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#匿名SF短編企画  作者: 八雲 辰毘古
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14/33

11:7/7-0-0/0(ワン・オフ・ラヴ)

▼あらすじ

月の接近にともない、世界はゆるやかに破滅に向かっていた。

人々が思い思いの終末を迎えるなか、「私」は救済薬と呼ばれる錠剤を使って時間を止めることを決める。薬の効果で時間識を失ったループに囚われた彼の前に、かつての恋人が姿を変えて繰り返し現れる。対話を求める恋人の真意に気が付いたとき、「私」はこの終末世界をふたたび歩き出し――

 光。

 時空間を定義するファクター。

 質量の無い速さのエネルギー塊、あるいは波かつ粒子。

 時間は一方向にだけ流れていく。

 客観的には。



「これってぜんぶ時間バラバラなんだよね」

 屋台から安っぽいソースの匂いがただよう空気の中、彼女は千円札と交換したばかりのイカ焼きを頬張って言った。

 私が意図を掴めず見つめ返すと、彼女は上を指差した。


「星。10年、20年って昔の光が届くんでしょ」

「ああ……カトセンの授業か」

 理科の加藤先生は宇宙ネタが好きで、何かあるたび仕入れた知識を披露してきたものだった。

 ひとつ前は赤方偏移。今日はウラシマ効果の話だったはず。

「織姫が25光年、彦星が17光年。8年も時差があるモノが同時に頭の上にあるのって、けっこう凄くない?」

「ああ」

 適当に相槌を打ちながら、見つけた自販機でコーラを買う。シュッと吹き出た中身がこぼれる前に、さっさと口を付ける。


「たまに思うんだ」

 彼女の草履が砂利を蹴る。

「もし星がぜんぶ本当の姿で見えてたら、宇宙って実は真っ暗なんじゃないかって」

 そうか? と訊き返すと、彼女はうなずいた。

「仮に地球とその周り以外は10年も20年も昔に爆発してるとするじゃない。で、実際に分かるのがホントに光が届いたときだけ。それも私たちの目に光が届く時間はバラバラだから、地上からはひとつずつ星が死んでいくようにしか見えない……」

「それだと真っ暗になるまで何百年もかかりそうだ」


 そ、と彼女は微笑む。


「実は壊れてるのに誰も気付けない。気付いたときにはもう居ない。それが離れるってこと」

 しゃらしゃらと蹴り飛ばされた砂利が暗闇へと飛び込む。

 まばたきすると彼女の姿は消えていた。

 今日も7月7日がやって来た。

 気付けば私は河川敷を歩いていて、隣には決まって彼女がいる。


 暖かなグラデーションを描く肌の色と、ほのかな汗の香。錆色の布地に金魚が躍る浴衣。

 今日の彼女も、学生時代の姿をしていた。


「きみは変わらないのか」

 と尋ねた。

「きみが同じ速度で逃げちゃうからね」

 と彼女は答えた。


「それで私は見つけられそう?」

 私は黙って、彼女の手を掴もうとした。

 そして再び私たちはボソン粒子のようにすり抜け合い、次の巡りを待つことになる。


 あるとき、彼女はどこかの海岸に立っていた。

 ウェルズの描く終末期のように、夕陽の朱色を吸い尽くした岩肌が突き出た地平線。彼女は水気をたっぷりと含んだ土混じりの浜に裸足のつま先を差し、小波が打ち寄せるのを見つめながら、少し肌寒くなってきた風を小さな頬で受けている。

 

 空には真昼の月が白い貌を輝かせていた。隕石の衝突をきっかけに数十キロメートルだけ地球側に歩み寄ったぶん、大きな痘痕面がよく見えた。

 

 背中越しの稜線からは冠水警報が鳴り響いていた。

 私たちは駐車場に戻り、すっかり黒いぬるま湯になってしまったコーヒーを啜りながら、ふたりで今晩の献立のことを話し合った。


 今や、世界中の海が赤いスープとなっている。

 月が愛撫のついでに摘み上げた海面は、赤道近傍の島々を溺死させるには充分だった。波蝕された地形は大量の窒素と有機質を海に返して、どこの海面も炭酸ガスの泡を立てる粘液に覆われている。

 水を腐らせるだけでは飽き足らず、月は地球にキスしようと貌を寄せつつある。そして……そこから先は、分からない。


 ニュースは追わなくなっていた。

 自分の世界が明日消えようが、3秒後に消えようが、私たち個人が1日にできることは変わらないのだ。


 救済薬の話が回ってきたのはその頃だったと思う。

 いつものように学校に行こうとすると、治験だと言って、どこの国かもどこの研究者かも分からない人間が、郵便受けにわざとらしく青いピルを置いていった。


 そのときはくしゃくしゃのプリントと一緒にカバンに突っ込んだものだが、帰宅後にふと思い出した。

 青いピルはまだカバンの隅っこに入っていた。

 ちょこん、と食卓の平皿に載せて、じっと観察した。

 一粒きりのオリーヴを見つめる死刑囚のような気分でいるうちに、だんだんと馬鹿らしくなってきて、きっかり15分経ったのを合図に流しの三角コーナーに叩き込んでやった。


 翌日もピルは届けられた。

 1週間も経つとインターネット上にも青いピルの噂が現れ始め、新しい救いの選択肢として受け入れられ始めていった。

 べつに飲んでやっても良かった。その頃になると、家のなかで決断できるのは私だけになっていた。

 

 どいつもこいつも普段からあれだけ生は苦痛とかほざいていたのに、いざ目の前に死が迫ると逃げやがった。


「今の人間の死って、紐づいた情報が更新されないことと同義でしょ」

 青いピルを置いた皿を前にして、向かいに座った彼女が微笑む。

「その意味で、現代で人が死ぬのはとても難しい――」

「僕は人間じゃなくて、ヒトとしての話をしているんだが」

 私も座ったまま笑みを返す。


 人類は思い思いの終末を選び始めていた。

 ある人はロープと椅子で。あるいは液体窒素で。遺言も色々。玩具みたいな機械に自分のなりきりを頼む人間もいた。


「それで私は見つけられそう?」

 

 彼女はビルの屋上から落ちて、頭から赤い花を咲かせた。

 あいつらしい平凡な終わり方だった。


「私たち子供は、等しく可能態である。そのことを前提としているのが現代における教育の始点」

 彼女は自分が飛び降りたビルの屋上で、手すりにもたれかかって言った。

「しかし完成態の考察は教育カリキュラム内では勘案されない。どこの国でもね。何の花が咲く種かも分からないのに、健常発達した児童の中央値を取った育成がなされ、冬のヤナギが春に植えられることもあれば、夏のヒマワリを秋に植えてしまうこともある。それって、悲劇だと思う」


 とん、と。

 彼女の身体が宙に舞う。

 やがて声だけがその場に残り、続けた。


「だから私たちは社会に出るための卒業を一義的なゴールとして設定してる。その次はもう人生劇場の終演だけが目標になってしまう」

「それで学生は皆一様に頽廃的な世人として生きることを義務付けられているというわけだ」

 私は彼女の声の隣に立ち、塩素のにおいが混じった空気をいっぱいに取り込んだ。

 ふふ、と彼女は笑う。

「必ず生きられるように保護されてるのは良いことだよ。学生は死よりもっと自由であるべきだもの」


 背後で屋上のドアが開き、別の私と彼女のペアが入ってくる。

 彼らが口論する横で、私たちは向かい合って微笑んだ。彼女の不定形な輪郭が逆回しに構築されていって、割れた頭部へと薄桃色の脳漿が潜り込む。最後にジッパーを閉じるように皮膚が合わさり、向かい風を受けてひたいをむき出しにした彼女の顔が戻ってきた。


「それで私は見つけられそう?」


 まばたきをすると、私は食卓で学生服を着崩したまま座っていた。

「本当にそれで生きられるの?」

 学生服を着た彼女が向かいで不思議そうにまばたきをする。

「ああ、もう決めた」

 私は皿に乗った青いピルを飲み込んだ。


 救済薬はネットの情報通りに、まずは温感を変えた。

 3日経ったあたりから、音を聞くたびに皮膚からぽ、ぽ、と表皮が温まるような感覚が返されるようになった。やがて気温の変化が耳奥のノイズという形で受容されるようになり、それも過ぎると、音と熱が同じ波の動きとして解釈できるようになった。


 音と熱が統合されたあとは、変化は指数関数的に加速していった。

 触覚と味覚は、皮膚にプロットされたセンサがオンとオフを切り替えるだけの刺激となった。消化管が裏返って体表を包んでいるような、すべてが一枚の分厚いコラーゲンシート上の出来事となり、唯一の直接的な外界との窓口だった視界も、じきに『皮膚』に飲まれて世界から光と音を隔てていた仕切りが消えた。

 

 そこから時間が止まるまで長くはかからなかった。

 個人にとっての時間とは記憶の差異のことだ。1秒前、1年前の記憶と現在の状況のあいだに閾値を超えたギャップが認識されることで、ひとつながりのアナログな時間がミリ秒単位で刻まれた量子のスナップショットへと形質を変える。

 そのギャップが知覚できなければ、シナプス間を循環参照する巨大なインパルスの中に個人の人生の瞬間すべてが含有されることとなる。主観的な時間はひとかたまりの坩堝となって、流動を止める。


 世界は止まった。

 いや違う。現実の時間のストリームから私の体感時間だけが遊離したんだ。

 思い出すことと刺激を受けることが同一のものになった今、記憶の出来事と現実の事象は同じことだった。


 眼底に並ぶ錐体細胞と桿体細胞がまだら模様に受け取ったパルスで私はふたつの皮膚の穴から涙を流した。

 組織のかたまりを伸ばして刺激塊の内側をしゃぶり取り、満たされた分子の並進運動を、何度もカルシウムの内側で裏返った皮膚に刻み込んだ。

 知識として溜め込んできた十数年の経験が、ひとつの波形に融け合っていく。

 出力からのフィードバックと、刺激の入力との区別すらとうに消えていた。世界は私の身体であり、私は世界の感覚器だった。


「それで私は見つけられそう?」


 彼女も融けていた。

 私が存在できるすべての時間、知覚し観測してきたあらゆる原子配列の組み合わせに、彼女という情報は介在した。


 あるとき私は月を見上げていた。

「今は何年だっけ?」

 ガスをたっぷりと含んだ赤い海が足元でシュワシュワと音を立てていた。

 彼女は私の近くに立ち、そっと頭を傾けて物憂げに寄りかかってきた。

「きみはまだ生きている」

「どの私?」

 彼女の頬の色によく似た波形が言った。

 私は彼女の目の色と近似した波音に耳を澄ませ、舌に触れる彼女の息づかいを感じながら、次の言葉を待つ。


 彼女が笑った、と解釈した。

 私は崩れた皮膚のどこかにある唇を探した。だいじょうぶ、と彼女の情報が告げる。わかるから。

「僕はどこにいるんだ」

 さあね。

「もう、きみはいないんだろ。ここは海か? 海ってこんなに……」

 乱雑?

「そう、まとまりがない。海っていう、ひとつのモノがあったはずだ」

 月は目の前に迫っていた。


「本当なら体系は部分の総和以上のものでなければならない」

 彼女はカフェテリアから青々とした海を見つめて言った。

 私はドーナツで汚した手をもみ合わせながら、ハンカチを持参しなかったことをわずかに後悔していた。

 彼女は土産に買った星の砂を掲げた。それをボトル一杯にひたしている海水を、遠くに見える海に重ね合わせる。

「果たして、この商品というカタマリは海なんだろうか?」

「テセウスはさんざんやり尽くされている議論だろう。検証に必要なサンプルサイズがあれば同定できる」

「ロマンが無いね」

「ああ」私は首を傾けた。「そこにあるもので全部わかる」


「それで私は見つけられそう?」

 視力0.01のランドルト環よりも大きな月をバックに、ビルの屋上で彼女は言った。

「いや」

 私は閉じたばかりの屋上のドアにもたれかかるように座った。

 開いた手の中には、救済薬の青いピルが乗っかかっていた。

「果たしてこれを思い出している今のきみは、何年目なんでしょうね」

 彼女はニヤニヤと笑いながら、手すりを乗り越えた。

 短くしたスカートをはためかせて、まるで船首像のようにいっぱいに上半身を反らす。

「これからの無限に等しい時間の中で、何億回も私を再構築するんでしょ?」

「……ああ」

「あらゆるものが『私と出会った後のきみ』を起点に想起されるなら、何年かは飽きが来なくていいね」

「だが――」

「うん」

 彼女は片手を離して、私の方にターンした。

「パターンは無限じゃない。いつか、どこかで、必ずきみは世界を掘り尽くしてしまう」

「そのときは大人しく死ぬさ」

「いいね。私は爪痕を残せたわけか。良いよ、とっても」

 私は片膝を立てて、青いピル越しに彼女を見た。まだ、彼女は確かにそこにいた。

「どうしても死ぬのか」

「うん」

 彼女は笑ったまま、器用に手すりを掴む手を入れ替えた。

「こうなるために生きてきたなら、まあ納得できるかなって」

「そっか」

「じゃあね」


 とん、と。

 彼女の身体が宙に舞った。


 そして世界には月と私だけが残った。

 奇妙に軽くなった足で街を歩く。

 地軸が崩れた瞬間に、鳥は残らず死に絶えた。大量発生した虫は植生のサイクルを粉砕し、地上にわずかに残されていた水はむき出しになった土壌からすべて海へと流れて行った。昼夜の重力差はコンマゼロ1G。コケ、粘菌、カビ。体系化された身体を持つ生物たちは極限環境下でほとんど駆逐され、進化から取り残されることで冗長性を担保した連中だけがわずかに生き残った。


 私も生きることは諦めた。しかしなお死なないことは容易だった。

 汚れた病院のベッドで起き、浜に打ちあがったタンパク質の組織を口にして、コケを焼いた炭で濾過した水を飲む。

 愚直にこのサイクルだけ繰り返せば、ひとまず身体は動かせる。

 彼女は今も現れていた。私の記憶を漁り、探索範囲の限りに繋げられるシナプスを発火させ、ウィットに富んだ天啓を与えてくれた。

 だが理論上成立し得るパターンは、とっくにすべて達成された。


 光あれ。


 感覚器の違和感がずっと続いている。

 数十年にわたるサイクルの中で代替的に回復した身体機能は、ひどくいびつなものだった。

 以前より可視光の範囲は狭く、味覚は今も嗅覚の共感覚という形でしか得られない。聴覚にも多少の障害が残っている。

 それでもひとかたまりだった世界から私だけが削り出され、残ったものも五感が仕分けしては、次々にラベルが貼られた。


 もう時間は過去から未来に流れて行くだけだった。


 私は世界の果てまで旅した。海を渡り、山を踏みしめ、灰の雪に覆われながら、何かを探していた。

 彼女だったものはいつも側にいた。

 限られた定型文から私と対話し、海馬から吸い取った語彙で新しいパターンを構築しようとした。

 彼女は玄奘にとってのサルであり、ジョン・シルヴァーにとってのオウムだった。

 私たちは対話するフリを続けた。まがいものでも、長い旅には言葉が必要だった。旅程を正確に把握するために、私たちは記憶に地名を刻みつけ、自分たちの行動に名称を与えた。


 人間はもう残っていなかった。

 文明もほとんど消えていた。芸術も、娯楽も、工芸も、すべては地球とともに朽ちる運命にあったようだった。

 あるときガレキの中で一冊の本を見つけた。

 よっぽど後世まで残したかったのだろう。劣化の早い紙ではなく、人皮をなめしたページで装丁され、消えないタールのインクで大ぶりな文字を並べていた。

 私はひと晩かけて解読しようと努めた。数度ほど書き写したとき、それが表意文字と表音文字の組み合わさった言語だと気が付いた。そして使われている表音文字が2種類あることに気が付いたとき、ようやく私にもその言語を使っていた民族がわかった。


 私は海に行き、本を投げ捨てた。

 とうとう世界も歩き尽くしてしまった。結局、分かったのは地球上に何もないということだけだった。

 

 月は相変わらず地球に接近していた。

 隕石も頻繁に降っていた。あと数年もあれば世界は何らかの原因で壊れるだろう。

 隣から彼女が手を差しだす。


 ――今度は赤いピルかい


 ええ、と彼女は微笑む。白い手のひらにはツヤツヤとした赤い薬が乗っていた。


 私は受け取り、指先でつまんで掲げた。

 そろそろ夢から覚めるのもいいかもしれない。

 だが、まばたきをすると赤いピルは消えていた。彼女の姿も無く、目の前には赤く濁った海だけが広がっていた。


 今度こそ、ひとつきりの海と認識できた。


 ああ、と腑に落ちた。

 世界を記述し、地球最後の読者になり、そして恋人と別れてフィナーレ。

 今ならつじつまが合う。

 何故だか分からないが、ずっとこんな終わり方のために生きてきた気がする。

 私は海に背を向けて歩くことにした。もう彼女は現れなかった。たぶん、今後も会わないだろう。


 やっと見つけられたよ。


 別れを告げようと喉を絞ったが、すでに言葉は出なくなっていた。

Q.あなたにとって〝SFらしさ〟とはなんですか?

A.そりゃおまえさん…擦れ枯らしのこの世界にひとつ残った悪ふざけと性癖の最終実験場でしょうよって

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