余談となるが、転移生成されてくる生物は人間のみではない。

 前述した通り、『それ』の指定する人間の範囲は非常に大雑把で曖昧だ。

 非常に低い確率ではあるが、転移生成された人間がペットの犬や猫、あるいは産まれたばかりの家畜などを腕に抱いているというケースも幾つか発生した。

 無論、テラアルマスは脊椎動物の生息に適する環境ではないので、転移生成された動物たちも主と運命を共にしたことは言うまでもない。

 また、人間自身は普段無自覚であるが、ヒトは多くの微生物の寄生の体表である。

 2025年の清潔な先進国であっても、アタマジラミやケジラミは必ずその体表面に存在しているし、衛生環境の低い地域では、ダニ、ノミも多く、季節次第では吸血中の蚊などがその体表面に付着していることもあるだろう。

 前近代から転移生成された人間は、体内にトキソプラズマやクリプトスポリジウム、肝吸虫や肺吸虫、有鉤条虫や回虫、蟯虫といった数多の寄生虫を体内に宿している。

 水虫の名で広く知られる白癬菌も、テラアルマスでは絶滅した真核生物の一種だ。

 また、多くの転移生成者は無自覚であるが――靴の下に薄く切り取られたように共に生成された地球の表土。そこには多くの土壌静物や昆虫の卵、植物の種、あるいは地表の地衣類などが付着していた。

 これらは後にテラアルマスに大きな変革を齎すことになるが、この時期はまだ、宿主と共に地表で死滅するばかりである。


 テラアルマス歴100年を経過した頃合いから、子機の挙動が少しずつ変化を始めた。

 地表に等間隔に行ってきた人間の転移生成を、観測結果に合わせるように修正を始めたのだ。

 則ち――転移生成されてから、平均生存時間の長い地域へ集中して転移生成を開始したのである。

 南極大陸や、極端な寒冷地、赤道直下などの生存が難しい地域へ人間が転移生成されることはなくなった。

 潤沢な水に恵まれ、気温の安定した、地表でも僅か数パーセントの地域だけに、人間が輩出されるようになったのだ。

 その中には、現代の地球の文明はチグリス川・ユーフラテス川流域、ナイル川流域、インダス川流域、黄河流域などで発生したが、テラアルマスにもこれらの大河は規模と形は異なるが、ある程度似通った形で存在しており、その下流域を中心に多くの人間が転移生成されていった。

 それは、まるで子どもが、見様見真似で、虫籠の蟻を何日生かせるか試行錯誤するかのような挙動だった。

 人間の感覚からすれば、並行世界干渉を行う程を科学力を持った知性なら、人間の生息条件を理解し、調えることなど造作もないことのように思える。

 しかし、『それ』は人間とは相互理解不可能な存在である。

 どんな動機や行動原理に従っているかなど計り知れる筈もなく、テラアルマスへと転移生成された人間にとって、『それ』は理不尽な神そのものだった。

 ――実際に、子機が内部に転移生成した人間を地表へ排出する姿を見た人間の幾人かは、それを人知では計り知れない超越的な何かであると直感し、信仰の対象とした。

 人間が輩出される地域が限定されたことで、ヒトは数人単位のコロニーを築くことが可能となった。

 しかし、それはテラアルマスの過酷な環境を生き抜くためには余りに知識も道具も足りず、ヒトが産み出したコロニーは食料不足から壮絶な共食いの果てに壊滅するのが常であった。

 前述した通り、テラアルマスに転移生成されるのは、1850年代から2025年までの200年弱の間の人間たちである。テラアルマス歴250年までには、約250億人が生成転移されていたが、同じ人物が複数回転移生成される事も度々あった。その人物が産み出される年齢は、まちまちである。地球で79歳で没した人間が、55歳で転移生成されることもあれば、25歳で転移生成されることもあった。

 人類史に名を残した偉人達も、幾度となく転移生成された。フランクリン・ルーズベルト。毛沢東。アルベルト・アインシュタイン。フォン・ノイマン。アドルフ・ヒトラー。伊藤博文。シュリニヴァーサ・ラマヌジャン。ヨシフ・スターリン。パブロ・ピカソ。

 通常の人間を遥かに凌駕する碩学。あるいは、歴史を変革したリーダーシップの持ち主。時代を越える芸術を描いたアーティスト。様々な偉人が転移生成されたが、いずれもテラアルマスの環境の中では全くの無力だった。小さなコロニーを率いて人類の安定した生存を計ろうとした者もいたが、食料不足から生じる争いの果てに、苦痛と絶望の死を迎えた。

 テラアルマスに転移した人間の多くは、己が発狂したと思い込む。あるいは、何も分からぬまま死を迎える。コロニーが共食いで壊滅した後に生成された19世紀の人物は、一面に人骨が広がり、蝿が唸りを上げる曠野の中で、己が自分の信じる宗教の地獄に墮ちたものだと確信し、悔悟の涙を流した。

 人は、己の理解できる範疇でしか世界を把握できない。テラアルマスは、人間の理解を遥かに凌駕した世界だった。

 僅かながらの反例もある。ある地質学者は、断層からアンモナイトの化石と、石炭紀の木材が変化したオパールを発掘し、この狂気の世界が紛れもなく地球であることを確信した。彼は鞄に入っていた紙に詳細なレポートと考察を残して死んだが、それらは次に排出された人間に暖を取るための炊きつけと使用され、その英知は伝わることなく消えた。


 ◆


 テラアルマスに転移生成させられた人間たちは、文明の真似事さえ作ることなく、産み出されては死んでいった。

 一方では、小さな変化すこしずつ始まっていた。人類の排出区域を中心に、地表に地衣類が繁殖を始めたのだ。

 二酸化炭素と水、日光さえあれば、葉緑素を持つ生物は繁殖を行うことができる。

 狭い地域に集中した出現した150億体の人類の死骸は、薄く地表を覆い、転移生成に随伴して移動してきた植物の苗床として機能を始めていた。

 地質学的に価値を持つ程に増加した人類の死骸を、腐人土と呼称することにする。

 定住ができない人類と変わるように、腐人土を生み出す土壌分解者は、確実にテラアルマスへと根付いていった。

 ハエやヒラタムシといった昆虫、ダンゴムシやワラジムシといった多足類、トビムシなどが、人類の足元に随伴して転移生成され、増殖と淘汰、適応放散を繰り返し、テラアルマスの環境に適合する性質を持った個体が数を増やしていった。

 テラアルマスへ転移生成された250億体の人体は、体積で言うなら17.5億立方メートル、少々古い喩えになるが、東京ドームで数えるなら、1400杯を越える質量を持っている。

 人間の各居住コロニーに転移生成された人間の死体は、それぞれ東京ドーム10杯分程度である。それでも、膨大な人間の死体は途轍もなく大きな環境影響を及ぼした。テラアルマスの地表でも、人間は死ねば体内や表皮に存在する細菌で腐敗し、窒素や炭酸ガスを発生させ、環境を嫌気性へと近づけていく。まだ生きている人間たちは、新鮮な死肉を食料としながら、徐々に風上へとコロニーを移していった。

 死体は大量の窒素とリンを生み出し、十分に腐敗した人間の死体からは、付着して転生してきた植物が芽生えた。

 腐人土は、窒素、リン、カリウムなどの、植物の生育に必要な条件を揃えつつあった。窒素固定が可能がマメ科の植物、荒れ地に強いイネ科の植物などが、死体から発生する二酸化炭素を吸収し、繁茂を始めた。アカマツなどの岩石の多い場所に根付く木本が育った例もあった。転移生成された少年が持っていた松ぼっくりから芽吹いた松だった。ブナ科の広葉樹が発芽した例もあったが、腐人土は広葉樹の根を支える程の深度はなく、成長途中でやがて枯死した。

 その後も『それ』は黙々と人間をテラアルマスへと転移生成を行った。『それ』の子機が生成する人体は、テラアルマスから採取された水と有機物である。人間の死体を再利用すれば早いように思われたが、子機は死体を再利用しての人体生成を決して行わなかった。人類には理解できない、何らかのルールがあるようだった。子機は主に、嫌気性細菌や緑色硫黄細菌でどろりと濁った海水を吸い上げ、その有機物を利用して人体を生成していた。貴金属のネックレスや、化学繊維の衣服を身に着けているものも多かったが、それらも人体と一端とみなし、地球での姿を模倣して転移生成していった。

 それから、2000年が経過した。子機の人体の生成ペースは、一年に1億体を堅守していた。これまでテラアルマスに転移生成された人体は、延べ2250億体に及ぶ。地球でホモ・サピエンスがアフリカで発生したのは約30万年前とされる。それから今日に至るまで、1170億体の人間が地球に誕生したと試算される。テラアルマスでは、2250年という地質学的なスケールでは瞬きほどの期間に、これまでに地球に存在した全ての人類を倍する数の人間が、転移生成で送りこまれたのだ。前述した通り、テラアルマスへ転送される人間は地球の19世紀末から21世紀初頭までに存在した250億人程度の人間たちである、2250億体には遥かに足りない。同じ人間が幾度となく転移生成させられたが、違う年代の同人物が出会うのは天文学的確率であった。

 生態系の存在しないテラアルマスでは、2000年は人間が文明を築くには全く足りない時間だった。けれども人類は、確実に定住を進めていった。腐人土は大河河口域などに厚く広がり、沃土として植物を栽培する基盤になっていた。テラアルマスに最初に転移したロシア人、イヴァン・セミョーノヴィチ・クズネツォフのように、麦や大豆などの農業に適した植物の種苗を持った転移生成者が農業を開始し、小規模な畑が幾つも出現した。けれどもそれらは、後から転移生成される新参の人間に奪われてコミュニティが消滅することも度々だった。腐人土を苗床にして、火星の表面のようだったテラアルマスの地表にも、植物の繁茂が見られるようになった。特にクズなどは、繁殖も早く死体の山を覆い隠し、根からデンプンも取れるので重宝された。

 一年間に地球の各コロニーに転移生成される1億人。国も年齢のバラバラの彼らが、テラアルマスで次世代を産むことは滅多にない。転移生成された妊婦などの特異な例を除く出生率は、0,02程度の微々たるものだ。ストレスで発狂した男性による強姦も横行し、法ではなく力と略奪の支配する社会がいつまでも続いた。原始的な農業の萌芽も見られたが、テラアルマスに生きる人間のカロリーベースは、依然として人間に拠っていた。


 いつまで経っても進歩しない人類に業を煮やしたかのように、テラアルマスの子機の挙動がまた変化した。

 一つのコミュニティに、1人の人間だけを延々と転移生成するようになったのだ。排出されるようになったのは、28歳のアメリカ人女性、キャサリン・カーターである。キャサリンは胎内に男女の二卵性の双子を妊娠しており、妊娠8ヶ月だった。加えて、キャサリン自身産婦人科医である。キャサリンは二人の子ども――ライアンとエミリーを産み、次に転移生成されたキャサリンの出産を手伝った。キャサリン達は混乱し、夫のジョージの名を呼んで泣き叫んだが、先住のキャサリンからテラアルマスのルールを学び、やがて順応した。キャサリン達は穏やかなコミュニティを築いた。ライアンとエミリーが近親相姦の末、キャサリンの孫を設けることもあったし、キャサリンがライアンとの間に子を設けることもあった。キャサリンはこの世界のアダムとなった。しかし突如として『それ』はキャサリンの生成をやめた。理由は誰にも分からない。キャサリンのコミュニティは120年に亘って継続したが、やがて絶えた。

 テラアルマスは植物と虫の世界になるかと思われたが、嵐の日に、海水の飛沫からペムル紀に真核生物を絶滅させたグラム陰性細菌の感染が始まり、5000年程で再び全ての地上生物は死に絶えた。

 無人の世界となったテラアルマスだが、大気圏の外から見れば、レイリー散乱で青く美しく輝いている。いつまでも。いつまでも。


 完

 

Q.あなたにとって〝SFらしさ〟とはなんですか?

A.現実世界に変数を代入して行う、再計算。変数はおかしなものであればあるほど良い。

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