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#匿名SF短編企画  作者: 八雲 辰毘古
▼参加作品
12/33

09:路傍の礫

▼あらすじ

喧嘩したまま別れた恋人が、事故で帰らぬ人となった――はずだった。

AIの発展に伴い生物を自在に設計できるようになった時代、彼女は実験的な"蘇生化治療"の対象となる。しかし、成功の保証もなく、望ましい選択だったのかもわからないまま、"石"の清掃業者である三ツ橋宗一の日常は徐々に色褪せていった。本当に生き返るのか、それはまだ「彼女」と呼べるのか。一つの石が、世界と彼の心のかたちを静かに変え始める。


 純金にメッキをし、百合の花に絵の具を塗り、

 スミレの花にかぐわしい香水をふりかけ、

 氷に滑りやすいよう鉋をかけ、

 虹の七色にさらに一色を加え、

 美しく輝く大空の太陽に

 蝋燭の光を添えようとするにも似て、

 むだで、滑稽で、よけいなことだと申せましょう。

            ウィリアム・シェイクスピア『ジョン王』第四幕第二場


 早朝の潮風を浴びるのが日課だった。

 理由はない。家の近くが海岸沿いに接していたとか、勝手にこの時間に起きてしまいそのまま眠れなくなったとか、出勤前の憂鬱な気持ちを少しでも紛らわすとかあるだろうが、とにかくなんとなくだった。だけど今日は明確に理由がある。

 美樹と喧嘩した。珍しいことじゃない。だけど今回はさすがの自分も抑えきれず、ついカッとなってしまった。お互い仕事疲れで余裕がなかったのもある。そんな状態で焦って将来の話をしようものなら衝突は当然だとわかっていたのに。軽度とはいえ、精神的に患っている彼女の気持ちに寄り添えなかった自分に非があったのは、落ち着いた今ではしっかりとわかっているつもりだ。

 昨夜、出ていく彼女の手を掴んだ感覚は今でも残っている。振り払われ、拒絶の言葉と手のひらで怯んだ合間に、その長い髪が夜に溶けたのも(まなこ)の裏に残っている。

 青い朝日を浴び、寒気だつ空気を吸う。独特な磯のかおりと耳に届(さざなみ)が冷たくなった心をわずかに動かしてくれる。足元に半ば埋まったぼろぼろのペットボトルと、海鞘(ホヤ)のように付着した石の(つぶて)を見ては、現実に戻されたような感覚になる。幸い、今日は休日だ。急いで戻って身支度する必要はない。

 謝りに行こう。家に帰ってきているかわからないが、どこに家出したかはなんとなく目星はついている。美樹を信じて、家で待とう。ただ、指輪を渡すタイミングはもう少し先になりそうだ。

 海に背を向けようとしたとき、スマホのバイブレーションが鳴る。

 着信相手は大郷(おおさと)優花。同じ高校の親しい同級生で、美樹の妹。最後に連絡とったの半年くらい前だっけ、と思いながらスマホを耳に当てる。

「もしもし? ……いや、近所の海岸沿いにいるけど。急にどしたん。――……は?」

 どういう感情になったかわからない。ただ、美樹にはもう、謝りにいけないことだけは理解できた。


 それから三か月ほどだろうか。慌ただしくも虚しかった日々は落ち着き、仕事も復帰してつまらない平常を取り戻していた。ただ、朝起きても、家に帰っても、一人のままであることに、未だ慣れていない。少し狭いと感じていた1LDKの一室も、物欲のない自分には広く感じられた。

 せいぜい、美樹が大切に育てていた榕樹(ガジュマル)極楽鳥花(ストレリチア)といった観葉植物の世話で、彼女と一緒にいるような気にさせてくれるくらいだ。バイオデザイナーが美樹の本職だったために、時折樹皮や葉を採取してたり、反対に何かを注入しているところも含め、その仕事ぶりを後ろで見ていた記憶がふと蘇る。嬉しそうに話す横顔が、眩しかった。

 美樹の笑顔が飾られている写真盾に目を向けては、いってきますとだけ呟く。抗うつ剤と腸内活性錠(フロタリアG)も飲んだというのに、体は鉛のように重い。

「おはようございます」

 職場について挨拶するも、「おう」とそっけなく返す宮島先輩は眠たそうな目のままこっちを見やしない。いつものように着替えて、朝礼、メールチェックと、日課をこなしてからが本番だ。宮島先輩に続き、専用の道具をそろえたリュックを背負ってトラックに乗る。

「それで、あれからどうなんだ」

「どうって……?」

「彼女だよ。なんか進展あったか?」といいながらアクセルを踏み、会社から出発する。

「なんで先輩が気になってるんですか」

「そら気になるだろ。なんつったか忘れたけど、微生物で蘇生させるみたいなやつ。そんなん滅多に聴ける話じゃないからよ」

 あの夜、喧嘩して家を飛び出した美樹は車に轢かれ、死んだ。その事実を受け止めきれなかった中、蘇生化治療の話が病院と大学から美樹の家族に持ち掛けられた。

 実験動物の蘇生化を実現したのは自分が生まれて間もないころ。そこから人の蘇生が一部認められたのはごく最近の話だというのはニュースで聞いたような気がする。技術的な話はもちろん、法とか倫理、宗教がどうのとニュースの通知が来るが、学もなければ今を生きるだけで精一杯の自分はスワイプするだけだ。

「治験段階のものを試されているだけっすけどね。猿や臓器はいけても、人の成功例はまだないって」

 そんな希望も蜘蛛の糸だ。それに縋るべきなのか、人として眠らせておくべきなのか。生き返ったとしてもそれは本当に美樹なのか、そもそも美樹はそんなこと望んでいるのか。二十半ばの自分には到底わからない。ただ、美樹の親族の中に猛反対の声もないわけではなかった。その気持ちも十分にわかる。

 そうか、と返した先輩はため息を一つ。「まあ、うまくいくことを願うよ」

「思えばなんでもかんでも生物工学(バイオ)になっちまったな。一昔前は情報技術(AI)だのなんだので社会がバズってたってのに」

「石油も食べ物もだいたい微生物任せになりましたからね。AI発展したおかげってのもありますけど」

「三ツ橋もなんかDIY-Bとかやってんのか? 遺伝子のコーディングとか臓器の3Dプリントとか」

「あれ資格ないとできないっすよ。てかそれできたらここにいないっす」

「それもそうだ」と鼻で笑う。目的地についたのか、道路沿いに向かってスピードが落ちる。

「ともかく、バイオがバズッたおかげで、こんな石拾いみてぇなクソ業務もできたっつーわけだ。じゃ、行くか」

「うす」

 俺たち清掃業者の仕事は石の回収。正確には設計微生物――DBのコロニーの処理だ。元は太平洋ゴミベルトにいたプラスチックの分解菌や海底にいた金属腐食菌などをモデルに、専用の生成AIで出力した合成ウイルスによって編集・設計された人工ゴミ分解菌が最初に造られたDBだったが、分解物を原料に再構築されたこの石が様々な資源や原料に使えるという。

 だけど、この石は好きじゃない。

 なんでもあった有象無象(がらくた)の山を、一緒くたにしてしまうから。もののすべてが価値あるものでなければならないと言っているようで、そのままを許してくれない気がしたから。

 皮肉にもそんな石と一番身近な職に、高卒の時から就いている。

 やることは単純。地面や壁、木々にこびりついた白と黄土色の砂礫や小石を削り落とし、吸引機や手づかみで粉砕機搭載の回収ボックスに入れる。町や路地裏、山道に海沿い。特にゴミがたまっている場所に発生しやすい。ゴミも食べるし、臭いもなく軽いのが幸いだが、どこにでも湧いては放置すれば肥大化していく。インフラ用のDBがあらゆる材料(ところ)に配合されているために、石が生じていると研修で知ったが、要は町の垢みたいなものだ。

「建物の修繕も建材の中に住んでるDBがやってくれるってのに、石の処理は人なんすね」

「ボランティアよりましだろ」

 気怠そうに、しかし手早く石を回収していく先輩にかまわず、雑談を続ける。

「早くこれもロボットとかで代用されないっすかね。俺のばあちゃんがいる介護施設も普通にいますし」

「おまえの仕事なくなるぞ」

「先輩こそ」

 噴霧機(ノズル)を回し、抑制剤を散布する。表面をコーティングすることで、内外問わず物理的に繁殖を防ぐだけでなく、DBに学習させて正しい分解と修繕を行わせるためだ。

「三ツ橋、今日のニュース観たか」

「またSNSですか」

「なんでもいいだろ。なんか、酔いつぶれた学生が石に食われたってよ」

「吐いたままコロニーで寝てたらDBが繁殖して石作っただけの話っすよね」

「経緯はそうだろうが、服どころか皮膚にも侵蝕しかけてたらしいぞ」

「大げさに言ってるだけなんじゃないですか」

「よし、ここらも終わりだな」話と吸引機を切り、先輩は背をグッと伸ばす。「今日のとこは早めに切り上げてタバコ行くか」

 肌寒い風が流れ、坂下の町並みを仰ぐ。わずかな赤みを浴び、ひとつ息を漏らす。道具や荷物をトラックに積み、近くの自販機に立ち寄った先輩のもとへ向かったとき、耳障りな着信音が鳴る。先輩の社用携帯からだ。

 嫌な予感もそのはず、いくつかの会話を交わし終えた先輩から告げられたものは、そこらの石よりも重いものだ。

「残業確定。突発案件だ」


 件数は二件。近隣の住民の通報が会社にきたという。

 ひとつは山沿いの森に接した三階建ての廃屋。そこに発生した幾多の石が肥大化して侵蝕し始めている。無機物に見えるのに建物に腫れものができたように、ボコボコとした球体の数々が葡萄のように盛り上がっていた。

「回収タンクと照明もここに置いていく。一発で片せないだろうけど、区切りついたら電話してくれ。遅くても十時までにしておけよ」

 先輩の指示に、ただ了承する。人手不足のため、こういった突発業務となると一人で対応することが多い。

「ああ、あと。ここ事故物件らしいからマジで気をつけろよ」

「冗談きついっすよ」

 トラックがその場を後にし、一人残された俺は荷物を背負って廃墟の中に足を踏み入れる。

 天井から鍾乳洞のように。壁や床は葡萄のように。中は大小さまざまな白濁と黄土の軽石で溢れていた。これがバクテリアの巣窟だというのだからいい気分はしない。

「よくここまで放置されてたな」

 大量処理の経験はある。ゴミ屋敷や孤独死があった一室にDBを散布し、石にしてから回収するというやり口は一度や二度ではない。だが、さすがにこれは、と途方のなさを覚える。

 万一のためのマスクを装着し、掘削道具を片手に手前から取り掛かり始める。石を拾うのは楽しいわけではない。だが、その間は少しだけあれこれ考えなくて済むので、嫌いではなかった。気が付けば時間も過ぎ、かつての内装の面影が見え始めていた。

「だいぶいってるなこれ」

 おそらくDBの分解作用によって老朽が進んだのだろう。建物の奥、床にぽっかりと空いた穴は暗く、地下のフロアへと通じている。その先もまた、石だらけだった。

 吸い込まれそうなそれを、ずっと見つめる。日もとうに落ち、仕事で疲れ切ったというのに、荷物を下ろす気も、座る気も、足を動かす気にもなれない。

「……なにやってんだろうな」

 一滴のように呟いたそれは波紋を描く。押し込んでいた感情が水をこぼしたようにじわじわと滲んでいくような。

 なんでここにいる。何のために生きている。

 美樹がいたから、こんなどうでもいい日々に色がついたんだ。だけど、美樹はいつもの日常にいない。

 蘇生化も保証はない。ただ美樹の形をした肉塊を生かし続けているだけ。 蘇生なんかに手を出して本当に良かったのか。本人は望んでいるのか。自分のエゴではないのか。

 ここから落ちれば、美樹のところにいけるのだろうか。

 そのまま眠るように、目の前の穴へと倒れ込んだ。


 ハッと目を覚ます。 夢だったのか否か、記憶があいまいだ。汚れた作業着は小石にまみれているも、くっついてはいない。とうに迎えている夜に呑まれまいと、設置した照明だけが唯一の光源だった。

「やべ、寝てた……?」と起き上がった時。

「よかった、死体かとひやひやしたよ」

 思わず小さな声を上げては体が跳ねる。そこには一人の青年がこちらをのぞき込んでいた。

「回収業者さんも大変だね。休み取れてる?」

「だ、誰ですか」と警戒する声に応じ、男は名乗りながら名刺を渡してくる。顔立ちは整っており、若い風貌であるも自分よりは年上にも思えた。

「稲岸透。都内の大学院の研究員やってる。君は?」

「あー、えっと」と回らない頭を必死に回す。「BEC株式会社の三ツ橋宗一です。近所の住民から回収依頼があったんで。それで、ここでなにを」

「フィールドワーク。ここ、石たくさんあるでしょ。それに長期間放置されてて成長してるのも多い。いいサンプルが取れるんだ」

 ぼうっとした頭も手伝い、はあ、としか返事ができず、まじまじと男と名刺を交互に見る。暗い中でもガラスのない窓から外が見えるのは、月明かりなのか街灯なのか。腕時計へ目を落とすと21時を迎えようとしていた。

「やっぱり疲れてるね、君」

 唐突にそう言われるのはいい気はしないが、勤務中に気絶するように寝ていれば否定はできない。

「そう、ですかね」

「わかるよ。悲しいとか虚しいとかそういうの越えて、どうでもよくなっている」

 予想外の返答。心の中を見透かされたようなそれに警戒するべきなのだろうが、あきらめたように小さく息をついては視線を落とす。

「まあ……恋人死んでますから。いや、そうともいいきれないけど、でも生きてるとは言い切れないか」

「もしかして蘇生化治療?」

 うなずく。稲岸という察しのいい男は少し考えるそぶりをし、口を開く。

「この町だったら確か大郷美樹さんが受けていたけど、関係者だったんだね」

「っ、知ってるんですか」

「直接ではないけど、蘇生化治療にも僕は関与はしてる。対象者の情報はチェックしてるし、そもそも大郷さんとは仕事で知り合っていてね。DBの研究開発の事業化の際、業務委託で何度もお世話になったよ。だからこそ、事故のことは残念だった」

 聞きたいことが山のようにあった。なのに、言葉がさびついたように出てこない。落とした視線をこちらへと戻した稲岸は、唐突に訊いてくる。

「三ツ橋君はどう思ってる。蘇生化のことも、この石のことも」

 詳細はどうあれ、どちらもDBによって生まれたもの。いつの間にか芽を出し、身の回りを徐々に、しかし目まぐるしく変えたそれに対し、俺は。

「……どうも思わないです。石は仕事で拾ってるだけですし、蘇生化もよくわからない。ただ、今のままの自分を許してくれないような息苦しさは感じます。こっちは別にガラクタのままでもいいのに、欠けていることも、死ぬことさえも受け入れてくれなくて、いや、それが幸せのためだとわかってるんですけどね」

 美樹と付き合って数年経てもなお、しょうもないことでぶつかったことは少なくない。好きなのに、大事なのに、矛盾した言動をし、時に向き合わずに逃げた様はいかに不器用で不誠実で不格好だったか。それでも、そんな不完全さを許し合い、笑い合えたから、こんなどうしようもない毎日を生きようって思えた。

 なるほど、と返した稲岸は天井を見上げて、独り言のように話す。

「生成AIによる遺伝子編集精度の向上、人工塩基に新規機能性核酸の合成、Deinococcus radioduransのDNA修復機構の応用……数えきれないほどの様々な技術と研究実績によって生まれたDBは、常に最適化を求めて変化と進化を重ねている。欠点という不便をなくして、完璧という安定を得るために、機械的にね。でも、そのシステムの裏には、世の中がもっと便利になるように、不幸な思いをしている人を助けるために、そして未来の希望となってほしいという積年の願い。それが原動力にあると僕は思っていた。ただ、それも人によっては押しつけなのかもね」

 でも、と稲岸は続ける。

「彼女は生きようと足掻いている。何も感じない暗闇の中で、大切な人にもう一度会うためにね」

「なんでそんなこと言えるんですか」

「そう教えてくれたから。この石のおかげでね」

 そういい、足元の石を拾った。

「何もDBの分解物やコロニーとはいいきれない。これは結び目なんだ。脳のネットワークみたいに、DBはつながりあっている。僕らの中にいるのも、町や道具に使われているのも、環境対策に散布されたのも、関係なくね」

「そんなバカなこと」

「受け入れなくてもいい。でも確かに言えることは――」

 こちらに放り投げた石を受け取る。気のせいか、石の中からほんのりとした熱と脈動を感じた。ふと、ヒビが入っていることに気づく。

「少しずつ、ひとつになろうとしている。人も街も、国も。それらを囲む大自然も。目に見えない小さなビルダーたちが結び付けて、この地球がひとつの知能ある生命となれば……はは、好奇心や幸福の追求もここまでくればテロかもね」

 ゆっくりと割った石の中には、きめ細かい筋線維と根のようなものが絡み合っていた。薄暗い中でもその隙間から見える深奥に、小さな心臓らしき何かが律動を刻んでいる。思わず目を見開いた。この数年、数々の石に触れ、回収してきたが、初めて見るものだった。

「彼らはわかっているんだよ。何がこの世界にとって最適なのか。それに向けて毎日、試行錯誤を繰り返して進歩を続けている。今は誰にも気づかれないような小さな一歩にしか過ぎないけど、やがては革命ともいえる大きな前進となる」

 割った石をもとに戻す。ふつと湧き出た感情が言葉として喉奥から出ようとしたとき。

「だけど、それが正しいとは限らないことも知っている」

「……っ」

 稲岸の神妙な面を前に、声が出なかった。

「本当にこれでよかったのか、望まれてないんじゃないか、余計なことだったんじゃないかって」

 より良くしようと。喜んでもらおうと。そう考えても期待通りになる方が少なかったことは、自分にも思い当たる。後悔がなかったわけじゃない。

「……答えは、ないんですね」

「だから選ぶんだよ。選んだら、信じ切るしかない。望まれない結末だったとしても拒まずに愛する、そう僕は決めたんだ。決めたから、君や大郷さんのような人を救える道を作り出せたんだと思えば、僕はそれで満足だよ」

 ふと微笑んだ彼の顔は清々しいとも、切なそうにも見えた。「まあ、周りからしたらはた迷惑な話かもね」

「稲岸さん」

 尋ねようとしたとき、それを遮るように彼は笑った。

「はは、少し語りすぎてしまったね。久しぶりの客人だからつい楽しくって、時間も忘れちゃったよ」

 咄嗟に腕時計を見る。しかし、時計の秒数が進んでいないことに気が付いた。スマホを見ても、同じく時計が止まっていた。思えばとうに夜も耽っているのに肌寒く感じない。

「もしかして俺って――」

 安心させるように、稲岸は笑みを向ける。俺の前に立った彼は、語り掛けるように言葉を与えた。

「大丈夫。君ならまたやり直せるさ、必ずね」


 朧げな意識から引き揚げてくれたのは聞き覚えのある声だった。

「宗一! 私のこと分かる……?」

「……ゆう、か?」

 親しい友人の安心した、泣きそうな表情を見て、そして体の不自由さと鈍い痛みで自分の状況を理解した。ああ、あのとき足場が崩れて落ちたんだなと。

 だとしたらどこからが夢でどこからが現実だったのだろう。

「あんたまでなにやってんだよバカ。だから無理すんなって言ったじゃん」

 目を覚まして間もなく小言を突かれるとは。うるせえ、と返そうにも力が入らず、うまく出なかった。すると、すすり泣く声が、静かな病室に行き届いた。

「本当に無理だけはしないでよ。お姉ちゃんに続いて宗一までいなくなったら、もう私……どうしたら」

「……ごめん」

 いたたまれない。静寂が気まずかった。胸の内に刺さった何かが、頭の中の燻りを取り払ったような。

 カーテンの空いた窓の外を見る。鈍色の空はどこか寒々しい。

「ここ、東栄病院か?」

 優花はうなずく。そのまま続けて訊いた。

「美樹の様子は?」

「……特に何も。内臓や骨は修復しているけど、それっきりだって」

 うつむく彼女に、そうか、としか返せなかった。

 医師と看護師の話を聞くに、自分は二日前の落下事故でそれなりに骨と内臓、一部の脊髄が損傷しているらしい。重体の自分を見つけ、助けてくれたのは現場に戻ってきた宮島先輩だという。意識を数日で取り戻したとはいえ、両足の感覚がないのもそのせいだ。

 だが、いずれも数種類の医用DBの注入と安静で、ほぼ回復する。数か月で完治まではいかなくとも杖付きなら歩けるようになるという話を聞いて、安心する一方、これまでの生き方では通用しないことも突き付けられた。

 本来だったら打ち所の問題で致命的だったという。死んでいてもおかしくない大怪我。それでもなぜか修復の跡が見られ、結果大事に至らなかったのは、おそらく……。


「美樹、生き返ると思うか」

 他のと変わりない、白い扉の向こう。その先に蘇生化治療を施されている美樹がいる。一週間を経て、なんとか車いすに座れるようになった俺のそばで、見舞いに来てくれた優花がうつむく。

「そんなのわかんないよ。お医者さんだってわかんないことなのに。でも、生き返ってほしい」

「……そうだな」

「あのさ」

 意を決したような優花の一声に、俺は顔を向けた。

「私が言うのもなんだけど、宗一にだって宗一の人生があるんだからさ。無理、してるんだったら全然、いいからね。何も縛られることなんてないんだし、それにこの治療だってもしかしたら」

「優花」

 彼女の言葉を遮るように少しだけ強く、名前を呼び掛けた。

「俺が選んだんだ。それに……いや、あのときの謝罪だってまだ伝えていない」

 美樹との時間は、その時に止まった。いや、自ら動かそうとしなかった。そんな自分を気遣うように、優花は詰まりかけながらも話を続ける。

「生き返ったとしても、なにかしらの脳障害が残るリスクが高いんだよ? 何十年も介護し続けなきゃいけないかもしれないし、そもそも宗一のこと覚えてないかもしれないのに。それでもいいの?」

 白い扉を見つめる。

 迷いはあった。恐れもあった。だけど今は確信している。

「それがなんだよ」

 美樹は、最後まで支えてくれたから。

「でも、今は――」

「今は生きてるといえるかわからないけど、でも確かに生きている。美樹はそこにいるんだ。そう信じることしかできないんだったら、ひたすら信じる。結果どっちに転がっても、覚悟はできてる。美樹だって今も生きようと足掻いている。それなら最後まで傍にいなきゃさびしいだろ」

 返答はなかった。だけど、考えていることはなんとなくわかった気がした。車椅子を引き、今にも泣きだしそうな優花の顔を見つめた。

「気遣ってくれてありがとな。でも俺は、見捨てたりなんかしないから」

「……。宗一のくせにかっこいいこと言うなよ」

「はっ、惚れたりすんなよ?」

「惚れるかバーカ」

「痛った! 怪我人だぞ俺」

「全治三日がぬかすな」

「三か月な。おまえこそぬかしてんじゃねぇ」


 素直に笑えたのはいつぶりだろうか。体は前より不自由になったのに、生きている実感があった。

 早朝の潮風を浴びるのが日課だった。だけど今は、病室の窓を見眺めることくらいしかできない。海は見えず、ただの町並みが映えているだけ。だけど悪い気はしなかった。あんなに感じた孤独が、今はどこか包まれているようにすら感じる。

 代わり、美樹のいる治療室の前を通ることが日課となった。中には入れず、仮に入っても繭のようなカプセルの中に入っているので顔は見えない。でも、確かにそこにいる。それだけで自分は満足だった。

 本当に生き返ったとしても、果たしてそれは美樹なのか。これまでのすべてが消えてしまうのではないか。そんなわかりもしないことなど、軽石のように頭の悪い俺が悩んだところでどうにかなる話ではない。

 日課はそれだけではなかった。他の患者と談笑することも、優花や昔の友人と連絡を取ることも。たまに見舞いに来る宮島先輩の愚痴話に付き合うこともある種の日課だろう。そして、救急搬入のとき一緒に連れてきた白い石を窓際に飾ってなんとなく眺めることも、日常の一部と化していた。

 稲岸透について調べてみたが、二年ほど前に他界していると知った。細菌性DBやT4ファージ型DBの研究者で、情報の遠隔的なやりとりと記憶を行い、環境や情報に応じてタンパク質を作り替えるDBの開発をしていたことも、彼を指導していた教授がDBの生みの親だということも、驚きはしたがどこか納得している。だとすれば、彼は研究に成功しているともいえる。

 俺や他の人々が知る以上に、この町は、国は、世界は目に見えない小さなものによってとうにつながりあっているのかもしれない。包帯越しの傷跡見つめ、どことなく軽い体と清々しい気持ちが、それを確信づけていた。

 もうすぐ雪が降り積もる。ストレリチアが少し気がかりだが、あの花が冬を越えられるなら、美樹だってきっと戻ってくる。そんな根拠のない、だけど確かに感じる熱が、胸の奥で静かに灯っていた。

 窓際に置いていた石から、小さな芽が出始めた。

Q.あなたにとって〝SFらしさ〟とはなんですか?

A.科学的考証やその設定が織り込まれている創作物であること

・もしこういう世界だったらという可能性とそれに対する驚きや不思議さ

・創造と対話

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